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飯島城本城跡 (小屋の右側に土塁跡) | |
飯島城本城跡全景 | |
臨照山西岸寺 |
上伊那郡飯島町本郷(地図)に残る平安時代末に築城された中世城館跡。
天正10年(1582)織田氏の伊那侵攻に伴い落城。
(写真:飯島城本城跡・臨照山西岸寺=3月20日撮影、640×480拡大可能)
<参考ブログ>
・ 信州伊那谷~笑顔あふれる家づくり
「戦国動乱!飯島城の戦い」
http://smilehousekm.blog117.fc2.com/blog-entry-2359.html
<参考資料> 飯島城跡
飯島城跡要図 |
平安時代末から室町時代末に至る四百余年にわたり伊那地方に栄えた信濃の名族・片桐氏の支族飯島氏によって築城されたもので、天正十年(一五八二)に織田氏の伊那侵攻によって落城するまで、同氏の本拠地になっていたところである。
城跡は、本郷の河岸段丘と段丘を侵食した中小河川の地形を利用して構築されている。東は天竜川の自然の防衛線で、南は子生沢の深い谷となり、北は相の沢などの小河川による急斜面となっている。また西は数段の段丘崖で四方とも地形をたくみに利用した自然の要害といえる。
城跡は典型的な平山城形式で、本城からなる地域(中世後期)と東方の城山・前の田などの郭地域(中世前期)とに大きく分けられる。またそれぞれの郭には空堀や土塁がみられる。
また本城の北西約五百mには鎌倉時代末に創建された西岸寺(※臨照山西岸寺…鎌倉時時代の弘長元年に北条時頼が帰依した中国から来朝の大覚禅師により開山)があり飯島氏と深いつながりがもたれた。
一帯は、古城館跡の遺構をよく残しており、この地方の代表的な中世城館跡である。
(飯島町教育委員会設置の案内板から)
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