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| 祈願文を刻んだ 石碑 |
御祭神は武田武大神(たけたたけのおおおかみ・武田王)・足仲津彦命(たらしなかつひこのみこと・仲哀天皇)・誉田別命(ほんだわけのみこと・応神天皇)・息長足姫命(おきながたらしひめのみこと・神功皇后)。
神社( Wikipedia )には、織田信長による甲州征伐に際して、武田勝頼夫人( Wikipedia )が戦勝を祈願した祈願文(旧暦天正10年2月19日付・山梨県指定有形文化財)が残されており、当時の緊迫した状況を切々と訴える内容を刻んだ石碑が境内に建てられています。
(写真:武田八幡神社=5月30日午前撮影、640×480拡大可能)
<参考HP>
・ 韮崎市観光協会
http://www.nirasaki-kankou.jp/
| 武田八幡神社 | |
| 総門 | 舞殿(手前)と拝殿 |
| 舞殿 | 国重要文化財 本殿 |
<参考資料> 武田八幡神社
当社は社記によると嵯峨天皇弘仁十三年勅命によって、九州宇佐八幡をむかえ地神(武田武大神)と併祀して武田八幡宮と称したという。なお清和天皇の時、京都石清水八幡を社中に併祀し甲斐源氏の崇敬をあつめたが、鎌倉時代初期武田の荘に據って武田氏を始めた信義に至りこの郷一帯を寄進して氏神とした後、戦国時代に武田信玄は現本殿を再建(天文十年)して、子勝頼滅亡の寸前同夫人が戦勝を祈念して訴えた切切たる願文は今に伝えられ武田軍には深い関係を有する古社である。徳川氏治世後も広く敬信された神社である。
当社の文化財
重要文化財
武田八幡神社本殿
県指定有形文化財
武田八幡神社末社
若宮八幡神社本殿
武田八幡神社石鳥居 付正面石垣
石造明神鳥居。大きな亀腹(礎石)上に立つ柱には、二葉町志田の船形神社のそれと同様、見た目には胴張えい(エンタシス)のごとくに感じられ、しかもがっちり太く(径〇.四六メートル)これに比して柱上には台輪をはさんで置かれた幅の狭い鳥木や笠木は程よい真反りを示し、両端の切り方も内斜ではあるが後世のものほど極端でなく、増しも軽妙である。鳥居の貫に天正一二年(補修)の銘があり、峡北地方の中世造営の鳥居の特徴を備えている。石垣は正面神社参道から鳥居を迂回して石階をつくる特殊な形態を呈し、石積技術も優れ貴重なものである。
(山梨県教育委員会・韮崎市教育委員会設置の案内板から・平成10年)
市指定天然記念物
武田八幡神社 敬愛の樹叢
<参考資料> 北条夫人祈願文
うやまって申(す) きくわん(祈願)の事
南無きみやう(帰命)ちゃうらい(頂礼)八まん(幡)大ほさつ(菩薩) 此国のほんしゆ(本主)として 竹たの(武田)太ろう(郎)とかう(号)せしより此かた 代々まほ(守)り給ふ ここにふりょ(不慮)のけき(逆)新出き(来)たって 国か(家)をなや(悩)ます よってかつ(勝)頼 うん(運)をてんとう(天道)にまか(任)せ 命をかろ(軽)んしててきちん(敵陣)にむか(向)う しか(然)りといへとも しそつ(士卒) り(利)をえ(得)さるあいた(間)そのこころまちまちたり なん(何)そきそよし政(木曽義昌) そくはく(若干)の神りょ(慮)をむな(空)しくし あわ(哀)れ 身のふほ(父母)をすて(捨)て きへい(奇兵)をお(起)こす これみつ(是自)からはは(母)をかい(害)する也 なかんつく(就中)かつ(勝)頼るいたい(累代)十おん(重恩)のとも(輩)から けき新(逆臣)と心をひとつ(一)にして たちまちにくつかへ(覆)さんとする はんみん(万民)のなうらん(悩乱) 仏にうのさまた(妨)けならすや そもそもかつより(勝頼) いかてか(争)あく新(悪心)なからんや 思いのほのを(炎)天にあが(揚)り しんいなをふか(瞋恚猶深)からん 我もここにして あひとも(相倶)にかな(悲)しむ 涙又らんかん(闌干)たり しんりょ(神慮)天めい(命)まことあら(誠有)は 五きゃく(逆)十きゃく(逆)たるたくひ(類) しょ(諸)天 