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140412_1055_第11回信州松代ウォーキング・あんずの花と山里コース12kmから「皆神山」と冊子「松代里めぐり豊栄」(長野市松代町)

NPO法人 夢空間松代のまちと心を育てる会では、このほど松代町豊栄地区の歴史や文化財を紹介するガイドブック「松代里めぐり豊栄」を発行しました。「遊学・雑学城下町ウォーク 松代」「松代里めぐり東条」「松代里めぐり西条」につづくシリーズ4冊目。1部500円で、松代まち歩きセンター(伊勢町)で販売しています。
(写真:豊栄のシンボル「皆神山」と冊子「松代里めぐり豊栄」)
 
<参考HP>
・ NPO法人 夢空間松代のまちと心を育てる会
  http://yume-matusiro.blogdekoken.jp/


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140819_1348_津南町の田んぼ(新潟県中魚沼郡津南町)

稲の穂に水分が行き届かず、白色に枯れる「白穂」という現象。
今年は台風11号通過後のフェーン現象により、米どころの新潟県では新発田市などでその「白穂」による被害がでており、現在、県などが状況を調査しているということです。

<参考HP>
・ 上越タイムス(平成26年8月16日付)
  http://www.j-times.jp/news.php?seq=9280

<管理人ひとこと>
津南町からの帰り、傾斜地の末端にある田んぼの一部に、稲穂が所々白くなっているところがありました。もしかして、これもその「白穂」の被害か…と思いきや、よくよく見てみるとどうも違う…。
というのも、穂は確かに白くなっていましたが、穂にとどまらず、葉まで白く、写真を拡大して見ると、石灰でもまいたような痕跡が葉の所々に。石灰といえば、耕作前にまいて土壌改良のようなものをする時に使うと思っていましたが、もし石灰だとすれば出穂期に散布するのは予想外。それとも別の肥料や薬剤なのか…。
農業がわからない管理人には、とても不思議に感じる光景でした。
(写真:津南町の田んぼ=19日午後撮影、640×480拡大可能)

<その後の田んぼ>
140831_1309_津南町の田んぼ(新潟県中魚沼郡津南町)
気になる田んぼを見に行くと、稲穂は何事もなかったように育っていました。結局、あの白い粉末は何だったのだろう…と思いつつ、何気に足元を見ると茶色の袋が落ちていました。そこには「MR.ジョーカー粉剤DL」( emoji 北興化学工業 )と記されており、併せて殺虫剤との表記も…。
ネットによれば、この殺虫剤、収穫2週間前に散布すると田んぼに発生するカメムシやイナゴなどの対策に効果があるとのことでした。
石灰だと思っていたあの白い斑点、実はこの殺虫剤の散布によるものだったのかもしれませんね。

 
 
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140823_1955_鑑貞地蔵尊縁日「おかんてんさん」(長野市松代町)

松代三大縁日のひとつ鑑貞地蔵尊縁日「おかんてんさん」が、長野市松代町紙屋町にある大信寺(地図)で行われています。
子育て地蔵・乳出し地蔵として地域の信仰を集めるこの地蔵尊が開帳されるのは、1年のうちのこの期間だけ。23日夜(国道403号線片側歩行者天国:19:30~21:00)は、屋台も並び、訪れた家族連れで賑わっていました。
地蔵尊縁日は24日も行われます。
(写真:鑑貞地蔵尊縁日=23日夜撮影、640×480拡大可能)


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140818_1413_1_郷本の良寛空庵跡と「傭作」の詩碑(新潟県長岡市)

江戸時代後期の禅僧・良寛( Wikipedia )が滞在した郷本空庵跡(地図)。
良寛は、新潟県三島郡出雲崎町出身。安永8年(1779)から寛政8年(1796)までは、円通寺(岡山県倉敷市)に赴き修行。北陸道を越後に向かい、生家のある出雲崎を通り、ここ郷本に滞在しました。
当時の庵はこれより西10mの海中にあり、海嶽山玄徳寺入口に郷本空庵跡の碑が建立され、良寛の足跡を残しています。
(写真:郷本の良寛空庵跡と「傭作」の詩碑=18日午後撮影、640×480拡大可能)

