管理人の思いつくまま、気の向くまま、長野県内の町や村の話題を取り上げています。
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| 武田八幡神社(韮崎市) | 甲斐善光寺(甲府市) |
| 東光寺(甲府市) | 景徳院(甲州市) |
5月最終の土曜日、御開帳が開催されている山梨県甲府市の甲斐善光寺と、前回訪ねて際に立ち寄ることができなかった武田八幡神社(韮崎市)・東光寺(甲府市)・景徳院(甲州市)を訪ねました。
武田八幡神社( Wikipedia )は、武田勝頼が築いた新府城の西方にあり、武田家始祖の武田信義が周辺一帯を寄進し氏神とした神社。勝頼滅亡寸前に、夫人が戦勝を祈念した願文が残るなど、武田家にとっては発祥の地であり、また終焉の地ともいえる場所。
東光寺は、蘭渓道隆によって鎌倉時代に再興された臨済宗の禅寺で、武田信玄の長男である義信や、武田信玄の諏訪攻めにおいて、投降した諏訪頼重をここに幽閉し葬られたことで知られています。
そして最後に訪ねたのが、武田勝頼・信勝父子が自害した甲州市にある景徳院( Wikipedia )。織田軍が甲斐へ傾れ込み、新府城を脱した勝頼とその一族は、家臣である小山田信茂が守る岩殿城へ落ち延びるものの、勝沼を過ぎた辺りで小山田氏が謀反。進退窮まった勝頼たちは日川に沿って進むものの、天正10年(1582)3月11日、織田軍の滝川一益がこれを知り約4千の兵をもって包囲。40~50人ほどの家臣が最後の戦い(鳥居畑古戦場)を挑むなか、勝頼と信勝、夫人は自害したと伝えられています。
天目山の戦いについて、歴史の教科書にはさらっと記されている程度で、さらに「田野」という地名から甲府盆地のどこか田園が広がる地域をイメージしていたのですが、実際に訪ねてみると、戦いの場となった景徳院は都市部から離れた山間にあり、笹子峠を抑えられた勝頼一行にとってはまさに追い詰められた…と感じさせるような場所でした。
| 道の駅甲斐大和 オリジナル ざるうらじろ麺 |
今回は午後に長野での予定があったため、あちらこちら訪ねることができませんでしたが、道の駅甲斐大和でおいしいお蕎麦(「ざるうらじろ麺=あの「オヤマボクチ」を練り込んだ蕎麦)を味わうことができましたので、まずまずの収穫だったでしょうか。
観光パンフレットによれば、山梨にはまだまだ見どころがたくさんあるようなので、機会があればまた諏訪の仮住まいから出かけてみようと思っています。
(写真:武田八幡神社・甲斐善光寺・東光寺・景徳院=5月30日撮影、640×480拡大可能)
今週のできごと
※ここでは先週の金曜日から今週木曜日まで、諏訪周辺のできごとを掲載
5月29日(金)
・口永良部島で爆発的噴火(鹿児島県)
・諏訪地域の有効求人倍率1.11倍
※長野県内の有効求人倍率1.24倍
・諏訪中央病院でドクターヘリの発着訓練
(茅野市・諏訪中央病院)
30日(土)
・諏訪市で最高気温30.1度
・小笠原諸島西方沖で地震
諏訪市内で震度3を記録
・八ヶ岳連峰・赤岳で女性がケガ
・諏訪交響楽団第157回定期演奏会
(岡谷市・カノラホール)
・霧ヶ峰高原で開山祭(諏訪市)
・霧ヶ峰滑空場でグライダー墜落(諏訪市)
・武家屋敷「志賀家住宅」見学会(諏訪市)
・御柱祭体感イベント(下諏訪町)
・入笠山開山祭(富士見町・伊那市)
31日(日)
・善光寺御開帳・結願大法要(長野市)
・武居城跡森林公園で石楠花祭り
(諏訪市)
・霧ヶ峰グライダー墜落事故・国交省現地調査
(諏訪市・霧ヶ峰滑空場)
・伝統行事・火とぼし(茅野市豊平・小泉山)
<御柱祭>秋宮一之御柱の元綱用稲の田植え
(下諏訪町西四王・四王藁の会)
※ここで栽培される稲の品種は「セキトリ」
・女声合唱~スワ・セシリアコンサート
(下諏訪町・下諏訪総合文化センター)
6月1日(月)
・諏訪市で最高気温28.3度
・第27回諏訪湖マラソン 受付開始
諏訪湖マラソン → http://suwako.marathon.fm
・「Ckplace ↑(あげ)すわ」オープン
(諏訪市諏訪・市営温泉 精進湯)
※高校生のためのフリースペースを設置
・テナガエビ漁解禁(諏訪市)
2日(火)
<管理人>同僚と宴会
2日付長野日報によれば、今年5月の諏訪の平均気温は平年を2.3度上回る17.3度となり、観測を始めた1945年以降、最も高かったことが長野地方気象台のまとめで分かった、という記事が掲載されていました。5月は晴れの日も多く、暑いなぁ…と感じることが確かに多かったような。最高気温が25度を上回ったのが11日もあり、30日には5月の観測史上最高に並ぶ30。1度もあったとのこと。クールビズがいつもより前倒しで行われたのも頷けます。
