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ギネスブックにも登録された 世界一長いベンチ |
増穂浦の海 |
能登半島の西海岸・増穂浦の海岸線に続く世界でいちばん長いベンチ(地図)。
その長さは460.9m。
ベンチ付近は「サンセットヒルイン増穂」と呼ばれる夕陽の名所とか。
日本海ならではの海の青さと海岸線の美しさは、心を奪われるほど。
(写真:世界一長いベンチと増穂浦の青い海=17日午後撮影、640×480拡大可能)
<参考HP>
・ 志賀町ホームページ
http://www.town.shika.ishikawa.jp/
・ 志賀町観光協会
http://shikakankounavi.jp/
<参考資料> サンセットヒルイン増穂
さくら貝のうたが聞こえる
青い海 増穂浦
白浜青松の浜辺は、鎌倉の由比ヶ浜、紀州の和歌浦と共に、日本三大小貝の名所。
ここ増穂浦には六歌仙貝 三十六歌仙貝等六百余種にもおよぶ色とりどりの歌仙貝が波打ち際に打ち寄せる。
増穂の郷について
増穂の郷 整備事業は、野と中部地域の各地の風土に根ざした伝統文化の伝承や、個性豊かな魅力ある郷土づくりの行動の場を整備することを目的としており、紀伊の和歌浦・鎌倉の由比ヶ浜と並ぶ日本海浜の三名所として、古来より知られて来た。ここ増穂浦において、その優れた景観と失われつつある地域の伝統文化を生かした能登を代表する憩いの場として、「世界一長いベンチ」「ふるさと文化センター」「イベント広場」等の施設整備を行ったものです。本事業は、国土庁・石川県・富来町の協力のもと、地域住民の主体的な活動を支援することを目的とした地域行動推進事業により実施されたものです。
(昭和63年4月に設置された案内板から)
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富山県の名産・ますの寿し。
そのますの寿しといえば、北陸路の帰路、有磯海SA(下り線)で販売されているホテルニューオータニ高岡さんが販売するものが我が家では定番でありましたが、今回、友人から紹介されたのが、じつはここ小矢部川SA(上り線)で小矢部サービスステーション株式会社(すし部)さんが販売されている「鱒のいくら寿し」(1800円)。
ますの寿しといえば、笹の上の酢のきいたご飯に、鱒がのって、ぎゅっと絞めたものを思い浮かぶのですが、ここで販売されているものは、ご飯(富山県産「てんたかく」)と鱒(チリ産)の間に、なんと!北海道産のイクラがたっぷり。また、イクラの汁がたれないようにとろろ昆布(福井県産「磯の雪」)を使う(参考:NEXCO中日本HP)、それはそれは豪華なものでありました。
北陸路(地図)にお出かけの際には、ぜひこの味をお試しあれ。
(写真:北陸道上り線小矢部川SA=17日撮影、640×480拡大可能)
<参考HP>
・ NEXCO中日本
http://www.c-nexco.co.jp/
・ ホテルニューオータニ高岡
http://www.masunosushi-toyama.com/
・ 富山ます寿し協同組合
http://www.toyama-masuzushi.or.jp/
・ ますのすし本舗 源
http://www.minamoto.co.jp/
・ 駅弁資料館 (まっこうくじらさん)
http://kfm.sakura.ne.jp/ekiben/
小矢部川SA名物・富山名産 鱒のいくら寿し (8月17日) | |
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富山県魚津市で開催された第44回じゃんとこい魚津まつり海上花火大会(平成25年8月3日)から、海の生き物を描いた(と思われる)花火のひとつを1分間にまとめてみました。
<参考HP>
・ 魚津市観光協会 「魚津たびナビ」
http://www.uozu-kanko.jp/
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<行程>
