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富山県高岡市の雨晴海岸に残る義経と弁慶の伝説が残る岩(地図)。
(写真:雨晴海岸にある「雨晴岩」=16日午後撮影、640×480拡大可能)
<参考HP>
・ 雨晴観光協会
http://www3.nsknet.or.jp/~amaharasi/
・ とやま観光ナビ(富山県観光連盟)
http://www.info-toyama.com/
<参考資料> 雨晴海岸と雨晴岩
雨晴海岸 (海に浮かぶ岩は女岩) |
この岩の別の名を「義経雨はらしの岩」といい文治三年(一一八七年)に源義経が北陸路を経て、奥州下りの際ここを通りかかった時、にわか雨にあい、この岩の下に家来ともども、雨宿りをしたという伝説があり、亦近在する女岩、男岩と共にこの海岸は秀景をなし、かつ越中国司として伏木に在住した成年歌人大伴家持もこの絶景を多く万葉集におさめています。
馬なめて いざ打ち行かな 渋渓の
清き磯みに 寄する波見に
(高岡市観光物産課設置の案内板から)
<参考資料>
磯上之 都萬麻乎平見者 根乎延而 年深有之 神左備尓家里
(いそのうへの つままこみれば ねをはへて としふかからし かむさびにけり)
磯の上の 都萬麻を見れば 根を延へて 年深からし 神さびにけり
(大伴家持 巻十九-四一五九 天平勝宝二年(七五〇)三月詠
万葉歌碑 |
宗九郎は、相当の学問があり万葉集にも関心が高く、特に、都萬麻(つまま)はタモノキであると推定し、一方のタモノキとこの碑を置いたとされるが、永年の風食により、碑の文字を判読するのは難しい。
都萬麻(つまま)は、クスノキ科の常緑高木で一般にタモまたはタブノキと呼ぶイヌグスのこととされている。老木は根が盛り上がり、神々しい姿となることから神聖な木として扱われることが多い。
「都萬麻」の歌は、家持が出拳(すいこ)のため旧江村(ふるえむら・現在の十二町潟南端辺り)に向かう途中、越中国射水郡渋谿の崎(現、高岡市雨晴海岸)の岩上の盤根を露出した見なれない大樹に驚き、なによりもまだ耳にしたことのない「都萬麻」の名に異郷の風土を感じ、詠したものであるとされている。
都から遠く離れた越中に国守として赴任していた大伴家持は、二上山塊の北東端であり、断崖となって海に没し、海面に点在する大小さまざまの岩礁に白波がくだける渋谿(しぶたに)の景観が、よほど鮮烈なものであったらしく、いくつかの賛辞の歌を詠じており、この歌もその中の一つである。曲がりくねった太い幹をぐんとどこまでも伸ばし、岩上にしっかりと根をおろして神々しい風情を帯びている「都萬麻」の木を見て、その根のように自分の生命の永遠を願うとともに、自分の眼前の渋谿の景観が未来永劫いつまでも続くように願ったのであろう。
(高岡市設置の案内板から・平成6年)
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