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140406_0922_ろうかく梅園(長野市信州新町)

長野市信州新町のろうかく梅園(地図)に咲く梅。
今朝の信濃毎日新聞朝刊によれば、現在は四分咲きとのこと。
来週には見ごろになるかもしれません。
(写真:ろうかく梅園に咲く梅の花=6日午前撮影、640×480拡大可能)

<イベント情報>
第20回ろうかく梅園花まつり
期日:平成26年4月5日から6日まで
   (7日から12日まで園内開放・入場無料)
詳細:信州新町観光協会
   http://shin-machi.com/





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140321_1449_長国寺にある恩田木工民親の墓(長野市)

長野市松代町の長国寺にある松代藩家老・恩田木工(杢)民親( Wikipedia )の墓。
藩政改革と財政建て直しに取り組む恩田木工民親の事績は、松代藩士馬場正方(杉羽)が記したとされる「日暮硯(ひぐらしすずり)」に紹介されています。
(写真:長国寺にある恩田木工民親の墓=3月21日午後撮影、640×480拡大可能)

<参考資料> 恩田木工民親の墓
恩田木工民親(一七一七~一七六二)の墓は、高さ二百四十センチメートルの宝篋印塔(※ほうきょういんとう)で、正面に「玄照院鐵翁道關居士」、左の側面に「宝暦十二壬午戴正月上六日」、右の側面には「俗名恩田氏民親墓」と刻まれている。
民親は、松代藩家老職恩田木工民清の子に生まれ、始め左吉のち靭負(ゆきえ)と称した。
当時の藩財政は非常に苦しく、領民もまた困窮して百姓一揆が起こる状態であった。家督を継いだ若き六代藩主幸弘は、こうした状況を打破するため宝暦五年(一七五五)民親を家老職勝手係に抜擢した。民親の施政方針は「うそを言わないこと」「倹約すること」「贈収賄をしないこと」「賭博行為も営利が目的でなく、ただ一時の娯楽としてならよい」などであった。
改革の主なものは、年に一度の納税法を月割納に改めて納税しやすくするとともに滞納を整理し、さらに領民の収入を増やすため山野荒地の開墾、養蚕の奨励など殖産興業にも力を注いだ。また、神仏崇敬思想の普及にも努力した。
民親の業績については「日暮硯」(ひぐらしすずり)に詳しく書かれている。
宝暦十二年病気のため四十六歳で死去した。
(長野市教育委員会・長国寺が設置した案内板から)





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140405_1235_道の駅千曲川に設置された電気自動車用急速充電器(飯山市)

飯山市常盤の道の駅千曲川に4日、電気自動車用急速充電器が設置されました。
(写真:道の駅の駐車場北側に設置された急速充電器=5日午後撮影、640×480拡大可能)


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140405_1221_原大沢の福寿草群生地(木島平村)

下高井郡木島平村原大沢(地図)に咲く福寿草。
群生地には写真のような咲き始めの福寿草がいっぱい。
来週には見ごろを迎えるかもしれません。
(写真:木島平村原大沢の福寿草群生地=5日午後撮影、640×380拡大可能)

<イベント情報>
第15回福寿草祭り
期日:平成26年4月12日から14日まで
詳細:木島平村ホームページ
   http://www.kijimadaira.jp/





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140321_1512_松代城下の高札場(長野市)

長野市松代町中町に復元された旧松代藩の高札場(地図)。
(写真:復元された旧松代藩の高札場と中町の市太神=3月21日午後撮影、640×480拡大可能)

<参考資料> 松代城下の高札場
140321_1510_松代城下の高札場(長野市)
140321_1508_松代城下の高札場(長野市)
高札と宿場の配置図
この高札場は、松代藩が城下に対するきまりやお達しを立札(高札)に書いて掲示した所で、江戸時代に中町の北国脇街道筋(現国道四〇三号)にあったものを復元しました。
高札場が中町におかれたのは、早くから有力な町人達が居住し、松代藩の下で城下八町を統括する「町年寄」や、松代藩で人馬継ぎ立てを行う「問屋」を勤める城下宿場の中心地であったことに因ります。
松代藩には「本陣」はなく、「検断(けんだん)」(自治警察的な役職)を兼ねた「問屋」が高札場の管理を行い、火災時には「高札場堅め」を設け中町全戸で高札場の守りに当たった。
高札場は明治六年廃止され、松代町の掲示場となったが以後の詳細は不明で、また明治時代二度の大火で宿場町の町並みは焼失し、その面影や遺跡は残っていない。
平成二十三年中町公会堂広場整備にあたり、往時の歴史的景観の再現を図り、唯一の宿場町遺物である中町市太神碑の移転鎮座と城下高札場の復元を行ったものです。
尚、高札場の復元は旧藩領内近隣の高札場をもととし、高札の文面は江戸時代の文章をわかりやすく表記し、説明を加えた。
(案内板から)

<参考資料> 高札場の基礎石
140321_1509_松代城下の高札場(長野市)
高札場の基礎石
この石は旧松代藩高札場の基礎石の一部で、高札場があった中町の旧北国脇街道の屋敷地(現六七〇番地)に残っていたものです。
この街道は廃藩後、県道谷街道として整備され、高札場の基礎石は東側屋敷の道端に寄せられていました。
ここは、松代藩の下で高札場の管理にあたった松代藩問屋兼検断伴家の屋敷南に位置した所です。
平成二十三年三月、高札場復元にあたりこの建物の押さえ石として、ここに移しました。
※柵内の木樋管は城下時代、現「つつみ公園」の水源から城下五町に引いた上水井戸をつないだ木樋で、高札場付近から出土したものです。
(案内板から)

<参考資料> 中町の市太神
140321_1512_中町の市太神(長野市)
中町の市太神
中町の市太神は、江戸時代には御馬出(おうまだ)し通り沿いにあった大きな市太碑です。
もともと人が集まる所に市が立ち、市の入口や中心地に市神をまつり、市の繁栄や安泰を願うことが行われていましたが、この市太神の造立年代や由来の詳細は分かりません。
古くは東条尼巖(あまかざり)城下(後に東条荒町)にあったものが、松代城下に人々が集まり商売繁盛の地となった中町へ移されたといわれています。
市太神は町人町の市神として正月十一日を市神祭日と定めて信仰を集め、城下でも早くから市が立ち、すでに寛文年間(一六六〇年代)には「六斎市(ろくさいいち)」(月六回の定期市)が中町伊勢町、荒神町で開かれていました。
廃藩以後は次第に忘れられ伝承も途絶え長い間小鮒川辺りに置かれていたものを、平成十三年中町公会堂前に移し、同二十三年公会堂広場整備にあたりここに移転鎮座したものです。
(案内板から)





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