管理人の思いつくまま、気の向くまま、長野県内の町や村の話題を取り上げています。
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長野市の市立図書館(地図)に咲く魯桃桜が見ごろを迎えています。
図書館のホームページによれば、今年の開花は26日で、これは昨年より10日、平年より6日遅い開花ということです。
(写真:市立図書館に咲く魯桃桜=29日午前撮影、640×480拡大可能)
<参考HP>
・ 長野市立図書館
http://library.nagano-ngn.ed.jp/
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長野市松代町鏡屋町にある延喜式内社(地図)。登録有形文化財。
(写真:祝神社境内=21日撮影、640×480拡大可能)
<参考HP>
・ 神社建築情報サイト・おみやさん com
http://www.omiyasan.com/
<参考資料> 祝(ほうり)神社
祭神 生魂命(いくたまのみこと)
相殿
健御名方富命(たけみなかたとみのみこと)
八坂斗売命(やさかとめのみこと)
延喜式内社埴科郡五社の一つで千年以上の歴史を有す。松城城下時代は町方の産土神、総鎮守社として祀られ、いまも親しみを込めて「お諏訪さん」と呼ばれている。
慶長三年(一五九八)に、生魂命は東条から、健御名方富命八坂斗売命は海津城二の丸から合祀された。本殿は一間社( ※ Wikipedia )入母屋造り銅瓦葺き、拝殿間口四間・奥行七間、瓦葺き。見事な立川流の彫刻が刻まれる。
境内には、稲荷社、八幡社、天神社、西宮神社(恵比寿神社)、猿田彦社、宗像社などがあり、学問、商業、家屋敷、食物、治水、漁業、道案内他、八百万の神が祀られる。
(案内板から)
地元のNPO団体・夢空間 松代のまちと心を育てる会発行の「遊学城下町 信州松代 まち歩きガイドブック」によれば、「本殿は、銅板葺きの二間社流れ造り。縁、浜床を高くした均整の取れた外観。拝殿は入母屋造り、桟瓦葺き、妻入。正面向拝は唐破風…」と祝神社について記しています。規模から考えると、ガイドブックのほうが正しいように思いますが、さてどうなのでしょうか。
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須坂市上本町の仲小町通り(地図)に残る鯛の鏝絵(こてえ)。
鏝絵( Wikipedia )とは、左官が民家や土蔵などの壁を塗る「こて」で絵を描いたもの。
江戸時代に活躍した静岡県賀茂郡松崎町出身の左官職人・入江長八( Wikipedia )の作品がよく知られています。
(写真:須坂市上本町にある鯛の鏝絵=22日午後撮影、640×480拡大可能)
<参考HP>
・ 須坂市役所
http://www.city.suzaka.nagano.jp/
・ 琴浦町観光協会
http://www.kotoura-kankou.com/
・ やすらぎの郷 ようこそ安心院へ
(宇佐市観光協会 安心院支部)
http://www.ajimukk.com/
| 上中町公会堂 |
ここには、「孝子善之助丞感得御絵伝(こうしぜんのじょうかんとくおんえでん)」「釈迦涅槃像」の掛け軸があり、地域のみなさんにより、今も大切に保管されています。
<参考資料> 法然堂
法然堂の開基、創立年等は不詳。堂内の御厨子の中には浄土宗の開祖法然上人の像等があります。堂は、安永年間(一七七六年頃)には既に建築してあり、浄念寺の末派でした。ところが明治六年に無住・無檀であることを理由に堂は廃され、本堂を中町において管理してきました。明治二十一年太子町から出火の際、法然堂の一部も火災にみまわれました。その後、昭和二年に堂を改築し、更に御蔵町の整備のとき、公会堂として建て直しました。
毎年四月下旬に御忌供養の祭りを行っています。
(案内板から)
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製糸業の発展に伴う資金需要に対応するため、須坂市内では明治時代半ばに、地元製糸業者を株主とする金融機関が相次いで開設されました。
市内上本町にある株式会社信陽銀行(地図)もそのひとつで、東行社(明治8年小田切辰之助・青木甚九郎・遠藤万作らにより設立された国内初の製糸結社、明治10年8月に内務省認可)関連の金融機関として、明治30年5月に設立されました。
(写真:須坂市本上町にある旧信陽銀行跡=22日午後撮影、640×480拡大可能)
<参考資料> 荒井家
製糸全盛期の「信陽銀行」の跡。明治三十五年創立。
屋根瓦は大きなもので大鬼瓦は一メートル余の雲水裏盛の箱棟で重ね合わせの深い本葺き。
軒裏は三段の段蛇腹巻きで重量感がある。二列の風切丸瓦にはその先端の○(丸)に信の文字が入る信陽銀行の社紋である。
そそり立つ妻壁には三段の露切があり四段の乳鍵が美しい。
表玄関は用水路に沿って丸石積二段三段の土台の上に精巧な切石積みの根巻き石。円を描く石橋。柱や梁扉など全て欅造りの明治期の粋を凝らしている。
玄関内は切石が綾に敷き詰められている。
(案内板から)
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須坂市太子町の太子堂で21日と22日の2日間、聖徳太子絵伝の公開、聖徳太子絵伝絵解きなどを行なう太子祭が開催されました。
(写真:屋根の擬宝珠が目印の太子堂=22日午後撮影、640×480拡大可能)
<参考資料> 太子堂と聖徳太子絵伝
太子堂の創建は寛永年間と伝えられる。現在の太子堂は天保三年(1832)の再建である。明治六年に廃堂となったが、人々の熱意により同十四年に再興された。
大宝珠(だいほうじゅ)の聳える寄棟・反り屋根、堂内の彫刻に、宮大工たちの巧みな技がうかがえる。聖徳太子は職人の守り神として崇拝厚く、広く人々の信仰を集めてきた。
聖徳太子絵伝は、太子の誕生から葬送までの伝記を六幅の掛け軸にしたものである。市内中島出身の日本画家・牧方丘が色鮮やかに描き、明治十六年に開眼供養された。
太子堂と聖徳太子絵伝は太子町区により管理され、三月二十一・二十二日の祭には参詣の人びとで賑わう。
(須坂市教育委員会設置の案内板から)
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