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160211_0927_かんてんぐら・宮川街歩きマップから(茅野市)

16_宮川街歩きマップ
宮川街歩きマップ
冬の寒さと適度な乾燥に恵まれた茅野市は、江戸時代から続く寒天作りが盛んで、全国一の生産量を誇ることで知られています。市内宮川地区には、寒天作りの歴史を伝える寒天蔵などの貴重な建物が残されており、雄大な八ヶ岳連峰を背景にして建つその姿は、季節ごとにさまざまな姿を魅せてくれます。
今回は、JR茅野駅内にある茅野市観光センターでいただいた「宮川街歩きマップ」を参考に、寒天蔵のある風景に会える街の見どころを訪ねてみます。
(写真:かんてんぐら=11日午前撮影、640×480拡大可能)

<参考HP>
・ かんてんぐら(宮川くらの会)
  http://www.chinonet.net/miyakura/
・ 鈿女神社
  http://www.okame.info/
  
<今回の街歩きコース> 
かんてんぐら(地図)→三輪社→おかめ神社→イリイチ寒天蔵→増木寒天蔵→松木寒天蔵→上川橋→円通山宗湖寺→木落し公園→甲州街道・一里塚→かんてんぐら

<参考資料> かんてんぐら
この建物は、昭和初期、岡谷に在った繭蔵を移築し寒天倉庫として使ってきたものです。明治から大正期、岡谷は製糸で栄えていました。昭和に入り製糸が下火になるのと入れ替わるように、ここ茅野では寒天作りが盛んになっていました。
『かんてんぐら』はそんな風景の中、岡谷から移築されてきたものです。繭倉として建てられてから築百年以上と考えられています。この地域300m圏内に同じくらいの規模の「寒天倉」はこれを含め4棟在りますが、共に岡谷の繭倉を移築したものです。
寒天倉庫としての役目を終えたこの『かんてんぐら』を、平成21年、多目的ホールに改築して、現在は音楽をはじめとする様々なイベント等で使用しています。

<参考資料> 明治天皇御小休所跡
160211_0931_明治天皇茅野御小休所・宮川街歩きマップから(茅野市)
五味邸跡
ここは、明治天皇が三重・滋賀・京都など巡幸された際に、御小休所に充てられた五味邸の跡である。
天皇は、明治十三年六月二十三日午後二時過ぎ、五味邸にお着きになり、約一時間お休みになった。お供には伏見宮・太政大臣三條実美・参議伊藤博文・同寺島宗則などのほか、勅任官・奏任官・判任官、及び警固の者まで加えるとその数三百人とも五百人とも伝えられている。
お迎えした給仕には五味又三・大島総十郎・五味嘉与助が当たり、天皇及びおもだった供奏者には、宗湖庵の井戸から運んだ水を用いてお茶を差し上げたという。
(案内板から)

明治十三年明治天皇は山梨・三重・京都御巡幸の際茅野をお通りになり、丸井伊藤商店前の五味三郎宅で御休憩された。出発は六月十六日で二十三日山梨県から諏訪に入られ午後に地に五味宅へお着きになった。一行は伏見宮・太政大臣三條実美・参議寺島宗則・伊藤博文等五百余名が従者としておいでになり、小休所では宗湖庵の井戸水を用いてお茶を差し上げた。御下賜品は白羽二重一匹・金拾五円、宗湖庵へは金五十銭を賜った。一行は約1時間お休みになって上諏訪へご出発された。
(丸井伊藤商店前に設置された案内板から)

明治天皇の巡幸について「宮川街歩きマップ」に詳しく記されていますので引用しておきます。また、資料については emoji 国立公文書館デジタルアーカイブ をご覧ください。
 
明治天皇は明治十三年に民情ご視察のため、伏見宮・三条太政大臣・参議寺島宗則・同伊藤博文らをお従えになり、山梨・三重・京都地方をご巡幸になった。六月十三日東京をご出発、甲州路より諏訪に入られ、二十三日午前十時ごろ、長野県令楢崎寛直のご先導により蔦木宿の本陣有賀源六宅にお着きになった。約一時間ご小休の後に出発。今の釜無河原平岡でご小憩。ここより御馬車を板輿に替えられて富士見町原の茶屋の戸長役場に向かわれた。ここで一時間ほどお休みになり二頭立ての御馬車で金沢宿本陣白川潤一郎宅に着かれたのは正午であった。ご食事の後、午後一時半ご出発、茅野五味和三郎宅でご小休、この時奉幣使を上社にお遣しになった。午後五時ごろ、諏訪市旧高島小学校の行在所に着かれてご宿泊された。

