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上伊那郡中川村橋場にある中部電力南向発電所(地図)は、電力王で知られる福沢桃介が建設した水力発電所で、昭和4年1月に完成しました。 (写真=20日撮影)
<参考資料> 電力王 福沢桃介翁と南向発電所
日本の電力王、経営の鬼才と呼ばれた福沢桃介翁は、明治元年(1868年)埼玉県吉見町に岩崎家の次男として生まれた。
明治16年慶応義塾に入学し、明治二十年渡米、鉄道事業を研究。帰国後、塾の創立者福沢諭吉に見込まれ、次女・房と結婚し福沢家の婿養子となる。
翁が電気事業に本格的に携わるようになったのは明治四十一年からで、豊橋電気、名古屋電灯、大同電力等の役員をつとめた他、木曽川の水力発電の開発に情熱を注ぎ、読書発電所、大井発電所等当時としては大規模な水力発電所を建設した。
翁は、流量の多い天竜川の開発についての夢が捨てがたく、昭和二年七月南向発電所の建設に着手し昭和四年一月に完成した。
これに先立ち、南向発電所の工事用電力をまかなうため、大久保発電所を大正十五年十一月建設に着手し昭和二年九月に完成しており、これが天竜川本流開発の先駆けとなった。
六十歳になった翁は、南向発電所の完成を前に実業界を引退、南向発電所は翁が建設した最後の発電所となった。
南向発電所の水槽の壁にある「水然而火(注:みずもえてひ)」の碑は、電気を起こし、産業を興隆し国豊かにして、国民の文化を高めるという翁の電気事業に対する熱い想いを託したもので、今なお我々電気事業に携わる者の心い引き継がれている。
中部地方の電力事業の発展に貢献した桃介翁は、日本近代化産業の振興に大きな足跡を残し、昭和十三年二月十五日(1938年)六十九歳の生涯を閉じた。 (中部電力飯田支店設置の案内板から)
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