かり(仮)そめにもかこあら(加護有)し 此時にいた(至)って 神しん(信心) わたくし(私)なく かつかうきも(渇仰肝)にめい(銘)す かな(悲)しきかな(哉) しんりょ(神慮)まことあら(誠有)は うんめい(運命)此とき(時)にいた(至)るとも ねがわくは れいしん(霊神)ちから(力)をあわ(合)せて かつ(勝)事を かつ(勝)頼一し(己)につけ(付)しめたま(給)い あた(敵)をよも(四方)にしり(退)そけん ひょうらん(兵乱) か(還)へむ(つ)て めい(命)をひら(開)き しゅめう(寿命)しゃうおん(長遠) しそんはんしょう(子孫繁昌)の事みき(右)の大くわん(願) ちゃうしゅ(成就)ならは かつ(勝)頼 我ととも(倶)に しゃ(社)たん(壇) みかき(御垣) た(建)て くわいろう(回廊) こんりう(建立)の事
うやまって申(す)
天正十ねん二月十九日 みなもとの(源)かつ(勝)頼 うち(内)
(市誌上巻佐藤八郎氏執筆より・石碑文から)
※天正10年(1582)2月1日、義弟の木曽義昌が織田信長と結び反旗を翻したため、勝頼は翌日、新府城に人質として送られていた義昌の生母・側室・子供を処刑。勝頼は武田信豊を将とする討伐軍を木曽谷に派遣しますが、16日に行われた鳥居峠の戦いで木曽勢に敗北。勝頼は3月2日の高遠城落城に先立つ2月28日、諏訪から退却します。
北条夫人の祈願文の日付は2月19日。
木曽勢に対する勝利を願った夫人の祈願でしたが、その想いが届くことはありませんでした。
<参考資料>
山梨県指定有形文化財
武田八幡宮二の鳥居 附・神器 輿石
由緒・歴史
| 県指定有形文化財 二の鳥居 |
輿石は昭和初期まで鳥居の中心線上で控え柱西面より神社側に輿石東面が約三・五メートル離れた位置にあり、鳥居の下は車馬の通行が厳しく禁じられていた。その後、県道改修の際に現在地に移された。大祭には神輿の渡御が二の鳥居、輿石まで行われている。社記によると二の鳥居場は一一〇坪あり、御田祭などの催事も執り行われた。
昭和六〇年二月に二の鳥居附輿石は韮崎市指定有形文化財に指定され、さらに平成十二年十月には附に神額を特記し山梨県指定有形文化財に指定された。
構造
鳥居の形式は木造の両部鳥居で、高さ六・四メートル、□□全長八・七メートル、鏡柱々間上部四・九メートル、下部五・三メートル、転び二三センチの雄大な木割を示す。笠木・鳥木は一木造り(一部矧木あり)で穏やかな心反りを示し、その上に屋根をかける。鳥木と□□センチ下の大貫との間に額束を備え額□まえに縦一二五センチ、横八八センチの神額が掲げられている。神額には武田菱門の下に武田八幡宮と隷書体で大書され彫られているが、永い歳月風雨風雪に曝されたため、現在では殆ど判読できない。また神額□□□た鳥木付近に丹柄塗が僅に残っていることから建立当時は朱の大鳥居であったことが判る。また、各鏡柱の前後に面取りの角柱の袖柱を転びをつけて立て、上下二条の貫を通し三本の柱を連結し楔(くさび)で固定している。そらに、鏡柱と前後の袖柱にわたり一連の幅広い屋根を架けている。また、鏡柱には根巻を付け対面間隔七三センチの八角柱から直径五二センチの丸柱へ一木から削り出している。根巻の高さは九〇センチで下の貫の上面に達している。太い鏡柱の下部と上部の円柱とは上下の貫の間で継いでいる。これらの補強と雨避を考慮した特徴ある構造を有し、しかも雄大かつ均衡のとれた重量感ある形態を示す本鳥居は建立年代の確かな木造両部鳥居としては貴重な遺構である。一方、輿石は現在一辺約一・一二メートル、高さ三六センチであるが、本来の高さの半分近くが埋没し、位置も移動している。輿石側面には神主矢崎民部、村中、施主などの刻銘が見られる。
改修の経緯
