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森鴎外の代表作「山椒大夫」( Wikipedia )に登場する安寿と厨子王の供養塔。
(写真:関川近くにある安寿と厨子王の供養塔=平成27年5月23日午後撮影、640×480拡大可能)
<参考HP>
・ 上越観光ネット
http://www.joetsu-kanko.net/
・ 「山椒大夫」(青空文庫)
http://www.aozora.gr.jp/cards/000129/files/689_23257.html
<参考資料>
今から約九百二十年前、陸奥岩城の国信夫郡の国守岩城判官正氏は悪人の讒言により筑紫(九州)に流されました。
左遷されていた時、妻と召使いの姥竹は安寿姫(十四才)と厨子王丸(十二才)の二子を連れて岩城(福島)からはるばると父を尋ねて行く途中、この直江の津の應化の橋の袂で山岡大夫にだまされて母親と姥竹は佐渡の二郎に、安寿姫と厨子王丸は越中の人質、宮津の三郎に売られました。
知らずにいた四人も港を出ると北と西とに漕ぎ別れていく舟にそれと気付き、子を呼ぶ母、母を呼ぶ子、その悲嘆のうちに身を投げた姥竹を土地の人々が厚く弔ってここに塔を建てました。
その後、安寿姫は悲しみの余り沼に身を投げ、死んでしまいました。
そこで姥竹の塔の脇に又、小さな塔を建てて弔いました。
厨子王丸が関白師寛に用いられ丹後の国守となって佐渡にいた母を迎えてこの津を上った時、土地の人々は温情に感泣し二人の塔に供養したと言われ、それから人々の手向ける香華が今も絶えないのであります。
(上越市設置の案内板から)
<参考資料> 山椒大夫 鴎外森林太郎
「山椒大夫」は、説経節の「さんせう太夫」に想を得て書かれたといわれていすが、「直江の浦」つまり直江津の情景が、より細かく描かれています。
鴎外は明治十五年、軍医として新潟県を訪れて高田に宿泊、直江津を徒歩で通過しています。
「北游日乗(ほくゆうにちじょう)」という日記には、加賀街道の景色やまちで出会った人々のことが漢詩に残されていますのでこの時の印象が物語のなかに強く反映されたようです。
原本所蔵・島根県津和野町森鴎外記念館
(三八朝市周辺まちづくり協議会設置の案内板から)
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