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管理人の思いつくまま、気の向くまま、長野県内の町や村の話題を取り上げています。



信州スイーツまつり2017
開催日時:平成29年9月10日(日)
開催時間:午前11時~午後3時
開催場所:文化交流館なちゅら(飯山市)
フォーラム1:
成功事例に学ぶ!地域経済発展の可能性
フォーラム2:
未来ある若手農家の世界
<参考FB>
信州スイーツまつり2017
https://www.facebook.com/nagano.sweets2017/


170910_1236_信州スイーツまつり2017(飯山市)
飯山市文化交流館 なちゅら
撮影:平成29年9月10日



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2017スカイフェスティバルin松本
開催日時:平成29年9月10日(日)
開催時間:午前10時~午後3時
開催場所:信州まつもと空港
※来場者駐車場は大芝生広場を利用
※会場へはピクニック広場から無料バス利用
<参考HP>
・ 信州まつもと空港
  http://www.matsumoto-airport.co.jp/


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第24回やなぎ市
開催日時:平成29年9月10日(日)
開催時間:午前10時~午後3時30分
開催場所:
八十二銀行長野東支店 南側駐車場
中部電力・歩行者天国
その他:
・中部電力 高所作業車搭乗体験
・地元小中学生による合唱・吹奏楽
・八十二銀行合唱団
・ビンゴやダーツなどもりだくさん


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幸い大きな病気もせず、元気でいたオヤジやオフクロも、さすがに寄る年波みには勝てないようで、我が家ではこれまであまり考えたこなかった「介護」が現実になりました。加えて、我が家では+伯父の「介護」も看ることとなり、以降、生活が大きく変わることにもなりました。ここでは、現在進行中の我が家(+伯父)の「介護」の様子を備忘録代わりに綴っています。

