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141109_1101_とみくら新そばまつり(飯山市) 141109_1040_とみくら新そばまつり(飯山市)
141109_1035_とみくら新そばまつり(飯山市) 141109_1054_とみくら新そばまつり(飯山市)

長野・新潟県境に近い飯山市富倉(地図)の富倉地区活性化センター・かじか亭前広場で9日、恒例の新そばまつりが開催されました。会場では、オヤマボクチ(山ごぼう)の葉の繊維をつなぎに使った富倉そばが700円、名物のかも汁が200円で提供され、色付く紅葉を眺めながら、旬の味覚に舌包みを打つ人たちで賑わいました。
(写真:左上・会場の富倉地区活性化センター・かじか亭、右上・オヤマボクチの繊維をつなぎに使った「富倉そば」と名物「かも汁」、左下・イベント「利きそば大会」、右下・地元農産物の販売)

<管理人ひとこと>
今年はお土産にかじか亭さんの「笹ずし」(5個入・700円)も購入。
家族でおいしくいただきました。
 
<参考HP>
・ 飯山市ホームページ
  http://www.city.iiyama.nagano.jp/
・ 信州いいやま観光局
  http://www.iiyama-ouendan.net/


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141018_1520_県道上越飯山線(光ヶ原牧場)

長野・新潟県道95号線(主要地方道上越飯山線)を、長野県飯山市温井から新潟県上越市板倉区まで、道中にある景勝地の秋を訪ねながら車を走らせてみました。
(写真:主要地方道上越飯山線沿線の秋=18日午後、640×480拡大可能)

<参考HP>
・ なべくら高原 森の家
  http://www.nabekura.net/


関田山脈周辺の秋を訪ねて
大神楽展望台周辺
141018_1416_県道上越飯山線(関田峠) 141018_1415_県道上越飯山線(関田峠)
141018_1425_県道上越飯山線(関田峠) 141018_1424_県道上越飯山線(関田峠)
鍋倉高原 茶屋池~関田峠
141018_1430_県道上越飯山線(関田峠・茶屋池) 141018_1434_県道上越飯山線(関田峠・茶屋池)
141018_1442_県道上越飯山線(関田峠・茶屋池) 141018_1436_県道上越飯山線(関田峠・茶屋池)
141018_1435_1_県道上越飯山線(関田峠・茶屋池) 141018_1435_2_県道上越飯山線(関田峠・茶屋池)
141018_1446_w_県道上越飯山線(関田峠)
グリーンパル光原荘~光ヶ原牧場
141018_1500_県道上越飯山線(光ヶ原牧場) 141018_1458_県道上越飯山線(光ヶ原牧場)
141018_1457_w_県道上越飯山線(光ヶ原牧場)
141018_1516_県道上越飯山線(光ヶ原牧場) 141018_1518_県道上越飯山線(光ヶ原牧場)


<参考資料> 関田峠道路改修碑文
141018_1445_県道上越飯山線・関田峠)
関田峠道路改修碑文
一七九九年北国街道宿場役人と関田猿供養寺間で約された峠の抜荷中止の措置は、峠の往来を不能にした。石油が発見され其の販路について、峠の再開が識者の間で考えられた。藤巻勘之丞は、別所川手の代表庄屋で、峠の再開による地域経済の発展に強い意欲を持ち関田近郷、信州温井、高井へ何度も歩を運び改修実施に漕ぎ付け自ら勧請し、金八三両を集め人夫延べ二三〇〇人余の寄進を得、関田温井両村を施工主とし、一八四七年起工、同五〇年三ヶ年を要して完工するに到った。以来、峠を越えて食塩、塩魚、海産物、米穀、石油、酒は信州へ、紙織物、大豆、諸雑貨等越後へ流れ出した。此等の品物を運搬する為、直江津春日新田或いは、稲田から田井、関根、宮嶋等を経由して、「牛追」「馬子」と称される人々が働く場を得、針が物資の集散地となった。藤巻勘之丞は、此の事業の記念碑の建立を考えていた。其の頃、高田藩の招請で昌平学講官佐藤一斉先生が来高していた。榊原藩主は、勘之丞の願いを入れ一斉先生に改修碑文の依頼を口添えされたと伝えている。碑文は、勘之丞の行為を聖人の道と称えている。此の改修が県道飯山線の基礎となり光ヶ原開発の礎となった事を思えば、勘之丞と関田村に対して深い感動を禁じ得ない。
佐藤一斉の碑文原本は、一斉に随行した大橋納庵の書画と共に町文化財として、別所部落に保存されている。 碑文原本より抜粋
(板倉町観光協会設置の案内板から)





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141005_1130_飯山城築城450年記念イベント(飯山市) 141005_1156_飯山城築城450年記念イベント(飯山市)
141005_1132_飯山城築城450年記念イベント(飯山市) 141005_1200_飯山城築城450年記念イベント(飯山市)
14_飯山城築城450年記念イベント(表) 14_飯山城築城450年記念イベント(裏)