晴れが多ければ、心配になるのは降水量。記事によれば、5月は51.5ミリとのことで、これは観測史上2番目に少なかったとのこと。晴れの日が続くことはありがたいですが、農家にとって少雨は深刻問題。そうした影響もあってか、野菜類の値段も上昇しているようですので、せめてこれから始まる梅雨時だけは平均的な降雨になるよう期待したいと思います。
3日(水)
<御柱祭>「子ども木遣り」発足(茅野市泉野)
4日(木)
・諏訪大社上社本宮の重文6棟修復完了
本宮幣殿他5棟保存修理工事竣工清はらい式
(諏訪市・諏訪大社上社本宮)
来週以降のできごと
5日(金)
・環境の日(世界環境デー)
6日(土)
・諏訪市プレミアム商品券発売
・第61回八ヶ岳開山祭・前夜祭
・地球温暖化を考える日2015
(茅野市・茅野市民館)
7日(日)
・第61回八ヶ岳開山祭(正午)
北八ヶ岳会場…北横岳山頂
南八ヶ岳会場…赤岳山頂
21日(日)
・まつり芸能楽「信濃」(茅野市)
伊那を拠点に活躍する歌舞劇団「田楽座」の創立50周年記念公演。茅野市の市民館で午後1時30分から。料金は大人3500円、小中高1500円。
我が家のできごと
30日(土)
包括センターから紹介された介護施設を見学を兼ねて訪問。
伯父の場合は介護4で痴呆もあることから、グループホームに入居するのかと思っていたのですが、身体動作がままならない状況だと対象外になるそうで、伯父の場合には有料老人ホームへの入居となるとのこでした。有料老人ホーム…といわれても、なかなかイメージが湧かないわけですが、応対していただいた職員さんの話では、いわゆる通常のアパートを賃貸(家賃+朝昼晩3食付)し、そこに訪問介護が付く、というシステムになっているということでした。24時間体制で、緊急時には提携の医療施設(開業医)に搬送若しくは往診するそうで、これを希望せずに施設で看取ることもできるようでした。
そうなると、気になる料金は如何ほどになるのか。お話では、有料老人ホームへの入居は月約13万円、そこに訪問介護や希望する場合には洗濯料金が追加されて、概ね16万円ほどになるとのこと。
お話を聞きながら、アタマの電卓でパラッ~と計算すると、月あたりの年金額では先ずは不足。ただ、これまで貯めてきた貯金の額で不足する部分を補てんしていけば、どうにかこうにか大丈夫かな…という結果になりました。
しかし、ここで新たな問題が発生。そう、本人は痴呆だから、銀行に行っても判断能力がないので引き出しができない…わけです。そういう場合はどうしているのかお聞きすると、一般的に「成年後見人制度」を利用し手当てをされているとのことでした。「成年後見人制度」は、裁判所で後見人(司法書士等)を認めてもらい、本人に代わって貯金などの引き出しができる、という制度のようです。
しかし、成年後見人まで登場する事態になるとは…。
老いた時ほど、配偶者と子供の存在は大事だと、お話を聞きながら感じたのでありました。
31日(日)
定例となった伯父の見舞い。
入院からもうじき3ヶ月が経過するものの、病状が安定しないため、場合によっては延長もあり得るとのこと。
<参考資料>
| 長野県以外にもあった! そば切り発祥の地 (山梨県甲州市大和町) |
|
山梨県甲州市にある天目山栖雲寺では、江戸時代、それまで「そばがき」として食べていたものを「麺」という形に仕立て、訪れる人々に振る舞っていたと伝えられおり、「そば切り発祥の地」として知られるようになりました。
「そば切り発祥の地」といえば、元来、長野県塩尻市の中山道にある本山宿と知られていますが、ナント!お隣の甲斐の国にも「そば切り発祥の地」があったというわけですね。
栖雲寺の最寄りの宿場町は甲州街道駒飼宿。本山宿のある中山道とは下諏訪で合流すれば、江戸と京都を結ぶ1本の街道上に存在します。互いに独自に発展したと伝わる「そば切り」技術ですが、もしかしたら、何れかの宿場町へ、街道を行き交う人々によってもたらされたものなのかもしれません。
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| 葛飾北斎画「富嶽三十六景」から「信州諏訪湖」 |
