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上田市生田茂沢(地図)にある井戸跡。歴史的にも由緒ある井戸でしたが、新幹線工事に伴う残土搬入により埋没することとなったため、関係者の協力を得て現在の場所に移設されました。 (写真=27日撮影)
<参考資料> 下井戸の由来
この井戸は、文久三年(一八六三)浄源寺で百日間に亘って開かれた江湖會(僧侶の修行の会)の際、参会僧侶延べ四千二百七十人の飲用水のほとんどをまかなったと言われる。
また、泉源の井戸の中で、この井戸だけは水質もよく、どんな干天にも枯渇した事が無く、村中がこの井戸を利用したと伝えられる。
古道の傍らに在ったため延享(一七四六)の頃出来た「茂沢の渡し」の旅人も理容したことだろう。水神様も祭られている。
平成五年二月から北陸新幹線丸子トンネルの堀削残土が当地区に搬入されることになり、歴史的な遺構が埋没されるに忍びないので関係者のご協力により、ここに移動した。 (当時の丸子町茂沢区が建てた案内板から)
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上田市生田の信州国際音楽村(地図)では、27日から「すいせんまつり2010」が始まりました。園内のすいせんは、一部で開花しているものが見られるものの、全体的にはまだつぼみのものが多く、見ごろは4月上旬頃になりそうです。 (写真=27日撮影)
<参考HP>
・ 財団法人信州国際音楽村
http://www.ongakumura.or.jp
信州国際音楽村 上田市生田2937-1
TEL 0268-42-3436 FAX 0268-42-3948
[ 入園料 ] 無料
開花したすいせん | つぼみのものがたくさん |
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上田市の別所温泉にある北向観音(地図)に参拝。
厄除祈願で有名なだけあり、今日も老若男女問わず、多くの参拝者が訪れていました。
さて、たびたび問い合わせのある護摩祈祷修行についてですが、参拝ついでに調べてきました。本堂に張り出されていた案内によれば、午前7時、午前10時30分、正午、午後1時30分、午後3時の5回行われているようで、御祈祷料は5000円(車の御加持は1000円増し)とのことです。
記憶では、内容を記した申込書に御祈祷料を添えて申込みし、その後、時間まで控えの部屋(本堂左手の建物)で待機していたように思います。提出する申込書は、御祈祷の際に、お坊さまが住所や名前などを読み上げていましたので、記入事項はもれなくきちんと。詳しくは0268-38-2023(北向観音)まで。 (写真:北向観音=31日撮影)
<参考資料> 善光寺大地震絵馬
本堂内右手に掲げられている絵馬。善光寺詣でに訪れた市之助が、北向観世音のお導きで、善光寺大地震の災害から救われる様子を描いたもので、災いから逃れることができた市之助がお礼に奉納したものと伝えられています。
尾州知多郡新田の市之助なるもの、同行十五人と信州善光寺詣りを思い立ち遥々の旅に出ましたところ、日頃、尊信し奉る北向観世音御夢枕に立たせ給うを見て、信心肝に銘じ、上田宿にて同行と別れ、当山へ参詣厄除けの御守護札を受け、稲荷山宿にて一行と落ち合い、打ち揃うて善光寺へ参詣し、大門町ふじ屋旅宿に一泊いたしました。時に弘化四年三月二十五日(平成元年を去る百四十二年前)、時恰(あたか)も善光寺御開帳の中回向の当日でありました。その夜五つ半時(午後八時半)、あの恐ろしい然も名高い善光寺大地震に出会い、横死者一万五千人という地獄相の中を、不思議やかすり疵一つ受けずに逃れ出でて、同宿の人々は皆行方不明となりました。市之助ふと懐中を探れば、北向厄除御守札が二つに裂けちぎれて居りました。是正しく、大悲尊御身代わりに立ち給いしと随喜渇仰の余り、御礼参と共に額面を奉納いたしました。 (案内文から)
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上田市仁古田から舞田に向かう途中(地図)にある太平洋戦争中の遺構。
太平洋戦争末期、名古屋にあった飛行機製造工場の移転を目的に地下壕を掘ったものの完成することなく終戦を迎え、以降、朽ち果てるまま放置されました。
入口にある看板を頼りに、僅かに残る人の歩いた跡を辿ってみましたが、何本も掘られた濠の跡なのか、到るところにある窪地は確認できたものの、目的の工場跡地を見つけることはできませんでした。 (写真:「地下壕」がある周辺=31日撮影)
<参考資料> 仁古田飛行機製造地下工場跡
太平洋戦争の末期ころ(昭和二十年六月)日本軍部は、上田地区(仁古田、八木沢、東塩田、川辺)に飛行機の製造工場を疎開させる目的で、地下壕の建設を始めました。
この工事には、強制連行された多くの朝鮮の人達のほか、上田・小県地域の勤労報国隊の人達も加わり、八月十五日の終戦まで、約四十日間地下壕の建設に従事しました。
この仁古田地区に残る地下壕とコンプレッサー設置跡は、当時を物語るものです。
上田市・上田市教育委員会では、市民の皆さんに広くこの事実を知っていただくため案内板を設置しました。
この地域は、財産区所有の土地と民有地が入り組んでいますので、見学に当たっては案内板の指示に従ってください。
なお、地下壕のある山は、毎年九月一日から十月三十一日までに間は、松茸山となり、見学することができませんのでご注意ください。 (上田市・上田市教育委員会設置の案内板から)
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上田駅お城口のイベント広場(地図)で今月31日まで開催されているイルミネーションの様子です。 (写真=16日午後5時21分撮影)
<参考HP>
・ 上田市ホームページ
http://www.city.ueda.nagano.jp/
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