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150211_1141_黄檗宗象山恵明禅寺(長野市松代町)

長野市松代町西条にある黄檗宗( Wikipedia )の寺院(地図)。
開基は松代藩第三代藩主真田伊豆守幸道。
開山は黄檗二代木庵禅師。
(写真:黄檗宗 象山 恵明禅寺=11日午前撮影、640×480拡大可能)

<参考HP>
・ 黄檗宗 大本山 萬福寺
  http://www.obakusan.or.jp/
 
<参考資料> 
寺号 黄檗宗 象山 恵明禅寺
本尊 釈迦如来
大本山 黄檗山 萬福寺(京都市宇治市)
黄檗開祖 隠元禅師(中国僧一五九二~一六七三)

恵明禅寺は第三代松代藩主真田伊豆守幸道公の開基で、延宝五年六月(一六七奈)の造営であり開祖は黄檗二祖木庵禅師(中国僧一六一一~一六八四)である。文政八年五月(一八二五)本堂から出火、おりからの烈風にあおられ本堂、開山堂、霊屋、庫裡、鐘楼そして木庵禅師伝来の佛像、什物等ことごとく灰燼に帰してしまい、僅かに地蔵堂、不二庵、山門を残したのみであるが、また暫くして不二庵から出火、地蔵堂とともに焼失してしまい、当時から残るは山門のみである。
このようにして再度の災禍によるも、天保四年十月(一八三三)第八代松代藩主真田伊豆守幸貫公により本堂、霊屋、鐘楼、庫裡が再建される。堂内には釈迦三尊をはじめとして、中国佛師による木庵禅師像、幸貫公自作の布袋和尚像、それに享保八年三月(一七二三)第四代松代藩主真田伊豆守信弘公により真田屋敷より遷座された稲荷大明神等が祭り祀られている。また、境内には第三代松代藩主真田伊豆守幸道公の奥方「豊姫」、松代雅楽の祖宮島春松先生、松代文化財愛護功労者長岡助治郎先生、天文学者西澤茂台先生等の墓がある。

寺号の由来 開祖木庵禅師が中国で最後に住持されていた寺が泉州の象山慧明寺であり、これに因み象山恵明禅寺と号す。
(境内に設置された案内板から)

<参考資料> 
第三代松代藩主 真田幸道公の奥方
豊姫の霊屋
豊姫は伊予宇和島藩主伊達宗利公(仙台藩祖伊達政宗公の孫)の息女で、万治二年十二月十日(一六五九年)江戸邸で生まれる。
延宝元年七月二十六日(一六七三年)十五歳にして、幸道公(十七歳)に嫁ぐ。豊姫が実家から「鉢植の杏」を取りよせ愛賞されていたことがあって、これが杏の樹が松代に来た始めであると言われている。
以来、アンズが薬用樹として松代藩の殖産興業の一つとして藩内に広く採植されるに至った。享保十八年七月五日(一七三三年)七十五歳にて卒。
法名 法雲院 殿慈栄元光尼禅師
(案内板から)

<参考資料> 宮島春松
松代雅楽の育成者 松代町竹山町
嘉永元年(一八四八)~明治三十七年(一九〇四)
享年五十七歳 菩提寺・恵明寺

松代藩士宮島嘉織(※)の長男として生まれ、漢学を松木厳八に、雅楽を金井御楯に、英仏語を武田斐三郎に学ぶ。陸軍省翻訳官となり、多くのフランス式兵書を訳した他、「欧州小説 哲烈 禍福譚」等も翻訳。雅楽の造詣が深く、東京本郷で雅楽協会を組織する一方、郷里松代での後継者育成にも心血を注ぎ、自らも「松代雅楽」と称される五十余曲を作曲、日本三代雅楽の一つに育てあげた。
(案内板から)

<参考資料> 長岡助治郎
文武学校の保存・松代雅楽の普及者
明治四年(一八七一)~昭和十四年(一九三九)
享年六十九歳 菩提寺・恵明寺

松代藩士長岡茂一の次男として生まれ、松代小学校音楽教師となる。飯島忠夫らとともに、宮島春松から松代雅楽を学び、春松の衣鉢を継ぎ、雅楽協会松代支部を組織し雅楽普及につとめた。
文武学校の保存・大門踊の復興・松代城模型制作等にも力を尽くし、松代の伝統文化を後世に残す。大正八年、松代町史編纂につとめた。
(案内板から)





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140321_1527_恩田緑蔭と八田家(長野市松代町)

