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石川県珠洲市の飯田湾に浮かぶ無人島(地図)。別名・軍艦島。
(写真:見附島=17日午後撮影、640×480拡大可能)
<参考資料> 見附島と空海
弘法大師空海が唐の國に渡り恵果阿闍梨(けいかあじゃり)のもとで修業され三國伝来の伝承者と認められ金胎両部の潅頂(かんじょう)をうけ密教伝来の三杵(さんしょ)を授けられた。唐の僧達はその三杵を奪い返さんと日本に帰ろうとする空海を海岸まで追いつめて来た。その時空海は東方を望まれ「密教有縁の所に行きて我を待つべし」と三杵を大空高く投げられた。
帰國された空海は三杵を求めて海路佐渡より能登沖を通られた時波の音とともに法華経を誦する声が聞こえてきたので島を頼りに着岸された。
そこで村人達の案内により山の桜の樹に探し求めていた三杵のひとつ五鈷杵(ごこしょ)が光り輝き白夜法華経を唱えていた。空海は深くお喜びになりここに一宇を創建され吼木山法住寺と名づけられた。そして三鈷杵は高野山の松の樹に独とっこ鈷杵は佐渡の小比叡山の柳の樹に掛っていた。それより島を見附島と呼び縁結びの神を祭り海南の守り神と共に小社を安置し4月18日を祭日として舟を繰り出し島上に上り祝詞を奉じて来た。
しかし今は歳月による風化に加え能登沖地震や台風の被害により島に往時を偲ぶ雄姿はなく島上の社も崩壊したまま今日に至っています。 (案内板から)
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珠洲駅(地図)は、旧国鉄時代に廃止決定された能登線を、石川県などが設立したのと鉄道が継承し運行を続けていたが、平成17年(2005)に能登線廃線に伴い廃止。駅舎は廃線後に取り壊され、現在は新たに設けられた道の駅が、奥能登を観光する人たちの拠点となっています。
(写真:道の駅すずなりの敷地内に残されているのと鉄道珠洲駅のホーム=17日午後撮影、640×480拡大可能)
・ のと鉄道株式会社
http://www.nototetsu.co.jp/
・ のと鉄道.com
http://のと鉄道.com/
・ のと鉄道廃線跡めぐり
http://www.notor.info/
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石川県輪島市から珠洲岬に向かう途中の国道249号線(地図)にあるビューポイント。
(写真:白米の千枚田=17日午後撮影、640×480拡大可能)
<管理人ひとこと>
現在、道の駅千枚田ポケットパークでは駐車場などの拡張を含めた工事が継続中。このため、写真は実際に見学できる場所からやや離れた仮展望台から撮影したため、海側にまで広がる棚田を収めることはできませんでした。
黄金色に輝く秋の実りの時期、稲刈りが終わった頃に行われるLEDによるイルミネーションイベントなどの、機会があればぜひ見てみたいと思っています。
<参考HP>
・ 輪島市観光協会
http://www.wajimaonsen.com/
・ 能登輪島観光情報 輪島ナビ
http://wajimanavi.lg.jp/
・ 能登半島輪島「白米の千枚田」
http://semmaida.kuronowish.com/
・ 白米千枚田物語 世界農業遺産 能登の里山里海
http://www.senmaida-monogatari.com/
・ 能登スタイル
http://www.notostyle.jp/
<参考資料> 国指定 名勝「白米の千枚田」
指定理由
輪島市街地の東方約8km付近の白米(しろよね)地区において、北の日本海岸に向かって下がる急傾斜面に展開する面積約1.8haの棚田地域。現状に見る千枚田の景観は、17世紀から19世紀半ばにかけて完成した。
畦畔を伝い歩くことによって得られる水田と海浜の変化ある展望風景に特徴がある。
近世以来の豪農である両時国氏の建造物・庭園などの資産とともに近世能登地方を代表する資産群であり、この地方の生業と密接に結びついて形成されてきた顕著な文化的景観として貴重である。 (指定日 平成13年1月29日)
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道の駅に展示されている 猿山岬灯台のレンズ |
石川県輪島市門前町の国道249号線沿いにある道の駅(地図)。能登外浦と呼ばれる海岸線にあり、日本海の荒波が創りだした断崖絶壁や奇岩の名所が続く。
「赤神」の地名は、琴ヶ浜(別名:泣き浜)から道の駅の間にある赤神隧道周辺に露出している溶岩で形成された赤い岩肌から名付けられました。
道の駅には、能登半島地震で被災するまで、猿山岬灯台(地図)で使われていた灯台のレンズ部分が展示されています。
(写真:道の駅赤岩と能登外浦の風景=17日午後撮影、640×480拡大可能)
<参考HP>
・ 能登スタイル
