管理人の思いつくまま、気の向くまま、長野県内の町や村の話題を取り上げています。
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下伊那郡松川町上片桐(地図)と上伊那郡中川村南田島に残る平安時代末から室町時代末まで、地元の名族・片切氏が本拠を置いた城跡。長野県史跡。
(写真=2月3日撮影、640×480拡大可能)
<管理人ひとこと>
案内板の説明によればかなり広い縄張りを有していたようですが、「船山城跡」の碑から先は見渡す限りの畑で、幾つかあるという郭の存在は確認できませんでした。御射山神社前から東の先端へ続く農道を更に進んでいたら、途中にもしかしたらそうした遺構が残っていたのかもしれません。
船山城跡の近くには瑞応寺という立派なお寺はあり、門前には「白隠禅師法華講談開筵遺蹟」と刻まれた碑が建てられています。白隠禅師といえば、長野県飯山市にある正受庵で正受老人(道鏡彗端)の指導を受けた人物で、臨済宗中興の祖と知られる禅僧。その白隠が宝暦年間に伊那谷を訪れ、ここ瑞応寺で法華経を講じられたということです。
<参考HP>
・ 飯田市上郷考古博物館
http://www.iida-museum.org/kouko/main.html
長野県史跡 船山城跡 (2月3日) | |
御柱祭で有名な御射山神社 | 白隠禅師ゆかりの瑞応寺 |
<参考資料> 長野県史跡 船山城跡
この城跡は、平安時代末から室町時代末に至る四百有余年にわたり、伊那地方に栄えた信濃の名族、片切氏によって築城されたものであり、天正十年(一五八二)に織田氏の侵攻によって落城したと言われるまで同氏の本拠地となっていたところである。
城跡は、下伊那郡松川町城の集落とその東方に延びた河岸段丘の先端の地形を利用して構築されている。南は南沢の渓谷、北は天神びらの急斜面で、上伊那郡中川村南田島に面し、天竜川及び天竜川の東の丘陵地帯を展望できる要害の地に位置している。また、西方より東方に細長く突き出した形状が船を山上に置いた如く見えることから、船山城の呼称が起きたものであろう。
城跡の規模は、出丸と呼ぶ船山一帯の郭地域(中世前期)及び城畑一帯の本城地域(中世後期)の二地域で、本城には大規模な二つの郭が、出丸には大小四つの郭が設けられている。城内の北隅には、守護神の御射山神社を祀り、場外に接して瑞応寺(元は宗珠院)があり、一帯は古城館跡の遺構をよく残しており、この地方の代表的な中世城館跡である。 (長野県教育委員会設置の案内板から)
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