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130506_1430_県史跡 上ノ平城跡(箕輪町)

上伊那郡箕輪町の南小河内地区(地図)にある平安時代末に築城された城跡。
昭和44年7月長野県史跡に指定。
(写真:県史跡上ノ平城跡=6日撮影、640×480拡大可能)

<参考HP>
・ 箕輪町ホームページ
  http://www.town.minowa.nagano.jp/

<参考資料> 長野県史跡 上ノ平城跡

130506_1429_県史跡 上ノ平城跡(箕輪町)
上ノ平城跡要図
上ノ平城跡は、東方山麓より西に延びる丘陵突端部に位置し、その規模は東西約四五〇m、南北約二〇〇mを測ります。城跡は南北にわたる5条の空堀により区画され、西から「二の郭」「一の郭(主郭)」「三の郭」「四の郭」と呼ばれています。このうち「三の郭」と「四の郭」は、東西約一八〇mの空堀により、それぞれ南北に分かれています。
これまで城跡の歴史については、平安時代末に源為公(みなもとためとも)によって築城されたと伝えられ、鎌倉時代中期には諏訪氏と同族の知久氏の拠るところとなり、知久氏が下伊那に移ってからは使われることがなかったとされてきました。しかし平成十年~十二年に実施した主郭等の発掘調査では、戦国時代(十五世紀中頃~十六世紀中頃)の遺構や遺物が確認され、城は戦国時代にも機能していたことが明らかになりました。調査では、主郭の現地表面下から土塁・礎石建物址・出入口遺構等を伴う生活面が確認され、そこから台両の炭化物や焼土が出土したことから、何らかの理由により焼失したものと考えられます。又、同時期の遺構として、主郭と二の郭の間からは埋没した空堀も確認されました。
このように、上ノ平城跡の地下には、現在も貴重な遺構や遺物が埋っており、地域の歴史を伝える貴重な文化財として、長野県史跡に指定され大切に保護されています。
(長野県教育委員会・箕輪町教育委員会設置の案内板から)


長野県史跡 上ノ平城跡 (5月6日)
130506_1425_県史跡 上ノ平城跡(箕輪町)
上ノ平城跡から南(伊那)方面を望む (パノラマ拡大可能)
130506_1433_県史跡 上ノ平城跡(箕輪町) 130506_1431_県史跡 上ノ平城跡(箕輪町)
箕輪町保存樹木 コヒガンザクラ 史跡案内のパンフ





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