葛飾北斎が描いた「富嶽三十六景」の画像データが著作権フリーで公開、というニュースがツイッターのタイムラインに流れ、早速、提供している会社のサイトを確認しました。画像データを公開しているのは、株式会社マーユさん。
公開されているのは400ピクセルの画像で、公序良俗に反する事や違法性のある使用のみ禁止されているほかは、商用を含め一切の著作権がフリー。
「富嶽三十六景」といえば、「神奈川沖波裏(かながわおきなみうら)が有名ですが、長野県に関わるものといえば、諏訪から望む富士山の姿を描いた「信州諏訪湖」と題した作品がよく知られるところ。岡谷市の釜口水門付近にあったという弁天島から望む富士山を描いたとされ、「諏訪の浮城」といわれた高島城の姿も描かれています。
来年の年賀状に使ってみよう…かな。
<参考HP>
・文化遺産オンライン
http://www.bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/238176
・著作権フリー作品「富嶽三十六景」
(株式会社マーユ)
http://www.21j.jp/freef36/
今週のできごと
※ここでは先週の金曜日から今週木曜日まで、諏訪周辺のできごとを掲載
5月22日(金)
・バラ香るレストラン(茅野市・長野日報記事)
・諏訪地域で「日暈」観測
・45周年記念「おかぽん感謝祭」
(岡谷市・岡谷スタンプ協同組合、31日まで)
・信州松本 食と酒の博覧会2015
(松本市・松本城公園、25日まで)
※企画展「絹とアンティックストッキングの歴史」
(岡谷市・岡谷蚕糸博物館、21日から7月26日まで)
<八面観>
22日付長野日報「八面観」に、駒ヶ根市下平の西駒郷にあった樹齢300年の「唐傘松」と呼ばれたアカマツが樹勢が衰えたことから切り倒されたという記事が掲載されていました。大田切川が天竜川に流れ込むこの地域は、氾濫などの被害が大きく、川沿いにアカマツを植えて自然災害から生活を守ったとされ、地元では「川除林(かわよけばやし」とも呼ばれいたそうです。上伊那に勤務していた頃、駒ヶ根市内でアカマツを見る機会が多くありましたが、こうした歴史があったとは知りませんでした。
23日(土)
・並木DEコンサート(諏訪市)
・やまぶき祭り(諏訪市・諏訪大社上社本宮)
・第44回鏡湖開き(茅野市宮川)
・神田(じんでん)で田植え祭り(茅野市中沢)
・原村プレミアム付商品券発売(原村)
24日(日)
・第46回高島城祭(諏訪市)
・イベント「そと呑み!」(諏訪市)
公式HP → http://sotonomi.com
・第1回クリーンフェスティバル at 白樺湖
(茅野市・ホープロッジ乗馬牧場)
・子どもミュージカル「あたたかい心」
(茅野市・市民館マルチホール)
・講演会
木造社殿の造替え~江戸時代の諏訪上社を中心に
(茅野市・八ヶ岳総合博物館、午後1時30分)
・婚活イベント「湖畔ウォーク」(下諏訪町)
・講演会
八ヶ岳山麓の建築様式とこて絵
(原村・八ヶ岳美術館)
25日(月)
長野県中南信(震源地:埼玉県北部)で地震
※諏訪市・茅野市などで震度2
・プレミアム商品券事前受付開始(岡谷市)
26日(火)
<御柱祭>上社御柱祭誘客促進協議会 設立総会
(茅野市)
27日(水)
・諏訪で最高気温29.6度
・諏訪二葉高校で不審火(諏訪市)
・南諏衛生センター近くで熊目撃(富士見町)
28日(木)
・カーネーションの出荷
(富士見町・長野日報記事)
・諏訪法人会通常総会
講演会「私の役者人生~笹野高史氏」
(諏訪市・RAKO華乃井ホテル)
・「御田町サイクルステーション」オープン
(下諏訪町)
来週以降のできごと
5月30日(土)
・諏訪交響楽団第157回定期演奏会
(岡谷市・カノラホール)
・御柱祭体感イベント(下諏訪町)
31日(日)
・武居城跡森林公園で石楠花祭り
(諏訪市)
・女声合唱~スワ・セシリアコンサート
(下諏訪町・下諏訪総合文化センター)
6月1日(月)
・第27回諏訪湖マラソン 受付開始
諏訪湖マラソン → http://suwako.marathon.fm
6日(土)
・地球温暖化を考える日2015
(茅野市・茅野市民館)
21日(日)
・まつり芸能楽「信濃」(茅野市)
伊那を拠点に活躍する歌舞劇団「田楽座」の創立50周年記念公演。茅野市の市民館で午後1時30分から。料金は大人3500円、小中高1500円。
我が家のできごと
23日(土)
定例となった伯父の見舞い。
入院費用の支払いと介護保険の写しを病院へ提出。
