管理人の思いつくまま、気の向くまま、長野県内の町や村の話題を取り上げています。
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伊那市小沢の広域農道沿いにある公園(地図)に咲くシバザクラの様子。
(写真:伊那市小沢の花公園=5日午後撮影、640×480拡大可能)
<参考HP>
・ 伊那市観光協会
http://inashi-kankoukyoukai.jp/
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伊那市小沢の広域農道沿いにある公園(地図)に咲くシバザクラの様子。
(写真:伊那市小沢の花公園=10日午後撮影、640×480拡大可能)
<参考HP>
・ 伊那市観光協会
http://inashi-kankoukyoukai.jp/
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ネクスコ中日本のサイトによれば、中央自動車道小黒川PA(上り)では、中央アルプス駒ケ岳の地下水を使って栽培した有機もやしたっぷり(なんと300g)の「ラーメン(醤油・味噌・塩味の3種類)」と、南信州・遠山郷名物のジンギスカンを使った「ジンギス丼」(750円)が人気メニューとのこと。
「ジンギス丼」はやや濃いめの味付けで、好みが分かれるところかもしれませんが、山国・信州育ちの管理人には程よいものであったように思います。
リピーターも多いというこの「ジンギス丼」。
機会がありましたら、ぜひご賞味のほどを。
(写真:遠山ジンギスカンを使った「南信州ジンギス丼」=23日撮影、640×480拡大可能)
<参考HP>
・ NEXCO 中日本
http://www.c-nexco.co.jp/
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伊那市指定無形民俗文化財の中尾歌舞伎秋秋季定期公演が10月12日、伊那市長谷溝口の熱田神社(地図)で開催されました。
(写真:平成25年度中尾歌舞伎秋季定期公演「人情噺 元結文七」から、左から順に左官長兵衛・女房のお兼・娘のお久・和泉屋清兵衛・文七=10月12日撮影、640×480拡大可能)
<管理人ひとこと>
歌舞伎公演を鑑賞するため伊那市内から高遠経由で長谷へ。中尾地区にある中尾座(伝統文化等伝習施設)での公演かと思いきや、今回は溝口地区にある熱田神社での公演とのこと。さて、その熱田神社とやらは何処にあるのか…。探しに探し、支所の駐車場に車を停めて、ひたすら坂道を上がったところに、目指す熱田神社がありました。このため、公演開始には間に合わず、実際に見られたのは後半の「二幕目 第二場 元の長兵衛内の場」から…となりました。
<参考HP>
・ 信州伊那長谷 中尾歌舞伎 blog
http://nakaokabuki.blog.fc2.com/
平成25年度中尾歌舞伎秋季定期公演 | |
<参考資料> 人情噺 文七元結
左官長兵衛は腕のたつ職人だったが、博打打ちの酒飲みで、家計は常に火の車。仕事を終え家に戻ると、女房のお兼から娘のお久が朝からいないと聞かされる。そこへ、吉原の角海老・番頭藤助が訪れ、女将のお駒が長兵衛に会いたいと伝える。娘を探さなくてはいけないと長兵衛は藤助に断ると、娘のお久が角海老にいるという。
これを聞いた長兵衛は藤助とともに角海老へ急ぐ。
角海老の女将お駒は、お久は借金に追われ、夫婦喧嘩が絶えない父母が別れることになれば困るとのことから、自分が奉公に出た身代で借金を返し、仲良く暮らしてほしいからここに来たことを長兵衛に伝える。しばらくはお久を小間使いとして雇い、代わりに金五十両を貸すから、懸命に働いて娘を迎えにくるよう長兵衛に論す。
五十両を手に家に急ぐ長兵衛。ところが、途中、川に身を投げようとしている若い男に出会う。慌てて抱き留めて話を聞くと、男の名は和泉屋の手代文七で、得意先から代金として預かった五十両をすられてしまったとのこと。人の良い長兵衛は、男の身の上を聞き、人の命には代えられないと、手にした五十両を文七に渡し走り去ってしまう。
長兵衛の家では、女房のお兼が五十両もの大金を博打に使ってしまったのだろうと疑い、家主の甚八が止めても、夫婦喧嘩はおさまりそうもなかった。そこへ、さきほどの文七を伴った和泉屋清兵衛が訪れ、文七がすられたという五十両は得意先に忘れてきてしまったものであり、五十両を長兵衛に返しにきたのだった。長兵衛は五十両は受け取るが、御礼にと持ってきた角樽と祝儀包は頑として受け取ろうとしなかった。
娘の孝心に関心した清兵衛は、お久を身請けしてくれていた。舞台では振袖姿のお久が姿を見せ、清兵衛はお久を文七の嫁としたいことを長兵衛に伝える。文七は清兵衛に、元結は無駄が多いので使いやすい寸法にして売りたいと話す。仕事の工夫を考える文七に感心し、長兵衛夫婦は思いもかけない幸せをお久と喜ぶ。
(「人情噺 元結 文七」のあらすじはパンフレットを参考にしました)
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中尾歌舞伎は、伊那市長谷中尾(地図)に伝わる地芝居。
江戸時代に旅芸人によって伝えられ、代々受け継がれてきましたが、太平洋戦争により中断。昭和61年に中尾歌舞伎保存会を結成し復活させました。
平成10年に長谷村無形文化財(現在は伊那市無形民俗文化財)に指定されました。
(写真:伊那市長谷にある伝統文化等保存伝習施設・中尾座=10月12日撮影、640×480拡大可能)
<参考HP>
・ 中尾歌舞伎保存会
http://www.dia.janis.or.jp/~kabuki/
<参考資料> 伊那市指定無形民俗文化財 中尾歌舞伎
中尾歌舞伎の期限は江戸時代の明和四年(一七六七)頃、この地に旅芸人が来て、上中尾の山の神様を祀ってあった神社の前宮で演じたのが始まりとされている。
その頃は山仕事が中心で、住民は山の神を信仰し無病息災を祈った。娯楽も少ない時代であり、山の神祭りは唯一の楽しみの場であった。そして、この祭りに合わせるように歌舞伎が演じられ、いつの間にかこの地の芸能として定着し受け継がれるようになった。
中尾歌舞伎は天保から大正まで盛んに演じられた。慶應元乙丑年(一八六五)と銘のある古い引幕が現存しており、浄瑠璃が親から子へ、子から孫へと謳い継がれ中尾の山里に脈々と息づいてきたが、太平洋戦争と共に演じられなくなってしまった。
昭和六十一年、地域の若者たちが「先人の残してくれた伝統芸能を復活させよう」と立ち上がり、戦前に歌舞伎を演じた経験を持つ古老の指導を仰ぎ、苦労のすえ復活上演を成功させた。以後、中尾歌舞伎保存会を設立し、毎年四月と十一月に定期公演を行っている。
平成九年に伝統文化等保存伝習施設『中尾座』が完成、歌舞伎の大御所十二代市川團十郎丈を迎え柿葺落(こけらおとし)が盛大に行われた。
(中尾座に設置されている案内板から)
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