鏡柱、袖柱の足元は度重なる道路舗装工事のために道路面が上がり基礎石が埋ったため腐食が進んでいた。平成十一年一月(有)大石組により鳥居を一時移動し基礎石を据え直す工事が始められた。しかし、柱足元は白蟻の被害も加わり予想を遥かに超える損傷が見られ、鳥居全体の大改修が決断された。文化財建造物保存技術協会の調査設計の後、多くの指定建築物の修復工事の実績を持つ(株)石川工務所により大改修が進み、平成十一年九月竣工を見るに至った。工事資金については韮崎市の多くの財務支援と奉賛会、氏子の理解と協力を得てこれに当てた。
工事管理/財団法人 文化財構造物保尊技術協会
工事施工/株式会社石川工務所 有限会社大石組
(武田八幡宮 功力利夫氏記述による案内板から・平成13年)
<参考資料> 史跡白山城跡(北烽火台跡)
| 熊に注意 |
白山城の西側の尾根つづきの背後には標高約882mの八頭山があり、白山城をとりこむように北と南に尾根がのび、その尾根がつきるところにそれぞれ烽火台が築かれている。北のものを北烽火台、南のものをムク台と呼ぶ。
北烽火台は白山城とは八幡沢を挟んで北西約600m離れており、標高約601m。東西方向に長くのびた尾根城を堀切で区切り、そこから東側に土塁が設けられ2段の平坦地がみられる。平坦地は幅10m、長さ50mほどであり、段差のあるところに直径約4mの円形の凹みがある。
(文化庁・山梨県教育委員会・韮崎市教育委員会設置の案内板から・平成16年)
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山梨県甲府市にある臨済宗妙心寺派の寺院(地図)。
鎌倉時代の弘長2年(1262)に蘭渓道隆が禅宗の寺院( Wikipedia )として再興し、戦国時代には武田信玄の庇護を受け諸堂の整備が行われました。
天正11年(1543)、武田氏の諏訪侵攻により捕われた諏訪頼重( Wikipedia )がこの寺に幽閉され、後に自害。また、永禄8年(1565)には謀反の疑いをかけられた信玄の長男・義信( Wikipedia )もここに幽閉された後に自害し、共に裏手にある墓地に葬られています。
(写真:臨済宗妙心寺派 東光寺=5月30日午前撮影、640×480拡大可能)
<参考HP>
・ 東光寺ホームページ
http://www.geocities.jp/saraya_ss/tokoji/
| 臨済宗(妙心寺派)仏蓋山 東光寺 | |
| 鐘楼(手前)と仏殿 | 諏訪頼重墓 |
| <写真説明>手前が信州諏訪・上原城主諏訪頼重の墓、左奥に武田信玄の長男・義信の墓、石柱に囲まれた墓地は甲府藩主を務めた柳沢吉保の子息二人の墓 | |
<参考資料>
国指定重要文化財 東光寺仏殿
東光寺は、蘭渓道隆によって鎌倉時代に再興された臨済宗の寺である。
仏殿は、天正十年(一五八二)の織田信長の兵火及び昭和二十年(一九四五)の戦災を免れて今日に伝えられたもので、建立年次は明らかでないが、様式からみて室町時代の建築とされている。
桁行三間、梁間三間、裳階(もこし)つきで、入母屋造、桧皮(ひわだ)葺である。江戸時代初期の修理で、裳階部分が改造され、外観の変更を余儀なくされているが、低い基壇・竿縁の天井・裳階の角柱・窓・引戸などの部分に、大陸の建築が日本化する過程を示し、清白寺仏殿(山梨市)、最恩寺仏殿(富沢町)と並んで中世禅宗様建築を知る上で貴重である。
昭和三十一年解体修理が行なわれた。
(山梨県教育委員会・甲府市教育委員会設置の案内板から・昭和49年)
<参考資料>
山梨県指定文化財(彫刻)
木造薬師如来坐像
木造薬師十二神将立像
仏殿の本尊として安置されている薬師如来坐像は、鎌倉時代に造られたもので、右手を曲げ手のほらを正面に向け、左手は膝のうえで薬壺をのせている一般的な薬師如来像である。檜材の内刳(うちぐり)された寄木造りで座高五一.五糎わが国の保守系仏師の手によって造られたと推定される。
十二神将立像は、薬師如来の守護神として本尊の三方を取り囲んでいる。これも檜材の内刳された寄木造で、玉眼が嵌入(かんにゅう)されており像高八十五糎前後でやや小柄な造りである。像の一つには弘長二年(一二六二)の墨書があり鎌倉時代の像である。しかし、技法や彩色法などの異同が認められ、造られた時期や補修の時期に差異のあることが推定される。姿態た衣服・鎧等の細部にわたって写実的に入念な仕上となっており、美術史的にも重要仏像である。