入院から3ヶ月が経過することから、退院する場合に備えて、包括センターで紹介された有料老人ホームへの入居を本格的に検討することに。
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| 新府城 想定復元図 |
天正10年(1582)3月、木曾義昌の謀反及び高遠城の落城により、勝頼は小山田信茂の岩殿城に移るため、完成したばかりの新府城に火を放ち撤退。
同年6月、本能寺の変の後に起きた武田旧領を巡る徳川氏と北条氏との争い(天正壬午の乱)において、甲斐へ軍を進める北条氏に対し、徳川家康が新府城に本陣を移し実戦に備える動きもありましたが、徳川氏と北条氏の和睦の後は実戦に利用された記録はなく、豊臣秀吉の小田原征伐による北条氏の滅亡後は廃城になったと伝えられています。
(写真:新府城跡=4月29日午前撮影、640×480拡大可能)
<管理人ひとこと>
新府城は、武田家の支配下にあった甲斐(山梨県)・信濃(長野県)の各地で見られる甲州流築城術が集約された代表的な城郭で、現在は草木が繁る遺構の至るところにその特徴を見ることができます。
<今回の見学順路>
北:専用駐車場→東出構→西出構→
西~東:搦手→井戸跡→二の丸→本丸→
南:大手桝形→丸馬出→三日月堀→首洗池→旧甲州街道→専用駐車場
※遺構の説明については案内板を参考
<参考HP>
・ 韮崎市観光協会
http://www.nirasaki-kankou.jp/
| 新府城跡(北) | |
| 東出構 | 西出構 |
| 出構の位置(案内図) | 西堀 |
<参考資料> 新府城跡出構
出構(でがまえ)は城の外郭の一部を長方形に堀の中へ突出させた大型の土盛構造である。東西に約百メートルへだてて平行に二本(東出構・西出構)が築かれている。城の裾に沿って彫られた堀は幅約七メートル、深さ約二.五メートルの断面逆台形をした箱堀で、その外側には湿地帯が広がり、深い堀と湿地帯を含め防御施設となっている。出構は新府城跡のみにみられる施設で、鉄砲陣地とも堀の水位を調整するためのダム的な施設ともいわれるが、その機能は解明されていない。
(韮崎市教育委員会設置の案内板から・平成26年)
<参考資料>
天正9年に武田氏の党首武田勝頼が新たに府中の中核として築造した新府城は、韮崎市を貫通する釜無川と塩川の2大河川の開削によって形作られた七里岩(しちりいわ)台地上にあり、その西崖を活かした要害の地に築城されている。
主郭(本丸)からは、富士山・甲府盆地・八ヶ岳が一望でき、諏訪・佐久・駿河等への交通網を掌握しやすい立地にある。また、本城の北側には能見城があり、北の守りの要となっている。釜無川をはさんだ対岸には、甲斐武田氏の初代にあたる武田信義が治めた地域が広がり、その歴史を示す願成(がんしょう)寺の木造阿弥陀如来及び両脇侍像(りょうわきじぞう)、武田八幡宮、白山城跡や武田信義館跡などの文化遺産が点在している。新府城を中心とした新たな府中の様子は未解明な点が多いが、家臣団の屋敷位置に描かれた絵図の存在や屋敷地の伝承を持つ土塁跡などの遺跡が確認されている。新府城跡とその周辺には、本城が交通・軍事・政治・経済などの様々な条件のもとに築造された経緯を知り得る良好な歴史的景観が保たれている。
能見(のうけん)城跡
| 能見城址 |
隠岐殿(おきどの)遺跡
戦国時代の終わり頃に築造された礎石建物跡や様々な道具が発見された遺跡である。新府城と深い関わりがあると考えられる。
新府城跡の位置づけ
新府城跡の本丸と二の丸の空間構成は、武田氏館(躑躅ヶ崎館)跡の方形の堀と土塁で囲まれた主郭と西曲輪の配置に類似した形態をなしており、新府城は武田氏の守護館を踏襲して造営されたと考えられる。当時の文献史料においても、「新御館」「新館」「御館韮崎」「館」と記されており、軍事的施設という認識以上に、館を意識した城郭であったことが窺える。
館は領国支配の中心的な役割を果たし、政権を執行するための重要かつ公的な場所である。新府城は、単に軍事的目的のためだけに築城されたものではなく、甲斐を中心に信濃・駿河・遠江(とおとうみ)・三河・西上野(にしこうずけ)・美濃・飛騨に広がる武田領国を統治する政庁=館としてつくられたものである。
(文化庁・山梨県教育委員会・韮崎市教育委員会設置の案内板から・平成24年)
<参考資料> 新府城跡北側の堀
新府城跡の北側山裾には外側に向かって帯廓・土塁・出構・堀などの諸施設が設けられているが、西堀(水堀)意外の堀跡は、周辺の湧水を水源とした水田が開かれるなど、廃城後の土地利用による改変で旧状は不明であった。
