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茅野市豊平(地図)の八ヶ岳山麓にある縄文時代中期の集落遺跡(上空写真)で、「尖石」の名前は、遺跡内にある高さ1.1メートルの三角錐をした石に由来します。
尖石遺跡は、その存在について既に明治時代から知られ学会などでも発表されていましたが、本格的な発掘調査が行われたのは昭和15年(1940)からで、地元の宮坂英弌氏らを中心に、竪穴式住居33ケ所、50余ケ所の炉址を発見する成果をあげました。昭和27年(1952)3月、国特別史跡に指定。その後も発掘調査が行なわれ、平成5年には隣接する与助尾根遺跡についても特別史跡に追加されています。
遺跡内にある尖石縄文考古館では、尖石遺跡で発掘された土器や石器のほか、近くの棚畑遺跡(茅野市米沢植原田)で発見された土偶・国宝の「縄文のビーナス」や、中ッ原遺跡(茅野市湖東)で発見された土偶・重文の「仮面の女神」が展示されています。「縄文のビーナス」と「仮面の女神」は、平成21年7月から平成22年2月まで英国の大英博物館でも公開されました。
(写真:茅野市尖石縄文考古館=17日撮影、640×480拡大可能)
<参考HP>
・ 尖石縄文考古館 (茅野市ホームページ)
http://www.city.chino.lg.jp/ctg/07050020/07050020.html
<参考資料>尖石遺跡
33号住居跡 |
ほとんどが縄文時代中期(今から4000~5000年前)の約1000年の間に作られてたものですが、常に広い遺跡全体を利用していたのではなく、中期の前半には西にあったムラが、後半になると東に移っていったことがわかっています。この場所は、昭和29年に三笠宮殿下が調査された住居の跡で、33号住居址と命名されています。
(33号住居跡にある案内板から)
<参考資料>与助尾根遺跡
与助尾根遺跡 |
与助尾根遺跡は、平成5年に尖石遺跡の一部として特別史跡に追加されました。 (案内板から)
<参考資料>尖石
尖石 |
この一帯は、明治25年頃桑畑にするため開墾され、その時、見慣れない土器や石器が大量に出土しましたが、祟りを恐れて捨ててしまったといわれています。また、この土器や石器は、大昔ここに住んでいた長者の遺したものであろうと、長者屋敷と呼びならわしていました。
そしてこの「とがり石」の下には宝物がかくされているとの言い伝えから、ある時こっそり村人が掘ったところ、その夜たちどころにおこり(熱病)にかかって死んでしまったとのことです。この石を神聖化する信仰から生じた言い伝えでしょう。
石質は八ヶ岳の噴出物の安山岩で、地中に埋まっている深さは不明です。右肩の樋状の凹みは磨り痕から人工のものと思われます。縄文時代に磨製石斧を製作した際に、共同砥石に使用されたものとも、また縄文時代に石を重要な利器としたところから、地中に突き出したこの石を祭祀の対象としたものであろうともいわれています。
(案内板から)
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