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111123_1258_華蔵寺(愛知県西尾市吉良町) 111123_1250_華蔵寺(愛知県西尾市吉良町)
臨済宗 片岡山 華蔵寺
111123_1252_華蔵寺(愛知県西尾市吉良町) 111123_1245_華蔵寺(愛知県西尾市吉良町)
吉良家墓所 吉良義央の墓(右)
111123_1314_星野勘左衛門碑(愛知県西尾市吉良町) 111123_1323_清水一学の墓(愛知県西尾市吉良町)
星野勘左衛門生誕地 剣客・清水一学の墓

元禄15年12月14日(1703年1月30日)深夜、大石良雄以下赤穂浪士47名が江戸本所の吉良屋敷に討ち入り、主君浅野長矩(内匠頭)の仇を討ったことで知られる元禄赤穂事件( Wikipedia )。
討たれた高家旗本・吉良上野介義央が所領として治めていたのが、現在の愛知県西尾市吉良町(三河国幡豆郡)。歌舞伎や浄瑠璃などの題材として知られる「仮名手本忠臣蔵」では「悪役」として演じられることが多い義央ですが、「黄金堤」( Wikipedia )の築堤や、領内を赤馬に乗って視察を行ったことに因む「赤馬」と呼ばれる郷土玩具が今も地元に残るなど、一般的な評価と異なり、「名君」として多くの人たちに慕われていることは事実のようです。
吉良家菩提寺である臨済宗 片岡山 華蔵寺(地図)には、吉良義安(三河吉良家13代)から、元禄赤穂事件により改易され、幽閉先の信州諏訪・高島城で若くして亡くなった吉良義周(吉良家18代)までの墓があり、墓前に花が手向けられているのも、吉良家を慕う人たちの想いによるものなのかもしれません。
近くには、元禄赤穂事件において奮戦空しく討たれた剣客・清水一学( Wikipedia )の墓があり、吉良町の集落を望む高台から、町の人たちの生活を見守っています。
(写真:愛知県西尾市吉良町にある臨済宗 片岡山 華蔵寺ほか=平成23年11月23日撮影、640×480拡大可能)

<参考HP>
・ 西尾市観光協会
  http://www.240kanko.com/
・ 銘菓・御菓子所 東角園
  http://www.toukakuen.jp/

<参考資料> 臨済宗 片岡山 華蔵寺
慶長五年(一六〇〇)吉良義定公、妙心寺の高僧月船禅師を請じて、吉良家菩提寺として華蔵寺を開基する。当寺吉良家一三代から一八代(※義安から義央の継嗣義周)までの墓を護る。
吉良氏は源家嫡流足利氏の名門で、鎌倉初期に足利義氏が三河守護になり吉良荘(現在の西尾市一帯)に住み、吉良を称した。
室町時代には有力大名の一として、常に室町幕府を支えた。江戸時代には旗本高家に列し、その筆頭として栄えたが、不幸な元禄事件により断絶した。
当寺には県指定の文化財を数多く伝えている。吉良上野介義央公自らの彩色といわれる木像(※愛知県指定文化財)をはじめ、江戸期南画の第一人者とされる池大雅の作品群、吉良家寄進の品等、その代表的なものである。
また、本堂裏の枯山水は、小堀遠州流といわれ、古来から有名である。
(西尾市教育委員会設置の案内板から)

<参考資料> 星野勘左衛門
弓の名手として有名な星野勘左衛門( Wikipedia )は、ここ宮迫で生まれ、尾張藩に仕えた。寛文二年(一六六二)五月一日に、京都三十三間堂の通し矢を試み、八千本の新記録をつくって「総一」(第一の者)を称され、弓道の達人として有名になった。この記録は貞享三年(一六八六)四月六日まで二十四年間も破られなかった。
勘左衛門は元禄九年(一六九六)五月六日に五十五歳で亡くなった。住居跡は現在の愛知県芸術文化センターの南側にあり、標柱が建てられている。
(西尾市教育委員会設置の案内板から)

<参考資料>
吉良の五本松
西尾市指定天然記念物 吉良の五本松
地図
昭和三十九年十二月一日指定
根回り四.〇~四.五m 樹高約三〇m
現在は二本が残るのみ。伐採時に年輪を調べたところ樹齢四三〇年以上と判明。
※吉良町宮迫の円融寺前
 
西尾市指定天然記念物 円融寺の大梛
昭和四十九年二月二十二日指定
目通り二m 根回り二.五m 樹高約十五m
県内でも特に大きな梛(なぎ)とされる。幹は垂直に伸び、下部の枝は取り除かれている。