emoji 平成27年度 emoji 平成28年度 emoji 平成29年度

平成29年8月
31日(木)
<オヤジ>特別養護老人ホームの担当者へ連絡。入居について検討したいので、今週末に施設見学に伺ってよいかお話をして了承いただきました。
30日(水)
<オヤジ>昨年の11月に入居のお願いをしておいた特別養護老人ホーム(特養)の担当者から、ようやくひとつ空いたので、改めて入所についての検討いただくために施設見学のため来所願えませんか、という連絡がありました。
現在お世話になっている老人保健施設(老健)でも、入所時に今後の予定として特養への申し込みを勧められていたこともありました。施設運営上、老健では3ヶ月をメドにサ高住(我が家では自宅でのオヤジの介護は困難のため)へ一時的に移り、改めて入所するこなどの流れを踏まなければならず、そのたびにケアマネやデーサービスなどの施設、介護用品業者との打ち合わせをしなければならず、その手続きのため管理人もそのたびに半休を取得しなければならない事情もありました。
このようなことから、今回の特養の空きができて入所のお誘いを受けたことは、我が家にとっても、老健施設においても、まさに理想の流れであり、また、これだけの短期間で特養への入所できることそのものをありがたく思わなければいけないのかなぁ…と思ったのでありました。
26日(土)
<伯父>納骨と四十九日の法要の打ち合わせ。
お位牌については、ほんとうに一般的なもので、戒名と亡くなった日、年齢を確認してお願いしました。因みに「享年」とは数え年齢、「行年」は満年齢とのことだそうで、説明を聞いて初めてそのことを知りました。伯父は昭和6年生まれなので、「享年」では87歳ということになるわけですね。
また、納骨と四十九日の法要については、今回、お寺さんで行うわけですが、お墓にお供えするお花左右一対、祭壇にお供えするお花左右1対とお供え物、住職へのお礼については葬祭センターが一括で発注とお届けを、法要終了後の会食のは有無と、もし会食する場合には個数を確認することの説明がありました。お布施については、法要が始まる前に住職が祭壇にお供えすると思われるので渡すタイミングについて教えていただきました。
<オヤジ>介護施設を訪問。相変わらずお元気で何より…という状況。
伯父が亡くなったことについては伝えず。
18日(金) ※夏休み
<伯父>今日は伯父の携帯電話の解約と金融機関の相続手続きを。
携帯電話の販売店に出かけるのは、ガラケー時代に機種変更(新規は代理店が来訪)のため1度、ガラケーからスマホに変更する際に1度の計2度のみ。
今回は自分が利用している携帯電話の会社とは異なるため、さてどんな対応をしてくれるのか、ドキドキしながらとりあえず訪問してみたのでありました。
番号札を発行してもらって、待つこと10分(意外にも速かった)。相続人ではないけれど、伯父が亡くなったので甥の自分が解約の手続きにきたこと、簡単な家族構成を説明し、未納分の確認と支払いを済ませたところ、驚くことに解約手続きはあっという間に完了。いやはや、昨日はあれほど苦労したのに、こういったものはとにかく速いっ。NHKの解約もそうでしたが、こういうことは民間企業のほうが対応が速く、とてもありがたく感じたのでありました。
続いて向かったのは金融機関。幸いにも取引金融機関は1つのみで、相続人も我が家の母親ひとりだったことから、こちらも特段の指摘なくく書類を受け付けていただきました(相続関係の確認等があったため、後日、手続きについてのは連絡あり)。戸籍謄本や住民票の原本については、他の手続きにも使用するため、原本還付(原本を返却してもらうこと)していただきました。
今回はそれぞれの手続きについて、たまたま夏休みが取得できたため短時間で終わりましたが、これが通常の時期であったら、こうはなかなか終えられなかったかもしれません。慣れないことばかりでしたので、いささか疲れた2日間でありました。
17日(木) ※夏休み
<伯父>年金停止のため、長野北年金事務所を訪問。予約をしておいたことで、すぐに面談となりました。自分の年金はまだまだ先のことでしたし、年金のついて詳しい知識があるわけではないので、いろいろ聞かれても困るなぁ…と思いながらの訪問でしたが、とても親切な職員さんで、手続きに必要な書類一式についてわかりやすく説明していただきました。年金は後払いとのことで、例えば8月支給の年金は6月と7月の2ヶ月分なのだそうです。ただ、伯父は8月2日に亡くなったので、8月分が日割りではなく1ヶ月そのまま支給されるのだそうで、その手続きが今回必要とのことでした。ただ、管理人は甥ではあるものの相続人ではないため、書類への記入は全て妹(管理人母親)が記入する必要があるとのことでした。
ところがここで更なる重要な事案が発生~。
(1)戸籍謄本と住民票について、もうひとりの伯父の戸籍謄本(結婚により除籍となり、新たな戸籍ができているため)、それと今回亡くなった伯父の住民票(除票)が必要であること
(2)「生計を一にしていることの証明」(同一世帯ではないものの、負担していた生活費の凡その金額、介護施設に支払っていた料金やその頻度、我が家が施設を訪問していたその頻度はどのくらいだったか等)の提出のため、介護施設の証明が必要であること
(3)未払年金が判明し、共済への請求(遡及5年間)が可能であること
(3)は直ぐに手続きをする必要はないものの、(1)と(2)は今回の手続きに必要であるとのことでした。そのようなわけで、面談終了後、急遽、近くにある支所に立ち寄り、書類の交付をお願いしてみました。
ところが、職員さんによれば相続人ではない甥の管理人ひろさくでは、伯父の戸籍謄本および亡くなった伯父の住民票の取得はできのだそうで(相続人である母親が同行していた場合には可能)、代行するには委任状と提出先の資料(提出書類の写し)が必要(公的書類の交付手続はなかなか難しい~)とのことでした。
できれば、難しい手続きは今日中に終了させたいと思っていた管理人ひろさくでしたので、ここはとりあえず、白紙の委任状を数枚いただき帰宅することに。
続いて向かったのは、伯父が入居していた介護施設でした。ここでは、事前に事情を連絡しておいたこともあり、思いのほか早く書類に社名判と証明印を押印していただき受領することができたのでありました。
午後は年金事務所でいただいた書類と支所へ提出する委任状への記入を。年寄りに記入させるのは大変でしたが、下書きをしてあげてどうにかこうにか完了。その後に訪ねた支所と年金事務所では、どちらも書類上に不備なく、また必要な書類も整っていたこともあり、どうにか受領をしてもらい、ようやく今日の行事は終了したのでありました。
しかし、戸籍謄本や住民票などは、委任状させあれば交付してもらえるものだと思っていましたが、具体的に提出先(例えば「年金事務所」「金融機関」)を記入したり、書類の写し(例えば「年金手続きのための請求書」「相続手続依頼書」)が必要とのことで、家族に動ける人がいればどうにか間に合うかもしれませんが、年寄りしかいないお家では、書類ひとつの準備にも相当の労力がかかり、大変じゃないのかなぁ…と今回の手続きをしてみてつくづく感じたのでありました。
16日(水)
<伯父>長野市役所の高齢福祉課と介護福祉課を訪問。高齢福祉課では高額医療費の請求と埋葬料の手続きを、介護福祉課では何か忘れてしまいましたが老人に関わるサービスの申請を行いました。また、住民課では金融機関および年金事務所に提出する書類の交付を依頼しました。
<諸手続きについて>
年金事務所については、伯父の住所地から長野北年金事務所で手続きが可能とわかったため、先ずは事情をお話するために電話をかけてみました。すると、とても親切な職員さんが対応され、面談のため17日に予約を入れていただきました。
NHKについては、電話帳にあるお客さまサポートセンター(おそらく東京)に電話をして事情をお話すると、電話を以て解約が可能ということでした。
中部電力についてもNHKと同じで、サポートセンター(おそらく名古屋)での受付でしたが、全て自動案内で、電話を切るとショートメール(Cメール)による返信があり、インターネットからの手続きとなりました。ただ、「お客様番号」がわからなかったことと、引っ越しが四十九日過ぎてからということになっていましたので、ここでは手続きをしませんでした。
13日(日)
伯父のお骨を安置していただいている母方のお寺に、迎え盆の墓参りへ。
ここのお家のお墓はお寺の裏手の、山の斜面につくられた墓地にあるわけですが、そこまでの間にかなり急な坂道となっており、ひろさくのような年齢の人間でも息が上がるくらいの階段を上がらなければなりません。加えてひさしぶりの晴天ということもあり、気温も上昇。これまではどうにか上っていた母親でしたが、さすがに今回は辛いようで、カラダを支えてあげながら、一段一段、どうにかこうにか、お墓までたどりつくことができました。来月は納骨と四十九日もあり、またこの階段を上がることになるわけですが、80歳を過ぎた老婆には兄弟の仏事はやむを得ないにしても、それから先はちょっと難しいかも…と感じたのでありました。
5日(土)
<伯父>前日、ご住職から本家や分家へ連絡だけはしておいたほうが良いとのお話があったことから、先ずは電話にて連絡。伯父が介護施設に入ってから2年半近く、音信不通状態であったため心配されていたそうで、これまでの経緯を説明しご理解をいただくことができました。また落ち着いたら、また伺うことにしたいと思います。
また、この日は「長野びんずる」が開催され、本来であれば管理人も参加しなくてはいけない立場にあったのですが、こうした事情もあり、今年は参加を控えることとなりました。
4日(金)
<伯父>午前9時30分に葬祭センターに到着。副住職がお見えになるまでに、納棺を行いました。センター社員さんにご協力をいただき、先ずは伯父を棺へ納め、旅仕度を整えました。その後に祭壇に飾ったたくさんの花を入れてあげて納棺は終了。その後、副住職による納棺経があげていただき、これが終るといよいよ出棺。葬祭センターの社員さん数名の見送りを受け斎場へと向かいました。
一般的にはこの後、斎場から葬祭センターに戻り葬式となるようですが、我が家の場合は家族葬であったため、そのままお寺さんに向かい、ご住職のお経により葬式及び初七日となりました。
ご住職のお話によれば、亡くなったのは2日ですが、四十九日までは修業の身であり、実際に西方浄土に旅立つのはそれからになるため、今年が新盆ではなく、来年が新盆になるとのことでした。したがってその後の仏事は、四十九日は9月に執り行い、一周忌と新盆は来年8月となることを承知しておいたほうが良いと教えていただきました。
3日(木)
<伯父>午前10時に葬祭センター訪問。当日予定している通夜の飾り(お花)、お斎の席での食事(会席料理)の内容、明日の葬式(お寺にて)に飾るお花やお供えもの、住職への手土産、故人の写真の手配について打ちあわせしました。ただ、困ったのは伯父の写真で、写真撮影をすることが趣味だった伯父でしたが、自分を撮影した写真をもらったことがなく、唯一あったのが、本人が証明写真として撮影したと思われる3cm×2.5cm程度の小さなカラー写真でした。
午後2時、葬祭センターへ写真を持参。こんなに小さな写真でも遺影として使えるのかなぁ…と思っていましたが、通夜の時には祭壇の上にこれが立派な写真となって飾られていて、大変驚いたのでありました。
午後5時前に副住職が到着。葬祭センターの社員さんの進行で通夜が営まれ、その後お斎となりました。副住職は住職さんの息子で、まだ若い方でしたが、声も大きく、はっきりとしていて、伯父も良かったのではないかなぁと思ったのでありました。
2日(水)
<伯父>容態が悪化していた伯父でしたが、この日の朝亡くなりました。享年87歳。
電話を受け、オフクロに葬祭センターに今後の予定と、遺体の搬送のため車を手配をお願いし、急ぎ帰宅。施設では、私たちが到着する前に職員さんのご配慮によりほとんどの処置を済ましていただいてありました。
葬祭センターでは、今後の予定について説明を受けました。伯父には家族がなく、これまで独りで生活していたたため、通夜から葬儀までの仏事や手続きについては、全て我が家が引き受けることになっていました。親戚縁者もなく、また、新聞などで告知をすると、本人を知るみなさんのご負担がかかることから、今回は家族内で全て行うことに決め、仏事全般も相応の内容で進めることにしました。
センターの係員さんに斎場の手配をしていただき、喪主であるひろさくはお寺さんに連絡。住職によれば、幸いにも通夜を予定している3日夕方も、また葬式となる4日も特段の予定はない、とのことであったことから、詳細については2日夕方、改めて訪問し説明することで了解をいただくことができました。
午後7時、住職のお帰りを待ってお寺さんを訪問。伯父と我が家の関係、葬祭センターで打ち合わせした仏事の日程の説明、戒名などについてお願いし、この日は午後9時頃帰宅したのでした。

