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管理人の思いつくまま、気の向くまま、長野県内の町や村の話題を取り上げています。
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141101_1233_祝神社境内恵比寿社(長野市松代町)

長野市松代町の祝神社(おすわさん)境内にある恵比寿社で1日、松代商店会連合会の関係者が参列して例祭が行われました。
(写真:祝神社境内にある恵比寿社=1日午後撮影、640×480拡大可能)

<管理人ひとこと>
松代町では10月26日から11月9日まで、商店会連合会加盟店で買い物をすると100円につき1枚の福引補助券が配布されており、8日と9日に開催される「えびす祭り」に補助券20枚(2000円相当)を持参すると1回抽選ができるイベントが行われています。
今年の福引の目玉は、特賞の「現金つかみ取り(500円・100円)」。低迷する景気を盛り返そうと、商店会連合会に加盟するそれぞれの店主たちの願いを込めて実施するとのことです。
「えびす祭り」は祝神社境内おまつり広場にて、8日は午前9時から午後5時まで、9日は午前9時から午後4時30分まで開催されます。





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141018_1032_梅翁院 魚濫観世音秋季大祭(長野市松代町)

長野市松代町の梅翁院で18日、魚濫観世音秋季大祭が行われ、商売繁盛・家内安全を祈願する参詣者の姿が見られました。
(写真:秋季大祭が行われた梅翁院=18日午前撮影、640×480拡大可能)

<参考HP>
・ 曹洞宗 芳谷山 梅翁院
  http://www.bio21.or.jp/

<参考資料>
本尊  釈迦牟尼仏
観音堂 魚濫観音
松代藩初代藩主真田信之の側室玉川伊豫守女右京(梅翁院)とその両親の菩提を弔うため真田家が創立。開山は長国寺六世稟室大承。
右京は、魚濫観音を篤く信仰。水と縁が深い観音様で、善男善女に多くの利益を授けるとされ、観音縁日や二年参り祈祷祈願法要などには多くの人が参集する。
現本堂は文久元年(一八六一)の再建。天蓋は真田家霊屋から移したもの。曹洞宗参禅道場も併設されている。墓地入口に右京の墓、かわいらしい一つの光背の六地蔵、童謡「見てござる」の歌碑がある。
(案内板から)


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141012_1458_第59回松代藩 真田十万石まつり(長野市松代町)

長野市松代町の松代城跡(地図)を会場に、11と12日の2日間、エコール・ド・まつしろ2014 秋まつり 第59回「松代藩 真田十万石まつり」(主催 松代観光推進機構 秋まつり実行委員会)が開催されました。
12日は、真田家第14代当主の真田幸俊さんを迎え、赤備えの勇ましい鉄砲隊の演舞や真田勝鬨太鼓の演奏の後、十万石行列旗を先頭に松代藩真田十万石行列が松代城跡・表門から出陣。善光寺御開帳に奉納される「回向柱(えこうばしら)」の曳行行列も加わり、総勢220名を超える行列が町内を練り歩きました。
(写真:松代藩 真田十万石まつりから=12日撮影、640×480拡大可能)

<管理人ひとこと>
この日の管理人は朝から松代城跡・二の丸公園で待機。蛍光色のスタッフジャンパーを着て、初参加となるこのイベントのお手伝いをしていました。
県内外から大勢の観光客のみなさんがお越しになり、イベントのご案内をさせていただきましたが、なにぶんにも不慣れだったため、お問い合わせのあったみなさまには大変なご迷惑をおかけしました。謹んでお詫び申し上げます…。

<参考HP>
・ 真田十万石まつり
  http://matsushiro-fes.com/sanada/


第59回松代藩 真田十万石まつり
(10月12日)
141012_0745_第59回松代藩 真田十万石まつり(長野市松代町) 141012_0747_第59回松代藩 真田十万石まつり(長野市松代町)
141012_0750_第59回松代藩 真田十万石まつり(長野市松代町) 141012_0756_第59回松代藩 真田十万石まつり(長野市松代町)
会場の準備
141012_1216_w_第59回松代藩 真田十万石まつり(長野市松代町)
松代城跡二の丸会場
141012_1214_第59回松代藩 真田十万石まつり(長野市松代町) 141012_1247_第59回松代藩 真田十万石まつり(長野市松代町)
出陣式と出陣前の本丸の様子
141012_1414_第59回松代藩 真田十万石まつり(長野市松代町) 141012_1420_第59回松代藩 真田十万石まつり(長野市松代町)
松代藩 真田十万石行列
141012_1440_第59回松代藩 真田十万石まつり(長野市松代町) 141012_1504_第59回松代藩 真田十万石まつり(長野市松代町)
善光寺御開帳に奉納される回向柱
141012_1459_第59回松代藩 真田十万石まつり(長野市松代町) 141012_1500_第59回松代藩 真田十万石まつり(長野市松代町)
加藤長野市長と北村長野商工会議所会頭の雄姿