環境整備事業にともなう発掘調査により、中堀では、山際から埋もれていた深い堀跡が確認された。この発見された堀は、断面が逆台形状となる箱掘(はこぼり)と推定され、西堀の東端から始まり、堀幅は6~7m、深さは2.5m前後で、西出構の手前で閉じている。また堀の北側には堀と平行する低い土手状の高まりが見られる。堀は直線ではなく2箇所に折れ(※堀・土塁などを屈曲あるいは折り曲げた構造で、側面から敵への攻撃を可能にする。「横矢」ともいう。)をもった構造で、城側の土塁も同じ箇所で折れをもつ。この堀は、西出構の東側と東出構の西側の両方で閉じている。東出構の東側では深い堀は確認できていない。今回の調査によって、築城時には中堀・東堀の山際は幅約6~7m、深さ2.5mの深い堀と、その北側は幅30m前後の湿地帯がセットになって城の北側を防御していたことが明らかとなった。そのため整備では深い堀跡と浅い湿地帯の形状を復元し、新府城の使用時の状況を伝えることを主眼とした。西堀(水堀)は、発掘調査を実施せずに現状のまま樹木の間伐と植栽などの修景を行った。
(文化庁・山梨県教育委員会・韮崎市教育委員会設置の案内板から・平成23年)
| 新府城跡(西~東) | |
| 搦手・桝形虎口 | |
| 擂鉢状の井戸跡 | 二の丸 |
| 蔀(しとみ)の構 | 本丸:武田勝頼公霊社 |
<参考資料> 新府城跡
新府城は、天正9(1581)年に武田勝頼によって築城された。城は未完成であったが、同年の9月頃には友好諸国に築城が報じられ、12月24日に躑躅ヶ崎館(武田氏館跡 山梨県甲府市)からの移転が行われた。しかし、天正10年3月3日、勝頼は織田軍侵攻を目前にして自ら城に火を放ち退却し、3月11日に田野(山梨県甲州市)において、夫人と息子信勝ともに自害し、武田氏は滅亡した。その後、同年に徳川氏と北条氏による甲斐国争奪をめぐる天正壬午の戦いがおこり、徳川家康は新府城を本陣として再利用した。
新府城が立地する七里岩(しちりいわ)は、八ヶ岳の山体崩壊にともなう岩屑流が、西と東側を流れる釜無川と塩川の侵食によって形成された台地で、西側の断崖絶壁は韮崎から長野県の蔦木(諏訪郡富士見町)まで約30km続き、奇観を呈している。台地上には、100を越す「流れ山」と呼ばれる小高い丘・小山があり、新府城は七里岩台地南端の標高約524mの「西の森」と呼ばれた小山に築かれ、西側は釜無川をのぞむ急崖となっている。
城の土の切り盛りによって造成が行われ、山頂の本丸を中心に、西に二の丸、南に西三の丸・東三の丸の大きな廓が配され、北から東にかけての山裾には堀と土塁で防御された帯廓がめぐり、南端には大手桝形・丸馬出・三日月堀、北西端には搦手(からめて)があり、全山にわたって諸施設が配置されている。搦手の廓は東西100m、南北25mの東西方向に細長い長方形をしており北側には水堀と土塁、東から南側にかけては空堀、西側は比高差90m程の七里岩の断崖となっている。城の北西隅につくられている乾門は、西側は七里岩の崖、東側が水堀でこの間を土橋でわたる構造で、大手と同様に内側が大きく、外側が小さい土塁によって囲まれたやや変則的な門の桝形虎口で、桝形内部空間は東西約13m、南北約12mの広さがあり、外側門(一の門)は北西角、内側門(二の門)は南東隅寄りに設けられている。
(文化庁・山梨県教育委員会・韮崎市教育委員会設置の案内板から・平成19年)
<参考資料> 井戸跡
本遺構は、調査前の上端の直径が32mある擂鉢状の大きな窪地で、発掘では現状の地表面から4mの深さになっても底に到達しなかった。七里岩台地の堅い地盤を堀りくぼめ、浸み出した水や雨水を集める構造であったと思われる。井戸底まで螺旋状の通路が設けられる巻巻(まいまい)井戸の可能性もあったが、その遺構を確認できていない。整備では、検出した井戸内側斜面を保護するため植栽(リュウノヒゲ等)し、見学通路として井戸の中に至る戒壇を北側に設けた。
なお、北西100mの帯廓にも井戸跡とみられる同様の形状の窪地がある。
(文化庁・山梨県教育委員会・韮崎市教育委員会設置の案内板から・平成23年)
<参考資料> 史跡 新府城跡