(山梨県教育委員会・甲府市教育委員会設置の案内板から・昭和62年)
<参考資料>
山梨県指定 名勝 東光寺庭園
この庭園は広さ約一,四八五平方メートル 法堂の裏手にのびる山畔を活かして上部に組まれた雄渾な中央滝を主景にして左右に展開する石組みをみせ、枯れ流れの末端に変化に富む護岸石組みの竜池をたたえた。坐視的池泉鑑賞庭園として傑出するものである。
とくに滝石組みの手法は京都の天竜寺・信濃の光前寺庭園など、寛元四年(一二四六)来朝した中国の僧蘭渓道隆に関係のある寺院のそれに共通するところから、東光寺の中興開山道隆(大覚禅師)の手になるものと推定され、従来の回遊式庭園から一変して縦の線を強調した禅庭の基準ともみられ、その後の築庭に至大な影響を及ぼしたと考えられる名園である。
(山梨県教育委員会・甲府市教育委員会設置の案内板から・昭和56年)
| 東光寺庭園 |
池泉の地割は鎌倉中期に初めて出現した竜池様式で、岩盤上の護岸方式に特色がある。
池中の舟石は、北宋山水画式庭園においては当然であり、単独に用いられたものとしては日本最古に属するといわれている。
山畔部は、枯滝を中心とする豪快な石組で、現存する四ヶ所の枯滝のうち特に東方(向って右側)から二番目の滝が、それに連なる枯流れとともに本庭の主景をなしている。この竜門滝は竜滝とともに鎌倉中期のころ始めて出現した新様式で、宋朝文化の所産である。
このように本庭は鎌倉時代中期の特色をよく示しており、作者も蘭渓道隆と推定される貴重な禅庭である。
(山梨県教育委員会・甲府市教育委員会設置の案内板から・昭和61年)
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| 大月市内案内図 | 富士急行大月線 |
| JR大月駅と岩殿山 | 住宅火災(東京駅) |
16日は休暇を取得し東京へ。
仮住まいを始めてからたびたび山梨方面に出かけていますが、今回は笹子峠(中央道・笹子トンネル)を越えて山梨県大月市まで。駅前にクルマを置き、そこから「スーパーあずさ」(新宿行き)に乗り換え都内に向かいました。
目的地へはJR線と地下鉄を乗り継ぎ、駅からはひたすら歩いて20分。東京は信州と違って蒸し暑い。若い頃は感じなかったこうした陽気も、オジサンの域に入った管理人には本当に堪えました。そのようなこともあって、帰りは吊り革にぶら下がり移動する気力もすっかり萎え、最寄りの東京駅から「かいじ」(甲府行き)に乗り大月まで戻ったのでありました。
※写真右下は、東京駅八重洲口近く(東京都中央区京橋)で発生した住宅火災の様子を、駅に停車中の「かいじ」から撮影したものです。突然の煙に大変驚きました。
(写真:休暇での「ひとこま」から=16日撮影、640×480拡大可能)
今週のできごと
※ここでは先週の金曜日から今週木曜日まで、諏訪周辺のできごとを掲載
6月12日(金) 大安
・ワカサギ採卵2億粒~過去最低
(諏訪市・長野日報記事)
<管理人>新車「ひろさく3号」納車
13日(土)
・第67回信州辰野ほたる祭り
(辰野町松尾峡ほたる童謡公園・21日まで)
<管理人>「ひろさく2号」引き取り
14日(日)
・諏訪二葉高校吹奏楽部 第26回定期演奏会
(岡谷市・カノラホール)
・長野県高校生プレゼンテーション大会
(諏訪市・諏訪市文化センター)
・吉良義周をしのぶ供養祭
(諏訪市神宮寺・法華寺)
<管理人>「ひろさく3号」お祓い
15日(月)
・諏訪市の最高気温28.4度
・上諏訪駅前朝市開始(諏訪市)
<管理人>長野で打ち合わせ
16日(火)
・浅間山で小規模の噴火
・第67回諏訪湖祭湖上花火大会
特別マス席・マス席・ブロック指定席の抽選
<管理人>休暇を取って東京へ
17日(水)
18日(木)
・公開講座「山里に生きる伝統芸能 大鹿歌舞伎」