 平成29年5月
22日(月)
<伯父>介護施設からの要請で担当医と面談するため訪問。
内容は今後の治療と看取りについて。もともと慢性腎臓炎を患っていることは承知していましたが、加えて最近はモノを飲み込む力(筋肉の衰え)が弱っており、このままだと食べたモノが気管に入るなどして誤嚥性肺炎になる可能性もあるとのお話でした。最悪の場合は病院への転院もあり得るが、病院でもここ(の介護施設)でも治療は同じ。戻るお家がなく、面倒を看る人もいない伯父に、ご家族の希望があればここで看取ることもできますが、どうされますか?ということが結論でした。
このことについては、妹であるオフクロとも既に相談済みで、最大限の治療はしていただいて、それでも延命のための処置が必要になるようであれば、それはやめましょう、と伝えました。機械に頼らず、精一杯生きればそれは本人に与えられた寿命、というのが我が家の一致した考え方だったからです。
それまで、おいしいものを食べて、周りのみなさんと楽しくお話をして、過ごしてほしいと思っています。
 20日(土)
<オヤジ・伯父>冬物の衣類を受け取りに施設を訪問。今回、オヤジが入所する介護施設に伯父も入所したこともあり、家族的な負担が解消されたことは良かったです。
15日(月)半休
<伯父>午前10時、これまでお世話になっていた介護施設から、長野市内の介護施設へ移動。歩けない伯父を車イスのまま乗車できるタクシーに乗せ、こちらは着替えの入った段ボール箱3つとともに自家用車にて新しい施設へと向かいました。
新しい施設では、予め仮申し込みをしておいたため、書類については改めて記入する項目はほとんどありませんでしたが、担当の介護士、看護師、そしてケアマネ(支援員)さんにこれまでの経緯を説明するしたり、前の介護施設で本人の病状・生活状況等々作成した書類についての質問が多く、終ったのは正午少し前となりました。

 平成29年4月
1日(土)
<伯父>届いた新しい保険証を持って介護施設を訪問。転所を予定している長野市内の介護施設へ提出する書類について打ちあわせ。
今後の流れは、現在入所する施設に併設するクリニックで作成する診断書と、入所申込書を持って、先ずは家族が介護施設へ提出。受付した介護施設では、審査会にて受け入れを決定し、入居する日程も含め、詳細を新しい介護施設の担当者と打ち合わせを行うことになるとのこと。診断書の作成ができた段階で当方に連絡があるようです。

平成29年3月
30日(木)
<伯父>介護認定の更新結果が届き、封を開けて保険証に記されている介護度を見ると、なんと「介護5」の表示が…。先月からの状況をみていると、それも間違っていないのかもなぁ…と納得するものの、オヤジと伯父の二人揃って「介護5」という現実を突きつけられ、家族としてなんとも複雑な気持ちとなりました。
「介護5」ともなると、特別養護老人ホームへの入居順位が優先されるようですが、現状は待機待ちであり、入居者の看取りがなければ入所することは困難と聞きます。したがって、それまでは老人保険施設(老健)へ入所するわけですが、「介護5」ともなると「介護3」の時より手厚い介護が受けられる代わりに値段もUPします。伯父の1ヶ月あたりの費用は、これまではどうにか受給する年金の範囲内で収まっていましたが、先に「介護5」になったオヤジの費用をそのまま請求されると完全に不足。不測の事態に備えて手をつけなかった貯金の取り崩しにも限度がありますので、枯渇した場合には持ち出しもやむを得ないのかもしれません。
仕事の合間に携帯に架かる施設からの問い合わせをどうにかこれまでは応えてきましたが、今回の更新認定の結果は、介護するということが思っていたよりも簡単なものではなく、このままだと何かのきっかけで心が折れてしまうのではないかという不安を感じることになりました。
25日(土)
<オヤジ>入居する介護保険施設(老健)を訪ね、サービス付高齢者賃貸住宅(サ高住)に入居していた時に使っていた寝具等を持ち帰り。
  
平成29年2月
26日(日)
<伯父>夕方、介護施設から伯父の容態について連絡あり。日中36度まで下がった体温が夕方になって、また39度まで上昇したとのこと。このため、明日、提携病院に移す可能性がある(※28日の予定を27日に変更)ので、病院に来れる時間を空けておいてほしいということでした。どうなるのだろう…。
25日(土)
<オヤジ>22日に移った介護施設(サ高住)をオフクロと訪問し、来週から通うディサービスの持ち物を用意しました。顔色もよく、調子もよさそう。
<伯父>入所する介護老人保健施設(老健)を訪問。
相談員さんの話によれば、昨夜は39度を超える熱があったそうですが、今朝は熱がやや下がり37度台になったものの、血圧低下も見られるため、詰め所に近い部屋に移動したとのことでした。
もともとカラダが弱い伯父でしたが、ここところかなり体力が落ち、食べ物を飲み込む力も弱まっているそうで、誤嚥を防ぐために食事前に痰の吸引をする必要(家族の同意書が必要であるため署名捺印済)もあるようでした。
相談員さんの話は続き、

①最高血圧が90を下回る状況であれば、提携病院へ緊急搬送する
②27日の施設医師の診断次第で病院へ搬送する場合もある
③27日午後、管理人ひろさくまで連絡するので、その場合には28日に提携病院まで来てほしい