飯山市の旧二中体育館で5日、飯山城築城450年を記念して、新潟県から「上杉おもてなし武将隊」、山梨県からは「風林火山 甲斐の虎武将隊」のみなさんによる演舞やご当地PRなどを行うイベントが行われました。
(写真:飯山城築城450年記念イベントから=5日午前撮影、640×480拡大可能)

<参考HP>
・ 飯山市ホームページ
  http://www.city.iiyama.nagano.jp/
・ 一般社団法人 みゆき野青年会議所
  http://www.miyukinojc.jp/
・ 越後上越 上杉おもてなし武将隊
   http://www.uesugi-busyotai.com/
・ 風林火山 甲斐の虎武将隊
  http://kainotora.com/


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141005_1234_寺町花街道 いいやま花フェスタ(飯山市) 141005_1224_寺町花街道 いいやま花フェスタ(飯山市)
141005_1228_寺町花街道 いいやま花フェスタ(飯山市) 141005_1232_1_寺町花街道 いいやま花フェスタ(飯山市)
141005_1233_寺町花街道 いいやま花フェスタ(飯山市) 141005_1232_2_寺町花街道 いいやま花フェスタ(飯山市)

飯山市愛宕町の雁木通りで4日と5日の2日間、恒例の寺町花街道 いいやま花フェスタが開催されました。
(写真:雁木通りの花フェスタ会場に展示された作品=5日午後撮影、640×480拡大可能)

<参考HP>
・ 飯山市ホームページ
  http://www.city.iiyama.nagano.jp/


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140923_1400_藤ノ木の御旧跡(飯山市)

飯山市旭藤ノ木にある浄土真宗の開祖・親鸞聖人および同宗中興の祖・蓮如上人逗留地(地図)。飯山市指定史跡。
(写真:藤ノ木の御旧跡=9月23日午後撮影、640×480拡大可能)

<参考資料> 藤ノ木の御旧跡
当地は、浄土真宗の宗祖である親鸞聖人が流罪を許され、関東に行く途中逗留したとの伝承を残している。さらに、同宗を中興した蓮如上人が、始祖親鸞巡錫のあとを辿って越後から樽本・大川を経て、この地に足を止め、本堂の庭に一本の榎を植えたが、これが良く繁って成長したので、別ぶ榎の御坊と呼んだと伝えられている。
江戸時代から大正末期まで、毎年四月二十五日には、近隣近在の信徒が大勢参詣し、門前市を成すほど宗教上の拠点であった。
その後火災等で景観は一変したが、当地方の民間宗教を知る上で欠かせない重要な場所である。
(飯山市教育委員会・藤ノ木区設置の案内板から)

<参考資料> 
ここは親鸞聖人 蓮如上人の御旧跡
建保二年(一二一四)親鸞聖人は流罪がとけて越後国から常陸国へ赴かれる途中藤ノ木の里にご逗留になり、夜もすがら教えを語られたと伝えられている。
信濃国の領主井上越後守善勝は深く聖人に帰依し一子善親を聖人の御弟子として聖人のお世話をさせた。法名を善性と給はる。そして磯部(茨城県)に一寺を建立した。これが磯部勝願寺の開基である。
宝治二年(一二四八)善性は、師聖人の命をうけ始めて藤ノ木の里に来り、聖人の教を弘めた。それ以降橙勝願寺と藤ノ木御旧跡を兼帯(住職兼務)で布教に努めた。
文安四年(一四四七)浄土真宗中興の祖蓮如上人は、宗祖親鸞聖人の御跡を慕い、北国ご巡回の砌、藤ノ木御旧跡にご滞在の折、勝願寺十二世度順は親しく上人の御教化にあづかり直弟子となって布教に努めた。上人はご逗留のしるしとして堂庭に一本の榎を植えられ、この木が大きくなって御旧跡を榎の御坊と称されるようになった。
勝願寺の累世住職が藤ノ木御旧跡を拠点として熱心に布教に努めたので、門葉ちまたにあふれ信越地方の門徒も非常に増えた。十五世善順の時、足利義輝卿より由緒あって南条に敷地の御朱印を給わり道場を建立し、更に十六世善栄の時天正九年(一五八一)織田信長より寺領(八町四面)の寄進を受け、磯部より事実上南条に移って南条勝願寺となった。(正行寺の前身)
爾来藤ノ木御旧跡は、浄土真宗の説教所として繁盛した。特に四月廿五日講んいが近郷近在の参詣者で賑い、飯山町の商人が出張して門前市を成した程であった。(大正末期まで)
弘化四年(一八四七)善光寺大地震により本堂倒壊。嘉永二年(一八四九)近隣門徒の寄進により本堂再建なる。
明治六年(一八七五)学制施行により、旭・外様・富倉を学区とする最初の小学校が御旧跡の由緒をかんがみ当所に開設された。
昭和三十五年(一九六〇)庫裡を取壊す。昭和四十六年夏隣家の火災により本堂の屋根及附属テtものを類焼失。同年秋屋根部分のみ改築、また近年道路などの拡張により石門を除去、榎も伐採されて往時の面影を一変させている。
(本堂に掲げられている平成元年十月に記された案内板から)





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