(辰野町・信州豊南短期大学)
「ひろさく2号」から「3号」へ交代
| 大活躍した「ひろさく2号」 |
6月登場の「ひろさく3号」も同じキューブ(15X)。ただ、降雪時の路面で苦労した経験から、今回は少しグレードUPして2WD/4WD切り替え可能な寒冷地仕様のものとしました。ナビも最新のものに代わり、さらに機動性もUP。ただ、お値段は「ひろさく2号」のほぼ倍になりました。
14日は長野市内の武居神社さんにお願いして「ひろさく3号」のお祓い(神事は約30分ほどで初穂料は5000円)をしていただきました。
これからは「ひろさく3号」で県内外を走ります。
どうぞ宜しくお願い致します。
来週以降のできごと
20日(土)
・守屋山一帯巡り 山の形成学ぶ講座
問い合わせ:諏訪清陵高校
(茅野市山の茶屋駐車場・要予約)
・車山ネイチャーフェスティバル2015
(茅野市車山高原、9月末まで)
・長野県南信工科短期大学校 第1回学校説明会
(南箕輪村・県伊那技術専門校)
21日(日)
・まつり芸能楽「信濃」(茅野市)
| 田楽座 茅野公演チケット |
同僚がイベントのお手伝いをしている関係で、ペアチケット(のうちの1枚)を購入。案内によれば、2部構成で、1部(50分)は「信濃の故郷(くに)」と題した信州ならではの芸能(木遣り・舞台獅子・大獅子)と盆踊りの情景(盆踊り狂言・盆の亡者現世参り)を、休憩(15分)をはさんで、2部(40分)では「田楽法師 西へ東へ」と題して、太鼓・踊り(千秋万歳・とりさし舞・東西太鼓芸能絵巻・秩父屋台獅子・田遊び)などを上演するということです。
21日は長野の自宅を早めに出発して茅野へ。
初めて鑑賞する田楽座の舞台を楽しみにしたいと思います。
7月4日と5日
・第9回しもすわ人形劇まつり
(下諏訪町・下諏訪総合文化センター)
7月6日と7日
・「くらふてぃあ杜の市 手づくり工芸展 in 駒ヶ根」
(駒ヶ根市・駒ヶ根高原)
7月25日
・第32回富士見町民際・富士見OKKOH
(富士見町・富士見グリーンカルチャーセンター)
9月27日
・第20回諏訪湖一周ウォーク(諏訪市)
我が家のできごと
14日(日)
定例となった伯父の見舞い。
相変わらず好き嫌いはあるものの、食事は摂っているとのこと。
5月の医療費とリネン(洗濯)の請求あり。
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6日はお取引先のゴルフコンペに参加。
前夜からの激しい雨風に一時は開催が危ぶまれましたが、当日は次第に天気も回復。スコアはともかく、楽しいゴルフコンペとなりました。
(写真:諏訪湖カントリークラブ クラブハウス前の様子=6日撮影、640×480拡大可能)
<参考HP>
・諏訪湖カントリークラブ
http://www.suwako-cc.co.jp/
今週のできごと
※ここでは先週の金曜日から今週木曜日まで、諏訪周辺のできごとを掲載
6月5日(金)
<御柱祭>御小屋明神社祭(茅野市)
・環境の日(世界環境デー)
6日(土)
・諏訪の最高気温19.2度
・ハイカー癒すスズラン
(富士見町入笠湿原・長野日報記事)
・諏訪市プレミアム商品券発売
(諏訪市・諏訪湖イベントホール)
・第61回八ヶ岳開山祭・前夜祭
・車山高原夏山開山祭(茅野市・車山山頂)
・地球温暖化を考える日2015
(茅野市・茅野市民館)
・ユニバーサルフェス八ヶ岳(原村)
・入笠山で海底探検・富士見まるかじり探検隊
(富士見町)
<管理人>諏訪湖カントリーでゴルフコンペ
7日(日)
・第24回諏訪青陵高校吹奏楽部定期演奏会
(岡谷市・カノラホール)
・諏訪大社上社 御田植祭 (諏訪市)
・先宮神社で「御柱休め」(諏訪市)
・第46回花祭り大会
(茅野市南大塩・心光寺)
・第61回八ヶ岳開山祭(正午)
北八ヶ岳会場…北横岳山頂
南八ヶ岳会場…赤岳山頂
・第31回下諏訪向陽高校奏楽部定期演奏会
(下諏訪町・下諏訪町総合文化センター)
・ユニバーサルフェス八ヶ岳(原村)