<参考資料> 史跡 清水一学の墓
一学はここ宮迫の百姓の生れで、幼名を藤作といった。少年のころから剣術を好み、岡山の陣屋へ通った。
義央公(吉良上野介)は、藤作に目をかけ、十五歳で江戸に呼び寄せ、やがて中小姓にとりたてた。赤穂浪士襲撃の夜一学は奮戦して討死、行年二十五歳であった。
遺骨は江戸万昌院に葬られ、円融寺(地図)に分骨した。時の円光上人は一学の法名端翁元的を改め、義央公の法名にちなんで実相院宗禅信士として、ここに葬った。
一学は、一角 逸学 逸覚とも書かれ仮名手本忠臣蔵では鷺坂伴内(さぎさかばんない)の名で知られている。
(西尾市教育委員会設置の案内板から)





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600726_地附山地滑り災害(長野市)

長野市の北西に位置する地附山(じづきやま)で、昭和60年(1985)7月26日午後5時ごろ、大規模な地滑り( Wikipedia )が発生しました。
地滑り災害は、梅雨明けの長雨の後、災害が発生するおよそ1週間前から、戸隠バードラインに亀裂や小崩落が起こり、監視体制が続くなかで発生しました。
地滑りによる土砂は、湯谷団地や南東斜面にあった特別養護老人ホーム「松寿荘」(地図)へ流入し、押し潰された建物の下に残された26名の入居者が死亡しました。
現在、災害現場は「防災メモリアル地附山公園」として整備され、平成16年(2004)に開園しました。
(写真:長野市地附山地すべり災害=昭和60年7月26日午後5時頃・城山公園から撮影、640×480拡大可能)

<参考HP>
・ 地附山の地すべり災害とは (長野県)
  http://www.pref.nagano.lg.jp/choken/saigai/bosai/jidukiyama/jisuberi.html
・ 長野県の地学
  http://www2.ueda.ne.jp/~moa/

<参考資料> 地附山の地すべり災害
昭和60年(1985年)7月26日、午後5時ごろ、ここ地附山(じづきやま)で「地すべり」が発生しました。地すべりは長さ700m、幅500m、深さ60mにもおよぶ山の斜面がすべり落ちるという大規模なものでした。動き始めた斜面は、巨大な土砂のかたまりとなって、直下の湯谷団地や特別養護老人ホーム「松寿荘(しょうじゅそう)」に押し寄せました。そして、64棟の建物を押しつぶし、4人にけがをさせ、26人の命をうばいました。
災害のあと、長野県は、すぐに応急対策をするとともに、二度と災害が起こらないように、さまざまな地すべり対策を行いました。また、市民のみなさんとともに植樹を行って、地附山を緑にする努力も続けられています。
この公園では、昭和60年の災害をふりかえり、地すべり対策について学ぶことができます。地附山を歩きながら、どのようにしたら土砂災害から命を守ることができるが学習してみましょう。

The large-scale landslide occurred on the southeast slope of Mt.Jizuki on July 26,1985. The sliding mass flowed on to the Yuya apartment block and Syojusou sanatorium.26 precious lives were lost and 64 homes were totally or partly destroyed. (略)

<参考資料> 地すべりとは
地すべりとは、大量の雨が地中にある粘土層などの水を通しにくい地層までしみこみ、その影響で、上の地面が動き出す現象です。
地附山の地下にも粘土層があり、雨は地面にしみこんでいってその上で止まり、水が集ってしまいます。そして、大雨で地下の水かさが上がると、上にのっている地面が押し上げられ、重力にさからえずにすべり落ちるのです。
昭和60年に起きた地すべりも、「大雨」と「地附山の地層・地質」が大きな原因となって発生しました。
(長野県土木部砂防課・長野県長野建設事務所が設置した案内板から)





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121125_1150_神戸の大イチョウ(飯山市)
神戸の大イチョウ (平成24年11月25日)

