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長野市松代町御安町にある浄土宗の寺院(地図)。
(写真:願行寺本堂=8日午後撮影、640×480拡大可能)
<参考資料> 功徳山 願行寺
本尊 阿弥陀如来 浄土宗
天文年間(一五三二~五五)、海野左京大夫幸義が祖先棟綱(戦国真田家の初代真田幸隆の義父)の菩提を弔うため小県郡海野荘に開基した。元和八年(一六二二)、真田氏に随従して松代に移る。
松代藩初代藩主信之の没後、近臣の伊木尚正(二四歳)がこの寺で出家し、庵を構えて信之影像を祀り主君の菩提を弔ったという。現在、同影像は寺宝として当時本堂に祀られている。
江戸、明治と数回の火災にあり現本堂は、昭和五年に建立。十代藩主真田幸民筆の山額、松代三山のひとり朱子学者鎌原桐山の碑、優しい表情の子育て地蔵などがある。 (案内板から)
<参考資料> 願行寺の歴史
真田氏出自の地 海野(現在の東御市)。この地に真田幸隆公の兄、幸義公が、父棟綱公御菩提の為に願行寺を創建した。天正十四年、願行寺は上田に城を築いた真田昌幸公の命により上田城下に移り、昌幸公の「然るべき知識を相招きて」の意に従って、甲州の地より岌誉道山(ぎゅうよどうざん)上人が招かれ、上人は願行寺第五世を継承した。道山上人は、学問、武芸に秀で、神川合戦の時には真田信之公と共に陣中にありその才を発揮し、また、願行寺住職在任中も、武田信玄公に請われ、甲斐・信濃に四十八ヶ寺を開くなど傑出した力量を発揮した名僧であったと伝えられている。
元和八年、真田家に松代移封の下命があり、真田信之公は断金の友、道山上人を伴い、松代へ入城した。願行寺は、松代城の巽(たつみ)の方に寺領を賜り、道山上人を開祖として、上田の寺号をそのまま引用して願行寺と称し、且つ御城の巽の方角に当たる事を以って、信之公より「城巽林(じょうそうりん)」の林号を賜った。
創建当時は、本堂・庫裏・寺中随誓院・太鼓樓・宝堂・管廟・総門等が立ち並んでいた。しかし、享保十八年・安永八年・明治五年・同二十四年と、四度大火に遭い、諸堂宇は焼失し、さらに伝来の寺宝・古文書等その多くを失ってしまったが、創建以来、檀信徒の協力の下、今に脈々とこの念仏道場が継承されている。歴史の面影を残しつつ、法然上人のお念仏のみ教えのもとに、多くの方のお参りをいただいております。 合掌
(浄土宗城巽林功徳山廣大院願行寺設置の案内板から)
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