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松本音楽団 第9回音楽祭

09_松本音楽団第9回音楽祭
松本音楽団 第9回音楽祭
[ 期日 ]
・ 平成21年4月19日(日)
[ 時間 ]
・ 開場:午後4時30分
・ 開演:午後5時30分
[ 場所 ]
・ 長野県松本文化会館中ホール
[ 料金 ]
・ 当日券:2000円
・ 前売券:1500円、学生:500円
・ 全席自由・消費税込
・ 学生は中高生対象、小学生は無料
[ 参考HP ]
・ M.O.D 松本音楽団
  http://www.matsumoto.ongakudan.jp
[ 問い合わせ ]
・ 松本音楽団
  TEL 0263-82-8860





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090404_0930_2_増水すると水没する橋(松本市梓川八景山)

写真は、松本市梓川八景山(やけやま)と東筑摩郡波田町境の梓川に架かる沈下橋の八景山橋。3月27日付市民タイムスによれば、梓川八景山と波田町を結ぶこの橋は、八景山の地域住民が対岸にある松本電鉄上高地線・新島々駅を利用する時などに使う歩行者専用のもの。上流にある橋を経由すれば1時間ほどかかる駅までの道のりも、この橋があるおかげでおよそ5分もあれば駅に行くことができるのだそうで、生活に欠かせない大切な橋という位置づけになっているようです。
建設されてから年月が経ち、老朽化が著しいことから、橋を管理する松本市では、渇水期となる来年の冬頃をめどに工事を行うことを決定しましたが、既存施設の「改修」にとどまるため、今後も「水没する橋」として残ることになるということです。  (写真:八景山橋=4日撮影)

<管理人ひとこと>
沈下橋そのものは珍しいものではなく、四国の四万十川に残るものがよく知られるところですが、まさか梓川にこうした橋が未だ残されているとは思いもしませんでした。

090404_0930_1_増水すると水没する橋(松本市梓川八景山) 090404_0934_1_増水すると水没する橋(松本市梓川八景山)
県道から続く歩行者用道路 近くに咲くミズバショウ





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090404_0750_松本商工会議所跡地(松本市)

松本市中央の中町通りで3月25日、松本商工会議所創立100周年記念碑の除幕式がありました。
記念碑は、現在地(商工会館)に移転するまで建物があった中町駐車場(地図)の一角に建てられ、数字の「100」を4色の御影石を組み合わせ表現。商工会議所(創立当時は松本商業会議所)の旧建物と、現在の商工会館の様子が彫られた石は、企業の業績発展を願い、右肩上がりに配置されています。 (写真=4日撮影)





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090404_0726_弘法山古墳のさくら(松本市)

松本市並柳の弘法山古墳一帯で、1日から恒例の「弘法山古墳桜祭り」が始まりました。
写真は、4日朝撮影したサクラの様子。南側斜面では咲き始めたサクラがあるものの、古墳上部はまだつぼみといった状況でした。
イベントは11日に予定されており、当日は並柳小学校の生徒による開花宣言や、とん汁・ポップコーンが振る舞われるそうです。

<参考HP>
・ 新まつもと物語
  http://youkoso.city.matsumoto.nagano.jp/

090404_0723_弘法山古墳のさくら(松本市) 090404_0728_弘法山古墳のさくら(松本市)
弘法山古墳のさくら 古墳上部はまだつぼみ
090404_0734_1_弘法山古墳のさくら(松本市) 090404_0734_2_弘法山古墳のさくら(松本市)
古墳の南側斜面で咲き始めたサクラ





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090320_1356_西善寺の涅槃絵(松本市和田)

松本市和田境の西善寺では、22日まで寺宝の「涅槃図」を公開しています。
寺に保管されているこの「涅槃図」は、縦4.4m、横5.1mあり、本堂の天井から吊るしてもすべてを公開することができないため、隣接する公民館の一室に広げ展示されています。
描いたのは松本藩の絵師であった笹田養跡・養徳の二人で、釈迦が入滅した際、仏弟子や動物たちが集まり、嘆げ悲しむ様子を色彩豊かに描いています。
西善寺では、春の彼岸に限り、この「涅槃図」を公開しているということです。拝観料300円。 (写真=20日撮影)

<管理人ひとこと>
西善寺では「涅槃図」の公開に併せて、寺宝の「木造阿弥陀如来像及び両脇侍像」や「木造延命地蔵菩薩半跏像」、寄進者の名前が刻まれた新旧百万扁の大数珠、長さが日本第2位といわれる全長6.7mの雨乞い名号軸(弾誓四世空誉上人書)なども見学することができます。

<参考資料> 西善寺
西善寺は、いつ頃誰によって開かれたのかは、はっきりしておりませんが、江戸時代の天和3年(1683)、僧の本明が中興したといわれております。この和田境の地にあって、何百年もの間私達の信仰のよりどころとなってきたお寺でした。西善寺が松本市清水の光明山念来寺(本寺は東叡山寛永寺凌雲院末の浄発願寺天台宗)の組寺(隠居寺)となった時期は記録にはありませんが、明治3年(1870)の廃仏毀釈のおり、念来寺(別称・清水の大仏)の巨大な仏像、絵画書軸などは難を逃れて天領の地の組寺・西善寺に運びこまれました。廃仏毀釈というのはご存知のように、明治政府によって行われた仏教廃止運動です。明治以前は全国のいたるところで寺院と神社は神仏習合しておりました。人々は神と仏を共に信仰しておりましたが、国家神道を推進する政府の徹底した神仏分離政策により地域によっては仏像、経典、伽藍などが焼却されました。この運動の最も激しかった代表的な地域のひとつが松本藩でした。
西善寺の檀徒である私たちの祖先が、念来寺から大仏などを大八車にのせて境村に運んでくる沿道からは、大勢の人々から南無阿弥陀仏と共に、沢山の賽銭(さいせん)が寄せられたと伝えられています。この日から、念来寺の寺宝は西善寺の寺宝となり、四十五戸の村人に守られて今日に至りました。 (案内から)

090320_1402_西善寺(松本市和田) 090320_1404_西善寺の残る雨乞いの掛け軸(松本市和田)
全長23mある新旧百万扁の大数珠 全長6.7mの雨乞い名号軸





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