飯山市瑞穂にある県天然記念物の神戸の大イチョウ(地図)の様子。
お出かけの参考にご覧ください。
(平成25年度定点観測は → こちら

<管理人ひとこと>
11月2日
昨年と比較すると、およそ1週間程度早く葉の色が変わり始めているようです。
11月9日
現場でも随分早く色付いたなぁ…と感じましたが、こうして昨年と比較してみると、その違いは歴然。少なくとも2週間程度、早めに色付きが進んでいる様子がわかります。
昨年は大変な大雪に見舞われました。しかし、落葉の早さは概ね例年並みでした。
間違いなく今月中に落葉しそうな今年の大イチョウ。
この冬はどうなるのでしょうか…。
11月16日
141116_1230_神戸の大イチョウ(飯山市)
イベントの案内
新聞に、北海道では降雪とともに一気にイチョウの落葉が見られた…という記事がありましたが、神戸の大イチョウも気候が変われば瞬く間に落葉してしまうような状況になっています。昨年と比較すると、やはり1週間は早めの色付きになっており、その翌週には完全に落葉。現在の色付きから考えると、今週中に落葉してしまってもおかしくないような状況かもしれません。
案内によれば、11月22日・23日・24日の午後5時から10時までライトアップイベントを行う予定とのこと。どうにか持ちこたえてくれれば良いのですが…。
11月22日
長野市内でも早朝は氷点下になる日々が続き、さすがの大イチョウも葉を落としたかな…と思っていたのですが、どうにかこうにか残っていました。「イチョウの葉が一度に落ちた年は大雪になる」といういい伝えがここにはありますが、今日の様子を見る限り、今冬は大雪にならないのかもしれませんね(わかりませんが…)。
11月30日
定点観測も今日が最終日…と思いながら現地に向かうと、あれあれ、まだイチョウの木の先には葉っぱがちらほらあるではありませんか。いつもならバサバサ落ちて、枯れ木状態であるのに、今年は最後のところで踏ん張るほどの粘り。むむむ、そこでこの様子を地元の方々に聞いてみると、どうやら話題になっているらしく、口々に「今冬は雪が少ないかもしれないね」とのご回答でした。

そこで!気象予報士でもない管理人が大胆にも今冬の雪予想を。
それは…

今冬は冬の訪れこそ早かったものの、雪は少ない

ハズレたらごめんなさい。
大雪になったら困るので、来週も定点観測を続行します。
 
定点観測~神戸の大イチョウ (飯山市)
141025_1123_神戸の大イチョウ(飯山市)
平成26年10月25日
131104_1056_神戸の大イチョウ(飯山市) 141102_1209_神戸の大イチョウ(飯山市)
平成25年11月4日 平成26年11月2日
131110_1145_神戸の大イチョウ(飯山市) 141109_1134_神戸の大イチョウ(飯山市)
平成25年11月10日 平成26年11月9日
131116_1242_神戸の大イチョウ(飯山市) 141116_1225_神戸の大イチョウ(飯山市)
平成25年11月16日 平成26年11月16日
131124_1139_神戸の大イチョウ(飯山市) 141122_1308_神戸の大イチョウ(飯山市)
平成25年11月24日 平成26年11月22日
131130_1253_神戸の大イチョウ(飯山市) 141130_1211_神戸の大イチョウ(飯山市)
平成25年11月30日 平成26年11月30日
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<最終>定点観測


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新潟県糸魚川市・糸魚川世界ジオパーク



110504_1158_フォッサマグナパーク(新潟県糸魚川市)

新潟県糸魚川市にあるフォッサマグナ(大地溝帯)の西縁に存在する糸魚川-静岡構造線( Wikipedia )の断層面を見学できる野外施設(地図)。
フォッサマグナ( Fossa Magna )は、西縁を糸魚川-静岡構造線、東縁を新発田-小出構造線と柏崎-千葉構造線(現在の説)の、その間に存在する1600万年前に陥没してできた地溝のことです。日本列島をほぼ縦断するように存在し、北は新潟県糸魚川市~新発田市間、南を静岡県静岡市~千葉県千葉市間とする地域がその地溝帯とされています。したがって、長野県内はそのほとんどが、フォッサマグナと呼ばれる地溝帯に存在することになります。
地溝帯は200万年前から隆起が始まり、かつての海は山地・盆地・平野となりました。山々が連なる長野県の山間地で、海中生物の骨格や貝殻などが発掘されるのは、陥没した地溝帯が隆起するまでの間、海として存在していた名残りといえます。
(写真:新潟県糸魚川市にあるフォッサマグナパーク=平成23年5月4日撮影、640×480拡大可能)

<管理人ひとこと>
これまで「糸魚川-静岡構造線」と「フォッサマグナ」は 同じ ものだと思っていました emoji

<参考HP>
・ 糸魚川市ホームページ (新潟県糸魚川市)
  http://www.city.itoigawa.lg.jp/
・ 糸魚川世界ジオパーク (新潟県糸魚川市)
  http://geo-itoigawa.com/

