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富山県下新川郡朝日町の境地区(地図)に残る加賀藩の関所跡。
跡地には現在「関の館」が建てられ、関所の様子を描いた「境関所御囲絵図(さかいせきしょおかこいえず)」や、境関所における取り締まりの方法や形式の先例を収めた「類聚旧例古格(るいじゅうきゅうれいこかく)」が保存されています。
(写真:関所庭園跡に残る池=平成23年11月26日撮影、640×480拡大可能)
<参考資料> 富山県指定史跡 境関跡
ここ境地区は、越中(富山県)と越後(新潟県)との国境に位置するため、中世頃には国境警備のために関所が設けられていた。
近世に入り幕藩体制が整えられると、加賀藩では慶長十九年(一六一四)に国境の治安維持と通行管理のため、奉行と多くの警備役人を置き「口留番所」を「関所」とした。
境関所には、岡番所と浜番所があり陸上と海上の警備を行った。岡番所内には藩主の宿舎となった「御旅屋(おたや)」、関所役人の自舎の「御貸家(おかしや)」や塩蔵、土蔵、牢、地区の西方に離れて「刑場」もあった。また、背後の山には国境街道と海上の見張所である「お亭(ちん)」を設けて、陸海越境者の監視にあたり、境関所の厳重さは、日本随一と言われた。
明治二年(一八六九)に関所が廃止されると、跡地は境小学校などの敷地となった。小学校閉校後に建てられた「関の館」には、「境関所」の歴史を物語る各種の資料が展示されている。
主なものは、天明五年(一七八五)に藩命で作成された平面図で、関所絵図のうち最も古く正確な「境関所御囲絵図(さかいせきしょおかこいえず)」。関所設置以後二百年間、関所で扱ったいろいろな出来事を詳細に記録した関所運営の事例集「類従旧例古格(るいじゅうきゅうれいこかく)」があり、いずれも町指定文化財となっている。また、屋外には当時の関所庭園を偲ぶために復元された関所の池がある。
<参考資料> 関所の池
この池は境関所についての絵図のうち、最も正確な天明五年(一七八五)製作された「境関所御囲絵図」を基本として復元したものです。当時の規模は東西十六間(三十八・八メートル)、南北六間(一〇・八メートル)でしたが、現在、規模は縮小されています。池は藩主の宿舎となった「御旅屋」、関所役人の官舎だった「御貸家」の西南に位置した関所庭園内の池でした。
明治二年(一八六九)二月、関所が廃止されると跡地は国有地、そして小学校地となり、現在に至っています。
かつては、西南のふちに椎(しい)の古木があって池面に涼しい影を映していたといわれています。明治以来池の東側が埋立てられ、また、昭和四十四年八月には集中豪雨による崖崩れにより埋没しましたが、昭和四十五年に復元したものです。
<参考資料> 朝日町指定文化財 境関所資料
境関所御囲絵図(※二枚)は、関所の平面図で天明年間、藩の命によって調製したものでこの絵図はそのときの控えであり関所絵図のうち最も古く、正確なものである。
類聚旧例古格は、慶長十九年加賀藩が正式に関所と定めてから明治に年廃関に至るまで、いろいろのできごとを詳細に記録したもので、境関所運営記録とも言うべきもので全三冊に分けられている。
(何れも、富山県教育委員会・朝日町教育委員会設置の案内板から)
<参考HP>
・ 朝日町ホームページ
http://www.town.asahi.toyama.jp/
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