とのことでした。
ベットに横臥する伯父の様子を見る限り、かなり状況が悪くなっている様子が感じ取れました。本来であれば、長野市内の介護施設への移動を考えなければいけない時期ではありますが、このままだと病院に搬送されたままになるかもしれません。

24日(金)
<伯父>午後5時半、介護施設から電話。39度の熱があり、様子を見ている状況とのこと。状況によっては提携している病院に搬送する場合もあるので、その際にはまた電話するとの連絡がありました(とりあえず、24日夜に連絡はなし)。
18日(土)
<伯父>介護施設にてケアプランの受け取りと今後の方向性を相談員と打ち合わせ。これまでは、施設側のご好意で利用させていただいていたわけですが、いつまでもここを利用していては、本来利用されるべき地元のみなさんにご迷惑をおかけすることになり兼ねませんので、早急に長野市周辺の介護施設を探す必要がありました。当然のことながら、その意向を相談員にも伝えていたわけですが、その後、オヤジの病気入院や施設の変更が重なり、ようやく今回、今後の具体的な日程や場所について打ちあわせをすることになったのでありました。
施設変更についてご提案もあったのですが、できればオヤジと同じ施設であれば面会も一度で済み、同行するオフクロの負担軽減にもなることもありましたので、その案についてはお断りしました。ただ、現在の健康状況からすると、今回の介護認定で「介護4」になる可能性もあり、その場合には値段が数万円増加することもある、とのことでした。打ち合わせの結果、場所は長野市内のオヤジが入所する施設と同じ、時期は概ね4月中旬頃となり、入所について当方で確認し、連絡するということになりました。
17日(金)
<オヤジ>ケアマネから連絡。予定していたディサービスでは週2回の受け入れは難しいとのこと。代替えの施設(こちらは週2回OK)も検討したそうですが、今度入居するサ高住からやや遠いようで、どのようなものか思案中とのこと。
これについて、本人も高々齢者であり、往復だけでも負担が大きくなるのではないかと考え、とりあえず週1回、予定していたディサービスに依頼してほしいことを伝え、またその結果を教えてほしいと伝えました。
16日(木)
<オヤジ>サービス付高齢者賃貸住宅(サ高住)への入居について、従来から担当されていたケアマネさん、介護老人保健施設(老健)から相談員さん及び介護士さん計3名、サ高住(訪問看護・訪問介護)から2名を交えて打ち合わせ。
「現在の状況」「病状」「リハビリ」について老健側から説明があり、それに対してサ高住で看護・介護を担当する方々が、これまでの対応や改善する点について確認する、という形式で概ね1時間半ほどの打ち合わせとなりました。
話によれば、入所時はかなり精神的にも心身的にも不安定だったオヤジでしたが、動き回ることはできないものの、多少の手を差し伸べれば自分で動こうとする意欲が見られるようになった(とはいえ「全介助」は必要)こと、食事はミキサー粥から粗刻みの粥で最後まで摂取が可能であること、排泄は最大で1日6回、オムツは800パットから600パット(大きいものから小さいものになったという意味か…)で対応可能とのことでした。ただ、アザや床ずれをたびたび起している(もともと皮膚が薄く、自宅に居た時も大きなアザができていた)そうで、治療しながら様子を看てきたようでした。
サ高住へ入居した場合は、訪問ステーションから「訪問看護」(看護師さん)「訪問介護」(介護士さん)が定期巡回するそうですが、ただ、1日中ベットに寝ているだけだと、また同様の症状がまた起きるかもしれないため、そこで、ケアマネさんからの提案で、週2回、ディサービスに通うのはどうか、提案がありました。
「それはいいなぁ…」とは思ったものの、ただ、「介護度5」の人間がディサービスに通って、効果がどれだけあるのかわからず、また、別途費用もかかることにもなるため簡単に返事ができず、とりあえず、通所が可能か確認してほしい、ということのみ伝えるに留まりました。
サ高住への引っ越しは22日午後(当日は半休を取得)。当日は引っ越しのほか、サ高住の賃貸契約及びベットに敷くマットや車いすのレンタルについての契約をする予定。気になる費用は、これまでよりも2万円(レンタル除く)程度増加することになる…ようです。

しかし…、介護制度があっても、これじゃお金がないとどうにもなりませんね。オヤジが長年勤めてきた年金だから、相応の対応はしてあげたいとは思うものの、オフクロが同じ状態になったら、同じようなことはとても無理。ふぅ…。

15日(水)
<オヤジ>手の甲に5cm程度のアザができたため、ワセリンを塗って処置をしたとの報告。もともとそうした症状は在宅の時にもあったので、お手を煩わせて申し訳ない旨を伝えました。
13日(月)
<オヤジ>16日に予定されている打ち合わせの確認の電話
<伯父>ケアプランができたので施設に来てほしい旨の連絡
10日(金)
<伯父>しならくして電話したものの繋がらず。

平成29年1月
29日
<伯父>介護施設から連絡あり


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170822_1208_旭山山頂(長野市)
旭山山頂に残る城跡

旭山( Wikipedia )は、長野市街地の西側の聳えるおむすびのようなカタチをした里山で、中腹に建つ朝日山観音堂は、受験シーズンともなると合格祈願に訪れる受験生が大勢訪れることで知られています。
この山は、戦国時代の弘治元年(1555)、武田信玄は味方となった栗田氏( Wikipedia )を旭山城に入れ、出陣した上杉軍を牽制。武田軍は大塚館に陣を張り、200日間対峙しましたが、膠着状態が続き、今川義元の仲裁により和睦。上杉軍は旭山城の破壊を行いましたが、弘治3年(1557)にこれを再興し、北信濃における武田軍への備えとしました。
旭山への登山道は、中部電力里島発電所からのものがありましたが、土砂崩落が著しく、また訪れる人たちの事故が相次いだことから、現在は立入禁止となっており、平柴の朝日山観音堂から登るルートが一般的になっています。このルートは、旭山城に続く登城ルートとも重なっており、当時の名残りを留める石積みや堀切(空掘)、上杉軍が破却した際に捨てられた石が散乱するなど、貴重な遺構を見ることができます。
(写真:旭山周辺=22日撮影、パノラマを除き、全て640×480拡大可能)

<コースタイム>
朝日山観音堂(11:38)→登山口(11:48)→旭山山頂(12:05)(12:15)→旭山展望台(12:19)(12:24)→※下山中・ヘビの遭遇→朝日山観音堂(13:01)


旭山 朝日山観音堂~旭山山頂
170822_1138_朝日山観音堂(長野市) 170822_1145_朝日山観音堂から旭山登山口へ(長野市)
朝日山観音堂
170822_1148_旭山観音堂ルート入口(長野市) 170822_1149_旭山観音堂ルート入口(長野市)
170822_1150_旭山観音堂ルート(長野市) 170822_1155_旭山観音堂ルート(長野市)
朝日山観音堂からの登山道
 