<参考HP>
・ 出雲崎町観光協会
  http://www.izumozaki.net/
・ 燕市観光情報
  http://www.tsubame-kankou.jp/
・ 三条市ホームページ
  http://www.city.sanjo.niigata.jp/
・ 弥彦村ホームページ
  http://www.vill.yahiko.niigata.jp/
・ 良寛修行の寺・曹洞宗円通寺
  (インターネット倉敷)
  http://www.izumozaki.net/tourism/ryokansokuseki/


郷本の良寛空庵跡 (8月18日)
140818_1415_1_郷本の良寛空庵跡と「傭作」の詩碑(新潟県長岡市) 140818_1415_2_郷本の良寛空庵跡と「傭作」の詩碑(新潟県長岡市)
海嶽山玄徳寺(左)と寺前の海(右)


<参考資料>
良寛は寛政8年、39歳のころ、備中国(岡山県)玉島円通寺での長い修行を終えて越後に帰ったが、出雲崎の生家前を素通りし、ここ郷本海岸の空庵にわらじを脱いだ。
良寛が半年間、土鍋ひとつの生活を送った空庵は、現在この国道より10メートルの海中の地点であると伝えられている。衝天の志気を詠んだ「傭作」の詩はここでの作といわれる。
(長岡市設置の案内板から)





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140819_1315_津南ひまわり広場(新潟県中魚沼郡津南町) 140819_1318_津南ひまわり広場(新潟県中魚沼郡津南町)
140819_1316_津南ひまわり広場(新潟県中魚沼郡津南町) 140819_1326_津南ひまわり広場(新潟県中魚沼郡津南町)

新潟県中魚沼郡津南町にある津南ひまわり広場(地図)の様子。
すでに第1・第2のひまわり畑は開花終了し、現在、第3ひまわり畑(最終)が満開になっています。会場では地元小学生たちによるかかしコンテスト(写真右下)も。
今年度のひまわり広場は7月25日(金)から8月24日(日)まで。
広場への入場には、協力金として普通車1台につき300円必要です。
(写真:津南ひまわり広場=19日午後撮影、640×480拡大可能)

<参考HP>
・ 津南町観光協会公式サイト「津南彩発見」
  http://tsunan.info/
・ 津南町商工会
  http://www.tsunan.or.jp/


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愛知県岡崎市八帖町(地図)には、八丁味噌(岡崎城から八丁の距離にあることの意味)の伝統を受け継ぐ蔵元が2つあります。
八丁味噌(豆味噌・赤味噌)は、大豆と塩、水だけを原料に、二夏二冬(ふたなつふたふゆ)、川石を山のように積み上げ重石とし、自然の気温の変化にまかせ熟成された味噌で、信州味噌のような淡色な味噌(米味噌・赤と白味噌の中間)とは違い、黒味を帯びた濃厚な味噌へと変化するのが特徴( Wikipedia )。
江戸時代には「三河味噌」または「三州味噌」の名で、江戸などに出荷されました。
(写真:合資会社八丁味噌 本社事務所=平成23年11月23日午前撮影、640×480拡大可能)

<管理人ひとこと>
今回訪ねた八丁味噌の蔵元は、合資会社八丁味噌(以下、カクキュー)さん。
もうひとつの蔵元・まるや八丁味噌さんと、旧東海道を挟んで建つカクキューさんには、味噌の蔵元とは想像できないほどハイカラな造りの建物があり、昭和2年に建てられた本社事務所(南北2棟)は、平成8年、国の有形文化財に登録されているそうです。
カクキューさんでは味噌蔵をめぐる工場見学が可能。岡崎まで来たら「八丁味噌」とはどんなものか、その独特な製造方法を実際に目で見てみると、話題のひとつも増えることになりますのでおススメしておきます。
 
