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宮川街歩きマップ |
權現の森(地図)に残る石祠は、青柳宿が移転した後の承応3年(1654)に建立されていますが、金山權現はもともと山の神であり、近くには武田信玄が開発した金鶏金山との関連から、石祠が建立される以前に、すでに信仰の場となっていたと考えられています。
(写真:茅野市金沢の国道20号線沿いにある權現の森=11日午後撮影、640×480拡大可能)
<参考資料> 權現の森
江戸から甲府までの甲州道中(甲州街道)が下諏訪まで延長されたのは慶長十五年(一六一〇)ごろである。そのことここは青柳宿といい、この権現の森の北西に家が並んでいたが、たびかさなる宮川の洪水や慶安三年(一六五〇)の大火を機に南方の現在地へ移転し、翌四年に金沢宿と宿名を改めた。この宿場は、山浦方面や松倉峠(金沢峠)を越して高遠方面に通ずる分岐点として、交通上、物資の流通上重要な所であった。
文化二年(一八〇五)に金沢宿より幕府に提出した「御分間御絵図御用宿方明細書上帳」に、「宿持鎮守 除地 拾六間四方 金山權現森壱ヶ所石御祠御座候 但江戸ヨリ右之方往還ニ御座候」とあり、權現の森と石祠についての報告がされている。
参道正面に祀られているのがこの石祠で、建立は承応三年(一六五四)である。青柳宿が移転して金沢宿と名を改めた三年後のことである。金山權現は、祭神は金山彦命で、山の神である。武田信玄が開発した金鶏金山との関係が考えられ、当時すでに祀られていたのではないかと考えられる。
石祠の左右には、江戸中期ことより庶民の信仰として祀られた御嶽座主權現・庚申・矜羯羅(こんがら)童子と制吨迦(せいたか)童子の脇侍をともなう津島牛頭天王・大六天・如意輪観音・蚕玉大神・道祖神石祠・石燈籠など大正期までの石造物二十数基が祀られている。
また、石祠建立のころの植樹かと思われるサワラの古木が残存し、森に趣きを添えており、信仰の場として、また憩いの場として今も江戸時代の名ごりを留めている貴重な場所である。
(茅野市教育委員会設置の案内板から・昭和59年)
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