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「ぐるっとそば処スタンプラリー」パンフ |
10月1日から11月30日まで、大町市で「ぐるっとそば処スタンプラリー」が開催されます。
期間中、スタンプラリー参加店でそば製麺類等を購入された方、またはそば打ち体験をされた方が対象。参加店にある台紙にスタンプを押してもらい、台紙に必要事項を記入の上、最後に訪ねたお店に提出して応募完了となります。
応募者のなかから抽選で、大町市内ペア宿泊券や、地場産品のプレゼントがあるとか。詳しくは大町市観光協会ホームページをご覧ください。
<参考HP>
・ 大町市観光協会
http://www.kanko-omachi.gr.jp/
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写真は、JR信濃大町駅前(地図)にある話題の豚料理専門店「豚のさんぽ」さん。ランチタイムはラーメンを、夜は豚肉料理を提供する居酒屋さんとして営業されているそうです。 (写真=23日撮影)
<管理人ひとこと>
駅前通りを歩いていましたら、あの有名な「豚のさんぽ」さんを偶然発見。
31日は、凌駕の赤羽氏による一日限定のオリジナルラーメンを提供とのこと。詳しくは「豚のさんぽ」スタッフブログをご覧ください。
<参考HP>
・ 豚料理専門店 豚のさんぽ
http://www.buta3.jp/
・ 豚のさんぽスタッフブログ
http://butanosanpo.naganoblog.jp/
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戦国時代、越中富山城主佐々成政が厳冬の北アルプス越えを行った際に通過したとされる針ノ木峠。その峠の富山県側にある針ノ木小屋と、大町市の扇沢から1時間ほど歩いた位置にある大沢小屋を開設したのが、近代登山の先駆者として知られる百瀬慎太郎でした。針ノ木岳慎太郎祭は、毎年6月の第一日曜日、慎太郎の功績を偲び、夏山の安全を祈願するイベントで、昭和32年から行われています。
[ 開催日時 ]
・ 平成21年6月7日(日) 小雨決行
大町駅前から7時10分に扇沢行き定期バス(有料)運行
7時30分~8時まで扇沢駅前で受付
祭典は9時30分から針ノ木大雪渓にて
午後4時頃終了予定
[ 会費 ]
・ 2000円(記念バッジ・保険・歌集・おしるこ)
[ 内容 ]
・ 針ノ木峠までの記念登山
・ もしくは高山植物観察
[ 参考HP ]
・ 大町市観光協会
http://www.kanko-omachi.gr.jp/
・ 針ノ木小屋ホームページ
http://www.harinoki.com/
[ 問い合わせ ]
・ 大町市観光協会
0261-22-0190
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女清水(塩入家具前) |
大町水物語りの会(大町市上仲町)作成のパンフレットによれば、女清水を使う集落では女の子が多く、男清水を使う集落では男の子が多いと語り伝えられており、地元では二つの湧水を「縁結びの水」または「夫婦円満の水」と呼んでいるそうです。案内は、男の子が欲しい夫婦は白沢の「男清水」を、女の子が欲しい夫婦は「女清水」を飲んでみては、とこの水について説明しています。根拠はわかりませんが、もしかしたら御利益があるかもしれません。
清水は、「女清水」が市内8カ所、「男清水」は6ヵ所設けられています。機会がありましたらどうぞお試しください。 (写真:事務局のある「わちがい」=13日撮影)
大町水物語「女清水と男清水」パンフ |
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江戸時代末期に千国街道(塩の道)と峯街道(善光寺街道)との分岐(地図)に建立された石造。 (写真=23日撮影)
<参考資料> 大黒町追分の石造大黒点像・附 版木
平成八年三月二十五日 大町市指定有形文化財
石造大黒天像は、花崗岩製で高さ百七十二㎝、幅百五十七㎝、厚さ四十㎝、大黒天像を支える礎石は安山岩製で、横幅三十㎝の大きさを計り、全体の高さは二m程になります。
この大黒天像は、松本平では最も古く、最も大きい像であり、彫刻技術も優れたものであります、また、この像の建立を機会に町名を大黒町と改めたという経緯もあり、建立の由来、あるいは年代も作者も特定できるものであり、石造文化財から信仰の歴史を考える上にも重要なものであります。
石造背面には陰刻銘があり、それによると江戸時代末期の嘉永五年(一八五二)三月にこの像は建立され、当時新町と言われていた大黒町が施主・世話方となって 高遠領非持村より出稼ぎに来ていた二人の石工、伊藤徳十・留十によって造られたことがわかります。
また、大黒天像が建立された由来については、当時町内中に配られたとみられる趣意書の「版木」が同町曽根原家に保管され、大黒天像と併せて指定保存されています。 (大町市教育委員会設置の案内板から)
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