さて管理人はといえば…。
本来であればここで「八丁味噌」の蘊蓄(うんちく)をひたすら書き綴るところなのですが、そもそも「八丁味噌」の名前こそ知れ、どんなものなのか知識もなく、更に時間にも余裕がなかったこともあって、現地ではさらりっと蔵元の雰囲気を味い、最後に2種類用意されたお味噌汁の味比べをしただけで、次なる目的地へとさっさと移動してしまったのでした。
こんなことなら、もう少し情報を仕入れてから訪ねればよかった…と思ってももう後の祭り。

次回の岡崎訪問は何時になるかわかりませんが、旧東海道・岡崎宿の町並みめぐりと併せて、この八丁味噌の、深~い味わいをじっくり楽しみたいと思っています。

<参考HP>
・ 八丁味噌協同組合
  http://www.hatcho.jp/
・ 合資会社八丁味噌
  http://hatcho-miso.co.jp/
・ 株式会社まるや八丁味噌
  http://www.8miso.co.jp/

<参考資料>
合資会社八丁味噌 登録文化財
(平成八年十二月二十日付)

本社事務所(南北二棟)
昭和二年(一九二七)十一月二十三日に完成した本社事務所は、白い柱を強調した教会風の南北二棟からなり、建築当時は大きく人目を引くデザインだった。平成二年(一九九〇)には、岡崎市景観環境賞を受賞した。

 八丁味噌本社事務所
 木造二階建、トタン葺、建築面積三三九平方メートル
 愛知県岡崎市八帖町字往還通六九

本社蔵(現史料館)
現史料館の建物は、明治四〇年(一九〇七)に味噌蔵として建てられた。石垣上の東西三十余メートルの巨大な姿は、城壁の観があって「大蔵」と命名、平成三年(一九九一)十二月一日から八丁味噌の郷・史料館として現在に至っている。

 八丁味噌本社蔵(史料館)
 木造二階建瓦葺、建築面積四六三平方メートル
 愛知県岡崎市八帖町字往還通六九

<参考資料> ボイラーとストーカー
111123_1039_カクキュー八丁味噌の郷・ボイラーとストーカー(愛知県岡崎市)
ボイラーとストーカー
昭和16年に投射は製造工場を移転・改築し、大豆蒸煮設備も一新しました。その時に導入したのが石炭を燃料とする火管式(1)ボイラー(左)で、発生した蒸気は蒸釜で大豆を蒸すのに用いられました。石炭の燃料効率を高める装置としてボイラーの下にストーカー(2右)も設置しました。ストーカーは燃焼中の石炭を鉄製の無限軌道(3)の上に載せて奥へ運び、燃え尽きた石炭は下へ落ちる(4)ように出来ていました。平成10年夏に新工場建設のため、これら装置の移転が必要になりましたが、元の姿のまま展示するのは困難なので両装置とも頭部だけここに残しました(5)。
布達の装置は昭和50年まで使用されていました。その後は石油ボイラーに、さらに平成9年初夏からはガスボイラーに変わりましたが、石炭時代のこの種の産業遺産が現在、東海地方にほとんど残っていないといわれています。
(合資会社八丁味噌設置の案内板から)





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111123_0949_岡崎城(愛知県岡崎市)

