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昨年10月、重要文化財(重文)として追加指定するよう国の文化審議会が文部科学大臣に答申していた諏訪大社上社本宮の社殿群10棟について、9日の官報(号外)に告示され、正式に追加指定されることになりました。
追加された社殿は、布橋、勅願殿、文庫、勅使殿、五間廊、摂末社(せつまつしゃ)遙拝所、神楽殿、天流水舎、神馬舎、入口御門の10棟。
(写真:重要文化財に追加指定された諏訪大社上社本宮の入口御門=11日午前撮影、640×480拡大可能)
<参考HP>
・ 諏訪大社
http://suwataisha.or.jp/
重要文化財に追加された社殿 | |
勅願殿 | 神楽殿 |
天流水舎 | 五間廊(右は布橋) |
勅使殿 | 神馬舎 |
勅願殿(ちょくがんでん)
勅願とは天皇の祈祷という意味である
当社の場合この建物は御祈祷を行う場所である
建立は元禄三年(一六九〇)といわれ建物の配置は諏訪大神の御神霊が宿る守屋山(御神体山)に向かい建てられ古図には祈祷所と記されている
幣拝殿が大社の恒例祭典や重要神事を齋行して國家安泰並公事の祈願を執行する場所であるのに対して勅願殿は個人私事の祈祷を行う場所である
勅使殿(ちょくしでん)
現在の勅使殿は元禄三年(一六九〇)の創建であり安政年間に大修理を加えてある切妻流れ正面大唐破風造りである
中央の記録では神門戸屋・帝屋とも書かれており建武二年(一三三五)大祝即位の記録には御門戸屋にて神事があり社殿に布を敷いて其の上に五穀を供えそこに大祝が着座したことが見えている
また勅使参向の折りには幣帛の授受が行われた所である
元旦の蛙狩神事や御頭受神事も行われた所である
神楽殿
文政十年(一八二七)の建立で祈願者の神楽奉納の御殿である
四方吹通し入母屋造りで諏訪市の指定文化財の建造物である
大太鼓は神楽殿建立と同時に奉納され胴は樽と同様に合わせ木作りで神龍が画かれている
皮は一枚皮が使われ 一枚皮では(牛と云う)日本一と云われる
この大太鼓は元旦の朝のみ打たれる
天流水舎
俗にお天水と称される
どんな晴天の日でも雫が三滴は屋根上の穴から降り落ちると云われ諏訪の七不思議の一つに数えられている 旱(ひでり)天の祈りにはこのお水を青竹に頂いて持ち帰り雨乞いの祭をすると必ず雨が降ると云い伝えられる
五間廊(ごけんろう)
現在の建物は安永二年(一七七三)の建造であり廊下様式切妻造りである
古記録には神長官・祢宜太夫・権祝・擬祝・副祝の五官着座のことが見えている
勅使殿(ちょくしでん)
現在の勅使殿は元禄三年(一六九〇)の創建であり安政年間に大修理を加えてある切妻流れ正面大唐破風造りである
中央の記録では神門戸屋・帝屋とも書かれており建武二年(一三三五)大祝即位の記録には御門戸屋にて神事があり社殿に布を敷いて其の上に五穀を供えそこに大祝が着座したことが見えている
また勅使参向の折りには幣帛の授受が行われた所である
元旦の蛙狩神事や御頭受神事も行われた所である
神馬舎(しんめしゃ・駒形屋)
古くより諏訪大神の神馬の屋形で明治以降は背に御幣を立てた銅製の神馬と木製の神馬が安置されている
明治二十七年七月の大暴風雨により近くの大欅が倒れて神馬舎は倒壊してしまったのに神馬は前方に十メートル程飛んで微塵も被害を受けなかった
時恰(あたか)も日清戦争の勃発した頃であり人々は諏訪明神が神馬に乗って戦場に向かわれたのであると云って驚き懼れたと伝えられる
(案内板から)
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