長野市→(国道18号線)→新潟県新井市→(上信越自動車道・北陸自動車道)→有磯海SA・小矢部SA→金沢森本IC→国道159号線→兼六園(県営兼六駐車場)→21世紀美術館・石川四高記念文化交流館・尾山神社・近江町市場→兼六園(駐車場)→(国道159号線:七尾街道)→七尾市・和倉温泉・能登島・道の駅のとじま→(国道160号線:氷見街道)→氷見市・雨晴海岸→(国道415号線・県道24号線)→富山県高岡市・古城公園→(県道44号線)→富山西IC→(北陸道自動車道・上信越自動車道)→長野市
夏休みの1日を利用して、北陸・加賀百万石の城下町金沢と能登を 訪ねてみました。訪ねた…とはいっても、時間的な制約もあり、車から乗り降りする時間がほとんどなかったため、雰囲気だけを味わってきたといったこと正直な感想でしょうか。
北陸の魅力は多くの文人・墨客が作品に残すほど。秋の北陸路の魅力はまた格別とのことですから、近いうちに再訪できればいいな、と思っています。
(写真:重要文化財 金沢城石川門=平成24年8月18日撮影、640×480拡大可能)
北陸自動車道 | |
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有磯海SA (富山県魚津市) | 小矢部SA (富山県小矢部市) |
金沢編 (地図)
長野市内の自宅を出発したのは午前6時。上信越自動車道・北陸自動車道を走り、最初の目的地に到着したのは午前10時頃でした。実際にはもう少しはやく到着できるわけですが、途中のサービスエリアでのんびりしてしまったため、4時間かけての金沢行きとなりました。
駐車場は、日本三名園のひとつ兼六園(けんろくえん)近くにある県営の兼六駐車場を利用。石川県観光物産館を右手に見ながら、先ずは金沢観光の定番ともいうべき金沢城公園( http://www.pref.ishikawa.jp/siro-niwa/kanazawajou/ )へと向かいました。
金沢城公園は、加賀藩の居城であった金沢城を整備してつくられた公園。なかでも江戸時代から残る重要文化財の石川門は金沢城を代表する建物で、記念撮影には欠かせないおススメのスポット。現在、周辺は修復工事(平成25年3月中旬まで)が行われており、ちょっと残念ではありましたが、金沢まで来た証(あかし)もないといけないと思い、先ずはここで1枚。
兼六園は時間的にぐる~りめぐることは難しかったため、今回はパス。その代わりに、ここのところ何かと話題を集めている21世紀美術館へ。お掘通りを下り、右手に三層の石垣の上に築かれた辰巳櫓跡を見ながら進むと、金沢21世紀美術館がありました。
金沢21世紀美術館( http://www.kanazawa21.jp/ )は、平成16年に開館。まん丸の建物が斬新であるばかりか、じつは展示物にも驚く仕掛けを備えた施設であったりします。ここで見たかったのは「スイミングプール」。深いプールを覗き込むと、プールの底に人の姿が…。実際にはプールの底は空間で、外部と内部との境にあるガラスの水が張られているだけというものですが、覗き込むと深いプールに見える不思議な作品であったりします。「ブルー・プラネット・スカイ」は、部屋の天井に正方形の空間があり、空を見上げることができるというもの。「雲を測る男」は施設屋根最上部に展示されているもので、まさしく雲を尺で測っている様子が表現されています。雲を測る…という意味が重要な作品のようです。
石川四高記念文化交流館の公園を抜け、尾山神社の不思議な建物を右手に見ながら国道をてくてく歩いて向かった先は近江町市場( http://ohmicho-ichiba.com/ )。金沢へ来たら、やっぱり海の幸でもと思いましたが、ハラが減ってはイクサもできん…と、買い物はともかくとして、先ずは市場の2階にある飲食街へ。店先にあるメニューを見ると、どうやら海鮮丼がどの店もイチオシの様子。お昼時ということもあり、どこの店も満員御礼状態でしたが、えいっと、金澤屋吉右衛門さんの暖簾をくぐり、金沢金箔入りのいくらの味をしっかり堪能しました。
ほかにもたくさんの観光スポットが金沢市内にはあるわけですが、時間的にここらが限界…というわけで、やむなく近江町市場から引き返し。大手掘横を歩き、兼六駐車場へと戻りました。
・金沢市観光協会
http://www.kanazawa-kankoukyoukai.gr.jp/