<参考資料>
市指定文化財 三輪社
160211_0930_三輪社・宮川街歩きマップから(茅野市)
三輪社
三輪社は久寿年間(約八一〇年前)に、大和国三輪村の三輪神社をこの地にお迎えしたものと伝えられ、宮川茅野・西茅野両区の産土神である。祭神は大国主命・稲御魂(うがみたま)命・櫛玉命である。
本殿は文化元年(一八〇四)三月に矢崎糺玖右衛門により建築され、拝殿は文政三年(一八二〇)に建築されたが、明治四一年に改築している。
本殿の彫刻は、大隅流の流れをくむ矢崎玖右衛門の代表作である。江戸時代の建築の、彫材の技巧をこらした傾向がよく現れている。題材はすべて中国の歴史物語にとり、北面には「蜀の三傑桃園に義を結ぶ」の図、東面は「黄石公張良に兵書を授くる」の図、南面は「玄徳赤兎馬に鞭打って潭渓を越ゆる」の図である。欅を材として、半肉彫で、空間構成もよくととのい、春高い芸術作品である。
(茅野市教育委員会設置の案内板から・昭和55年)

<参考資料> 鈿女(おかめ)神社
160211_0928_おかめ神社・宮川街歩きマップから(茅野市)
鈿女(おかめ)神社
鈿女神社の祭神は古事記や日本書紀に書かれている天照大神が天の岩戸に隠れたとき岩戸の前で舞を舞った「天鈿女命(あまのうずめ)」で後には猿田彦神と共に「道祖神」として祭られるようになりました。「天鈿女命」の面は狂言の面としていわゆる「おかめ面」となりこれが「ひょっとこ」と一緒におかしく踊られるようになりました。このおかめを祭る神社は諏訪に三社あり 長持ちに必ずおかめ面を担ぐ慣わしになっています。
昭和八年統治の商業者が商売繁盛 家内安全 厄除け 縁結び祈願のために、安曇の松川村より分社して以来地元宮川商業会がお守りしています。
福の神としておかめ様があり「笑う門には福来たる」として 心の明るさと癒しを与えてくださいます。
鈿女の字を分けて見ると金田女神社となり お金の貯まる神社として縁起もよく人々に愛されております。
(宮川商業会 宮川街づくり協議会設置の案内板より)


160211_1007_増木寒天蔵・宮川街歩きマップから(茅野市) 160211_1011_増木寒天蔵・宮川街歩きマップから(茅野市)
増木寒天蔵
160211_1018_松木寒天蔵・宮川街歩きマップから(茅野市) 160211_1005_イリイチ寒天蔵・宮川街歩きマップから(茅野市)
松木寒天蔵 イリイチ寒天蔵

<参考HP>
・ 松木寒天産業
  http://www.kanten.co.jp/
・ アルプス印 イリイチ寒天
  http://www.iriichi.jp/
 
<参考資料> 板倉
八ヶ岳山麓周辺に残るくらの多くは「板倉」です。
板倉の古いものは「セイロ」と呼ばれる「井籠倉」で建物の隣で井桁に組まれた形式のものですが、この『かんてんぐら』は「オトシ」と呼ばれる「落し板倉」です。
「オトシ」とは、大きな梁で支えられた柱と柱の間に1.5~2寸(5~6cm)の厚みの板材を柱の溝に沿って落とし込む形式のものですが、この地域の多くのくらはこの「板倉」です。
板倉は、釘を使っていないのも特徴の一つです。土壁を落として解体すれば、又別の場所で組み立てることができます。豊富な森林資源を背景に数百年にわたって作り続けられたくらですが、先人達が自然と上手く共存しながら生活する中で、資源を建築に活かす技術の集大成であり、木と土の文化が生み出した世界的にも稀な木造建築です。
(宮川「くらの会」設置の案内板から)


160211_1022_円通山宗湖寺・宮川街歩きマップから(茅野市) 160211_1025_円通山宗湖寺にある明治天皇御膳水・宮川街歩きマップから(茅野市)
円通山宗湖寺 法の真水(明治天皇御前水)

<参考資料> 円通山宗湖寺の由来
円通山宗湖寺は諏訪家中興の祖諏訪頼忠公(法名永明寺殿晃山宗湖大庵主)の菩提所であります。
天文十一年惣領家諏訪頼重が武田氏によって滅ぼされて以来、雌伏四十年上社大祝職にあった頼忠公(頼重の従弟)は、密かに再興の機を窺って居りましたが、天正十年武田氏が天目山に滅び、織田信長も又本能寺の変に討滅されるや、いち早く兵を挙げ再び諏訪の地を旧領に復しました。頼忠は慶長六年関ヶ原の戦いでは江戸城の留守役を務め、二代将軍秀忠と行動し、戦功により、再び故国諏訪の地に移封となり、頼忠・頼水父子領民歓呼の裡(うち)に旧領に復帰したのであります。帰国後四年、頼忠既に齢七十一歳を閲みし、慶長十年八月二十一人その寿を全とうして卒去、永明寺(茅野市上原地籍、上原五山のひとつ)に葬られました。
(TMO宮川街づくり協議会設置の案内板から)

<参考資料> 寺紋 梶の葉
この四本足の梶の葉は、諏訪大社大祝諏訪氏の定紋で、古くは諏訪明神の生き神様大祝が着用した衣服に使われていました。従ってこの紋は、諏訪明神の神威と大祝の身分をあらわすものでした。
(TMO宮川街づくり協議会設置の案内板から)