8日(月)
・関東甲信越地方が梅雨入り
・長野自動車道みどり湖PAで事故
10日付長野日報によれば、長野自動車道下りみどり湖PAで、PAから本線に入ろうとした中型トラックに、本線を走ってきた大型トラックが追突し、中型トラックの運転手が亡くなったとのこと。金曜日夜や土曜日、長野の自宅に戻る際にこの付近を通りますが、岡谷トンネルから塩尻ICまでは長い下り坂で、しかも80キロに速度が制限されているにもかかわらず、猛烈なスピードで一般車は追越車線を駆け抜けて行く区間でもあったりします。このため、走行車線を走ってきた大型トラックは、追越車線がそのような状態ですので、みどり湖PAからある程度のスピードを維持したまま本線に流入してくると、もう避けることはできません。
亡くなった運転手さんには気の毒ですが、起こるべくして起きた事故…と新聞記事を読んで感じました。
9日(火)
<御柱祭>諏訪大社上社御柱・本見て
※雨のため延期
・曇天も鮮やかスイレン
(富士見町井戸尻遺跡・長野日報記事)
<管理人>宴会
10日(水)
<御柱祭>諏訪大社上社御柱・本見て
・「父の日にバラを」~バラの出荷始まる
(諏訪市)
・諏訪大社下社御柱祭・全観覧席有料化へ
(下諏訪町)
<管理人>仮住まいの草取りと慰労会
11日(木)
・浅間山噴火警戒レベル「2」へ
・清涼ラベンダー見頃
(岡谷市やまびこ公園・長野日報記事)
・八島湿原の鹿防護柵修繕(諏訪市・下諏訪町)
来週以降のできごと
12日(金) 大安
<管理人>新車「ひろさく3号」納車
13日(土)
・第67回信州辰野ほたる祭り
(辰野町松尾峡ほたる童謡公園・21日まで)
<管理人>「ひろさく2号」引き取り
14日(日)
・諏訪二葉高校吹奏楽部 第26回定期演奏会
(岡谷市・カノラホール)
<管理人>「ひろさく3号」お祓い
20日(土)
・守屋山一帯巡り 山の形成学ぶ講座
問い合わせ:諏訪清陵高校
(茅野市山の茶屋駐車場・要予約)
・長野県南信工科短期大学校 第1回学校説明会
(南箕輪村・県伊那技術専門校)
21日(日)
・まつり芸能楽「信濃」(茅野市)
| 田楽座 茅野公演チケット |
同僚がイベントのお手伝いをしている関係で、ペアチケット(のうちの1枚)を購入。案内によれば、2部構成で、1部(50分)は「信濃の故郷(くに)」と題した信州ならではの芸能(木遣り・舞台獅子・大獅子)と盆踊りの情景(盆踊り狂言・盆の亡者現世参り)を、休憩(15分)をはさんで、2部(40分)では「田楽法師 西へ東へ」と題して、太鼓・踊り(千秋万歳・とりさし舞・東西太鼓芸能絵巻・秩父屋台獅子・田遊び)などを上演するということです。
当日は長野の自宅を早めに出発して茅野へ。
初めて鑑賞する田楽座の舞台を楽しみにしたいと思います。
7月4日と5日
・第9回しもすわ人形劇まつり
(下諏訪町・下諏訪総合文化センター)
7月6日と7日
・「くらふてぃあ杜の市 手づくり工芸展 in 駒ヶ根」
(駒ヶ根市・駒ヶ根高原)
7月25日
・第32回富士見町民際・富士見OKKOH
(富士見町・富士見グリーンカルチャーセンター)
9月27日
・第20回諏訪湖一周ウォーク(諏訪市)
我が家のできごと
7日(日)
定例となった伯父の見舞い。
体調が良かったこともあり、車イスで少しお散歩。
気分転換になるか…と思いましたが、喜怒哀楽なし。
昨年秋の地震でお墓の石がズレてしまったため、その修理をする…と伝えましたが、「あ、そう」と素っ気ない返事。おいおい、最後は自分が入るお墓だろっ、と思いましたが、どうやらそうしたこともわからない様子でしたので、「また時期を見て住職さんんい話をしておくよ」と伝えておきました。
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山梨県甲州市にある臨済宗妙心寺派の寺院(地図)。
武田信玄の菩提寺として知られ、天正4年(1576)には武田勝頼が喪主となって信玄の葬儀がここで行われました。
