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160816_1715_大西山崩壊礫保存園(大鹿村)

下伊那郡大鹿村の大西公園(地図)は、昭和36年(1961)6月29日の集中豪雨( Wikipedia )により崩壊した大西山の崩落跡地に築かれた公園。園内には、当時崩落した岩石がそのまま保存され、崩落の勢いの凄まじさを感じることができます。
(写真:大西公園=8月16日午後撮影、640×480拡大可能)

<参考HP>
・ 大鹿村総合観光サイト
  http://ooshika-kanko.com/


大西山崩壊と三六災害
160816_1713_w_大西山崩壊礫保存園(大鹿村)
大西山全景
160816_1715_2_大西山崩壊礫保存園(大鹿村) 160816_1706_大西公園(大鹿村)
災害当時の状況 大西山崩壊を伝える案内板
160816_1707_大西公園(大鹿村) 160816_1715_1_大西山崩壊礫保存園(大鹿村)
小渋断層が形成した谷 中央構造線と周辺地質

<参考資料>
大西山は、1961年6月中旬からの豪雨により、28日には総雨量424mmにたっした。29日午前9時10分頃、大西山山腹斜面が大音響とともに高さ451m、幅280mに渡って崩壊し、約280万㎥の土砂が下市場、文満の集落を襲い、39戸の住宅を破壊、水田30余町歩を埋没させ、42人の尊い意の死を瞬時に奪い去った。36災害であった。
(案内板から)

<参考資料>
大鹿村三六災害三〇周年記念
大西観音菩薩建立趣意銘文
昭和三十六年六月下旬信州伊那谷を襲った集中豪雨は山紫水明のわれらが郷土大鹿村全土に亘り未曽有の大災害をもたらした。
降雨量五二三mmすなわち集中豪雨を浴びた山野はさながら泥塊と化した如く到る処に山津波崩落を起し人名家屋田畑にじゅうりんの限りを盡して村民を恐怖と絶望の中におとし入れた中でも六月二十九日午前九時十分一大音響と共に呪うべき大西山の大崩落が起り崩壊土量三五四万㎡四十二名の尊い人命と四十戸の住宅家財を呑み村が誇った三十町歩の美田も瓦礫の山と変貌立ちのぼる幽鬼の如き霧の中一瞬にして死の村と化し悲鳴絶叫將に此の世の地獄絵ともなり悲惨極限に達する 又大鹿全土の被災は死者五十五名重軽傷者ニ五七名流失全壊家屋一三五戸家財田畑総じて三十数億圓を奪われ受けたる被害余りにも大きく村相一変悲嘆痛恨極まりないものがあった。
茫然自失の時よりも早く三十年再起への熱願をかけた村民の努力と関係各方面の援助激励により今日の姿まで復する事が出来たことは村民縁者一同の感謝と喜び筆舌に盡せぬものがある。
災禍の痛手ようやく治まり平成の今日村民有志の発願より有縁各位に起請して浄財を募りもって亡き同胞の霊の永遠なる平安と天地平穏郷土発展恒久の平和ならんことを南無大西観音菩薩の大慈大悲の御加護に託し此処赤嶺を望む浄地に御尊像を建立し奉り此の記録を後世に残さんとするものなり。
(案内板から・平成3年)

<参考資料>大西山崩壊礫保存園
昭和36年(1961年)6月29日に梅雨の集中豪雨で大規模に崩れ落ちた岩塊を、当時の体積状況のまま保存しています。
崩壊の前は、今の公園や小渋川になっている場所には人家は無く、平らに水田が広がっていました。小渋川は山すその岩石園や観音様の下を流れていました。崩れ落ちた岩塊が積み重なって台地ができました。崩れた岩盤の体積は320万~420万立方メートルと見積もられています。
移動した岩塊の上に松の木がそのまま立っていたことから、図のようにすべり落ちたと考えられます。その先端は増水していた川の土砂とともに対岸の山すそに達し、国道沿いの集落を直撃しました。小渋川の流れは山すそに押しつけられました。42名の方が亡くなりました。