愛知県岡崎市康生町(地図)にある3層5階(復元前は3層3階)の天守と井戸櫓・附櫓からなる平城( Wikipedia )。岡崎市指定史跡。

<管理人ひとこと>
岡崎城といえば、誰もが思い浮かべるのが徳川家康( Wikipedia )出生の地ということ。整備された城址公園には、「東照公産湯の井戸」や「えな塚」など、家康出生にかかわる旧跡が残り、あの250余年も続く江戸幕府を築いた人物はここで生まれたのか…と感慨に耽る人たちも多いようです。
家康は天文11年(1542)12月、岡崎城内で誕生。しかし、世は戦乱続く戦国時代。西の織田氏と東の今川氏が互いに勢力を拡大するなか、その狭間にある岡崎も標的とされ、家康は6歳で織田氏へ、8歳で今川氏の人質とならざるをえませんでした。
しかし、永禄3年(1560)の桶狭間の戦いで今川義元が織田信長に討たれ、状況は一変。岡崎に戻った家康は、元亀元年(1570)に浜松城へ拠点を移すまで、この岡崎城から各地を転戦。徳川家ゆかりの武将(大名)の多くがこの三河から輩出する由縁にもなっています。

天守から望む岡崎の町並みは、庶民の日常生活がすぐ手にとれるほど近い距離にありました。矢作川や菅生川に挟まれた地形にも理由があるのかもしれませんが、そうした河川の氾濫から町並みを守るため、惣掘の土塁内にコンパクトに町並みが収める必要があったこともその理由なのかもしれません。
最上階の床には「17世紀本多時代の岡崎城図」(原資料 西尾市岩淵文庫蔵)が、東西南北の方向に合わせて貼られています。ぜひ、現在の町並みとの比較をされることをおススメします。

<参考HP>
・ 岡崎市ホームページ
  http://www.city.okazaki.aichi.jp/
・ 岡崎市観光協会
  http://okazaki-kanko.jp/
・ 岡崎公園
  http://okazakipark.com/


徳川家康出生の地 岡崎城
 (平成23年11月23日)
111123_0948_岡崎城(愛知県岡崎市) 111123_1001_1_岡崎城(愛知県岡崎市)
岡崎公園案内板 解体前の天守
111123_1001_2_岡崎城(愛知県岡崎市) 111123_1006_岡崎城(愛知県岡崎市)
本多時代の岡崎城図 天守から望む岡崎市内
111123_1022_岡崎城(愛知県岡崎市) 111123_1018_岡崎城(愛知県岡崎市)
内堀と巽閣 舟着き場跡


<参考資料> 岡崎城
15世紀中頃(室町時代)、西郷弾正左衛門頼嗣(稠頼)が現在の岡崎城の位置にはじめて城を築き、のちに家康の祖父である松平清隆が入城し本格的な岡崎城を構えた。
1542年(天文11年)12月26日、徳川家康はここ岡崎城内で誕生した、江戸時代、岡崎城は「神君出生の城」として神聖視され、本田氏(康重系統/前本田)、水野氏、松平氏(松井)、本多氏(忠勝系統/後本多)と、歴代譜代大名が城主となった。石高は5万石と少なかったが、大名は岡崎城主となることを誇りとしたと伝えられる。
現在の天守閣は1959年(昭和34年)に復元され、3層5階の鉄筋コンクリート構造となっている。2階から4階は江戸時代の岡崎を紹介する展示室で、5階は展望室となっており三河平野を一望することができる。

岡崎城の歴史
1452~1455年(享徳元~康正元年)
西郷弾正左衛門頼嗣(稠頼)、竜頭山に築城。
1531~32年(享禄4~5年)
安城松平4代清隆、竜頭山の岡崎城へ移る。
1542年(天文11年)12月26日
徳川家康、岡崎城内で誕生する。
1590~1600年(天正18~慶長5年)
岡崎城主田中吉政、城と城下町を大改造、天主閣・惣構えの堀を築く。
※1602年(慶長6年)
 岡崎藩( Wikipedia )立藩
1617年(元和3年)
櫓をもつ複合天守閣に再建。
1871年(明治4年)
廃藩置県、額田県成立し旧城内に県庁設置。
城址は県有地。
1873~74年(明治6~7年)
城郭取り壊し、天主閣解体、礎石のみ残る。
武家屋敷払い下げ。
1875年(明治8年)
旧本丸・二の丸、城址公園となる。
1959年(昭和34年)
岡崎城天守復元。
1962年(昭和37年)
岡崎城跡約96,700平方メートルを岡崎市史跡に指定。
1982年(昭和57年)
旧二の丸跡に、三河武士のやかた家康館開館。
(案内板から)