石川県金沢市 | |
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金沢21世紀美術館 | |
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石川四高記念文化交流館 | 尾山神社 |
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近江町市場(左)と金澤屋吉右衛門さんで頂いた「海鮮丼」(右) |
能登編 (地図)
金沢市から七尾市までは、国道159号線を利用して向かいました。
有料の能登道路を利用してもよかったのですが、この国道159号線・通称七尾街道沿いには、戦国時代から幾多の合戦の場となった城跡が点在していると聞いていましたので、ぜひ通ってみたかったわけです。代表的なものとしては、県指定史跡の末森城跡(地図)。戦国時代の天正12年(1584)、徳川方の富山城主佐々成政がこの末森城を攻めました。しかし、豊臣方の前田利家が援軍を差し向けこれを撃退。前田家存亡の危機に、僅かな手勢で立ち向かった前田利家のこの行動は、後の加賀百万石誕生へのステップにもなった重要な戦いだったと伝えられています。城跡は国道159号線沿いにあり、入口には立派な案内板が設けられていました。機会があれば、ぜひ本丸まで歩いて訪ねてみたいなぁと思っています。
さて、話は戻って七尾市へ。
能登半島のほぼ中間にある七尾市は、能登の政治・経済の中心地で、古くは能登国府や国分寺があった場所。戦国時代には、能登畠山氏が七尾城(地図)を拠点に勢力を強め畠山文化を形成するものの、天正5年(1577)に越後の上杉謙信の攻撃を受け滅亡。その後は前田利家が支配し、江戸時代には加賀藩の一部となりました。
この七尾で忘れてならないのが、安土桃山時代から江戸時代にかけて活躍した絵師・長谷川等伯(はせがわとうはく)の生まれ故郷であること。七尾出身の等伯は、京都に上り、長い年月を経て、やがて絵師としての表舞台に立ちます。国宝「松林図屏風」(東京国立博物館蔵)は等伯の代表作であり、近世日本水墨画を確立させた作品とよく知られるところです。等伯については、日本経済新聞朝刊にも長期間連載(作:安部龍太郎氏)されていましたので、興味深く読まれていた方々も多かったのではないでしょうか。
今回は訪ねることができませんでしたが、七尾市には長谷川等伯の作品を展示する石川県七尾美術館( http://nanao-art-museum.jp/ )があります。こちらも機会があればぜひ訪ねて、等伯の作品を見てみたいと思っています。等伯の生涯については、七尾美術館ホームページに詳しく記されていますので参考にご覧ください。
七尾市街地を抜け、和倉温泉を右手に見ながら次は七尾湾に浮かぶ能登島へ。石川県能登島ガラス美術館のある丘に車を停め、屋外展示されているさまざまな作品を見ながら、北に続く半島とどこまでも広がる青い日本海の景色を堪能しました。
能登島大橋を渡って、和倉温泉( http://www.wakura.or.jp/ ) まで戻ると、道路脇に聞いたことのあるお名前を記した看板がありました。
![](/emoji/E/269.gif)
七尾出身の辻口氏の構想とアイデアで誕生したミュージアム&カフェが、この和倉にあるとのこと。それでは…とばかり、地図を頼りに訪ねてみることに。しかし、お店の駐車場は全て満車。仕方なく助っ人をお店に派遣して、その雰囲気を具(つぶさ)に観察してきてもらいました。和倉温泉総湯近くにあるこの美術館。外見は思いのほかシンプルなのですが、帰ってきた助っ人はひとこと、「すごい~っ」と。いったい何がすごいんや~と聞いても、す・べ・て
![](/emoji/E/167.gif)
因みに「ル ミュゼ ドゥ アッシュ」の名称のこのお店、兼六園近くの石川県立美術館内にも開設されているそうです。
・七尾市ホームページ
http://www.city.nanao.lg.jp/
石川県七尾市・能登島 |
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道の駅のとじま・石川県能登島ガラス美術館からの眺め (クリックで拡大) |