この崩壊は、中央構造線が侵食されてできた谷底に向かって急傾斜に耐えられなくなった岩盤が崩れ落ちたものです。
中央構造線は、日本列島がまだアジア大陸の一部だった時代にできた断層で、関東~九州へ続く長大な弱線になっています。
今の地形をつくっている近く変動は約200万年前に始まりました。赤石山脈と伊那山地(伊那山脈)は1年に数mmの速さで隆起しています。隆起地塊の中を通る中央構造線の弱線が侵食され、両側から岩盤が崩れて断層沿いに谷がつくられています。大西公園から赤石岳を見通せる一直線の谷も小渋断層沿いの谷です。

岩石園の岩塊は、恐竜時代の9500万年前に深さ15km付近でマグマが固まった花こう岩です。温度が300℃以上ある地下深くで中央構造線のずれ動きを受け、延ばされるように変形したマイロナイト( Wikipedia )という岩石になりました。中央構造線沿いのマイロナイトはとくに「鹿塩マイロナイト」と呼ばれています。
伊那山地側のマイロナイトは石英の結晶がたいへん細かく、緻密で固いため急傾斜の岩壁になっています。一方、赤石山脈側の岩石は結晶片岩で、地すべりを起こすため斜面がなだらかです。
(案内板から)





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emoji 中央構造線 板山露頭 emoji 溝口露頭 

160816_1605_中央構造線北川露頭(大鹿村)

中央構造線( Wikipedia )は、関東平野から南アルプス西側を経て、紀伊半島・四国・九州へ、西南日本を縦断する日本で一番長く大きな断層。中央構造線を境に、北側を西南日本内帯(領家変成帯)、南側を西南日本外帯(三波川変成帯)と呼び区別しています。
長野県南部を縦断する中央構造線は、埋って確認できない関東や九州と異なり、西南日本内帯(領家変成帯)と西南日本外帯(三波川変成帯)が接する状況が確認できる場所(露頭)が幾つかあり、下伊那郡大鹿村北川(地図)では、国指定天然記念物の北川露頭( Wikipedia )を見学することができます。
(写真:下伊那郡大鹿村北川にある中央構造線 北川露頭=8月16日午後撮影、640×480拡大可能)

<管理人ひとこと>
案内図には、領家変成帯の岩石と三波川変成帯の岩石が中央構造線を境にして接している様子が紹介されていましたが、風雨の影響によるものか、土砂が流れ出ていて、中央構造線がどのあたりなのか確認することができませんでした。
写真では、案内図にある地層の写真を参考に中央構造線の位置(三波川変成帯の左端)を示しています。
 
<参考HP>
・ 大鹿村中央構造線博物館
  http://www.osk.janis.or.jp/~mtl-muse/
・ 南アルプス ジオパーク(中央構造線エリア)
  http://minamialps-mtl-geo.jp/


中央構造線 北川露頭
160816_1607_1_中央構造線 北川露頭 案内図(大鹿村) 160816_1607_2_中央構造線 北川露頭 案内図(大鹿村)
北川露頭案内図





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100124_1546_大鹿歌舞伎長野公演(長野市)

長野市若里のホクト文化ホールで24日、下伊那郡大鹿村に伝わる地芝居・大鹿歌舞伎の長野公演が行われました。
大鹿歌舞伎が長野で公演するのは今回で10回目。記念となる節目の公演では、「奥州安達原三段目 袖萩祭文の段」が演じられ、役者が見得を切る場面では、その迫力ある演技に、観客席から盛んな拍手が送られていました。 (写真:「奥州安達原三段目 袖萩祭文の段」から=24日撮影)