天正10年(1582)の織田信長による甲州征伐( Wikipedia )において、武田氏滅亡後にこの恵林寺へ逃げ込んだ佐々木次郎(六角義定)の引渡し要求するも寺側が拒否。このため、快川紹喜ら僧侶たちは三門に集められ焼き打ちされました。
安禅不須山水 滅却心頭火自涼
あんぜんかならずしもさんすいをもちいず
しんとうめっきゃくすればひもおのずからすずし
炎上する三門で快川紹喜が発した言葉(偈)は後に広く知られ、再興された現在の三門の両側に扁額として掲げられています。
(写真:恵林寺三門=4月29日午後撮影、640×480拡大可能)
<参考HP>
・ 臨済宗 妙心寺派 乾徳山 恵林寺
http://www.erinji.jp
| 臨済宗 乾徳山 恵林寺 | |
| 恵林寺境内 | |
| 名物の うぐいす廊下 | 武田不動尊・二童子像 |
| 武田信玄墓 | 柳沢吉保夫妻の墓 |
<参考資料> 乾徳山 恵林寺
臨済宗妙心寺派の名刹で、元徳2年(1330)の創建。往古は、鎌倉、円覚寺派で関東準十刹の寺格を有す。元徳2年甲斐牧ノ庄と称した当時地頭職(領主)二階堂出羽守貞藤(道蘊)が、七朝帝師と尊称された夢窓国師を招き自邸を禅院としたのに始まる。戦国時代武田信玄の尊崇を受けた快川(かいせん)和尚の入山で寺勢を高め、永禄7年(1564)信玄自ら寺領寄進し当山を菩提寺と定めた。境内には本堂・庫裡、開山堂、赤門(重文)、三重塔がならび巨刹らしい雰囲気である。
三門に掲げられた快川国師の「安禅不須山水、滅却心頭火自涼(あんぜんかならずしもさんすいをもちいず、しんとうめっきゃくすればひもおのずからすずし)」は有名。また境内の信玄公宝物館には、武田氏関係の貴重な資料を常時公開。
(山梨県甲州市設置の案内板から)
<参考資料>
重要文化財 恵林寺四脚門
丹塗りの門であるところから通称「赤門」とも呼ばれている。切妻造り、檜皮(ひわだ)葺きで、本柱、控柱ともに円柱を用い、柱には粽(ちまき)形が付けられ、柱下には石造礎盤(いしづくりそばん)が置かれている。中通しの本柱は控柱より太く大きく、これを桁行に通した頭貫(かしらぬき)で繋ぎ、その上に台輪を架し大枓(だいと)・枠・肘木・実肘木(さねひじき)を組み、軒先を海老虹梁(えびこうりょう)で繋いでいる。
このような極めて簡単な構架ではあるが、全体に木割りが大きく、その意匠は雄大であり、桃山期の豪放な気風をよく現わしている。
山梨県指定文化財
恵林寺三門 附棟札一枚
構造は、一間一戸、楼門形式、この門を「三門」と称するのは、仏殿前に位置し仏殿を法空・涅槃に擬し、そこへ入る端緒たり三解脱(さんげだつ)すなわち空門(くうもん)・無相門(むそうもん)・無願門(むがんもん)の意による三解脱門の略で、快川国師が織田軍の兵火で焼討ちを受けた折「安禅必ずしも山水を須(もち)いず、心頭滅却すれば火自(ひおのずから)ら涼し」と唱えて火定した場所に建つ。
四本の隅通し柱は、階下が角柱造り、階上部分を円柱造りとする技巧を凝らし、実肘木・板肘木・木鼻などに見られる渦巻状の絵様(えよう)は室町末期から桃山期にかけての名作技法である。小規模ながら総体的に溢れる重厚・荘厳さは、同時代の建築物の中でも逸品とされている。
(甲州市教育委員会設置の案内板から・平成7年)
<参考資料>
乾徳山(けんとくさん)恵林禅寺の沿革
当山は臨済宗妙心寺派往古は鎌倉円覚寺派で関東準十刹の寺格を有す。草創は鎌倉時代末期の元徳二年(西暦一三三〇)当時甲斐牧ノ庄と称した当地地頭職(領主)二階堂出羽守貞藤(道蘊)が、七朝帝師と尊称された夢窓国師を招き自邸を禅院としたのに始まる。
越えて戦国時代、甲斐国主武田信玄の尊崇を受けた快川国師(紹喜)の入山で寺勢を高め、永禄七年(一五六四)信玄は自らの手で寺領寄進と共に当山を菩提寺と定める。天正四年(一五七六)四月武田勝頼は父信玄の三年の秘喪をとき盛大な葬儀を厳修する。同十年(一五八二)三月勝頼は時勢に抗せず天目山下に自刃、甲斐武田氏は滅亡する。同四月三日、織田信長軍の兵火に遭い当山は諸堂宇を灰燼に帰する中で、快川国師は「安禅必ずしも山水を須いず、心頭滅却すれば火自ら涼し」と遺偈従容として火定する。