長野市松代町殿町にある江戸時代末期の女流画家・恩田緑蔭宅跡(地図)。
江戸時代に建てられた建物の一部は、現在、蕎麦処「日暮し庵」として営業しており、松代名物の長いもと地元味噌を使った「麦とろごはん」が有名。
(写真:恩田緑蔭宅跡・蕎麦処「日暮し庵」=平成26年3月21日午後撮影、640×480拡大可能)

<参考HP>
・ 日暮し庵
  http://www.higurashian.com

<参考資料>
恩田緑蔭(おんたりょくいん)
江戸末期の女流画家 松代町殿町
文政二年(一八一九)~明治七年(一八七四)
本名・恩田ゆり 享年五十五歳
菩提寺・長国寺

松代藩の中興を支えた経世家・恩田杢に繋がる恩田家に生まれ、生涯松代を離れず、画家として活動した。信州の女流画家の先駆として知られ、作品の多くがここ八田家(旧恩田家)に保存継承されている。感性豊かな女流の繊細な画風が持ち味で、代表作に「松代十二箇月絵巻」(真田宝物館蔵)等がある。
(案内板から)





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140321_1522_矢沢家の表門(長野市松代町)

長野市松代町殿町にある松代藩家老・矢沢家の表門(地図)。
昭和42年11月、長野市有形文化財(建造物)に指定。
(写真:矢沢家表門=平成26年3月21日午後撮影、640×480拡大可能)

<参考資料> 矢沢頼綱
矢沢頼綱( Wikipedia )は、真田頼昌の三男で真田幸隆(昌幸の父)の弟。 天正10年(1582)、織田信長により武田家が滅亡した後、真田昌幸に従い、沼田領の経営を担いました。松代藩で家老を務めた矢沢氏はこの頼綱の子孫。
 
<参考資料> 矢沢家の表門
矢沢家は松代藩において、代々無役席(筆頭家老格)を務め、江戸中期以後は石高一四〇〇石、預同心四十人の藩中最高の家格であった。
寛政四年(一七九二)に再建されたこの長屋門は、間口一三・一九メートル、奥行三・七二メートル、高さ六・八三メートルで、屋根は入母屋(いりもや)造の瓦葺である。門の両側に武者窓を備えた同心部屋を配し、右の同心部屋の隣には「供待(ともまち)」という腰掛を備えた開放の空間を備えている。鬼瓦や破風に配された六連銭や、白漆喰の壁など城門を思わせる格式を持っている。
平成十七年(二〇〇五)の火災により類焼被害を受けたが、約二年間の修復工事を経て甦った。
(長野市教育委員会設置の案内板から)


050619_1208_焼失した松代藩家老・矢沢家の表門(長野市松代町) 100504_1340_修復工事後の松代藩家老・矢沢家の表門(長野市松代町)
類焼後の表門
平成17年6月19日
修復工事後の表門
平成22年5月4日

<参考資料> 焼失した市指定文化財・矢沢家表門
 
先月14日の午前5時頃、松代町松代で火事があり、長野市の指定有形文化財「矢沢家の表門」が焼失しました。表門は、松代藩の家老を務めた矢沢家に残るもので、江戸時代末期に造られたとされています。
19日、その現場を訪ねてみましたが、惨状はご覧の通り。屋根の部分が飛び火により焼失し、完全に抜け落ちたため、瓦が落下。門そのものも、火災の熱で半ば炭化したような状況になっていました。修復については、現在、検討中とのこと。
(平成17年6月19日取材記事から)





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150103_1131_堀内文治郎生誕の地(長野市松代町)

長野市松代町御安町にある堀内文治郎( Wikipedia )生誕の地(地図)。
西洋のスキー技術を日本ではじめて普及させました。
(写真:堀内文治郎生誕の地=3日午前撮影、640×480拡大可能)

<参考HP>
・ 新潟県のスキー情報サイト
  新潟スノーファンクラブ(レルヒさん)
  http://www.niigata-snow.jp/
・ 近代デジタルライブラリー
  信水堀内文治郎将軍を悼む
  http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1043436
 
<参考資料>
松代藩士堀内荘作の次男として生まれ、陸軍士官学校を首席で卒業、同校教官・台湾総督府副官・大本営陸軍部副官等を歴任。高田連隊長時代の明治四十四年(一九一一)、陸軍省の指示でオーストリア軍人テオドル・レルヒ少佐( Wikipedia )からスキー技術を学び、日本中に普及させた。
文久三年(一八六三)~昭和十七年(一九四二)