<参考資料> 奥州安達原三段目 袖萩祭文の段
舞台は、前九年の役で奥州の安倍頼時を討ち滅ぼした八幡太郎義家に、安倍一族の再挙を計る安倍貞任・宗任兄弟が謀反を計画。環の宮御殿(たまきのみやごてん)から環宮が誘拐され、宮の守役である平傔丈直方(たいらのけんじょうなおかた)がその責任をとらなければならない場面から始まります。
主人公の袖萩はこの平傔丈直方の娘でしたが、親の許さない浪人との恋に感動され、流浪を続けているうちに盲目の乞食となってしまいます。しかし、父の平傔丈直方が環宮を見つけ出せなかった場合には切腹という事態に、娘のお君を連れて、雪の降るなか駆けつけます。ところが、父の平傔丈直方は会うこともせず奥に引きこもろうとする。間に入った母の浜夕は、哀れな娘の姿にどうすることもできず、ただ悲しみに明け暮れるばかり…。
やがて、袖萩は祭文の文句に託してわが子お君を対面させ、父の許しを得ようとしますが、その祭文に記された文字から袖萩の夫が安倍貞任であり、環宮を誘拐した犯人と同じ筆跡であることを知ります。許したくてもこのような事態に、さすがの平傔丈直方も許すことができず、とうとう奥へと引きこもってしまいます。
降りしきる雪の中で、館の前で途方に暮れる袖萩と娘のお君。お君は、寒さに震える母の袖萩へ、自らの着物を脱ぎ肩へそっと着物を掛け、また袖萩の母浜夕は、あまりの不憫さにたまりかね、寒さしのぎに着物を与える。娘が母を、母が娘を思うこの場面は、この公演のなかの見せ場となっており、とりわけ今回、お君が語る場面では、会場に詰め掛けた観客も思わず涙を拭う名演技となりました。
やがて、これまで捕らわれの身となっていた安倍宗任が隙を見て縄を外し、雪の中で寒さに震える母娘のもとに現われる場面へ。宗任は懐刀を袖萩に渡し、一族の仇である傔丈直方を殺せと迫る。夫の弟に責められる袖萩、例え安倍一族に身をおいた自分でも父である傔丈直方を殺すことなど…と悩む袖萩。そこへ、八幡太郎義家が登場し、宗任の非業を叱責するものの、宗任の力量を惜しみ、咎めることなく、全国各地の関所で使うことができる通行証の金札まで与えて命を助けます。
やがて、環宮を見つけ出せなかった平傔丈直方は、責任を取り切腹。袖萩も、自らの身を恥じて懐刀で自害し、父の死を追いかけます。
袖萩の死から舞台は終盤に向けて急展開。桂中納言教氏と偽って御殿に来ていた貞任が登場し、証拠の祭文(書状)を奪い去ろうとしますが、八幡太郎義家が現われ、中納言教氏が安倍貞任であることを暴きます。さらに弟の宗任も現れ、共に勝負を迫りますが、義家は勝負は後日戦場にて、と再開を約し別れを告げます。

<管理人ひとこと>
大鹿歌舞伎の公演で、最後に行われるのが YouTube に公開した「お手うち」。「しゃん、しゃん、しゃん、しゃしゃしゃん、しゃん」を3回、役者さんと観客が公演を締めます。お出かけになる方は、ぜひ練習しておいてくださいね。

 大鹿歌舞伎長野公演
最後に行われる「お手うち」


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080914_1538_大鹿歌舞伎長野公演

長野県県民文化会館中ホールで14日午後、下伊那郡大鹿村に伝わる伝統芸能で、国選択無形民俗文化財の「大鹿歌舞伎」の公演が行われ、代表作として知られる「六千両後日之文章 重忠館之段」が演じられました。 (写真=14日撮影)

大鹿歌舞伎秋の定期公演
[ 開催日時 ] 平成20年10月19日 正午
[ 場所 ] 下伊那郡大鹿村鹿塩 市場神社
[ マピオン地図 ]
・ 下伊那郡大鹿村大字鹿塩
[ 上演予定演題 ]
・ 青砥稿花紅彩画 稲瀬川勢揃の場
・ 一谷嫩軍記 須磨浦の段
・ 菅原伝授手習鑑 寺子屋の段
[ 参考HP ]
・ 大鹿村観光情報
  http://www.ooshika.com/