http://www.notostyle.jp/
<参考資料> 猿山岬灯台
猿山岬灯台は大正9年11月15日(1920)に設置されました。工事に伴う資機材の運搬は吉浦の海岸に船着場を築き林道と場所と人力によりこの地まで運搬して2ヵ年を費やして建設しました。
当時の灯台の規模は第二等群閃光フレネルレンズと水銀槽式回転装置を使用し37秒を隔て23秒間に4回(周期60秒)光っていました。光源は石油白熱灯器を使用し、昭和28年8月に電化され1000wの電球に変わりました。その後平成元年に1500w化・18秒を隔てて12秒に4閃光(周期30秒)に変更、平成9年にメタルハライドランプ400wに改良されました。
灯台の管理は職員2名の常駐管理でしたが、昭和34年4月から輪島からの滞在勤務、昭和58年4月から無人となり巡回点検になりました。
平成19年3月25日の能登半島地震(M6.5強)により灯台も被災しレンズ・回転装置が使用不能となり平成20年3月に現在のLB-M30型灯器を取付けて復旧しました。
撤去した第二等群閃光レンズは輪島市により「道の駅・赤神」で展示保管されています。
注:「18秒を隔てて12秒に4閃光(周期30秒)」とは、30秒間のうち12秒間に4回白く光り、残り18秒間は光らない、という意味。
灯台の要目
位置:石川県輪島市(猿山岬) M37-19-28 E136-43-26
塗色及び構造:白色 塔形コンクリート造
灯質:単閃白光 130,000カンデラ
光達距離:20海里(約37km)
明弧:14°~213°
高さ:
地上-頂部 17.18m
水面-灯火 218,85m
地上-灯火 12.69m
灯器:LB-M30型灯器 メタルハライドランプ70w
<参考資料> 第二等群閃光レンズ・水銀槽式回転装置
レンズ本体は、フランス製で1885年(明治18年)より宗谷岬灯台(注:北海道)で点灯され、1911年(明治44年)の山火事で類焼し、取り外された8面のうちの4面と新たなフランス製の反面鏡を組み合わせたものです。
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「岸壁の母」のモデル 故端野いせさんの資料 |
渤海国は、7世紀から10世紀まで、中国東北部・朝鮮半島北部・ロシア沿海地方に存在した国。その渤海国から日本へ、渤海国使による使節団が、727年から919年までの間に36回訪れ、石川県羽咋郡志賀町にある福浦港(地図)は使節団を迎える拠点となりました。
また、志賀町は「岸壁の母」のモデルとなった故端野いせさんの出身地で、道の駅に端野さんの生前の様子を伝える資料が展示されているほか、増穂浦の海岸線沿いに続くサンセットヒル増穂には、菊池章子さん・二葉百合子さんが唄った「岸壁の母」の碑が建立されています。
(写真:道の駅とぎ海街道に展示されている「キリコ」=17日午後撮影、640×480拡大可能)
<参考資料> 道の駅とぎ海街道 (地図)
白砂青松の美しい海、豊かな海の幸、町民の誰もが誇るところであり、福浦港から関野鼻に至る29kmの能登金剛は、能登観光の要所のひとつである。本町は、奈良時代から平安時代にかけては、渤海国との交流の玄関口となり、江戸時代にも、北前船の寄港地として栄えた。そんな古い歴史を持つ富来町である。このように、古くから”食”を介して、人、物、情報が行き交い、海の恵みを受けて発展してきた町である。こうした先人の築いてきた歴史と文化を守り育て、今後は、この「みちの駅」から、物、情報が行き交い、富来の明るい未来が拓される拠点となることを願い「とぎ海街道」とする。
(道の駅の名称について紹介する案内板から)
<参考資料> 八朔祭り
キリコとは御神輿にお供する灯明・切子灯籠(きりこどうろう)を縮めた呼び名で、能登一円で日書開かれる夏祭りの華として担ぎ出されます。
八朔祭りは、八月十三・十四日に行われる富来でもっとも大きな祭りです。
そのむかし、八幡神社のご神体が増穂浦(ますほがうら)に漂着し、海辺に近い住吉神社の女神に助けられたのが縁で夫婦になりました。
しかし、八幡の神様は海鳴りの音が気になり、夜も眠れず、山手の八幡の里に宮居(みやい)を移してしました。それ以来、夏の一夜の逢瀬を楽しむため、八幡の神様を神輿にのせ女神のもとに賑々しく運んだことが祭りの起りだと伝えられています。
キリコは、海のかなたから幸いをもたらした祖先神や客人(まれびと)への歓迎の目印とも言われ、現在では能登を訪れる観光客を温かく歓迎する明りでもあります。
<参考HP>
・ 志賀町ホームページ
http://www.town.shika.ishikawa.jp/
・ 志賀町観光協会
http://shikakankounavi.jp/
・ 大好き 志賀町!
http://www.shikagen.net/
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