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上伊那郡飯島町七久保の千人塚公園(地図)に咲くつつじの様子。
(写真:千人塚公園に咲くつつじ=10日午後撮影、640×480拡大可能)
<参考HP>
・ 飯島町観光協会
http://www.iijima-kankou.org/
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上伊那郡飯島町飯島のJA上伊那飯島果実選果場(地図)では、12日と13日の両日、恒例の秋桜(コスモス)まつりが開催されています。信州最大級ともいわれる200万本の秋桜が、青い空と中央アルプスを背景に可憐な花を咲かせています。入場無料。
(写真:上列・畑の咲く秋桜の様子、下列・秋桜まつり開会式とテント市=12日午前撮影、640×480拡大可能)
<参考HP>
・ ふたつのアルプスが見えるまち 飯島町
http://www.town.iijima.lg.jp/
・ 信州・飯島 営農センターだより (開花状況)
http://blog.livedoor.jp/einou_iijima/
信州アルプス花の里いいじま2013秋桜まつりパンフ |
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上伊那郡飯島町の与田切公園(地図)で開催されている「光のファンタジー2013 信州イルミネーションフェスティバルin与田切公園vol.4」から。イベントは10月13日まで。入場無料。 (写真=11日撮影、640×480拡大可能)
<参考HP>
・ ふたつのアルプスが見えるまち 飯島町
http://www.town.iijima.lg.jp/
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飯島城本城跡 (小屋の右側に土塁跡) | |
飯島城本城跡全景 | |
臨照山西岸寺 |
上伊那郡飯島町本郷(地図)に残る平安時代末に築城された中世城館跡。
天正10年(1582)織田氏の伊那侵攻に伴い落城。
(写真:飯島城本城跡・臨照山西岸寺=3月20日撮影、640×480拡大可能)
<参考ブログ>
・ 信州伊那谷~笑顔あふれる家づくり
「戦国動乱!飯島城の戦い」
http://smilehousekm.blog117.fc2.com/blog-entry-2359.html
<参考資料> 飯島城跡
飯島城跡要図 |
平安時代末から室町時代末に至る四百余年にわたり伊那地方に栄えた信濃の名族・片桐氏の支族飯島氏によって築城されたもので、天正十年(一五八二)に織田氏の伊那侵攻によって落城するまで、同氏の本拠地になっていたところである。
城跡は、本郷の河岸段丘と段丘を侵食した中小河川の地形を利用して構築されている。東は天竜川の自然の防衛線で、南は子生沢の深い谷となり、北は相の沢などの小河川による急斜面となっている。また西は数段の段丘崖で四方とも地形をたくみに利用した自然の要害といえる。
城跡は典型的な平山城形式で、本城からなる地域(中世後期)と東方の城山・前の田などの郭地域(中世前期)とに大きく分けられる。またそれぞれの郭には空堀や土塁がみられる。
また本城の北西約五百mには鎌倉時代末に創建された西岸寺(※臨照山西岸寺…鎌倉時時代の弘長元年に北条時頼が帰依した中国から来朝の大覚禅師により開山)があり飯島氏と深いつながりがもたれた。
一帯は、古城館跡の遺構をよく残しており、この地方の代表的な中世城館跡である。
(飯島町教育委員会設置の案内板から)
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飯島町の与田切公園(地図)に展示されているJR飯田線で活躍した動力車。
(写真=3日撮影、640×480拡大可能)
<参考HP>
・ 飯島町観光協会
http://www.iijima-kankou.org/
<参考資料>
この動力車は、昭和五十五年九月から平成八年三月までの十六年間主に、JR飯田線七久保駅本線から積荷タンク車四輌を牽引して、日本石油側の引き込み線に、引き込む作業をしていました。
平成八年三月十七日を以って、JR飯田線での貨物輸送が、全面廃止となったため飯島町へ寄贈されました。
(動力車の装備量は十五トン、積荷タンク車は四輌で百四十トンにも成ります)
(平成八年五月 日本石油株式会社伊那油槽所より寄贈)
<管理人ひとこと>
広域農道を利用する機会はあったも、実際に与田切公園を訪ねるのは今回が初めて。与田切川に面した公園は広く、中央アルプスや南アルプス・仙丈ケ岳を望む、自然いっぱいの素敵な公園でした。
近くを流れる与田切川についてはあまり詳しいことは知りませんでしたが、案内板によると、中央アルプスから流れ込む大量の岩や土の影響により豪雨などの際には土石流の発生もあるそうで、その防災対策として、川の両端から「砂防えん堤」というコンクリートの堤防のようなものがたくさん設けられているのが印象的でした。「砂防えん堤」について、国土交通省 天竜川上流河川事務所のホームページ( http://www.cbr.mlit.go.jp/tenjyo/ )に詳しく紹介されていますのでご覧ください。
与田切川の土石流対策 (2月3日) | |
昭和60年に起きた土石流の様子 (案内板から) |
川の両端に設けられたえん堤 |
<参考資料>
与田切川は上流の百間ナギ大崩壊地などから多くの土砂が生産され、数年に一度程度で土石流が発生する暴れ川です、河原には大きな石が点在しており、過去の土石流の恐ろしさを確認することができます。
よたっ子とは?
昔、与田切川は伊那谷で最も荒れる川として「与太者川」と呼ばれていました。
地域のお年寄りは「よたっ子な川」と呼んでいます。
与田切川流域では過去にも災害が起こっていたことを示すおはなしが残っています。
(天竜川上流河川事務所設置の案内板から)
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