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141011_2002_第21回川中島古戦場まつり 大花火大会(長野市)

長野市小島田町にある川中島古戦場(八幡原史跡公園)で11日、川中島古戦場まつり 大花火大会が開催され、約3000発の花火が秋の夜空を彩りました。
(写真:川中島古戦場まつり 大花火大会=11日午後撮影、640×480拡大可能)


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141011_1156_山寺常山邸(長野市松代町) 141011_1157_山寺常山邸(長野市松代町)
141011_1148_山寺常山邸(長野市松代町) 141011_1146_山寺常山邸(長野市松代町)
141011_1149_山寺常山邸(長野市松代町) 141011_1150_山寺常山邸(長野市松代町)

長野市松代町にある山寺常山邸(地図)の秋の風景。
(写真:山寺常山邸=11日午前撮影、640×480拡大可能)

<参考HP>
・ 長野市文化財データベース
  http://www.bunkazai-nagano.jp/

<参考資料> 山寺常山(やまでらじょうざん)邸
山寺家は松代藩で知行160石の中級武士の家格でした。江戸時代の終わりには山寺常山を輩出し、鎌原桐山(かんばらとうざん)、佐久間象山とともに松代の三山と称えられました。常山は号で幼名を久道、のちに信龍(しんりゅう)と名のり、通称源太夫(げんだいゆ)といいました。
常山は若かりし頃、江戸に出て儒学者佐藤一斎や中村敬宇(なかむらけいう)らと親交を深めました。八代藩(※松代藩の間違いか?)主真田幸貫の信望も厚く、藩政にも尽力し、寺社奉行、郡奉行を務めたほか、藩士に兵学を教授し、また藩主の側にあってはその政務を補佐しました。
明治になってからは中央政府の招きを固辞し、藩に留まり、晩年は長野に塾を開いて門人の教育につとめました。
現在、山寺常山邸には、江戸時代終わりから明治初期にかけて建てられたと推定される表門と、この表門の南側に大正時代終わりから昭和初期にかけて建てられたと推定される書院(対竹廬:たいちくろ)が残されています。ただし、屋敷内の主屋等は大正時代には失われており、その規模などを知ることはできません。
表門はいわゆる長屋門形式で、その全幅は約22メートルあり、松代城下に残る門のなかでは最大です。また、書院も近代和風建築の秀作であり、背後の山(象山)との調和もよく、時代差を感じさせない優れた意匠性を見ることができます。なお、現在の園池は大正時代に造られたものを再整備したものです。
屋敷内北寄りに建つ山寺常山の頌徳碑は、孫の塩野季彦( Wikipedia )らが、長野城山に建つ碑文の摩耗を憂いて、昭和15年にここに建立したものです。
(長野市設置の案内板から)

<参考資料> 武家屋敷庭園の特徴
141011_1159_山寺常山邸近くの民家の庭に実る柿(長野市松代町)
民家の庭に実る柿
松代町の武家屋敷庭園の特徴は、大名庭園とは異なり、武士の日常の暮らしと密着した生活の庭であるということです。鑑賞専用の庭ではないため、巨石、銘木なども少なく岩組みも質素なもので、伝統的な日本庭園の様式を感じさせるものはほとんどありません。泉水(池)には、観賞用だけでなく食用として鯉が飼われ、別に洗い場も作られ洗濯などにも利用されていました。また、庭園の植木は造園樹木だけでなく、カキ、ウメ、アンズなどの食用の果樹も植えられました。多くの庭園には縁起物としてカシワが植えられ、その葉は柏餅など食べ物を包むためにも利用されました。
松代町の武家屋敷庭園のもう一つの特徴として、周辺の山並みを景色として取り込んだ借景式庭園であることがあげられます。この山寺常山邸の庭園も象山を借景としています。
(案内板から)
 
<参考資料> 泉水路(せんすいろ)
松代町の各武家屋敷の泉水(池)は、「泉水路」と呼ばれる水路でつながっています。さらに城下町には、「泉水路」の他にも、住民の誰もが利用できる水路網が張り巡らされていました。この水系システムが貴重な文化遺産として注目されています。
水路はその機能ごとに3つに分類されます。まず、武家屋敷の池から池へ流れる「泉水路」と呼ばれる水路で、泉水(池)の水量を確保しただけでなく、農業用水、防火用水、夏の散水、冬の雪落し、下流での洪水を防ぐ遊水池、養鯉など、極めて多様な機能を果たしていました。次に「カワ」と呼ばれる道路の脇を流れる水路で、周辺の農業用水や選択などの家庭用中水道としての役割も果たしていました。元来は道路の中央を流れていました。さらに、屋敷裏の背割りを流れる「セギ」と呼ばれる水路で、武家屋敷の畑の灌漑用として利用されていました。
この水系システムは、江戸時代から現在まで受け継がれており、松代町の武家屋敷の特徴です。全国的にいても、このような水系システムを有しているのは、この松代町だけといわれています。
(山寺常山邸に設置された案内から)





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