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140923_1400_藤ノ木の御旧跡(飯山市)

飯山市旭藤ノ木にある浄土真宗の開祖・親鸞聖人および同宗中興の祖・蓮如上人逗留地(地図)。飯山市指定史跡。
(写真:藤ノ木の御旧跡=9月23日午後撮影、640×480拡大可能)

<参考資料> 藤ノ木の御旧跡
当地は、浄土真宗の宗祖である親鸞聖人が流罪を許され、関東に行く途中逗留したとの伝承を残している。さらに、同宗を中興した蓮如上人が、始祖親鸞巡錫のあとを辿って越後から樽本・大川を経て、この地に足を止め、本堂の庭に一本の榎を植えたが、これが良く繁って成長したので、別ぶ榎の御坊と呼んだと伝えられている。
江戸時代から大正末期まで、毎年四月二十五日には、近隣近在の信徒が大勢参詣し、門前市を成すほど宗教上の拠点であった。
その後火災等で景観は一変したが、当地方の民間宗教を知る上で欠かせない重要な場所である。
(飯山市教育委員会・藤ノ木区設置の案内板から)

<参考資料> 
ここは親鸞聖人 蓮如上人の御旧跡
建保二年(一二一四)親鸞聖人は流罪がとけて越後国から常陸国へ赴かれる途中藤ノ木の里にご逗留になり、夜もすがら教えを語られたと伝えられている。
信濃国の領主井上越後守善勝は深く聖人に帰依し一子善親を聖人の御弟子として聖人のお世話をさせた。法名を善性と給はる。そして磯部(茨城県)に一寺を建立した。これが磯部勝願寺の開基である。
宝治二年(一二四八)善性は、師聖人の命をうけ始めて藤ノ木の里に来り、聖人の教を弘めた。それ以降橙勝願寺と藤ノ木御旧跡を兼帯(住職兼務)で布教に努めた。
文安四年(一四四七)浄土真宗中興の祖蓮如上人は、宗祖親鸞聖人の御跡を慕い、北国ご巡回の砌、藤ノ木御旧跡にご滞在の折、勝願寺十二世度順は親しく上人の御教化にあづかり直弟子となって布教に努めた。上人はご逗留のしるしとして堂庭に一本の榎を植えられ、この木が大きくなって御旧跡を榎の御坊と称されるようになった。
勝願寺の累世住職が藤ノ木御旧跡を拠点として熱心に布教に努めたので、門葉ちまたにあふれ信越地方の門徒も非常に増えた。十五世善順の時、足利義輝卿より由緒あって南条に敷地の御朱印を給わり道場を建立し、更に十六世善栄の時天正九年(一五八一)織田信長より寺領(八町四面)の寄進を受け、磯部より事実上南条に移って南条勝願寺となった。(正行寺の前身)
爾来藤ノ木御旧跡は、浄土真宗の説教所として繁盛した。特に四月廿五日講んいが近郷近在の参詣者で賑い、飯山町の商人が出張して門前市を成した程であった。(大正末期まで)
弘化四年(一八四七)善光寺大地震により本堂倒壊。嘉永二年(一八四九)近隣門徒の寄進により本堂再建なる。
明治六年(一八七五)学制施行により、旭・外様・富倉を学区とする最初の小学校が御旧跡の由緒をかんがみ当所に開設された。
昭和三十五年(一九六〇)庫裡を取壊す。昭和四十六年夏隣家の火災により本堂の屋根及附属テtものを類焼失。同年秋屋根部分のみ改築、また近年道路などの拡張により石門を除去、榎も伐採されて往時の面影を一変させている。
(本堂に掲げられている平成元年十月に記された案内板から)





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140923_1006_2_気象庁地震観測室・松代地下大本営跡(長野市)

長野市松代町西条の舞鶴山にある気象庁松代地震観測所・松代地震センター(地図)。戦前掘られた松代大本営地下壕跡( Wikipedia )を利用して、昭和22年5月に開設されました。
坑道内には、南北・東西100mの長さがある円筒状巨大ひずみ地震計やSTS-2型地震計等( Wikipedia )を設置。観測所2ヶ所(短周期・長周期地震計と広帯域地震計)および観測所から10キロの範囲内に設けた6ヶ所(短周期地震計)の地震計から得られたデータを処理する群列地震観測システム(MSAS)の導入により、24時間体制で世界各地で起こる地震や地殻変動を観測しています。
(写真:舞鶴山にある気象庁地震観測室・松代地震センター=23日午前撮影、640×480拡大可能)

<参考HP>
・ 気象庁松代地震観測所
  (旧松代精密地震観測室)
  http://www.jma-net.go.jp/matsushiro/

<参考資料> 気象庁地震観測室(松代地下大本営跡)
第二次世界大戦の末期、軍部が本土決戦最後の拠点として、極秘のうちに、大本営軍司令部 参謀本部 政府各省等をこの地に移すという計画のもとに、昭和十九年十一月十一日午前十一時着工翌二十年八月十五日の終戦の日まで、およそ九ヶ月の間に当時の金額で二億円の巨費と延三百万人の住民及び朝鮮人の人々が労働者として(   )動員され突貫工事をもって構築したもので全行程の75%完成した。
ここは地質学的にも(   )堅い岩盤地帯であるばかりでなく、海岸線からも遠距離にあり、川中島合戦の古戦場としても知られているとおり要害の地である。
規模は三段階、数百米に亘る、ぺトン式の半地下建造物、舞鶴山を中心として、皆神山、象山に碁盤の目の如く縦横に掘抜きその延長は十粁余に及ぶ大地下壕である。
現在は世界屈指を誇る気象庁の地震観測所として使用され、高倍率のひずみ地震計はじめ各種高性能観測機が日夜活躍している。