旭山山頂
170811_1213_w_葛山山頂(長野市)
旭山(葛山山頂から撮影)
170822_1206_w_旭山山頂(長野市)
旭山城 主郭跡
170822_1206_旭山山頂(長野市) 170822_1208_旭山山頂(長野市)
朝日山城跡案内 立入禁止 里島発電所ルート
 
旭山 旭山山頂~展望台
170822_1215_旭山山頂・虎口直下の堀切(長野市) 170822_1217_旭山(長野市)
170822_1234_1_旭山(長野市) 170822_1234_2_旭山(長野市)
170822_1219_旭山展望台(長野市) 170822_1224_旭山展望台(長野市)
旭山展望台と展望台からの眺望

<参考資料> 朝日山城
旭山(古くは朝日山)は標高785メートルその昔戦国時代には武田方の居城であったが上杉方によっていったん破壊され弘治4年(1558年)謙信公によって再興されたといわれる。本丸跡は東西約36メートル南北約30メートルである。
(案内板から)





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2017/8/26~8/27



飯山さわごさ夏祭り2017
開催日時:
平成29年8月26日(土)~27日(日)
開催時間:
26日 ライブステージサワガナイト!
午前10時~翌日午前3時
※前売券 3000円 当日券 4000円
27日 飯山さわごさ夏まつり
午前9時~午後3時
※入場無料
開催場所:
戸狩温泉スキー場とんだいらゲレンデ
(飯山市)
参考FB:
飯山さわごさ2017
https://www.facebook.com/sawagosa


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170820_1209_地附山山頂(長野市)
地附山山頂

昭和60年(1985)7月26日に大規模な地滑りを起こした地附山( Wikipedia )。その地附山も、地滑り被害への対策が進み、現在は、防災メモリアル地附山公園として整備され、長野市民の憩いの場として親しまれています。
その地附山も、地滑り災害により崩落した旧戸隠バードラインが開通するまで観光開発が行われた場所で、雲上殿から山頂までロープウェイが運行し、山頂周辺には動物園やスキー場もある、広大なアミューズメントパークとなっていたそうです。
ここでは、地附山山頂および周辺に残る当時の施設の今を取り上げてみます。
(写真:地附山周辺=20日撮影、パノラマを除き、全て640×480拡大可能)

<コースタイム>
雲上殿下展望道路沿いにある駐車場(地図)→霊山寺(10:53)→大峰山遊歩道入口(11:02)→岩井観音堂(11:13)→上杉謙信の物見の岩(11:24)(11:39)→大峰山遊歩道との分岐(11:49)→地附山スキー場跡(11:57)→地附山山頂(12:09)→旧戸隠バードライン経由で桝形城跡主郭(12:28)(12:50)→上池ノ平古墳群 第六号古墳(12:55)→地附山前方後円墳(13:03)→地附山釣り堀跡(13:07)→地附山動物園跡(13:19)→観光リフト跡(13:24)→地附山ロープウェイ跡(13:27)→パワーポイント(13:43)→跳駒・つづらトレイル分岐(14:00)→金毘羅宮(14:12)→駒弓神社(14:19)→雲上殿下の駐車場

地附山山頂へは、健脚コースとして知られる駒弓神社からの「跳駒トレイル」、地附山メモリアル公園から続く「つづらトレイル」などがよく知られていまが、今回は大峰山へ続く遊歩道(霊山寺~岩井観音堂~物見の岩経由)を利用して山頂に向かいました。
ただ、今回利用したルートは、長野市で配布している「地附山トレッキングガイド」によると「地附山」のトレッキングコースではないので、初めて地附山に登られる方はわかりやすい「跳駒トレイル」または「つづらトレイル」の利用をおススメします。
 

地附山 霊山寺~大峰山遊歩道分岐
170820_1053_霊山寺(長野市) 170820_1058_霊山寺(長野市)
登山口となる霊山寺
170820_1103_大峰遊歩道(長野市) 170820_1106_大峰遊歩道(長野市)
物見の岩への登山道 歌ヶ丘との分岐
170820_1107_大峰遊歩道・岩井観音堂(長野市) 170820_1119_大峰遊歩道・物見の岩(長野市)
物見の岩直下の 岩井堂観世音 雲上殿からの道と合流
170820_1124_w_大峰遊歩道・物見の岩(長野市)
上杉謙信ゆかりの 物見の岩からの展望
170820_1139_大峰遊歩道・物見の岩(長野市) 170820_1149_大峰遊歩道との分岐(長野市)
物見の岩休憩所 大峰山・地附山分岐

<参考資料> 花岡平
大峰山の中腹に位置し、眺めが良いところから桜坂、雲上台、歌ヶ丘、しぐれ沢、白雲台、往生寺、夕陽ヶ丘と共に展望道路八景と称されています。
草創時代長い間善光寺があった地とも伝えられ、また数多くの五輪塔が発掘されたところから五輪平とも呼ばれています。
附近には、霊山寺(真言宗)、弘法大師の遺蹟岩井堂、並びに県内殉職警察官の慰霊碑、消防関係者顕彰の碑などがあります。また、裏手には川中島古戦場の謙信物見の岩が頭上に望まれます。
一帯は自然休養林として一般に開放され、幾つかの遊歩道が整備されており、物見の岩歩道の登り口にもなっています。

<参考資料> 七清水の紹介 一盃清水
霊山寺より約三百米奥に謙信物見の岩の下に岩井堂あり弘法大師が修行中杖で地面をついたら清水が湧き出たといい、弘法大師が好んで硯の水に用いられました。のちの上杉謙信が大峰山布陣の際に飲み水にしたとも伝えられ別名上杉の御膳水とも呼ばれていました。
(長野市水道工事協同組合設置の案内板から・平成11年)

<参考資料> 川中島合戦勇士の首塚
霊山寺中興の祖義吽和尚の代(※大正時代、この地に霊山寺を復興させた原田義吽和尚)にこの地を整地したところ首だけの白骨の化石がたくさん発掘され鑑定した結果、この大峯山一帯は川中島合戦の時、上杉方陣地であり合戦で討ち取った武田方の武将の首を検分し、論功定めを行なった処であることがわかり、戦士等の勇魂を慰める為にここに塚を築いて白骨を納めたものです。
(霊山寺設置の案内板から)


地附山 山頂周辺
170820_1157_地附山スキー場跡地(長野市) 170820_1158_地附山スキー場跡地(長野市)
地附山スキー場跡
170820_1207_地附山山頂(長野市) 170820_1209_地附山山頂(長野市)
地附山山頂

