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長野市松代町殿町にある松代藩家老・矢沢家の表門(地図)。
昭和42年11月、長野市有形文化財(建造物)に指定。
(写真:矢沢家表門=平成26年3月21日午後撮影、640×480拡大可能)
<参考資料> 矢沢頼綱
矢沢頼綱( Wikipedia )は、真田頼昌の三男で真田幸隆(昌幸の父)の弟。 天正10年(1582)、織田信長により武田家が滅亡した後、真田昌幸に従い、沼田領の経営を担いました。松代藩で家老を務めた矢沢氏はこの頼綱の子孫。
<参考資料> 矢沢家の表門
矢沢家は松代藩において、代々無役席(筆頭家老格)を務め、江戸中期以後は石高一四〇〇石、預同心四十人の藩中最高の家格であった。
寛政四年(一七九二)に再建されたこの長屋門は、間口一三・一九メートル、奥行三・七二メートル、高さ六・八三メートルで、屋根は入母屋(いりもや)造の瓦葺である。門の両側に武者窓を備えた同心部屋を配し、右の同心部屋の隣には「供待(ともまち)」という腰掛を備えた開放の空間を備えている。鬼瓦や破風に配された六連銭や、白漆喰の壁など城門を思わせる格式を持っている。
平成十七年(二〇〇五)の火災により類焼被害を受けたが、約二年間の修復工事を経て甦った。
(長野市教育委員会設置の案内板から)
類焼後の表門 平成17年6月19日 |
修復工事後の表門 平成22年5月4日 |
<参考資料> 焼失した市指定文化財・矢沢家表門
先月14日の午前5時頃、松代町松代で火事があり、長野市の指定有形文化財「矢沢家の表門」が焼失しました。表門は、松代藩の家老を務めた矢沢家に残るもので、江戸時代末期に造られたとされています。
19日、その現場を訪ねてみましたが、惨状はご覧の通り。屋根の部分が飛び火により焼失し、完全に抜け落ちたため、瓦が落下。門そのものも、火災の熱で半ば炭化したような状況になっていました。修復については、現在、検討中とのこと。
(平成17年6月19日取材記事から)
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