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阿禮神社 |
宵祭りの10日は、7基の舞台(山車)が深夜まで地区内を曳行(動画参照)。
本祭の11日は、早朝から「俄(にわか)」と呼ばれる仮装行列が地区内を回るほか、午後2時から上町の御旅宮(おかりのみや)へ御神体を迎えに行く「御頭(おと)行列」が出発。
舞台の曳行は午後4時からで、集落を回った後、午後8時30分頃から順次神社境内へ舞台が引き入れられ、祭りが最高潮を迎える午後10時50分には、7基の山車が揃って奉納する「本囃子」が行われることになっています。
例大祭開催に伴う舞台の曳行により、地区内を通る国道153号線は交通が規制されますので、国道20号線への迂回が必要になります。ご注意ください。 (写真=10日撮影)
<参考HP>
・ 信州塩尻 阿禮神社例大祭
http://www7a.biglobe.ne.jp/~areijinja/
「阿禮神社例大祭」に関するブログ記事 |
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塩尻市大門にあるウィングロードビル(旧イトーヨーカドー塩尻店)の改修工事が進行中です。 (写真=12日撮影、640×480拡大可能)
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塩尻市片丘北熊井の常光寺(地図)では、住職が丹精込めて育てたボタンが見ごろを迎え、訪れる人たちで賑わっています。 (写真=15日撮影)
<参考資料> 常光寺のお薬師様
当山常光寺は、由来記によれば千年の歴史をもつ古いお寺です。熊井郷の水田地帯が開発されたころ、大沢川の水源地近くにお薬師堂をまつり、五月の節句に蓬(よもぎ)でお堂の屋根をふきかえたので蓬堂といいました。除災や雨ごいの祈願をしたので山号を雨宝山薬師瑠璃光如来の光により常光寺と名付けられたのでしょう。五百年ほど前、熊井の城ができたたので一本杉の地へ移り、城の鬼門除や祈願寺となりましたが、戦さで焼失し、今は寺の跡地と山寺沢の地名を残すのみです。
江戸時代のはじめに、現在地へ移ってからも山門正面の奥に葺きに建てられ、奥の院のような形になっています。今の薬師堂は幕末の嘉永二年(一八四九)の再建ですが、平成元年の秋破損個所を修理、堂内をひろげ護摩壇も設けられました。このような昔から人人に浄土のお薬師様に手を合せて、この世での幸福をお祈りし、また西の浄土の阿弥陀様にあの世での極楽往生をお願いしてきたのです。
(平成元年設置の案内板から、判読不明箇所あり)
<参考資料> 塩尻市有形文化財 常光寺の古写経
当時に所蔵される古写経本四十五冊は約六百年前の南北朝時代の康応二年(一三九〇)、明徳元年(一三九〇)同二年頃書かれたものです。祐海、良桂など写経者の名前や巻末には慶長十三年(一六〇六)牛伏寺憲康法印の識語等があり歴史資料としても価値の高いものです。経本の種類は、大方等大集経十四冊、大乗大方等日蔵経九冊、大方等四蔵一冊です。 (境内に設置された案内板から)
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国重要文化財 小松家住宅 |
塩尻市片丘北熊井(地図)にある国指定重要文化財の住宅。 (写真=15日撮影)
<参考資料> 国指定重要文化財 小松家住宅
小松家は、寛文九年(一六六九)の検地帳によると、現在の敷地より東南に約700メートル離れた北熊井城の北側にあったが、それ以降は現在地に移り、その後北熊井村の名主を勤めた旧家である。
住宅の建築年代については確かな記録は存在しないが、明和2年(一七六五)以降の祈祷札がそろっていることや近隣民家との比較、昭和五十三年に実施された修理工事の調査により、十八世紀初頭までには建築されたと考える。
建築当初は片側に内馬屋を含む広い土間を持ち、表裏二室のみの間取りで裏側の部屋は土座であった。その後十八世紀末頃に南側に二室を増築し座敷や式台構えを整えた。さらに十九世紀中頃と昭和二十年代に増築されたことが、この修理工事の調査から判明した。この修理において、小松家が名主を勤めはじめた十八世紀末頃が当家の歴史的重要な時期であることと、当地方の名主層における接客座敷の成立が同じ頃とみられることから、十八世紀末頃の姿に復旧する内容の現状変更を行なった。
建物は東面し、桁行八間、梁間四間半、寄棟造茅葺であるが、建築当初の間取りは長野県内の名主層の農家としては基本的なものであるが、その後の増築による変遷を顕著に残すものとして重要である。
このことは、この地方における近世民家の祖形を示すのもとして価値が認められている。 (塩尻市教育委員会設置の案内板から)
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塩尻市片丘の北熊井城跡(地図)では、こいのぼりが心地よい初夏の風を受けて元気に泳いでいます。 (写真=15日撮影)
<関連記事>
・ 北熊井城跡に泳ぐ鯉のぼり
http://wingclub.blog.shinobi.jp/Entry/109/
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