<参考資料> 六千両後日之文章 重忠館之段
舞台は、庭を掃く二人の男が登場し、その素振りや会話から、時は平家滅亡後の源頼朝が征夷大将軍となって源氏の世、頃は十二月、畠山次郎重忠の館でのできごとであることを何気なく紹介する場面から始まる。
まずは、帰宅した畠山二郎重忠が、妻で、平家方の主馬判官守久の娘・道柴に対し、床の間に飾られた梅の花を指して、「この花は自然に咲いた花ではないが、人の手によって生かされている。これはどういう意味なのか。」と問う。
思案に暮れる道柴。舞台は、ここで、囚われの身になっている平雅茂の娘である六代御前(ろくだいごぜん)が引き立てられ、道柴による折檻(せっかん)が行われる。六代御前は、「恥辱の憂目より早く首を打ってくだされ」と覚悟するが、その健気な姿に、道柴は心を打たれながらも六代御前を責めつづける。やがて、責めたてていた紅梅の枝は花が散り、変わり果てたその姿を見て、道柴は、夫の重忠が「平家への思いを捨てるように」という問いかけの答えを見つける。
続いて、首桶を右手に、いかにも悪者といった風体の梶原平次景高(かじわらへいじかげたか)が登場。重忠の功績をねたみ、これを落とし入れようと頼朝の偽りの命令を持参し、六代御前の首を差し出せ、と迫る場面が第二部である。
重忠は、主君の頼朝から、六代御前は預かりの身であることを申し渡されていたので、不信に思ったが、即断を避け、首が用意できるまで、しばし休息されるよう、景高に伝える。景高が別の部屋に移った後、重忠は、これが偽りの命令であり、頼朝の命令に背き六代御前の首を用意したことで、己の立場を悪くさせようとする景高の魂胆に気づく。悟った重忠は、景高を追い払うわけだが、ここでは景高の魂胆に気付くところまでで第二部は終了する。
そして、いよいよこの演目の最大のヤマ場である第三部へ。夕暮れ迫った重忠の館に、一人の旅の修行者が一夜の宿を頼みに訪れる。この修行者の名は、かつて平家方の武将として源氏と戦った悪七兵衛景清(あくしちびょうえかげきよ)。壇ノ浦の合戦で計らずも生き残り、今は修行者に身を変え、浮世を捨てて旅を続けていたのだが、偶然にも、重忠の館を訪ねてしまったのだった。もっとも、この段階では、未だ景清自身、知る由もない。
何気なく、戸を開けようとした道柴は、その姿にかつて平家方の武将であることを悟り、ここに泊まることはできないと断ろうとするのだった。そして、ここには、囚われの身となった六代御前がいることを、梅の花に謎を掛けて話すこととなる。梅の花は「赤色」、そして外は「白い」雪。平家の赤と源氏の白を表現し、さらに、梅の花は第一部で、夫・重忠の問いかけにもあった「この花は自然に咲いた花ではないが人の手によって生かされている…」を引用したものだった。
これを聞いた景清は、この館が畠山二郎重忠の屋敷であること、そしてここには六代御前が囚われていることを察するが、すでに世を捨て放浪の旅を続ける身にはどうにもならないことを悟り、解けないふりをしたまま、この場を退散しようとするのだった。
しかし、ここで重忠が修験者姿の景清を呼び止める。そして、国は何処か、酒は好きか、などの話の最中に、平清盛の髑髏(どくろ)で作った盃(さかずき)を持ち出し、景清に酒を勧める。思わず盃を受け取る景清。しかし、その意外なモノに、百戦錬磨のツワモノもびっくり。さすがに主の髑髏で酒は飲めぬとばかり、重忠からの酒を断ることに。そうした一連の態度に、重忠は不可解なものを感じ、また、景清も主人の敵を討ち、六代御前を助け出そうと企てるのであった。
さて、ここで舞台は、途中で終了した第二部に戻る。これは、その後、景清が本性を表し、武者姿となって登場することとなるのだが、衣装の着替え、化粧等に時間がかかるため、そのための場つなぎとして、重忠と景高との決着をここで持ち出し、時間稼ぎをする必要があるからだ。