新府城は武田勝頼によって天正九年(一五八一年)二月に築城着手され、その完成したのは同年十二月であった。それまで甲府躑躅崎の館城になった勝頼は四囲の情勢から考えてこの天険を利用する以外に方策がなかったのである。しかし時すでに遅く天正十年三月三日織田軍の侵攻を前に自ら城を焼いて東方、郡内領岩殿城を指して落ちた悲劇の城跡である。本郭は南北六〇〇米、東西五五丸米、外堀の水準と本丸の標高差八〇米、型式は平山城で、石垣は用いない。最高所は本丸で、東西九〇米、南北一二〇米、本丸の西に「シトミの構え」を隔てて二之丸があり大手に続く。堀は北西から北、北東へ巡り、北方の高地からの敵襲に備えて、十字砲火を浴びせるための堅固な二ヶ所の「出構え」が築かれている。「シトミの構え」、「出構え」は新府城の特色で防御のために工夫されたもので特に「出構え」が鉄砲のような新鋭兵器を持って敵の攻撃に対抗するために工夫された構えといわれている。
武田氏の系図
甲斐源氏の祖、源義光の第三子義清は市河荘司として甲斐に土着した。その子清光は八ヶ岳山麓の大八幡・熱那・多摩の三荘を掌握し、逸見一帯を甲斐源氏の本拠とした。その子太郎信義は武田の荘(韮崎市神山町武田)にあって、初めて武田を名乗り、武田の氏祖となる。
清和天皇-貞純親王-源経基-満仲-頼信-頼義-(義家・義光)
義家(八幡太郎)
義光(新羅三郎)-義清-清光-信義(武田の氏祖)-信光-信政-信時-時綱-信宗-信武-(信成・氏信)
信成(甲斐源氏)-信春-信満-信重-信守-信昌-信縄-信虎-
氏信(安芸源氏)
晴信(信玄)-勝頼-信勝
天正十年三月(一五八二)、信玄の第四子武田勝頼、信勝の父子は天目山に滝川一益と戦い、父子自殺し武田の歴史が終わる。
(案内板から)
<参考資料> 史跡 新府城跡
新府城は、天正十年三月織田軍の侵攻を前に、武田勝頼が自ら火を放って東方郡内領岩殿城を指して落ちていった武田氏滅亡の歴史を伝える悲劇の城跡である。
本城は南北六〇〇メートル、東西五五〇メートル、外堀の水準と本丸の標高差八〇メートル。型式は平山城で、近世城郭のような石垣は用いず、高さ約二・五メートルの土塁を巡らしている。
最高所は本丸で、東西九〇メートル、南北一二〇メートル、本丸の西に蔀の構えを隔てて二の丸があり馬出しに続く。本丸の東に稲荷曲輪(いなりくるわ)、二の丸を北方に下れば横矢掛りの防塁があり、その外側に堀を巡らしている。堀は北西から北、北東へと巡り、北方の高地からの敵襲に備えて十字砲火を浴びせるための堅固な二ヶ所の出構が築かれている。三の丸の南方には大手が開け望楼があり、三日月形の堀とその外側に馬出しの土塁が設けてある。本丸と東西三の丸、三の丸と大手等の間には、帯曲輪、腰曲輪がある。搦手にも望楼がある、蔀の構、出構は新府城の特色で防御のために工夫されたもので、特に出構は鉄砲のような新鋭兵器を持って敵の攻撃に対抗するために工夫された構えといわれている。
(文化庁・山梨県教育委員会・韮崎市教育委員会設置の案内板から・昭和60年)
<参考資料> 石祠・武田勝頼公霊社
勝頼公霊社は、武田氏滅亡後当地方民が国主の恩徳を追慕し新府城守護神・藤武神社の北西の地を相して石祠を建立し、勝頼公の心霊を納め之を祀り勝頼神社と称し 毎年卒去の当日は慰霊祭を執り行い「お新府さん」と呼び藤武神社とともに地元民から親しまれてきた。
勝頼神社建立の時期は、貞享、元禄(一六八四年)の頃と言い伝えられている。
(新府藤武神社氏子総代設置の案内板から)
| 新府城跡(南) | |
| 南大手門桝形虎口跡 | |
| 大手門虎口跡 | 三日月堀跡 |
<参考資料> 国史跡 新府城跡
新府城は、正式には新府中韮崎城といい、天正九年(一五八一)春、武田勝頼が甲斐府中ろして、城地を七里岩南端韮崎の要害に相し、武将真田昌幸に命じて築かせた平山城である。勝頼がこの地に築城を決意したのは、織田信長の甲斐侵攻に備え、韮崎に広大な新式の城郭を構えて府中を移し、これに拠って強敵を撃退し、退勢の挽回を期した結果であろう。築城工事は昼夜兼行で行われ、着工後八ヶ月余りで竣工した。ついで城下町も整ったので、新府韮崎城と名づけ、同年十二月、甲府からここに移り、新体制を布いたのであった。しかし戦局は日に悪化して翌年三月、勝頼は織田軍の侵入を待たず、みずからこの城に火を放って退去するのやむなきに至り、天目山田野の里に滅亡の日を迎えたのであった。廃墟と化したこの城も、同年六月本能寺の変で織田信長が亡び、徳川・北条両氏が甲州の覇権を争うと、家康はこの城跡を修復して本陣とし、われに五倍する兵を率いて若神子に布陣する北条氏直を翻弄して有利に導き名城新府の真価を発揮したのである。この城は八ヶ岳火山の泥流による七里岩の上にあり、その地形をよく生かして築かれたその城地の特色は城外から俯瞰されないことで縄張りの特徴は北方に東西二基の出構を築き、鉄砲陣地とした点で、従来の城郭は、頂上の本丸を中心に西に二の丸、南の三の丸、大手、三日月堀、馬出、北に出構、搦手口、東に稲荷曲輪、帯曲輪があり北から東に堀が繞らされている。史跡指定区域は約二〇ヘクタールに及ぶ広大なものであるが、この外側には部将らに屋敷跡と伝えられる遺構・遺跡が散在している。