・ 長野県の地学
  http://www2.ueda.ne.jp/~moa/
・ 戸隠地質化石博物館 (長野市)
  http://www.avis.ne.jp/~kaseki/
・ 信州新町美術館・有島生馬記念館・信州新町化石博物館 (長野市)
  http://www.ngn.janis.or.jp/~shinmachi-museum/
・ 中央構造線博物館 (下伊那郡大鹿村)
  http://www.osk.janis.or.jp/~mtl-muse/


<参考資料> フォッサマグナパーク
糸魚川市のジオパーク(野外博物館)の一つであるフォッサマグナパークでは、日本第二位の規模を持つ活断層「糸魚川-静岡構造線(糸静線)」と日本で最大級の規模を持つ「枕状溶岩」を見学することができます。
入口から糸静線の露頭までの間は、舞鶴帯の一部である約2億5000万年前の黒色頁岩と変はんれい岩が露出し、糸静線から先はフォッサマグナ地域で活動した約1600万~1400万年前の玄武岩~玄武安山岩が露出しています。遊歩道沿いには糸魚川の大地の歴史を紹介した解説板が設置されていますので、見学を通して糸魚川の地史を学習できるようになっています。見学に要する時間は約40~60分ほどです。
また、美山公園にある地質博物館フォッサマグナミュージアムも合わせてご見学ください。(ここから車で日本海方向へ15分)

110504_1157_フォッサマグナパーク・ナウマン博士のフォッサマグナ(新潟県糸魚川市)
ナウマン博士のフォッサマグナ
詳しい図は 糸魚川市ホームページ をご覧ください


ナウマン博士とフォッサマグナ
フォッサマグナはラテン語で、「大きな溝」という意味です。ドイツ人地質学者のナウマン博士によって、1886年に名づけられた上図(参考:ナウマン博士のフォッサマグナ)のような溝状の地質構造をさしています。
上図で、「新しい岩石」を取り除くと、「古い岩石」でできた大きなU字溝が現れます。この溝がフォッサマグナの名前の由来であり正体です。ナウマン博士は、フォッサマグナの西縁が糸魚川-静岡構造線、東縁は、直江津と平塚を結ぶ線と考えましたが、現在は、右図(略)のような範囲がフォッサマグナと考えられています。
 
現在のフォッサマグナ
フォッサマグナで行われた深度6000m級の石油ボーリング調査(黄丸印・略)によっても、フォッサマグナの底にある「古い岩石」に到達することができません。
このことは、フォッサマグナの深さが6000m以上であることを示しています。さらに、フォッサマグナの東西の「古い岩石」でできている越後山脈(※2000m)や北アルプス(※3000m)の標高を合わせると深さ8000m~9000mに及ぶ地質の凹地が日本列島の中央部に横たわっていることになります。

 ナウマンのフォッサマグナは修正され、上図(略)のようなフォッサマグナ(新潟大学理学部教授 植村 武(当時) 1988年提唱)が、現在、受け入れられています。すなわち、明瞭でなかった、ナウマンのフォッサマグナの東縁を新発田-小出構造線と柏崎-千葉構造線に求めました。こうすることで、溝状構造が明瞭になったのです。この場合、関東山地はフォッサマグナの範囲内に含められます。
しかし、問題も残ります。ナウマンはフォッサマグナを関東山地西側の火山列が南北方向に並ぶ地帯とし、伊豆-小笠原弧(こ)と本州弧(こ)の衝突によってできた裂け目と考えました。東縁は明瞭ではありませんが、ナウマンが主張したフォッサマグナも明らかに存在するのです。

フォッサマグナと日本海
日本列島は、上図(略)のように、日本海が広がることによってできたものです。フォッサマグナの溝は、日本海の発生期の落ち込み(2000年万年前)と同時にできたものと考えられています。
<2000万年前>
フォッサマグナの陥没、やがて日本海になる陥没帯ができる。
※案内によれば、当時の日本列島は朝鮮半島の北にあり、大規模なマグナの上昇の後に陥没した「フォッサマグナ」と呼ばれる溝とともに、ユーラシアプレートの移動に伴い大陸を離れ、徐々に太平洋側へ移動したようです。
<1600万年前>
陥没帯は拡大し、日本海ができる。フォッサマグナは拡大せずそのまま移動し、その海底に砂岩、泥岩、火山灰、溶岩などの「新しい岩石」がたまっていく。
※日本列島は更に移動し、現在の東は太平洋プレート、南はフィリピン海プレート付近まで移動。「フォッサマグナ」の溝はには海水が流入し、海底には「新しい岩石」が堆積しました。長野県内の山間地(長野市の戸隠・鬼無里・信州新町、松本市四賀など)から海中生物の骨や貝殻が発見されるのはこのためかもしれません。
<300万年前>
糸魚川-静岡構造線の一部が、プレート境界(※北アメリカプレートとユーラシアプレート)になる。日本列島が隆起し、フォッサマグナの岩石が削られていく。
※日本列島はやがて、東から太平洋プレート、西からユーラシアプレート、北から北アメリカプレート、南からフィリピンプレートの力の均衡が保てる位置まで移動。糸魚川-静岡構造線の一部が北アメリカプレートとユーラシアプレートの境界になったことで左右からの圧力により隆起し、現在のような姿となりました。