本能寺の変後、徳川家康の手により旧観に復し、また徳川五代将軍綱吉時代、甲斐国主となった柳沢美濃守吉保、同甲斐守吉里父子の外護で寺運は発展、吉保夫妻の菩提寺ともなる。庭園は鎌倉時代の作庭で国の史跡・名勝に指定されており、甲府八景「恵林晩鐘」に詠まれている。
重要文化財
太刀(銘来国長) 一口 鎌倉時代
短刀(銘備州長船倫光) 一口 南北朝時代
恵林寺四脚門(中門・赤門) 一棟 桃山時代
国指定名勝
恵林寺庭園 鎌倉時代
山梨県指定文化財
夢窓国師坐像 一躯 鎌倉時代
和漢朗詠集 一巻 室町時代
恵林寺文書五点 五点 室町時代
渡唐天神画像 一幅 室町時代
武田晴信の墓 江戸時代
不動明王とニ童子(築) 三枚 室町時代
恵林寺三門 一棟 室町時代
塩山市指定文化財(カッコ内は時代)
鎧不動尊立像・釈尊像・軍配団扇・当世具足一式・食籠輪袈裟・軍神鞍・鎧・孫子の旗・諏訪神号旗・恵林寺大鋸・芦葉達磨図・不動明王図・観音像図・夢窓国師像図・快川国師像図・未宗禅師像図・五大尊十二天像図・面壁達磨像図(以上室町時代)
恵林寺文書八点(室町~桃山時代)
養朴筆隻履達磨像図・探雪筆達磨像図・白隠筆達磨像図・武田信玄軍陣影・武田信玄画・仏□槃図(以上江戸時代)
(甲州市教育委員会設置の案内板から・昭和61年)
<参考資料>
武田不動尊・二童子像
山梨県指定文化財(木造・三躯/室町時代)
信玄生前のお姿を仏法の守護神・不動明王に見立て、京から西佛所職「康清」を招き対面にて摸刻させたという等身大の坐像。
伝承によると、信玄は剃髪した毛髪を膝に混ぜ、自ら坐像の胸部に刷毛で塗りこめたと伝えられている。
<参考資料>
山梨県指定 史跡 武田信玄の墓
武田晴信(信玄)は武田信虎の長男で、大永元年(一五ニ一)の出生。天文十年(一五四一)二十一歳で家督を次ぎ、甲斐国主となる。性格武勇沈着、こよなく家臣団・領民を愛する戦国時代の代表的な武将であった。
元亀四年(天正元年・一五七三)四月十二日、病のため信州・駒場の陣中で五十三歳で没した。その十年前、永禄七年(一五六四)十二月一日、時の恵林寺住持快川和尚に宛てた「恵林寺領之事」の証文の中で、信玄自ら恵林寺を菩提寺と定めていたため、三年間の秘喪の後、天正四年(一五七六)四月に勝頼が施主となって本葬が執行された。「恵林寺殿機山玄公」と諡名される。このときの仏事一切について、快川国師が「天正玄公仏事法語」(県指定文化財」に記録している。
現在の墓は信玄霊廟「明王殿」裏手に位置し、聖域と称される。面積一八四.八平方メートル。ここに全高三四九.六センチの五輪塔一基、全高三六九.六センチの宝篋印塔ともに寛文十二年(一六七二)四月十二日、信玄公百回忌が厳修された際に、恵林寺住持荊山玄紹が武田家の遠孫・旧臣子孫五九二人の浄財を得て建立したものであることが判る。
(山梨県教育委員会・甲州市教育委員会設置の案内板から・平成14年)
<参考資料> 柳沢吉保夫妻の墓
江戸時代中期、徳川五代将軍綱吉の側近で大老格の地位にあった甲府十五万石藩主柳沢美濃守吉保( Wikipedia )と正室定子の墓で、はじめは甲府岩窪の竜華山永慶寺と真光院に建立されていたものであるが、享保九年(一七二四)三月吉保嫡男甲斐守吉里のとき、奈良の大和郡山十五万石に転出がきまり、このため同年四月十ニ日恵林寺へ改葬されたものである。
柳沢吉保は天下太平の世に異例の出世をしており、甲斐国主として優れた業績を残している。また、病弱であった正室定子を常にいたわり、市内に残る文献史料の中にもそれをうかがい知れる史料が現存している。このため、山梨県の歴史の中でも、武田信玄に次ぐ人物として知らしめる必要があるので、市指定の文化財とした。
(甲州市教育委員会設置の案内板から・平成元年)
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