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写真中央に見える石列(左上~右下)は、中川村片桐の天の中川橋(地図)西岸上流部分に残る「理兵衛堤防」です。江戸時代に築かれた堤防はこれまで橋の下流部分の一部を残し埋没していましたが、平成18年の災害時に再び姿を現わしたことから、翌年10月に現場周辺で発掘調査が行われました。この調査で、堤防に沿って水路が作られていたことがわかったそうです。
堤防は護岸工事のため、現在は埋め戻され石列が残るのみとなっています。 (写真=20日撮影)
<参考資料> 理兵衛堤防
理兵衛堤防は、江戸時代後期寛延3年(1750)から文化5年(1808)にかけて松村理兵衛忠欣(りへえただよし)・常邑(つねむら)・忠良(ただよし)三代にわたって築かれたものです。
明治時代以後の度重なる洪水により大半が埋没してしまいましたが、昭和58年災害で天の中川橋右岸下流の旧堤防前面にその一部が現れ、平成18年7月豪雨災害では、旧堤防の上流側コンクリート護岸が洗掘(せんくつ)されて決壊し、理兵衛堤防上流側が姿を現わしました。
中川村遺跡調査会では、国土交通省による平成19年度田島護岸災害復旧工事に先立ち、確認調査を実施しました。
その結果、理兵衛堤防の石積みの上流部が80m余にわたって確認されるとともに、堤防河川側中段に沿って71mにわたる灌漑用水路が発見されました。
理兵衛堤防が天竜川の治水史上非常に貴重な歴史遺産であることから、工事終了後は現状復旧して埋戻し保存するとともに、用水路の木桶(もくひ)の一部を中川村歴史民俗資料館に展示保存することとしました。 (中川村教育委員会設置の案内板から)
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