<参考資料> 写された岡崎城
天守は城の中心となる建物で、物見櫓が発展したもの、城主の権威を象徴する建築物である。岡崎城の天守は、田中吉政が城主の時代に創建され、その後の地震等で倒壊したと考えられている。1617年(元和3)本多康紀が城主の時、3層3階、地下1階で東に井戸櫓、南に付櫓を附属した複合天守で再建されたものであったが、維新後の1873年(明治6)に廃城令が出され、翌7年にかけて取り壊された。1875年には本丸・二の丸部分が城址公園となり、後の1962年(昭和37)に公園の部分が市の史跡に指定され現在に至る。
再建の気運は1955年頃より市民の間から生じ、折しも日本各地で天主閣復興の気運が盛り上がり、近くでは岐阜城が56年に再建され、名古屋城の再建計画の話も伝わり、市のシンボル・観光の拠点として再建が多くの市民から望まれその道を歩みはじめた。当時5,700万円の総工費のうち、1,800万円が県費補助金、1,200万円は寄附金で賄われた。天主に飾られた鯱は青銅製で高さ1m36cm、重さ190kg、角のあるオスは南側、メスは北側にすえられた。
(城内案内板:「復元大系 日本の城4」ぎょうせい刊、「新編 岡崎市史 5現代」岡崎市刊から)

<参考資料> 東照公遺訓碑由来
この東照公遺訓碑は、額田郡岩津町奥殿(岡崎市奥殿町)出身の加藤賢次郎翁が岡崎市へ寄贈されたものである。
翁は、岡崎銀行(東海銀行の前身)を創立し、長く同行頭取、相談役として金融界に尽力されたのをはじめ、岡崎商工会議所会頭として、本市の経済界の発展に寄与され、昭和十八年三月九十八歳の天寿を全うされた。
翁は、終生、徳川家康公の遺訓を座右の銘とされ、これを後世の市民の教化育成に資するため、家康公研究者柴田顕正氏と相図り、この実現の為に時の小瀧市長の賛意を得て建立に至った。
碑文の文字は田安家徳川達孝氏に、礎石は万年の亀を据え、碑頭には竜城を象徴する竜を配し、制作施工は岡崎石工研究所長池上年氏に委ねられた。
碑裏面には、昭和十一年四月十六日建立とのみ刻み、寄贈者名は翁の意志により省略されたままであるが、本年(※昭和六十一年)は、遺訓碑が建立されて五十年、記念事業の一環として、この遺訓碑建立の由来を記し、あわせて加藤九十八翁を顕彰する次第である。
(案内板から)

<参考資料> 昔の舟着き場
昔は帆掛け舟が荷物をたくさん積んで菅生川(乙川)を上り下りした。
ここが積荷をあげおろしした昔の舟着き場である。岡崎には「五万石」という古謡がある。「五万石でも岡崎さまは、お城下まで舟が着く」。この帆掛け舟を形どった碑は当地方特産の花崗岩で出来ており、その古謡に因んで「五万石舟」という。
(案内板から)





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111103_1456_「奥の細道・むすびの地」船町港跡と住吉燈台(岐阜県大垣市)

111103_1453_「奥の細道・むすびの地」船町港跡と住吉燈台(岐阜県大垣市)
奥の細道・むすびの地
(岐阜県大垣市船町)
岐阜県大垣市船町にある奥の細道むすびの地(地図)は、東北・北陸の旅を終え門人宅に滞在していた松尾芭蕉が、伊勢神宮の遷宮参拝のため舟で桑名に向けて立つ際に、「奥の細道」( Wikipedia )結びの句( 蛤の ふたみに別れ 行く秋ぞ)を詠んだとされる場所。
元禄2年3月27日(新暦1689年5月16日)、江戸深川の採荼庵を出発した芭蕉は、河合曾良( Wikipedia )とともに東北・北陸をめぐり、同年8月21日に大垣着。門人宅に滞在した後、同年9月6日(新暦1689年10月18日)、桑名へ旅立ちました。
(写真:「奥の細道・むすびの地」 船町港跡と住吉燈台=平成23年11月3日午後撮影、640×480拡大可能)

