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木曽郡上松町のJR中央線上松駅前ロータリー(地図)で31日、ひのきの里の夏まつりが開催され、330キロあるひのきを乗せた木馬(きんま)を引っ張り、1周100mのタイムなどを競う「全国木馬引き大会」が行われ賑わいました。
この日は、さわやかウォーキング(JR東海)・「ひのきの里の夏まつりと赤沢自然休養林の森林浴」に参加した観光客も会場を訪れ、力走する選手たちに熱い声援を送っていました。 (写真=7月31日撮影、640×480拡大可能)
<参考資料> 木馬(きんま)
木馬(きんま)とは、山々から切り出した木材を数本にして束ね、縄を使いながら道(木馬道)を滑らせ運搬する道具のこと。木馬で運ばれた木材は、川へ落とれ、筏を汲んで下流に流したといわれています。
<参考HP>
・ 上松町ホームページ
http://www.town.agematsu.nagano.jp/
・ 上松町商工会青年部
http://www.agematsu-seinenbu.com/
中学生は8人編成のチーム | 全力投球でゴー |
「木馬引き大会」のポスター | 大人は5人編成のチーム |
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県歌・信濃の国にでてくる「木曽の桟(かけはし)」(地図)。
学校の授業で『信濃の国』を歌いながら「木曽の桟」とはなんだろうと疑問に思っている子供たちも多いのではないでしょうか。
この「木曽の桟」。今でこそ国道19号線の下になってしまいましたが、木曽川の断崖絶壁に張り出すように築かれた石垣に木橋を渡した古来の橋のことでした。
断崖の下には荒々しく流れる木曽川。行き交う大名行列も、善光寺詣でに訪れた旅人も、この難所を通過して旅を続けたのでした。 (写真=12日撮影、640×480拡大可能)
<参考HP>
・ 上松町観光協会
http://www.avis.ne.jp/~hinoki/
<参考資料> 長野県史跡 木曽桟跡
桟(かけはし)は、けわしい崖に橋をかけ、わずかに通路を開いたもので、木曽桟は歌枕にもなっていると共に、県歌「信濃の国」に歌いこまれており、寝覚の床とともに木曽路の旅情をあたためたことでその名が高い。
昔はけわしい岩の間に丸太と板を組み、藤づる等でゆわえた桟であったが、正保四年(一六四七)にこれが通行人の松明で焼失した。そこで尾張藩は翌慶安元年(一六四八)に長さ五十六間(一〇二メートル)中央に八間(一四・五メートル)の木橋をかけた石積みを完成した。このことが、今も大岩壁と石垣に銘記されている。寛保元年(一七四一)の大改修と、明治十三年(一八八〇)の改修と、二度にわたる改修で、木橋下の空間はすべて石積となり、残されていた木橋も、明治四十四年(一九一一)には、国鉄中央線工事のため取り除かれてしまった。現在、石垣積みの部分は、国道一九号線の下になているが、ほぼその全ぼうが完全な姿で残されていることが判る。
この史跡は、慶安年間に築造された石垣を根幹とし、その後いく度か改修された遺構をほぼ完全な姿で留め、往時の木曽路の桟を偲ばせる貴重なものである。 (長野県教育委員会設置の案内板から)
桟温泉 | 木曽桟跡と木曽川 |
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木馬引き大会ポスター |
「木馬」とは、山々から切り出した木材を数本にして束ね、縄を使いながら道(木馬道)を滑らせ運搬する道具。ただ、木馬の操作にはかなりの熟練が必要で、時には死傷者がでることもあったといわれ、その後、山で切り出した木材を川へ落とし、筏を汲んで下流に流したといわれています。イベントは、当時の人々の苦労をしのび、また将来に伝えていくために企画されたものとのことです。
今年は夏祭りが始まって40周年という節目を迎えたことから、一般レースの賞金が2倍に引き上げられ、優勝チームには、タイムコースで20万円、コスチュームコースでは10万円が贈られたということです。 (写真=26日撮影)
<参考資料>
木曽の山々が国有林になったことによって、それまで厳重に保護してきた大量の天然林などが切り出されることになりました。
従来、切り出した木材を運搬するには、木馬(キンマ)や修羅(シュラ)といった方法で行われてきました。ところが木馬というのは熟練度を必要とし、時には死傷者を出すこともあり、しかも大量の木材を運ぶには限界がありました。山から切りだされた木材は川で筏(注:いかだ)に組まれて下流に流して運搬されていました。
今でこそ運搬技術が発達しその姿を見ることはなくなりましたが、昔の人々は危険な作業環境の中、体を張って私たちの大切な木材を運んでくれていました。
この木馬という運搬方法に習って現代風の木馬を作りこの大会を企画し今年でいよいよ二十年を迎えました。 (JR上松駅に展示されていた「木馬」の説明から)
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