この説明板の中に、「延べ三百万人の住民及び朝鮮人の人々が労働者として強制的に動員され、」と記載されていましたが、「全員が強制的ではなかった」などの見解があることから、現在、説明内容について再検討しています。
(長野市観光課設置の案内板から)





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27日午前11時53分、長野・岐阜県にまたがる御嶽山が噴火。
気象庁は噴火警戒レベルを3(入山規制)に引き上げ注意を呼び掛けています。
( 登山者が撮影した噴火直後の映像=Youtube )


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140923_1012_4_六工社跡(長野市)

長野市松代町西条の神田川近くにある製糸工場・六工社跡(地図)。
六工社は日本最初の民間蒸気製糸場で、地元の大里忠一郎が官営富岡製糸場を参考に明治9年(1874)に開設しました。

六工社開設には、富岡製糸場に繰糸技術を学ぶため派遣された和田英( Wikipedia )ら松代の子女たちの貢献著しく、松代における近代産業発展に大きく寄与しました。英の記した「富岡日誌」に当時の状況が詳しく描かれています。
(写真:松代町西条に残る六工社跡=23日午前撮影、640×480拡大可能)
 
<参考HP>
・ 富岡日記
  http://cruel.org/books/tomioka/tomioka.html
・ 富岡製糸場
  http://www.tomioka-silk.jp/hp/index.html


14_富岡製糸場・斜めから見た東繭倉庫(画像提供 富岡市・富岡製糸場) 14_富岡製糸場・製糸場外観(画像提供 富岡市・富岡製糸場)
松代出身の子女が研修のため派遣された富岡製糸場
(画像提供 富岡市・富岡製糸場)

<参考資料> 六工社(ろっこうしゃ)案内
明治維新以来、松代地域の疲弊した経済の救済と繁栄を図ろうと、大里忠一郎等は同志数名と共に謀りこの地方に適した産業として当時輸出産業第一位の製糸業に着眼し、製糸場の設置を計画した。そして国内唯一の官営富岡製糸場(群馬県)にならい、明治六年(一八七三年)二月民間蒸気製糸場の建設を始めた。
横田数馬の助力を得、同志九名が資本金二千円を拠出、約千円を他より借入、銅製蒸気釜の考案など苦心しつつ操糸場、釜場、水車、工女部屋、薪置場、用水池、帳場炊所、浴室等を備えた「六工社」をこの地(西条六工)に創設した。社長に春山喜平次、副社長に大里忠一郎が就任し、工女五十人繰りの規模であった。
明治六年三月、富岡製糸場へ伝習のため派遣された横田英他十五名が帰るのを待って、明治七年八月二五日に「大日本帝国民間蒸気器機の元祖六工社」(和田英・旧姓横田「富岡日記」)が創業を開始した。
六工社は、わが国民間フランス式改良日本型蒸気製糸場の創始であり、「六工社生糸」の名は国際的にも知れわたった。
(松代史跡文化財開発委員会設置の案内板から)





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140923_0922_善光寺御開帳・回向柱伐採(長野市松代町) 140923_0927_善光寺御開帳・回向柱伐採(長野市松代町)
140923_0928_1_善光寺御開帳・回向柱伐採(長野市松代町) 140923_0928_2_善光寺御開帳・回向柱伐採(長野市松代町)
140923_0942_善光寺御開帳・回向柱伐採(長野市松代町) 140923_0943_善光寺御開帳・回向柱伐採(長野市松代町)
140923_0944_善光寺御開帳・回向柱伐採(長野市松代町) 140923_0948_1_善光寺御開帳・回向柱伐採(長野市松代町)
140923_0948_2_善光寺御開帳・回向柱伐採(長野市松代町) 140923_0950_善光寺御開帳・回向柱伐採(長野市松代町)
善光寺御開帳 回向柱と供養塔原木の伐採
(長野市松代町西条 中村神社)

長野市松代町西条の中村神社(地図)で23日、平成27年春の善光寺御開帳に建立される回向柱と供養塔になる原木の伐採が行われました。
伐採された回向柱(善光寺本堂前に建立)と供養塔(世尊院釈迦堂前に建立)の用材として選ばれた杉は樹齢200年ほどで、高さ30m、直径1mの2本。
ワイヤーで固定された木の上部を最初にチェンソーで切断。その後、同じようにワイヤーを木に固定し、根元にチェンソーを当て伐採する手順で作業が行われました。
伐採された回向柱と供養塔の原木は、来月開催される真田十万石まつりで一般に公開された後、来年2月のお浄めを経て、3月29日に松代町から善光寺に奉納されることになっています。
(写真:中村神社で行われた回向柱と供養塔原木の伐採=23日午前撮影、640×480拡大可能)


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