管理人の思いつくまま、気の向くまま、長野県内の町や村の話題を取り上げています。
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新潟県柏崎市椎谷(地図)にある椎谷藩1万石の陣屋跡。
藩祖は堀直政の四男直之で、江戸時代は越後の沼垂・三島・蒲原を領有していましたが、天明義民事件が発端で幕府より知行替えを命じられ、信州高井郡六川村(現在の上高井郡小布施町)にも陣屋が設けられました。
(写真:柏崎市椎谷に残る椎谷陣屋跡=16日撮影、640×480拡大可能)
<管理人ひとこと>
以前、小布施町に残る六川陣屋( 記事 )を訪ねた際、設けられていた案内板に、この陣屋は越後椎谷(しいや)藩のもの、との記述がありました。以来、椎谷藩の名称が記憶に残り機会があれば訪ねてみたいと思っていたところ、長岡に向かう途中、偶々見ていた地図に「椎谷陣屋跡」とご丁寧に赤字で記されているのを発見 。北陸道西山ICをおり、国道経由で海岸沿いに佇む椎谷の集落へと向かったのでありました。
陣屋は国道352号線に設けられた案内に従って入った小路の先にありました。陣屋入口(表門)手前には小さなクランクがあり、普通乗用車でもやっとという幅。躊躇してしまいそうですが、その先に三差路(陣屋案内図では「役所」と記されたところ)があるためUターン可能。陣屋周辺に駐車スペースがなく、車の場合には路肩へ停めての見学となります。ご近所の方々の往来もありますので、通行の配慮をお忘れなく。
<参考資料> 新潟県指定文化財・史跡 椎谷陣屋跡
椎谷陣屋案内図 (拡大可能) |
陣屋は、日本海を望む独立丘陵上にあり、麓には北国街道(現国道)に沿って展開した椎谷の町屋が広がっている。丘陵は約一五〇m×約三〇〇mの大きさで、内部には郭状の平坦地が造成されている。約三千坪の範囲に、かつては陣屋を構成する各施設が築かれていた。
陣屋の中心となるのは、丘陵頂部の平坦部である。平坦部は五三m×七〇mと広く、現在石碑のある付近に藩邸が構えられ、その左手に砲術稽古場、正面に馬場などが設けられた。海側は、長さ九〇m、高さ四mを測るL字状の土塁によって囲まれている。敵襲や浜風に備えたものであろう。また、中心部に隣接して階段状の郭が設けられている。上から武器庫・籾蔵・役所・長屋などが続いていた。長屋は藩士等の居住地であり、上級藩士の屋敷などとともに陣屋の中心を取り巻いている。そのほか、陣屋には表門・裏門があったとされる。表門は、砲術稽古場の近くにあり、石段を下ってクランク状の通路を経ると街道へ至る(大手)。裏門は、武器庫の海側にあり、斜面を下ると同じく街道へ至る(搦手)。
慶応四年(一八六八)、陣屋は戊辰戦争のよって全焼したため、当時の建物などは残されていない。しかし、現在も地元では「お屋敷」と呼ばれている。また、土塁や郭といった遺構が良好に保存されており、江戸時代の面影をみることができる。
(柏崎市教育委員会、椎谷掘家二十二代・柏崎市尾崎家十八代当主の方々寄贈の案内板から)
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