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150103_1113_紅梅観音塚(長野市松代町)

長野市松代町西条の県立松代高等学校北側にある塚(地図)。
(写真:紅梅観音塚=3日午前撮影、640×480拡大可能)

<参考資料> 松代の民話
「お安と梅の観音」~観音堂をつくってわが子の供養~
尼飾城の城主尼御前の一人娘お安は、善光寺まいりに来た源頼朝に見初められ、鎌倉の地で寵愛されましたが、まもなく子を宿し政子の怒りを受けて、紅梅と守り本尊を持って松代にもどりました。運悪く宿した子は亡くなってしまい、お安は、悲しさのあまり、この地に紅梅を植え、観音堂をつくって守り本尊をまつり、わが子の供養をしつづけたと伝えられています。町の人たちは、この地を埋めの観音塚と呼び、守り本尊を梅の観音(像)と言いました。この観音(像)は、現在篠ノ井の作見公民館で大切に保存されています。
(松代地区市制百周年記念事業実行委員会設置の案内板から)

<参考資料> 史跡 紅梅観音塚
伝承によれば、源氏の棟梁源頼朝は、木曽義仲との不和により大軍で義仲攻略のため鎌倉から信濃善光寺へ出向する。
当寺、東条(ひがしじょう)にはこの地方一帯を領し、家人や民をわが子のように慈しむ尼将軍(尼巌(あまかざり)城主)がおり、頼朝が善光寺にきたことを聞き、面接帰順し、その領地の安堵を願い、二心がない証に、尼将軍は息女お安を人質として差し出した。頼朝はこれを許し、お安を伴い鎌倉に帰る。
お安は世に類ない美女で立派な人柄を具えており、頼朝から寵愛される。その名を御安御前(おやすごぜん)と呼ばれ、良い評判となっていた。たまたま頼朝の子を宿したが、頼朝の正室政子を恐れ郷里での出産を嘆願、頼朝もこれを許し、部下七騎を護衛につけ鎌倉から帰郷させた。東条七騎と称し、その子孫末裔は現存する。御安御前は海津の東南に居を構えて居住し、現在この一帯は松代町御安町と称し、近くに御安御前が愛用した名水「お化粧の和泉」が昔の面影を伝えて現存する。御安御前は梅を愛し、鎌倉より紅梅二鉢を持参、一鉢は宿した子の安産を祈り皆神山の神前に植樹するが、出産の子「お梅の前」は早世し、法名梅津院と称した。御安御前嘆き悲しむもせんかたない、建久五年甲寅八月(一一九四年)わが子の菩提を弔い、この岡に葬り塚を構成し堂を建立し、観世音を安置して、お堂の前には鎌倉から持参した他の一鉢の紅梅を植え、紅梅観音と称して供養する。
そのお堂は明治初年の廃仏毀釈令でついに明治十一年(一八七八年)廃堂となり、文政十年(一八二七年)再建の東向き舞台造りのお堂は、現在象山東麓の竹山稲荷神社に移り、また本尊の千手観音座像は篠ノ井川柳作見公民館に転じて区民有志相集い毎月供養祭が行われている。
なお、塚上には皆神石を用いた幾つかの貴重な墓石のほか、紅梅観音開基について江戸時代に建立した石碑が存在するが、その一基の碑銘について左に記す。

當山開基 玉願院殿梅芳薫喜壽慶大禅定尼、寛喜三年辛卯三月二十五日(一二三一年)
左側面 紅梅山中興第十世源泉法師(法印) 発願 松代町鏡屋町三田名左衛門
右側面 文政十三年庚寅年(一八三〇年) 三月吉辰再建

前記の寛喜三年は御安御前が死去した年と考えられ、当山とは紅梅観音のことである。また、紅梅山とは紅梅観音の世話をする鏡屋町に存在した別当御安寺であるが現在は廃寺となっている。
なお、御安御前は東条般若寺にある両親の東条氏廟所の傍に葬られているという。
ここ紅梅観音塚史跡は、現在西条北組老人クラブにより草払い清掃が行われ、堂前に植えた紅梅は、鎌倉時代からの長い歳月を経るも基は枯れたが、また新梢出て未だに春来りなば見事満開になり、訪れる人を待つが如し。

看板建立
昭和五十四年九月吉日(一九七九年)
長野市松代町西条北組老人クラブ
看板改修
平成二十二年二月吉日(二〇一〇年)
長野市松代町西条北組老人クラブ
長野県立松代高等学校・同窓会
長野市松代地区住民自治協議会教育文化部会





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