<参考資料> 地附山スキー場跡
ここは地附山第一スキー場跡です。
第二スキー場は「物見の岩場」付近にありました。
ここにはTバーリフト一基が備えられ、地元の小学生のスキー教室に使われていました。大衆向けで手軽に楽しめるスキー場で、家族連れのスキーヤーが連日詰めかけ、日曜日には1500人ものスキーヤーで賑わいました。今はリフトのモーターの跡が残されています。
(地附山トレッキングコース愛護会設置の案内板から)
   
地附山 山頂~ 旧戸隠バードライン経由 桝形城跡
170820_1217_旧戸隠バードライン(長野市) 170820_1220_桝形城跡入口(長野市)
地附山山頂から旧戸隠バードラインを長野方面へ
170820_1225_桝形城跡(長野市) 170820_1244_桝形城跡(長野市)
170820_1229_桝形城跡(長野市)170820_1229_桝形城跡(長野市)
桝形城跡

<参考資料> 桝形(ますがた)城跡
地附山の山頂から北東に伸びる尾根の頂部に立地している、中世の山城跡である。尾根の頂部に主郭があり、主郭の南西側に虎口(こぐち)が残っている。斜面には曲輪(くるわ)がなく、尾根上を主体的に利用しているが、主郭の西側直下には土塁をともなう横堀と、それにつながる竪掘が複雑に入り組んでいる。主郭背後は大規模な堀切と土塁をともなう橫堀で、地附山方向へ続く尾根を遮断し、堀の間には広大な曲輪が存在する。最南端には馬出し状の曲輪がある。主郭において防御的な施設が希薄な一方で、周辺は虎口や橫堀・縦堀の多用と橫堀の複雑な構成、さらに馬出し状の曲輪の存在など、防御機能がきわめて発達した山城と考えられる。
古文書などの文献資料には、現在までのところ本城跡の名を見ないが、遺構の構造などから戦国時代である十六世紀後半の年代が想定される。周囲の山には、旭山城跡、葛山城跡、大峰城跡、若槻山城跡などがあり、本城跡も武田・上杉両氏の攻防にかかわった城跡の一つと推定される。
(長野市教育委員会・地附山トレッキングコース愛護会設置の案内板から・平成21年)

<参考資料> 桝形城跡
◎謎につつまれた山城
桝形城跡については、古文書などの文献資料にはいっさい記述がありませんので、詳しいことはまったくわかりません。堀切の構造が複雑であることや、たくさんの曲輪があることなどから、守りをかためた城であると考えられます。
◎守りをかためた桝形城跡
長野盆地は、甲斐国(今の山梨県)の武田信玄と、越後国(今の新潟県)の上杉謙信が戦った「川中島の戦い」の主戦場であり、旭山城跡・葛山城跡・大峰城跡・若槻山城跡など多くの山城が作られています。また、近くには「謙信の物見岩」と呼ばれている場所もありますので、「川中島の戦い」に関係する山城の一つかもしれません。

山城ってなんだろう?
戦争のために山頂や尾根の上に作られた城のことです。長野市内には約80箇所以上の山城があり、その多くが今からおよそ500年前の戦国時代に作られたものです。
山城には、土塁(土を盛り上げて作った土手)と堀切(水のない溝状の堀)に囲まれた曲輪(平らに整地した場所)がいくつかあります。おそらく、掘っ立て小屋や柵などの簡単な建物や防護施設だけで、国宝の松本城や姫路城のように立派な天守閣のんかる江戸時代のお城とは異なります。
(長野市教育委員会・長野市立博物館・地附山トレッキングコース愛護会設置の案内板から・平成22年)


地附山 桝形城跡~動物園・ロープウェイ跡
170820_1255_上池ノ平古墳群 第6号古墳(長野市) 170820_1256_上池ノ平古墳群 第6号古墳(長野市)
上池ノ平古墳群 第6号古墳
170820_1303_地附山前方後円墳(長野市) 170820_1304_地附山前方後円墳(長野市)
地附山 前方後円墳
170820_1307_地附山釣り堀跡(長野市) 170820_1310_地附山旗立岩(長野市)
地附山釣り堀跡 旗立岩
170820_1319_地附山動物園跡(長野市) 170820_1324_地附山観光リフト跡(長野市)
地附山動物園跡 観光リフト跡
170820_1328_地附山ロープウェイ跡(長野市) 170820_1332_地附山ロープウェイ跡(長野市)
地附山ロープウェイ跡地

<参考資料>
上池ノ平古墳群 第6号古墳
地附山の山頂から北この古墳は、地附山前方後円墳直下の平坦面に立地する上池ノ平古墳群のうち、もっとも東側に位置している。直径二〇メートルほどの大型円墳であるが、発掘調査は実施されておらず、埋葬施設や築造年代などの詳細はいっさい不明である。上池ノ平古墳群は、昭和六〇年に発生した地附山地すべり災害に対する防火弘治のため、第六号古墳以外は緊急発掘調査の後やむなく破壊された。
第一号古墳んは直径一八メートルの円墳で、埋葬施設は組み合わせ式の箱形石棺が三基並列し、中央の一号石棺は合掌形石室であった。また、直径九メートルの円墳である第五号古墳の埋葬施設も合掌形石室で、鉄剣・鉄鏃(てつぞく)・刀子(とうす)などのほか、馬具の轡(くつわ)が副葬されていた。特に轡は、東北アジアに系譜が求められるもので、朝鮮半島からの渡来品と考えられる。五世紀中期から後半にかけて地附山前方後円墳が築造され、その後上池ノ平古墳群の三号古墳群から二号、一号、(六号)、五号、四号の順に築造され、六世紀中頃に終焉したものと考えられる。
(長野市教育委員会・地附山トレッキングコース愛護会設置の案内板から・平成21年)

<参考資料> 地附山 前方後円墳
地附山の山頂から北東に伸びる尾根の頂部に立地し、眼下には善光寺平全域が広がっている。南東側の墳丘裾部が崖となり、盗掘坑らしき痕跡が各所に残るなど、形状はかなり変化しているが、前方部が南西側となる前方後円墳である。全長は三六・一メートルで、前方部の長さ十六・一メートル、幅一四・五メートル、後円部の直径二〇メートルを測る。前方部の全面から北側にかけて、幅三~四メートル、深さ八〇センチメートルほどの周溝がめぐらされている。
昭和六一年、筑波大学の測量調査によって、前方後円墳である可能性が指摘された。正式な発掘調査はされていないため、墳丘形態や埋葬施設、築造年代も明らかではないが、本古墳直下の平坦地に存在した上池ノ平古墳群との位置関係などから、五世紀中頃から後半にかけての築造と推定されている。
詳細は不明な部分が多いが、長野市北部において盟主墳的な存在であり、きわめて貴重な古墳である。
(長野市教育委員会・地附山トレッキングコース愛護会設置の案内板から・平成21年)

