管理人の思いつくまま、気の向くまま、長野県内の町や村の話題を取り上げています。
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| 購入した電気ストーブ |
冷え込みも厳しく、氷点下5度程度は全く普通で、寒い時には10度以下にもなるとのこと。ひとたび降雪があれば、翌朝は路面もスケートリング状態となります。
仮住まいはワンルームマンションの形態で、オール電化。したがって、暖房はエアコンのみ。長野の自宅や松本・伊那の仮住まいでは、ファンヒーターを当たり前のように使っていたことから、こんなので大丈夫なのかよ~と、初日からクラ~イ気持ちになってしまいました。
しかし、これだけの寒さは如何ともし難い。多少の電気代も仕方ない…という結論に至り、翌日、早速量販店にてコンパクト電気ストーブを購入。
背中を丸めて暖まるひろさくの姿は、おそらく「マッチ売りの少女」のような状況かもしれませんが、使ってみると有ると無いとではホントに大違い。
このコンパクト電気ストーブ、ひろさくには今冬のイチバンのお友だちになりそうです。
<参考HP>
・ 諏訪市ホームページ
http://www.city.suwa.lg.jp/
・ 諏訪市観光ガイド
http://www.suwakanko.jp/
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国の文化審議会は16日、南佐久郡小海町親沢地区(地図)に江戸時代から伝わる「人形三番叟」を、記録作成の措置を講ずべき無形の民俗文化財として選択するよう文化庁長官に答申しました。
(写真:親沢の人形三番叟=平成20年4月6日撮影、640×480拡大可能)
<参考HP>
・ 小海町ホームページ
http://www.koumi-town.jp/
・ 線翔庵
http://senshoan.main.jp/
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長野市松代町御安町にある堀内文治郎( Wikipedia )生誕の地(地図)。
西洋のスキー技術を日本ではじめて普及させました。
(写真:堀内文治郎生誕の地=3日午前撮影、640×480拡大可能)
<参考HP>
・ 新潟県のスキー情報サイト
新潟スノーファンクラブ(レルヒさん)
http://www.niigata-snow.jp/
・ 近代デジタルライブラリー
信水堀内文治郎将軍を悼む
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1043436
<参考資料>
松代藩士堀内荘作の次男として生まれ、陸軍士官学校を首席で卒業、同校教官・台湾総督府副官・大本営陸軍部副官等を歴任。高田連隊長時代の明治四十四年(一九一一)、陸軍省の指示でオーストリア軍人テオドル・レルヒ少佐( Wikipedia )からスキー技術を学び、日本中に普及させた。
文久三年(一八六三)~昭和十七年(一九四二)
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長野市松代町西条の県立松代高等学校北側にある塚(地図)。
(写真:紅梅観音塚=3日午前撮影、640×480拡大可能)
<参考資料> 松代の民話
「お安と梅の観音」~観音堂をつくってわが子の供養~
尼飾城の城主尼御前の一人娘お安は、善光寺まいりに来た源頼朝に見初められ、鎌倉の地で寵愛されましたが、まもなく子を宿し政子の怒りを受けて、紅梅と守り本尊を持って松代にもどりました。運悪く宿した子は亡くなってしまい、お安は、悲しさのあまり、この地に紅梅を植え、観音堂をつくって守り本尊をまつり、わが子の供養をしつづけたと伝えられています。町の人たちは、この地を埋めの観音塚と呼び、守り本尊を梅の観音(像)と言いました。この観音(像)は、現在篠ノ井の作見公民館で大切に保存されています。
