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090516_1330_あやめ公園のアヤメ(安曇野市明科)

安曇野市明科中川手のあやめ公園(地図)で、青紫色のアヤメが咲き始めました。 (写真=16日撮影、640×480拡大可能)

<参考HP>
・ 安曇野市観光協会
  http://www.azumino-e-tabi.net/





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090509_1430_旧篠ノ井線漆久保トンネル(安曇野市)

篠ノ井線白坂トンネルの開通で廃線となった旧篠ノ井線跡を歩く廃線跡ウォークが話題になっていますが、このほど閉鎖されていた「漆久保トンネル」(地図)が整備され、トンネル内の通行ができるようになりました。
旧篠ノ井線廃線跡ウォークのコースのなかで、注目したいこの「漆久保トンネル」。全長53mのこのトンネルは、明治時代後半に造られたもので、内部はレンガを積み重ねてできており、当時のトンネル造りの名残をとどめる、とても貴重なものでもあるそうです。
トンネルは、けやきの森から片道0.4キロ、旧白坂トンネル駐車場からは1.4キロの位置にあります。 (写真=9日撮影)

<参考資料> 漆久保(うるしくぼ)トンネル
西条-明科間は山や谷が多く、山肌や岩を削り、深い谷を埋めたりの難工事の末、線路が敷かれました。
この漆久保トンネルは大小5個のトンネルのひとつで長さは53m。明治30年8月潮に煉瓦工場(現明科高校辺り)が設置され、漆久保、三五山トンネルの導坑が貫通しました。
31年経済不況で一時中断、32年に再開され明科に煉瓦工場(現スリーヤーン工場)が増設。33年白坂トンネル工事の資材を運搬するため、三五山東から軌道を敷き、牛馬がトロッコを曳く軽便鉄道を走らせました。
34年に第2白坂トンネル内にレールが敷設、明治35年6月に西条-松本間が開通。12月篠ノ井線の全線が開通。(案内板から)

090509_1426_旧篠ノ井線漆久保トンネル(安曇野市) 090509_1427_旧篠ノ井線漆久保トンネル(安曇野市)
旧篠ノ井線漆久保トンネル





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090503_1302_常念岳の雪形・常念坊(安曇野市)

北アルプスの常念岳(地図)に、先月25日の降雪で一時姿を消していた常念坊の雪形が再び姿(赤枠の部分)を現わしました。「とっくり」を持って麓に酒を求めに来ていたと伝わる常念坊。この姿が見えると、安曇野では本格的な田植えのシーズンを迎えます。 (写真:道の駅アルプス安曇野ほりがねの里から=3日)





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090502_1509_穂高神社大遷宮祭(安曇野市)

安曇野市穂高の穂高神社(地図)で2日、二十年に一度の盛儀・大遷宮祭と穂高人形まつりが始まりました。神社境内には、7つの場面を描いた穂高人形の飾り物が設けられ、訪れた観光客は安曇野に残る伝統文化をカメラに収めていました。祭りは17日まで行われ、9日午前3時には新しい本殿に御神体を移す「遷座式」の儀式が行われます。 (写真=2日撮影)

<参考HP>
・ 穂高神社ホームページ
  http://www.hotakajinja.com/
※ 交通規制・駐車場の情報
※ シャトルバスの運行案内


090502_1459_穂高神社大遷宮祭・穂高人形まつり(安曇野市) 090502_1500_穂高神社大遷宮祭・穂高人形まつり(安曇野市)
大阪夏の陣

<信州ゆかりの大飾り物・大阪夏の陣>
関ヶ原の戦で勝利した徳川家康は、天下を手中に治めんと願っていたが、豊臣秀頼が建立した方向寺の鐘の銘に「国家安康(こっかあんこう)、君臣豊楽(くんしんほうらく)」の文字は徳川家を呪ったものであるとの難癖をつけて、慶長十九年十一月冬の陣を起こしたが、豊臣方よりの和議の申出に応じ内外の堀を埋めてしまった。翌二十年四月豊臣方に謀反ありと夏の陣を起こした。難攻不落をほこった大阪城も裸城となっては防ぎきれず、諸将は出陣し、木村重成、後藤又兵衛が相次ぎ討死した。真田幸村は家康を打つより勝算なしと機をうかがっていたが、味方の毛利勢が本田勢を破り家康本陣をおびやかすを好機ととらえ、手勢三五〇〇の兵を率いて本陣へ突入。大混乱におとし入れ、家康を追いつめ死を覚悟さした程であったが、徳川方の藤堂勢が駆けつけ真田方は退却をよぎなくされしんがりをつとめた幸村は壮烈な討死をとげた。 (制作:穂高人形保存会・七星会・健壮団 案内より)


090502_1503_穂高神社大遷宮祭・穂高人形まつり(安曇野市) 090502_1506_穂高神社大遷宮祭・穂高人形まつり(安曇野市)
川中島の合戦

<信州ゆかりの大飾り物・川中島の合戦>
信濃一国を我がものにしようとする越後の雄将上杉謙信、甲斐の智将武田信玄は雌雄を決しようと川中島に兵を進めた。武田勢は八幡原に、上杉勢は妻女山に陣を取り、両軍併せて三万三千余、九月十日未明、霧の深い中でのことである。信玄は「鶴翼(かくよく)」の配備に対し、謙信の「車懸り」の攻撃で双方共死闘を尽し、八幡原は大修羅場と化した。謙信は只一騎で愛刀「小豆長光」を振りかざし武田の本陣に攻め込み信玄に斬りかかる。不意を突かれた信玄は咄嗟(とっさ)に軍配で謙信の太刀を受け止めた。時に信玄四十一歳、謙信三十一歳、永禄四年(一五六一)のことである。 (制作:穂高人形保存会顕彰一真会 案内より)





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090425_1608_三郷・住吉神社の春祭り(安曇野市)

安曇野市三郷の住吉神社(地図)では、24日から住吉神社式年大遷宮祭が行われ、25日の例大祭・宵祭、26日の本祭に、伝統の人形を乗せたお船が曳航されました。
住吉神社では、5月6日に五穀豊穣・殖産興業・農業振興を祈願する「お田植まつり」が午前9時30分から予定されています。 (写真:飾り付けが行われているお船=25日午後4時撮影)

<管理人ひとこと>
25日の安曇野は午後から雨が強まったこともあり、お船の飾り付けをされていた皆さんはさぞかし大変だったことと思います。ごくろうさまでした。残念ながらお船に乗った人形の様子を知ることができなかったわけですが、25日付市民タイムス記事によれば、25日の宵祭りに飾られたのは「佐々木高綱宇治川先陣之図」、26日の本祭には「今川義元桶狭間討死之図」の場面を描いたものだったそうです。





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