<参考資料> 地附山 前方後円墳
◎地附山に作られた古墳
平地からの高さが約300mもある地附山の山頂に、全長36.1mの地附山前方後円墳が作られています。崖くずれや盗掘などによって形が変わっており、前方後円墳であった可能性も考えられます。また、山頂から少し下った平らな場所には、上池ノ平1~6号墳という円墳が作られていました。1985(昭和60)年に発生した地すべり災害によって1~5号墳は消滅してしまい、6号墳だけが今も残っています。
◎いつ作られたのか、だれの古墳なのか?
正式な発掘調査をおこなっていないため、誰が埋葬されているのかなど詳しいことはわかりませんが、だいたい5世紀中頃から後半にかけて作られたのではないかと推定されています。古墳が作られた当時は、人びとが生活している長野盆地全体を見おろすことができたことから、ある程度の権力を持った人のお墓と考えられます。

古墳ってなんだろう?
古墳とは、土や石を使って、地面よりも高く盛り上げて作った、昔の人のお墓のことです。日本全国で15~20万基ものたくさんの古墳が作られた、3世紀後半から8世紀初めごろまでのおよそ450年間(約1700~1300年前)を、「古墳時代」と呼んでいます。
古墳の形には、基本的に前方後円墳・前方後方墳・円墳・方墳の4つがありますが、長野市内にある約870基の古墳のうち、前方後円墳または前方後方墳は16基だけで、残りはほぼ直径10mくらいの小さな円墳です。
(長野市教育委員会・長野市立博物館・地附山トレッキングコース愛護会設置の案内板から・平成22年)

<参考資料> 善光寺ロープウェイ
善光寺ロープウェイは、地附山の山麓駅「雲上台駅」と山頂駅「地附山頂駅」間の水平長570mを約8分で結んでいました。長野国際観光が1961年3月に開業した民営の索道です。「とがくし」「いいずな」の名がつけられた二台のゴンドラは、初年度は50万人を超えるレジャー客が訪れました。
1964年にバードラインが開通し、地附山一帯は通過地点になり衰退の一途をたどり、1985年の地滑り災害により、バードラインも寸断され、人の訪れない場所になってしまいました。
(地附山トレッキングコース愛護会設置の案内板から)


地附山 パワーポイント~ 跳駒トレイル経由 駒弓神社
170820_1344_地附山パワーポイント(長野市) 170820_1345_地附山パワーポイント(長野市)
170820_1343_w_地附山パワーポイント(長野市)
展望抜群! 地附山 パワーポイント
170820_1406_地附山跳駒コース(長野市) 170820_1413_地附山金毘羅宮(長野市)
跳駒トレイル案内 金毘羅宮
170820_1415_地附山跳駒コース・金毘羅宮への分岐(長野市) 170820_1419_地附山駒形嶽駒弓神社(長野市)
駒弓神社へ 駒形嶽駒弓神社

<参考資料> 金毘羅宮(金刀比羅宮)
祭神
 大物主神
 崇徳天皇
由緒
讃岐(香川県)の金刀比羅宮は金刀比羅本教総本部で「こんぴらさん」と呼ばれ全国的に知られ、現在でも多くの人たちが参詣に訪れている。
この滝区の金毘羅宮は江戸時代、滝に住んでいた「石坂善兵衛」が飛脚していた頃、讃岐の金毘羅宮に七回も参拝し御神徳を深く感じ、文化元年(一八〇四年)から文政五年(一八二二年)頃、ここに小さな祠を建て金毘羅宮を祀ったのが初めと言われている。
明治六年(一八七三年)社殿が回収されたが、現在の社殿は昭和十年(一九三五年)法泉院不動堂(滝の不動さん)内に安置されていた金毘羅社殿をここに遷されたものである。さらに平成十三年(二〇〇一年)には滝地区有志四十八名のご厚志により屋根の修理、鳥居の再建が行われた。
また、昭和六年(一九三一年)には御神水場(ごしんすいば)が設けられ、水波能賣神(みずほのめのかみ)(水神)が祀られた。
なお、社殿前には小県郡武石村(現在上田市)に生まれ裁判官を務めた後、当地の梨を始めとする果樹栽培に従事し全国に名を為し大正十一年(一九二二年)亡くなった塩入り武雄翁之碑が建てられている。
行事
 例祭 四月二十三日
(滝区・地附山トレッキングコース愛護会設置の案内板から)

<参考資料> 駒形嶽駒弓神社
御祭神 健御名方富命彦神別神
相殿神 大宜都姫命
由緒
創立年月は不明であるが、文政十一年(一八二八年)には現在の社号となっており、本殿は文久三年(一八六三年)に再建されたものである。
古くから式内名神大・水内神社の奥社と伝えられている。水内神社は神仏習合時代、善光寺「奥の院」と称され参拝者が多かった。
当神社は善光寺との関連が深く、社紋は卍(まんじ)であり、本殿は善光寺と同じ「撞木(しゅもく)造り」である。二月一日には、境内にある善光寺堂童子斎場にて正月行事で用いられた注連等の祭具を焼却する「お駒送り」の行事が行われる。
本殿には木馬四頭が神馬として祀られている。中央祭壇の黒駒の鞍には卍の印があり、乗っている人物は聖徳太子と言われている。その昔、聖徳太子の馬は甲斐の国の黒駒で、その駒が当社の高嶺にとまり、善光寺如来の鎮座を待ちこがれ仏法を守護した。そして、善光寺如来が当社の駒に乗り年越しの夜、市中を巡行したと言う伝説がある。
昭和以前の例祭日には遠くからも飼養馬(しようば)を曳き参詣する人が多く、全山馬で埋もれたという。また、養蚕の守護神として篤く崇敬された。
昭和六〇年(一九八五年)に発生した地附山大地滑りにも強固な岩盤上に鎮座している本殿は被災を免れ、以来「滑らない神社」「落ちない神社」として受験生の信仰を集めている。なお、明治四十二年(一九〇九年)には上松の八幡社、滝の諏訪社、湯谷の飯縄社が合祀された。
行事
歳旦祭 一月一日
元始祭 一月三日
お駒祭り 二月一日
春季例祭 四月第一日曜日
風鎮祭 八月三十一日
秋季例大祭 九月二十二日~二十三日
新嘗祭 十一月二十三日
(上松五区氏子総代・地附山トレッキングコース愛護会設置の案内板から)