富山県氷見市・高岡市編
七尾市に戻り、長野に向けていよいよ帰路へ。
国道159号線をそのまま戻ってもよかったのですが、せっかくここまできたのだから…ということで、国道160号線経由で富山県高岡市(地図)へと向かいました。先ずは、半島東海岸を南下し、道の駅ひみ(富山県氷見市)へ。
氷見といえば、初冬の富山湾で採れる寒ぶり( http://www.info-toyama.com/ )が有名。ぶりのなかでも最高級のブランドとしられる富山湾のぶりは、かつて野麦峠を越えて長野県松本市まで運ばれ高値で取引されました。富山から松本までの街道は今も「鰤(ぶり)街道」と呼ばれ、当時の歴史を留めています。道の駅ひみには、なんと!キャラクター(らしい)・ブリ小僧なる銅像も…ありました。
・氷見観光協会ホームページ
http://www.kitokitohimi.com/
富山県氷見市 | |
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道の駅氷見(左)と道の駅の公園で鰤をよっこら持ち上げる「ブリ小僧」(右) |
氷見市内を抜けて、国道415号線を東へ進むと、やがて義経伝説が残る雨晴(あまはらし)海岸に到着。この海岸、源義経が奥州に落ち延びる際に、にわか雨の晴れるのを待ったことから「雨晴」の名称が付けられたといわれ、国道沿いの海岸に「義経岩」と呼ばれる大岩が残されています。また、ここからは富山湾越しに北アルプスの山並みが一望でき、北陸ならではの風景を撮影するため、大勢のカメラマンが訪れる場所としても知られています。観光協会のホームページに会員さんが撮影した素敵な海岸の写真がたくさん掲載されています。ぜひご覧ください。
・雨晴観光協会 (ライブカメラあり)
http://www3.nsknet.or.jp/~amaharasi/
JR氷見線に沿って、県道24号・32号線を進むと、やがて富山県第2の都市・高岡市へ。
市内に入って、先ず目にしたのは路面電車。かつては地方都市の足として活躍した路面電車でしたが、交通量の増加に伴い、多くの路面電車が廃止され、広い道路に変わりました。しかしながら、環境問題がとりだたされている昨今、再び路面電車への関心が高まっており、富山市では最新鋭の路面電車を導入するなどの試みが行われ、全国的にも注目されるところとなっています。高岡市でも富山市同様に路面電車が市民の足として活躍しており、路線も充実されていると聞いています。
古き街並みと路面電車。
車を走らせながら、冬の雪の降る中、路面電車が走る風景を想像してしまいました。
県道64号線をJR高岡駅に向かう途中に、高岡市民憩いの公園・古城公園( http://www.kojyo.sakura.ne.jp/ )がありました。加賀前田家二代目当主・前田利長が、慶長14年(1609)に築城し、元和元年(1615)の一国一城令により廃城となった後も城跡の遺構は前田家により残されました。明治初期には、民間払い下げにより城跡が失われることを憂いた当時の高岡町民が町のシンボルを残すために尽力し、その後整備されたものが現在の公園となっているようです。
しか~し、もう夕闇も迫り、この後長野まで戻るとなると、とても立ち寄れる状況になく…。残念ながらお掘り端をぐる~り車で巡り、やむなく帰途へ。次回はぜひ街並みとのセットで、ゆっくり訪ねてみたいと思いました。
・高岡市公式ホームページ
http://www.city.takaoka.toyama.jp/
旅の締めくくりは「ブラックラーメン」 有磯海SA編
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有磯ブラックラーメン |
北陸の旅の締めくくりは、富山名物のブラックラーメン、ということで、途中、有磯海SA( http://www.c-nexco.co.jp/ )に立ち寄り味わってみました。ブラックラーメンとは、塩分補給のため醤油を濃くしたラーメンで、スープの色はイカスミでも入れたのかなぁ…と思えるくらいの黒いのが特徴。もともとは「大喜」というラーメン屋さんが始めたそうですが、その後に市内ラーメン店に広がり、今ではご当地ラーメンとして知られるに至りました。
