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富山県高岡市の雨晴海岸近くにある国指定史跡の古墳(地図)。
大正時代に行われた調査では、前方後円墳2基(5世紀初頭以前の築造)及び円墳7基が確認され、多数の遺物が出土しました。昭和51年と52年に行われた県道(現在は国道415号線)工事に伴う発掘調査では、新たに円墳1基が発見されています。
円墳7基については、戦時中の食糧増産のため畑地となり現存していません(昭和になって発見された円墳1基は道路に陸橋を架けて保存)が、前方後円墳2基については環境整備工事により公園内に保存され見学することができます。
(写真:国指定史跡 櫻谷古墳2号墳=16日午後撮影、640×480拡大可能)
<参考HP>
・ 雨晴観光協会
http://www3.nsknet.or.jp/~amaharasi/
・ とやま観光ナビ(富山県観光連盟)
http://www.info-toyama.com/
<参考資料>
国指定史跡 櫻谷古墳(二基)
前方後円墳1号墳 |
櫻谷古墳案内図 |
古墳とは、弥生時代末期から奈良時代初期(三世紀末頃~七世紀初め)にかけて築かれたこれら有力豪族の墳墓であり、前方後円墳・円墳・方墳などの基本形があります。
桜谷古墳の発見は、大正七年九月、開墾のため、元諏訪社の老松の根を掘り上げた際、銅鏡一面と管玉十三個が出土したことに始まります。宮内省・内務省・県史跡調査委員会等の調査で、大正十三年までに前方後円墳二基と円墳七基が確認され、多数の遺物も出土しました。出土遺跡は、碧玉製紡錘車(糸をつむぐ道具)同石釧(腕輪)・管玉(数個を連ねて首飾などの装飾具にする)・仿製内行花文鏡(漢式鏡を模倣した銅鏡)・金環(耳環)・金銅製帯金具・刀・土師器・須恵器人骨などで、東京国立博物館、高岡市立博物館に保存されています。
円墳七基は、戦時中に食糧増産のため畑地となり、確認しがたくなりましたが前方後円墳二基は五世紀初頭以前の築造と推定され、規模の大きさや出土遺物の豊かさから、北陸を代表する古墳といえます。内部調査は行われていませんが、北陸地方の文化の発展を理解するうえで貴重な資料となっています。
この二基の前方後円墳を保存するため、昭和四十年から四十三年にかけて土地の買収と環境整備工事が行われ、史跡公園ができました。地元では桜谷古墳群保存会を結成して、史跡の清掃管理や、文化財の愛護活動につとめています。
なお、古墳の南側を県道(現在は国道四一五号線)が通過することになり、昭和五十一年から五十二年度に工事区域の発掘調査を実施したところ、新たに円墳一基(六世紀)と箱式石棺二基が発見されたので、遺構の上に陸橋を架けて保存しています。
第1号墳
全長62m
前方部:幅30m、高さ5.45m
後円部:径35m、高さ6m
第2号墳
全長50m
前方部:幅不明、高さ1m
後円部:径33m、高さ6m
(高岡市教育委員会設置の案内板から・昭和59年)
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