<参考HP>
・ 大垣市ホームページ
  http://www.city.ogaki.lg.jp/
・ 奥の細道むすびの地 芭蕉と大垣
  http://www2.city.ogaki.lg.jp/basyo/basyo.htm
・ 岐阜県観光連盟
  http://www.kankou-gifu.jp/
・ 大垣・西美濃観光ポータルサイト「水都旅」
  http://www.ogakikanko.jp/
・ 大垣地域ポータルサイト西美濃
  http://www.nisimino.com/nisimino/

<参考資料> 大垣市指定史跡 奥の細道むすびの地
「蛤のふたみに別行く秋ぞ」
俳聖 松尾芭蕉がこの地で詠んだ俳諧紀行「奥の細道」のむすびの句です。
元禄二年(一六八九)三月二十七日、江戸深川を出発した芭蕉は、門人曽良とともに奥州から北陸を経て、ここ大垣で「奥の細道」の旅を終えました。九月六日には、俳友の谷木因(たにぼくいん)や近藤如行(こんどうじょこう)ら大垣の俳人たちに見送られ、伊勢神宮の遷宮参拝のため、この船町港から桑名へ舟で下りました。

<参考資料> 大垣市指定重要有形民俗文化財 谷木因俳句道標
貞享元年(一六八四)の冬、俳聖 松尾芭蕉は「野ざらし紀行」の旅で大垣を訪れ、俳友谷木因の家に泊まりました。この道標は、その歓迎の意をこめて木因が建立したと伝えられており、道しるべの方向を俳句で表している全国的にも珍しく貴重なものです。
表面には「南いせ くわなへ十り ざいがうみち」の句が刻まれ、「くわなへ」は伊勢の「桑名へ」と季語の「桑苗(くわなえ)」を掛詞(かけことば)にしています。
なお、この道標は複製であり、実物は奥の細道むすびの地記念館で保存・展示されています。

<参考資料> 水門川の歴史
水門川は、大垣市から南流し揖斐川に合流する運河で、永禄4年(1561)大垣城主氏家直元が城池改築の際に開堀したと伝えられています。江戸時代に大垣藩初代藩主戸田氏鉄により改修され、この地方を集散する貨客の水運産業の振興とともに発展し、文化の興隆に大きく貢献しました。
当時は大量の自噴水が水門川にそそぎ、清らかな流れをみせ、アユやハエなどの清流魚が泳ぎまわるなど庶民生活と結びつき、広く親しまれ育まれてきました。また、この川は大垣城の外堀として幾多の攻防の歴史に秘められた物語も多く、沿線一帯には、「奥の細道むすびの地」や「住吉燈台」などの文化財が残され、水と緑の調和の中に詩情豊かな潤いのある風情をたたえています。
(以上、案内板から)

<参考資料>
岐阜県指定史跡 住吉燈台
大垣市指定史跡 船町港跡
船町港は、江戸時代から明治時代にかけて大垣城下と伊勢を結ぶ運河「水門川」の河港で、物資の集散と人の往来の中心であった。明治16年(1883)には、大垣~桑名間に蒸気船が就航したが、昭和期に入ると鉄道の発達に伴い衰退した。
住吉燈台は、元禄年間(1688~1704)前後に港の標識と夜間の目印として建てられたものである。高さは約8m、四角の寄棟造りで、最上部の四方には油紙障子をはめ込んであり形全体の優美さは芸術品としても十二分に価値がある。
(大垣市教育委員会設置の案内板から)





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