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170811_1250_葛山山頂(長野市)
葛山山頂に残る城跡

長野市内の西側にある葛山( Wikipedia )は、裾花川を挟んで聳える旭山( Wikipedia )とともに、甲斐の武田信玄と越後の上杉謙信が川中島合戦の際に覇権を争った重要な拠点でした。
葛山への登山道は幾つかあるそうですが、今回は県道長野戸隠線沿いにある長野市芋井の松静寺から登るルート(通常の登山道ではなく、近道登山道)を利用しました。
登山口を間違えて進んでしまったり、途中、倒木が4本もあったりと、頂上にたどり着くまでに思いのほか労力を要しましたが、どうにかこうにか山頂に到着。
帰りは、善光寺の参道にも利用されたという「郷路石」が切り出された郷路山(ごうろ)や源 頼朝とも縁のある頼朝山をめぐり、市内から気軽に行ける里山の自然を楽しみました。
(写真=11日午前撮影、パノラマを除き、全て640×480拡大可能)

<コースタイム>
松静寺登山口(地図)※駐車場あり(11:20)→葛山登山道分岐(11:32)→葛山山頂(11:58)(12:58)→郷路山分岐(13:18)→作業道分岐(13:26)→頼朝山分岐(13:31)→頼朝山(13:36)→松静寺登山口(14:07)
 
 
葛山 静松寺登山口~葛山山頂
170811_1407_葛山・頼朝山登山口(長野市) 170811_1330_葛山登山口(長野市)
葛山 通常登山口
170811_1119_葛山登山口(長野市) 170811_1122_葛山登山道(長野市)
170811_1132_葛山登山口分岐(長野市) 170811_1301_葛山山頂(長野市)
静松寺からの近道登山口
 
葛山山頂
170811_1256_w_葛山山頂(長野市)
葛山城 本丸跡
170811_1209_葛山山頂(長野市) 170811_1213_葛山山頂(長野市)
 
葛山 葛山山頂~郷路山・頼朝山
170811_1310_葛山山頂から郷路山へ(長野市) 170811_1318_郷路山分岐(長野市)
葛山山頂から尾根伝いに郷路山へ
170811_1336_頼朝山山頂(長野市) 170811_1400_頼朝山山頂(長野市)
頼朝山山頂と山頂からの眺め

<参考資料> 葛山城跡 標高八一〇m
葛山城主落合備中守は、村上義清に従い越後の上杉謙信に属していた。城は、上杉方の重要な前進基地であった。
一方、北信濃を掌中に収めようとする甲斐の武田信玄は、弘治三年(一五五七年)二月(今の三月)、越後はまだ雪が深く、上杉軍が出陣できない時期を見はからい、部下の馬場美濃守に命じ一万七千余人の大軍でこの城を攻撃した。
城は、高い崖の上にあり、堅固な防塁を備えており、落合備中守も勇猛にみずから進んでよく防いでいたので武田勢もやや攻めあぐむ形であった。
しかし、城は水が不自由であった。城兵は、敵の目にふれる崖から米を落し水は十分あるようみせかけた。武田方が、葛山の中腹にある静松寺の僧を責め城を攻める方法を問い、水利の不便を知ると水を絶ち、火攻めにした。春先の風にあおられた火の勢いは、山を包み、防塁は炎の中に、くずれおちた。城兵必死の抗戦もむなしく備中守は奮戦して討死し、二月十五日ついに落城した。
逃げ場を失った多くの女たちは、峰の上から身を投げて死んだ。姫谷(裏の谷)と呼ばれる谷底からは、のちの世まで女の哀しい泣き声が聞かれたと里人は語り伝えている。
本丸跡には、城主の嘆きを語る祠が安置され、今でも周囲から焼米が掘り出されるという。

春、山頂の城跡に立てば、里に遅れて散る山桜の一片に、戦国の世のならいとはいえ、滅びる者の哀れさが胸にせまってくる。
(長野市観光課設置の案内板から・平成12年)

<参考資料> 頼朝山(八幡山) 標高六四四m
この頼朝山は、八幡山ともいわれ、山頂の八幡宮(昭和十三年焼失)は、静松寺鎮守社である。弘化年間(およそ一五〇年前)の頃に、八代松代城主真田幸貫公が鬼門除(きもんよけ)の守護社として祭祀されたので、鎮護峰ともいわれているが、源 頼朝公寄進の山であり、静松寺の山号にちなみ頼朝山と呼ばれている。

<参考資料> 静松寺(じょうしょうじ)由来
静松寺は、承平二年(九三二年)智盛(ちじょう)法師が、諸国修業の旅の末、善光寺如来のおそばこそ一生身をおちつけるところときめて、葛山の中腹(今の古屋敷地籍)に庵を建てたのが寺の草創(はじめ)といわれている。
征夷大将軍源 頼朝が建久八年(一一九七年)に善光寺へ参拝した際に、以前源氏再興のため諸国遍歴の途中、この寺で没した家臣の菩提を弔うために、寺の田地山林を寄進しみずから「頼朝山法性浄院静松寺」と名づけた。
弘治三年(一五五七年)葛山城落城の兵火により、堂宇はことごとく焼失し荒廃したが、天正十五年(一五八七年)春虎和尚が現在地に堂宇を再建した。現在の本堂は、明治十四年(一八八一年)に再建に着手し、明治十六年(一八八三年)十月に完成したものである。
清浄院殿光山勇仙大居士備中守(葛山城主落合備中守)の位牌、並びに一族郎党の亡霊がこの寺に納まり、永遠に弔われることになったのである。
(長野市観光課設置の案内板から・平成12年)





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2017/8/19~8/20



第13回アサマスタークロスウォーク2017
※申込受付は終了
開催日時:
平成29年8月19日(土)~20日(日)
開催時間:
19日午後4時~20日午前5時
開催場所:
 31kmコース(全長31km・標高差1300m)
 長野県小諸市 大手門公園~群馬県吾妻郡嬬恋村
 (嬬恋村つつじの湯)
 17km(全長17km・標高差1300m)
 長野県小諸市 大手門公園~高峰高原
 (アサマ2000パーク内カフェラクーン)
参考HP:
SPORTS ENTRY
https://www.sportsentry.ne.jp/event/t/70778
アサマ2000
http://www.asama2000.com/


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2017/8/19



霊仙寺湖花火大会 天狗の火舞
開催日時:平成29年8月19日(土)
開催時間:午後3時
※花火大会 午後7時30分~午後8時30分
開催場所:
飯綱東高原 霊仙寺湖湖畔
(上水内郡飯綱町)
参考HP:
飯綱町観光協会
http://1127.info/


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