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長野市松代町中町に復元された旧松代藩の高札場(地図)。
(写真:復元された旧松代藩の高札場と中町の市太神=3月21日午後撮影、640×480拡大可能)
<参考資料> 松代城下の高札場
高札と宿場の配置図 |
高札場が中町におかれたのは、早くから有力な町人達が居住し、松代藩の下で城下八町を統括する「町年寄」や、松代藩で人馬継ぎ立てを行う「問屋」を勤める城下宿場の中心地であったことに因ります。
松代藩には「本陣」はなく、「検断(けんだん)」(自治警察的な役職)を兼ねた「問屋」が高札場の管理を行い、火災時には「高札場堅め」を設け中町全戸で高札場の守りに当たった。
高札場は明治六年廃止され、松代町の掲示場となったが以後の詳細は不明で、また明治時代二度の大火で宿場町の町並みは焼失し、その面影や遺跡は残っていない。
平成二十三年中町公会堂広場整備にあたり、往時の歴史的景観の再現を図り、唯一の宿場町遺物である中町市太神碑の移転鎮座と城下高札場の復元を行ったものです。
尚、高札場の復元は旧藩領内近隣の高札場をもととし、高札の文面は江戸時代の文章をわかりやすく表記し、説明を加えた。
(案内板から)
<参考資料> 高札場の基礎石
高札場の基礎石 |
この街道は廃藩後、県道谷街道として整備され、高札場の基礎石は東側屋敷の道端に寄せられていました。
ここは、松代藩の下で高札場の管理にあたった松代藩問屋兼検断伴家の屋敷南に位置した所です。
平成二十三年三月、高札場復元にあたりこの建物の押さえ石として、ここに移しました。
※柵内の木樋管は城下時代、現「つつみ公園」の水源から城下五町に引いた上水井戸をつないだ木樋で、高札場付近から出土したものです。
(案内板から)
<参考資料> 中町の市太神
中町の市太神 |
もともと人が集まる所に市が立ち、市の入口や中心地に市神をまつり、市の繁栄や安泰を願うことが行われていましたが、この市太神の造立年代や由来の詳細は分かりません。
古くは東条尼巖(あまかざり)城下(後に東条荒町)にあったものが、松代城下に人々が集まり商売繁盛の地となった中町へ移されたといわれています。
市太神は町人町の市神として正月十一日を市神祭日と定めて信仰を集め、城下でも早くから市が立ち、すでに寛文年間(一六六〇年代)には「六斎市(ろくさいいち)」(月六回の定期市)が中町伊勢町、荒神町で開かれていました。
廃藩以後は次第に忘れられ伝承も途絶え長い間小鮒川辺りに置かれていたものを、平成十三年中町公会堂前に移し、同二十三年公会堂広場整備にあたりここに移転鎮座したものです。
(案内板から)
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