フォッサマグナの海のうつりかわり
<1600万年前>
フォッサマグナの地域が落ち込んで、海が進入してきました。フォッサマグナの大部分は、海になりました。
<1400万年前>
フォッサマグナの海の中央部が隆起して、北と南のフォッサマグナの海に分かれました。
<1200万年前>
フォッサマグナの北の海は、どんどん深くなり、水深3000mほどの海になりました。
<700万年前>
フォッサマグナの北の海は、あいかわらず深い海でしたが、陸地から運び込まれた土砂で浅くなっていきます。
<400万年前>
日本列島は、隆起しはじめ、フォッサマグナの海も土砂で埋め立てられながら、浅くなっていきます。
<200万年前>
日本列島は、どんどん隆起し、山地、盆地、平野の区別ができはじめていきます。
<現在>
現在の日本列島の完成です。完成と言っても、今も隆起はつづいています。この結果、陸上に姿を現したフォッサマグナの「新しい岩石」は、現在も削られつづけています。

110504_1157_フォッサマグナパーク・北部フォッサマグナの地震活動(新潟県糸魚川市)
北部フォッサマグナの地震活動
詳しい図は 糸魚川市ホームページ をご覧ください


フォッサマグナと地震帯
フォッサマグナに関係する地震帯は、(1)糸魚川-静岡構造線活断層帯、(2)信濃川地震帯、(3)関東地方の異常震動帯です。(1)は、糸魚川-静岡構造線の中央部が現在活動的なことを示し、(2)は、新発田-小出構造線と並行する断層が信濃川に沿う地下にかくされており、それが現在活動的なことを示しています。(3)は、関東地方では、柏崎-千葉構造線が地震の通り道(揺れやすい地帯)となっていることを示しています。

北部フォッサマグナの地震活動
フォッサマグナの地震活動を見ると、どこでも地震が起きているわけではなく、ある限られた地域に多いことがわかります。それらの地域は、現在の断層活動が活発な地域です。糸魚川-静岡構造線活断層帯では、マグネチュード(M)6以上(参考:北部フォッサマグナの地震活動にある黄色部分)の、信濃川地震帯では、M5以上(参考:北部フォッサマグナの地震活動にある緑色部分)の地震が起こっています。他に、高田平野、能登半島、飛騨地域も大きな地震が起きている地域であることがわかります。

日本列島周辺のプレート境界
人工衛星を使ったGPS観測によって、詳細な地盤の動きの変化がわかるようになり、現在の日本列島周辺のプレート境界のようすもよくわかるようになりました。糸魚川-静岡構造線の中央~南部は北アメリカプレートとユーラシアプレートの南のマイクロプレートの境界となっています。この部分は現在も活発な地震活動が起こっています。一方、ここフォッサマグナパークを含む糸魚川-静岡構造線の北部はプレート境界ではなく、断層の東西の岩盤はユーラシアプレートの一部として一緒になって東(1cm/年)へ動いています。

フォッサマグナの発見・命名者
エドムント・ナウマン ( WIkipedia
(1854-1902、ドイツ)
フォッサマグナを発見して命名したナウマンは、フォッサマグナの西縁を次のように述べました。
西縁は、静岡から富士川に沿って北上し、途中で北西に向きを変え、宮川に沿って諏訪湖に達する。松本で再び向きを北に変え、姫川の河口に至る、としています。しかし、この西縁の線には名前を与えませんでした。
フォッサマグナは、日本列島が太平洋側へ水平に移動して張り出したとき、七島山脈(伊豆-小笠原弧)と衝突してできた裂け目であると考えました。プレートテクトニクスが提出されたのは、1960年代後半ですから、ナウマンの日本列島の水平移動説は、それからさかのぼること80年ほど前になります。このことはナウマンの鋭い直感と深い洞察力を示しています。

