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長野市松代町の長国寺にある松代藩家老・恩田木工(杢)民親( Wikipedia )の墓。
藩政改革と財政建て直しに取り組む恩田木工民親の事績は、松代藩士馬場正方(杉羽)が記したとされる「日暮硯(ひぐらしすずり)」に紹介されています。
(写真:長国寺にある恩田木工民親の墓=3月21日午後撮影、640×480拡大可能)
<参考資料> 恩田木工民親の墓
恩田木工民親(一七一七~一七六二)の墓は、高さ二百四十センチメートルの宝篋印塔(※ほうきょういんとう)で、正面に「玄照院鐵翁道關居士」、左の側面に「宝暦十二壬午戴正月上六日」、右の側面には「俗名恩田氏民親墓」と刻まれている。
民親は、松代藩家老職恩田木工民清の子に生まれ、始め左吉のち靭負(ゆきえ)と称した。
当時の藩財政は非常に苦しく、領民もまた困窮して百姓一揆が起こる状態であった。家督を継いだ若き六代藩主幸弘は、こうした状況を打破するため宝暦五年(一七五五)民親を家老職勝手係に抜擢した。民親の施政方針は「うそを言わないこと」「倹約すること」「贈収賄をしないこと」「賭博行為も営利が目的でなく、ただ一時の娯楽としてならよい」などであった。
改革の主なものは、年に一度の納税法を月割納に改めて納税しやすくするとともに滞納を整理し、さらに領民の収入を増やすため山野荒地の開墾、養蚕の奨励など殖産興業にも力を注いだ。また、神仏崇敬思想の普及にも努力した。
民親の業績については「日暮硯」(ひぐらしすずり)に詳しく書かれている。
宝暦十二年病気のため四十六歳で死去した。
(長野市教育委員会・長国寺が設置した案内板から)
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