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突撃!仮住まいの晩ごはん |
12月8日 |
また、今回教訓に感じたこととして、伊那から駒ヶ根に向かう国道153号線の慢性的な渋滞の対策について。ネックとなるのは春近大橋(伊那市)の交差点で、9日は伊那市内の仮住まいを午前7時前に出て順調に駒ヶ根方面に向かったものの、大橋手前から繋がる渋滞のために、ここを抜けきるのに20分以上もかかってしまいました。
出勤すると、後から出発した同僚のほうが早く会社に着いていました。どこの道を通ってきたの?と聞くと、、渋滞を避けるため旧道を利用したとのこと。旧道は道幅が狭く、アップダウンも多いことから、あまりこの時期の利用は気が進まないのですが、最悪の場合も考え、このルートについて、詳しく同僚から聞いておこうと思っています。
写真は、駒ヶ根市中沢にある中沢小学校旧東分校跡の様子。
参考までに分校跡の碑文を紹介しておきます。
<参考資料> 東分校の沿革
明治七年三友学校大曽倉支校が円光寺内に開校され、九年後の明治十六年には中山中原に中澤学校楢橋支校が開校となり、大正三年には現在地に六年制の中澤小学校東分校が開校された。昭和十三年には在校生徒数一五九名を数えるも同四十三年には二十七名に減少し、良く四十四年中澤小学校に統合され閉校となる。
想えば三友学校、楢橋学校、東分校と校名は変われども、その歴史は九十五年間にわたり二千余名の卒業生が巣立った。その間多くの先輩たちが子弟の将来に想いを託し、僻地教育に努力を重ね、わけても三友学校をお寺の間借りで開校させた初代教師下平興市、東分校開校時に私財をも投じて分校に六年制を確立した竹村兼吉両先輩の努力を忘れることが出来ない。
今この地に思い出の母校を永遠に記念するために同窓生相計りこの碑を建てる。 (東分校同窓生一同が建てた案内から)
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