(文化庁・山梨県教育委員会・韮崎市・韮崎市教育委員会・韮崎市観光協会設置の案内板から・昭和59年)
能見城と周辺について
<参考資料>
守屋一族発祥の地
往時此ノ附近ハ武田信玄之家臣守屋親兵衛尉定知ノ守護シ来リシ地域也
此ノ風光明媚ナル勝地ハ萬民等シク賞嘆シ垂涎措ク能ハサリシ處咬龍ハ永ク池中ノ者タラス茲ニ特機到来シ萬民ノ福祉高揚ノ為吾等氏子相謀テ神域開放ノ擧ニ贊スルニ至ル
希ハ神霊此挙ヲ嘉納シ守護神トシテ本土ノ繁栄ニ未来永劫ニ神徳灼方ニ萬劫ノ鎮護ノ御手ヲ垂レ給フコトヲ茲ニ能見城氏神域変革ノ経緯ヲ記シ本碑ヲ建立ス
(氏代表 守屋逸男氏による碑文から・昭和卅五年)
<参考資料>
中世の豪族 穴山氏紹介
武田氏と穴山氏の系図
清和天皇-貞純親王-源経基-満仲-頼信-頼義-(義家・義光)
義家(八幡太郎)
義光(新羅三郎)-義清-清光-信義(武田の氏祖)-信光-信政-信時-時綱-信宗-信武-(信成・氏信・義武)
<武田家>信成(甲斐源氏)-信春-信満-信重-信守-信昌-信縄-信虎-晴信(信玄)-勝頼-信勝
氏信(安芸源氏)
<穴山家>義武(1代)-満春(2代・武田家13代信満と兄弟)-信介(3代・武田家15代信守と兄弟)-信懸(4代)-信綱(5代)-信友(6代)-信君(7代梅雪・信友と晴信の姉である南松院との子供)-勝千代(8代・梅雪と晴信の娘である見性院の子供)
※穴山信君(梅雪)は武田晴信(信玄)の甥、勝頼とは従兄弟の関係
系図解説
穴山氏初代、二代は穴山に居館を置き峡北地方一帯に版図を拡大す。
三代から河内(南巨摩郡)に移る。六代信友の妻は、晴信(武田信玄)の姉、七代信君(穴山梅雪)の妻は、晴信の娘で、武田氏と婚姻関係にあり、本姓 武田、在名 穴山と称す。
穴山氏の史蹟
居館(穴山氏の宅地)
甲斐国誌に「次第 窪、重久ノ間、敷場ト言処ニ東西四町、南北三町ノ地」
氏神(若宮八幡 源氏の守神)
甲斐国誌に「穴山村重久組ニアリ 除地百三拾ニ坪、旅所、桟敷ノ地名アリ」
穴山氏の墓(穴山町久保区)
大竜山 満福寺の境内にあり、昭和五十四年 韮崎市より文化財に指定
詰城
記録には明らかでないが能見城と言われている。
(ふる里創生事業実行委員会設置の案内板から・平成5年)
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| 関善光寺 | 岐阜善光寺 |
| 祖父江 善光寺東海別院 | 美濃加茂SA周辺地図 |
16日、長野の善光寺と同時に開催されている関善光寺(岐阜県関市)・岐阜善光寺(岐阜県岐阜市)・祖父江 善光寺東海別院(愛知県稲沢市)の御開帳に出かけてきました。
この日の諏訪市内は前夜から雨降りという状況で、朝になっても厚い雲に覆われ、出かけるには躊躇したのですが、雨雲レーダーや天気予報によれば午後からは晴れるとのこと。朝8時に諏訪市内の仮住まいを出発し、中央自動車道・東海環状自動車道を通り、先ずは関善光寺へ。それから岐阜善光寺、善光寺東海別院の順で参詣し、最寄りの尾張一宮ICから長野へ一直線。大きな渋滞もなく、幸いにも眠くなることもなかったため、ひたすら高速道路を走り、長野の自宅には午後8時頃戻ることができました。
関東方面にも、中京・関西方面にも出かけられる諏訪に居ればこそ、できるドライブだったように思います。
今週のできごと
※ここでは先週の金曜日から今週木曜日まで、諏訪周辺のできごとを掲載
5月15日(金)
・アマチュアきき酒選手権・諏訪地区予選会
(諏訪市・諏訪酒造協会)
16日(土)
・御田植祭(諏訪市・手長神社)
・「琵琶語りを楽しむ 平家物語」
(諏訪市岡村・地蔵院)
・講座「上社をよく知ろう 前宮編」(茅野市)
・諏訪東部漁協で着服事件(茅野市)
<管理人>関・岐阜・祖父江の3善光寺めぐりへ
17日(日)
・第35回花まつり(岡谷市・成田山蓮華不動院)
・着物 DE 寺町・酒造めぐり(諏訪市)
・イベント「鎌倉道を歩いてみよう」(茅野市)
18日(月)
<花便り>水面に映えるツツジ~岡谷市常現寺沢
(岡谷市・長野日報記事)
・富士見メガソーラー株式会社、黒字決算へ