<参考資料> 法の真水(明治天皇御膳水)
宗湖寺の水は、八ヶ岳の阿弥陀岳より深い地層の中を通り、フォッサ・マグナの岩盤の下より湧いていると考えられています。
明治天皇は明治十三年六月二十三日に茅野に巡幸され、御小休された際に御膳水として宗湖寺の井戸水を利用しお茶をさし上げました。冷たい天然水を飲んでみると甘くてヒンヤリとした水が喉を通り、明治時代の思いをはせながら茅野の水の豊かさを実感します。
石碑は、砥川の石を用い、台石は霧ヶ峰産であり、文字は諏訪大社宮司高階研一氏の筆であります。
(TMO宮川街づくり協議会設置の案内板から)

<参考資料>
曹洞宗 圓通山 宗湖禅寺 山門由来
此の門は明治十三年 明治天皇 山梨、長野、三重、京都御巡幸の砌、当地五味和三郎邸にご休息に成られた、その折り、旧諏訪藩家老千野家の門、通称三の丸の御門を移築しお迎え申し上げた奉迎門で有る。
六月二十三日 天皇は二頭立ての輦車に乗られ、伏見宮・太政大臣三條実美、参議伊藤博文、同寺島宗則、又宮内大書記官山岡鉄舟等数百名の供奉者扈従のものと同邸に御小休遊ばされた。
その折り当宗湖寺の井水を御膳水として湯茶の接待に供された。
爾来この門は百十数年此の地に有り一時は県史跡として保存指定を受け代々管理継承されて来たが、この度現在の当主五味宏太郎氏より五味家先祖の菩提供養と史跡保存のため、当時に寄進されるところとなった。
抑 当時宗湖寺は頼岳寺十九世覚海真禅和尚が、諏訪氏中興の祖諏訪頼忠公の位牌所の荒廃に憂い、一山を建立し以て公の霊を祀るべく常々親交厚く勢威並びない、時の城代家老千野兵庫の物心の亙る庇護のもの当寺を建立するに至ったもの。
今又五味家より千野家由来の門の寄進を得たるは当寺に一層の光彩を添えたるのみ成らず、仏縁にいよいよ深きを覚えるものである。
(円通寺 宗湖寺設置の案内板から・平成15年)


160211_1030_木落し公園・宮川街歩きマップから(茅野市)
160211_1033_w_木落し公園・宮川街歩きマップから(茅野市)
木落とし公園から見える風景
(パノラマ写真は 1280*332 拡大可能)

<参考資料> 御柱(おんばしら)
七年(数え年)に一度天下の大祭、諏訪大社御柱祭、四月に行われる「山出し」の最大の見せ場であり又、難所でもある「木落しの地」です。坂の長さ約三十六M、最大斜度二十七度とまさに断崖です。
めどでこに大勢の若者を乗せて、木遣り一声、一気に急坂を下りると沸き起こる拍手と歓声。木落しは男たちの度胸の見せ所です。
この御柱は前回、平成十六年の大祭に本宮四の御柱で曳行されたご神木です。次回平成二十八年の御柱まで設置しておきます。なお、危険ですので柵の中に入ったり御柱に乗らないでください。けが等をされても一切責任は負えません。
(晴ヶ峰西山観光協会設置の案内板から)

今回の街歩きで、マップに記載はあるものの、なかなか場所がわからなかったものが江戸から50里(約200キロ)の位置にあった甲州街道の一里塚でした。
これぞっと思った脇道に入りひたすら探し歩いてみるものの、道沿いにはそれらしきものは見当たらず、なかには行き止まりになっている道も。
そうしたなか、役だったのが「甲州街道てくてくマップ」(茅野市公民館 学習専門委員会作成)。そこには「かつて街道の両脇に築かれた塚は取り壊され、民家の間に碑だけがひっそりと残ります」という一文でした。
改めて、甲州街道と思われる道を歩くと、左手にある民家の石段を進んだ先(写真参照)に目指す一里塚を紹介する案内板がありました。分かりにくい位置にありますので、参考までに( emoji 地図 )を記しておきます。
 
<参考資料> 一里塚
160211_1134_甲州街道一里塚・宮川街歩きマップから(茅野市)  
甲州街道・五十里塚
(右側の石段を進んだ先)
徳川家康は関ヶ原戦後五街道の制を定め、その一つの甲州街道ははじめ甲府までであったが、後中仙道の宿場下諏訪まで延長し、甲府までを表街道、甲府から下諏訪までを裏街道と呼んだ。そして街道は三十六町毎に塚を築き、主として榎(えのき)か欅(けやき)を植えた。このうち茅野市内での一里塚は金沢木舟の四十九里塚とここ五十里塚があった。江戸から五十里のこの塚は比翼塚と云って道の両側に塚を築いたものであったが、明治十八年に民間に払い下げられ取り壊されてしまった。
現在はその跡を示す碑がたてられている。
(茅野市教育委員会設置の案内板から)





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