北陸道有磯海SA(下り)で提供されているブラックラーメン(850円)は、醤油味に少しコショウが効いたもの。こんなに黒くて大丈夫か~と、「塩分控えめ」が合言葉になっている長野県人には一抹の不安が過りましたが、角煮へも味がしみ込み、なかなかのお味。おいしいものは、やっぱりおいしいというのが正直な感想。機会がありましたらぜひどうぞ。
北陸道→上信越道経由で長野市内に到着したのは午後10時頃。
さすがに一人運転は疲れました。
いろいろ欲張りすぎて、どこもゆっくり立ち寄ることができませんでしたが、北陸にも信州にはない魅力がたくさんありました。次回は、金沢・富山とポイントを絞って、ゆっくり街並みを楽しんでみたいと思っています。
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富山県下新川郡朝日町の境地区(地図)に残る加賀藩の関所跡。
跡地には現在「関の館」が建てられ、関所の様子を描いた「境関所御囲絵図(さかいせきしょおかこいえず)」や、境関所における取り締まりの方法や形式の先例を収めた「類聚旧例古格(るいじゅうきゅうれいこかく)」が保存されています。
(写真:関所庭園跡に残る池=平成23年11月26日撮影、640×480拡大可能)
<参考資料> 富山県指定史跡 境関跡
ここ境地区は、越中(富山県)と越後(新潟県)との国境に位置するため、中世頃には国境警備のために関所が設けられていた。
近世に入り幕藩体制が整えられると、加賀藩では慶長十九年(一六一四)に国境の治安維持と通行管理のため、奉行と多くの警備役人を置き「口留番所」を「関所」とした。
境関所には、岡番所と浜番所があり陸上と海上の警備を行った。岡番所内には藩主の宿舎となった「御旅屋(おたや)」、関所役人の自舎の「御貸家(おかしや)」や塩蔵、土蔵、牢、地区の西方に離れて「刑場」もあった。また、背後の山には国境街道と海上の見張所である「お亭(ちん)」を設けて、陸海越境者の監視にあたり、境関所の厳重さは、日本随一と言われた。
明治二年(一八六九)に関所が廃止されると、跡地は境小学校などの敷地となった。小学校閉校後に建てられた「関の館」には、「境関所」の歴史を物語る各種の資料が展示されている。
主なものは、天明五年(一七八五)に藩命で作成された平面図で、関所絵図のうち最も古く正確な「境関所御囲絵図(さかいせきしょおかこいえず)」。関所設置以後二百年間、関所で扱ったいろいろな出来事を詳細に記録した関所運営の事例集「類従旧例古格(るいじゅうきゅうれいこかく)」があり、いずれも町指定文化財となっている。また、屋外には当時の関所庭園を偲ぶために復元された関所の池がある。
<参考資料> 関所の池
この池は境関所についての絵図のうち、最も正確な天明五年(一七八五)製作された「境関所御囲絵図」を基本として復元したものです。当時の規模は東西十六間(三十八・八メートル)、南北六間(一〇・八メートル)でしたが、現在、規模は縮小されています。池は藩主の宿舎となった「御旅屋」、関所役人の官舎だった「御貸家」の西南に位置した関所庭園内の池でした。
明治二年(一八六九)二月、関所が廃止されると跡地は国有地、そして小学校地となり、現在に至っています。
かつては、西南のふちに椎(しい)の古木があって池面に涼しい影を映していたといわれています。明治以来池の東側が埋立てられ、また、昭和四十四年八月には集中豪雨による崖崩れにより埋没しましたが、昭和四十五年に復元したものです。
<参考資料> 朝日町指定文化財 境関所資料
境関所御囲絵図(※二枚)は、関所の平面図で天明年間、藩の命によって調製したものでこの絵図はそのときの控えであり関所絵図のうち最も古く、正確なものである。
類聚旧例古格は、慶長十九年加賀藩が正式に関所と定めてから明治に年廃関に至るまで、いろいろのできごとを詳細に記録したもので、境関所運営記録とも言うべきもので全三冊に分けられている。
(何れも、富山県教育委員会・朝日町教育委員会設置の案内板から)
<参考HP>
・ 朝日町ホームページ
http://www.town.asahi.toyama.jp/
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