19日(火)
・「東西茅野林野酉の倉」竣工式(茅野市)
<御柱祭>春宮三之御柱の本見立て(下諏訪町)
<管理人>体調を崩し、熱が37.4度へ(
20日(水)
・諏訪地区観光客安全対策推進会議
(諏訪市・県諏訪合同庁舎)
・国指定重要文化財の土偶、展示公開へ
(富士見町・井戸尻考古館)
<管理人>熱が37度前半(
21日(木)
・満ち溢れるアイリス
(岡谷市湖畔ジョギングロード・長野日報記事)
・第62回日本シルク学会(岡谷市、22日まで)
<管理人>ようやく平熱へ
来週以降のできごと
5月22日(金)
・信州松本 食と酒の博覧会2015
(松本市・松本城公園、25日まで)
23日(土)
・やまぶき祭り(諏訪市・諏訪大社上社本宮)
・原村プレミアム付商品券発売(原村)
24日(日)
・第46回高島城祭(諏訪市)
・イベント「そと呑み!」(諏訪市)
公式HP → http://sotonomi.com
・子どもミュージカル「あたたかい心」
(茅野市・市民館マルチホール)
・婚活イベント「湖畔ウォーク」(下諏訪町)
30日(土)
・諏訪交響楽団第157回定期演奏会
(岡谷市・カノラホール)
31日(日)
・女声合唱~スワ・セシリアコンサート
(下諏訪町・下諏訪総合文化センター)
6月1日(月)
・第27回諏訪湖マラソン 受付開始
諏訪湖マラソン → http://suwako.marathon.fm
6日(土)
・地球温暖化を考える日2015
(茅野市・茅野市民館)
21日(日)
・まつり芸能楽「信濃」(茅野市)
伊那を拠点に活躍する歌舞劇団「田楽座」の創立50周年記念公演。茅野市の市民館で午後1時30分から。料金は大人3500円、小中高1500円。
我が家のできごと
17日(日)
定例となった伯父の見舞い。
我が家にはもうひとりマダラボケの年寄り(父親・介護2)がいるのですが、毎週訪ねるたびに感じるのは、伯父の痴呆のほうが、我が親よりも急速に進行していること。緊急入院した頃はまだまだ会話もできたものの、わずか3カ月程度に判断がこれほど判断能力が減退するとは努々思いもしないことでした。ヘンなところで意固地になり、担当する看護師さんのお話も聞かず、殻に閉じこもってしまったことが、どうやらることから、痴呆を進行させる原因になったのかもしれません。これまで手を焼いていたオヤジよりも、始末に負えないなぁ…というのが正直な感想だったりしています。
22日(金)
オヤジさま、ショートスティへ。
伯父の介護認定が決定。
予想していた以上に酷く、「介護4」認定へ。
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愛知県稲沢市祖父江にある善光寺東海別院(地図)では、4月5日から5月31日まで、御本尊の一光三尊阿弥陀如来像の前に立つ前立本尊の御開帳が行われています。
祖父江は、天正10年(1582)、織田信長の次男・織田信雄( Wikipedia )により善光寺如来が岐阜城下から尾張国(現:愛知県あま市)の甚目寺にお移りになる際に立ち寄られた地と伝えられています。
善光寺東海別院( Wikipedia )は、明治42年(1909)・43年(1910)、当時は蓮田だった境内地に1本の茎から2つの花が咲く(双蓮頭)という奇瑞(きずい=めでたいことの前兆として起こる不思議な現象)があり、これが縁となって、開基・旭住(きょくじゅう)上人が信州善光寺本坊大本願より善光寺如来を勧請して創立(山号:双蓮山、寺号:善光寺)されました。境内では、6月下旬から8月まで数種類の蓮を楽しむことができ、「蓮寺」としても知られています。
(写真:善光寺東海別院=16日午後撮影、640×480拡大可能)
平成27年度 祖父江 善光寺東海別院御開帳
4月5日 開闢大法要
5月8日 中日大法要
5月31日 結願大法要
<参考HP>
・ 祖父江 善光寺東海別院
http://www.zenkoji.com/
・ 全国善光寺会(中部地域)
http://www.zenkojikai.com/
・ 六善光寺同時御開帳
http://www.gokaicho.net/
| 平成27年度 祖父江 善光寺東海別院 御開帳 | |
| 祖父江 善光寺東海別院 御開帳パンフ | |
<ドライブメモ>
| 東海環状自動車道 ハイウェイオアシス 美濃加茂SA |
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