(松代地区市制百周年記念事業実行委員会設置の案内板から)
<参考資料> 史跡 紅梅観音塚
伝承によれば、源氏の棟梁源頼朝は、木曽義仲との不和により大軍で義仲攻略のため鎌倉から信濃善光寺へ出向する。
当寺、東条(ひがしじょう)にはこの地方一帯を領し、家人や民をわが子のように慈しむ尼将軍(尼巌(あまかざり)城主)がおり、頼朝が善光寺にきたことを聞き、面接帰順し、その領地の安堵を願い、二心がない証に、尼将軍は息女お安を人質として差し出した。頼朝はこれを許し、お安を伴い鎌倉に帰る。
お安は世に類ない美女で立派な人柄を具えており、頼朝から寵愛される。その名を御安御前(おやすごぜん)と呼ばれ、良い評判となっていた。たまたま頼朝の子を宿したが、頼朝の正室政子を恐れ郷里での出産を嘆願、頼朝もこれを許し、部下七騎を護衛につけ鎌倉から帰郷させた。東条七騎と称し、その子孫末裔は現存する。御安御前は海津の東南に居を構えて居住し、現在この一帯は松代町御安町と称し、近くに御安御前が愛用した名水「お化粧の和泉」が昔の面影を伝えて現存する。御安御前は梅を愛し、鎌倉より紅梅二鉢を持参、一鉢は宿した子の安産を祈り皆神山の神前に植樹するが、出産の子「お梅の前」は早世し、法名梅津院と称した。御安御前嘆き悲しむもせんかたない、建久五年甲寅八月(一一九四年)わが子の菩提を弔い、この岡に葬り塚を構成し堂を建立し、観世音を安置して、お堂の前には鎌倉から持参した他の一鉢の紅梅を植え、紅梅観音と称して供養する。
そのお堂は明治初年の廃仏毀釈令でついに明治十一年(一八七八年)廃堂となり、文政十年(一八二七年)再建の東向き舞台造りのお堂は、現在象山東麓の竹山稲荷神社に移り、また本尊の千手観音座像は篠ノ井川柳作見公民館に転じて区民有志相集い毎月供養祭が行われている。
なお、塚上には皆神石を用いた幾つかの貴重な墓石のほか、紅梅観音開基について江戸時代に建立した石碑が存在するが、その一基の碑銘について左に記す。
當山開基 玉願院殿梅芳薫喜壽慶大禅定尼、寛喜三年辛卯三月二十五日(一二三一年)
左側面 紅梅山中興第十世源泉法師(法印) 発願 松代町鏡屋町三田名左衛門
右側面 文政十三年庚寅年(一八三〇年) 三月吉辰再建
前記の寛喜三年は御安御前が死去した年と考えられ、当山とは紅梅観音のことである。また、紅梅山とは紅梅観音の世話をする鏡屋町に存在した別当御安寺であるが現在は廃寺となっている。
なお、御安御前は東条般若寺にある両親の東条氏廟所の傍に葬られているという。
ここ紅梅観音塚史跡は、現在西条北組老人クラブにより草払い清掃が行われ、堂前に植えた紅梅は、鎌倉時代からの長い歳月を経るも基は枯れたが、また新梢出て未だに春来りなば見事満開になり、訪れる人を待つが如し。
看板建立
昭和五十四年九月吉日(一九七九年)
長野市松代町西条北組老人クラブ
看板改修
平成二十二年二月吉日(二〇一〇年)
長野市松代町西条北組老人クラブ
長野県立松代高等学校・同窓会
長野市松代地区住民自治協議会教育文化部会
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長野市松代町にある長岡助治郎生誕の地(地図)。
松代雅楽や松代大門踊りを復活させました。
(写真:長岡助治郎生誕の地=3日午前撮影、640×480拡大可能)
<参考HP>
・ もっと!長野市
http://nagano-citypromotion.com/
・ 線翔庵
http://senshoan.main.jp/
<参考資料>
明治二十八年(一八九五)、松代雅楽の育成者宮嶋春松と出会い同雅楽の再興を誓う。大正六年(一九一七)、小学校新築のための旧文武学校取り壊し案を撤回させ、史跡として保存。大門踊りの復興、松代城模型作成など松代の文化保持興隆に心血を注いだ。
明治四年(一八七一)~昭和十四年(一九三九)
(案内板から)
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