糸魚川-静岡構造線の命名者
矢部長克 ( Wikipedia
(1878-1969、東北大学理学部所属)
糸魚川-静岡構造線(命名は構造線ではなく地溝線。以下、糸静線)を命名したのは、当時、東北大学理学部教授の矢部長克でした。それはナウマンがフォッサマグナを1885年の論文で提唱してから、33年後の1918(大正7)年のことでした。
矢部はじめ、多くの人たちによって調べられた糸静線の通過経路は以下のようです。糸魚川を起点にほぼ姫川に沿い南下、青木湖を通り、鳳凰山の東を通り、山梨県早川、静岡県安倍川に沿って静岡市に至ります。
矢部は、糸静線のほか、中央構造線、地層や古生物など幅広い分野で研究を行い、日本の地質学の発展に大きく貢献しました。1953(昭和28)年に地質学文やで初めて文化勲章を授与されています。
 
断層露頭
110504_1200_フォッサマグナパーク(新潟県糸魚川市)
断層露頭
左(西):西南日本
(ユーラシアプレート)

右(東):東北日本
(北アメリカプレート)
ここが、人工的に堀削して露出させた糸魚川-静岡構造線の断層露頭(ろとう)です。断層面は、ここでは東北東-西南西の走向で、垂直あるいは南南東に急傾斜しています。断層破砕帯(はさいたい)の幅は約1.5mです。
断層の右側(東側)は、安山岩(約1600万年前)であり、地質学的に東北日本に属し、フォッサマグナの構成岩石です。一方、左側(西側)は、変はんれい岩であり、2億6000万年前より古いことがわかっており、西南日本に属する岩石です。

断層破砕帯と断層運動
断層破砕帯とつくるのは、未固結な破砕物質であり、径10cm以下のさまざまな破砕岩片からなる断層ガウジと断層角礫です。ともに断層をつくる岩石の名称です。左から右へ、あずき色・暗緑色ガウジ(幅約85cm)、白色・灰色縞状ガウジ(幅約2cm)と変わり、破砕されたもとの岩石を反映して色がついています。
断層ガウジの変形構造から、この断層に沿って少なくとも4回の断層運動が起こったことがわかっており、いずれも、右側(南南東側)がずれ落ちる正断層の動きを示しています。

現在のフォッサマグナ
ナウマンのフォッサマグナは修正され、上図(略)のようなフォッサマグナ(新潟大学理学部教授 植村 武(当時) 1988年提唱)が、現在、受け入れられています。すなわち、明瞭でなかった、ナウマンのフォッサマグナの東縁を新発田-小出構造線と柏崎-千葉構造線に求めました。こうすることで、溝状構造が明瞭になったのです。この場合、関東山地はフォッサマグナの範囲内に含められます。
しかし、問題も残ります。ナウマンはフォッサマグナを関東山地西側の火山列が南北方向に並ぶ地帯とし、伊豆-小笠原弧(こ)と本州弧(こ)の衝突によってできた裂け目と考えました。東縁は明瞭ではありませんが、ナウマンが主張したフォッサマグナも明らかに存在するのです。
(以上、糸魚川フォッサマグナパークに設けられた案内板から)





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141124_1107_2_善光寺境内の被害状況(長野市)

22日午後10時8分に北安曇郡白馬村で発生した神城(かみしろ)断層地震は、長野市内でも広い範囲に被害をもたらしました。27日の長野市民新聞の記事によれば、地震の規模はM6.7、長野市西部の戸隠・鬼無里で震度6弱、箱清水や豊野町で震度5強、信州新町・大岡で震度5弱、鶴賀緑町で震度4、松代で震度3だったそうです。
写真は地震の翌日、震度5強の揺れとなった長野市の善光寺境内の様子。善光寺には180基ほどの石灯籠があるそうですが、そのうちの60基が被害を受けたほか、鐘楼の土台の一部が崩壊しました。
(写真:被害を受けた善光寺境内の様子=23日午前撮影、640×480拡大可能)


神城断層地震による善光寺境内の被害
(11月23日)
141124_1109_善光寺境内の被害状況(長野市) 141124_1107_1_善光寺境内の被害状況(長野市)
141124_1111_善光寺境内の被害状況(長野市) 141124_1114_善光寺境内の被害状況(長野市)
141124_1116_善光寺境内の被害状況(長野市) 141124_1118_善光寺境内の被害状況(長野市)


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