「首が用意できたか」という景高の問いに、重忠は首桶を差し出し、そこにある、と答える。だが、景高が蓋を取ると、そこには、目的としていた六代御前の首は無し…。憤慨する景高に対し、重忠は、頼朝の命が景高が仕組んだ偽りのものであると責め、逆に屋敷から追い出されることになる。登場した時のような威勢の良さはなく、そそくさと帰ろうとする景高だったが、挙句の果てには、階段から転げ落ちてしまい、容易に立ちが上がることができなくなるほどの痛手を負う。
それまで堅苦しい雰囲気だった会場も、間抜けぶりの景高に野次が飛ぶようになり、観客の多くは、景高の一挙手一投足を追い続けることとなる。景高役にとっては、まさに独断場だ。だが、その場面展開に甘んじているほど景高役も楽ではないのが実情。舞台の袖では、この後に登場する第三部の景清の準備を知らせるサインが、絶えず黒子から伝えられているからである。観客を飽きさせないように場繋ぎをするのも、景高役の腕次第。短くもなく、長くもなく、自然に、景清へバトンタッチをしなくてはならないのだから、その間合いは大変なものである。
舞台はいよいよクライマックスへ!修行者の衣装を脱ぎ捨てて、ついに本性を表した悪七兵衛景清。重忠の妻・道柴から、自分が平家方の主馬の判官盛久の妹であることを告げられると、景清は「富士川の合戦」「ひよどり越えの戦い」など、源氏との戦いのこれまでを身振り手振りで語り始める。そして、道柴に対して、六代御前を連れ、密かに逃げるように伝える。駆け出す、道柴…。
舞台には、景清ただひとり。さあ、いよいよ、頼朝・重忠・国俊の登場か、と思いきや、なんと!そこに登場してきたのは、ちょっと頼りない大鹿軍内と家来が三人。おや、これはどうしたことかな、などと思いながら、その演技を見ていると…。どうやらこの人物、指名手配中の景清を捕らえきたらしいのだが、荒武者で知られる景清に恐れをなしてか、なかなか重忠の屋敷に踏み込もうとはしない。家来の後ろに隠れたり、偵察に何度も行かせたり…。
その仕草は、これまでの芝居の流れを脱線させるくらいのひょうきんぶりで、肩に幾分力が入っていた観客らにとっては、格好の野次飛ばしの場となったことはいうまでもない。プロが演じる歌舞伎には見られない、いかにも「地芝居」らしい、「大鹿歌舞伎」ならではの趣向がここで登場する。ひょうきんな大鹿軍内と家来衆が舞台から消えると、いよいよここからが芝居のなかでも最大の見せ場を迎える。舞台の上には、武者姿の畠山二郎重忠と家来衆を従えた源 頼朝、右に悪七兵衛景清、左に三保谷四郎国俊らの千両役者が登場し、壮絶な戦いが繰り広げられる。
芝居の流れは、道柴に六代御前を連れて逃げるように伝えた景清だったが、時すでに遅し。景清の不可解な行動に疑問をもった重忠が、これを囲む状況から始まる。形成が不利となった景清は、せめて三保谷四郎国俊と戦い、積年の恨みを果たそうとする。
この場面で奥深いのは、戦いの場面が、かつて互いに死力尽くして戦った「屋島の戦い」を再現しているところだろう。「平家物語」のなかには、景清が三保谷を追いかけ、兜の錏(しころ・兜の左右後に垂れ下がった部分で首筋を隠すもの)を掴んだところ、これが取れて、景清の手にはその錏(しころ)が残った、と景清と三保谷との戦いぶりが描かれているという。おそらくこの場面は、こうした部分から創作されたものなのだろう。景清は平家の象徴である「赤旗」を、そして左の国俊は源氏の象徴である「白旗」を掲げ、まさに決戦を感じさせる迫力で舞台は演じられる。
しかし、死力を尽くした戦いに決着はつかず、これを見ていた頼朝が「これを裂いて恨みをはらせ」と、緑色の衣を家来衆を通じて景清に渡す。この時、景清は両眼を太刀でくり貫き、盲目となって、流れ落ちる血をぬぐうのだった。
そして、「仇も恨みもこれまで。六代君の御先途を頼む」と頭を下げると、この潔い景高の姿に感心した頼朝は、日向の国(現在の宮崎県)を与え、名を「日向匂堂」と改めるように命じる。日向の国までの護衛は、さきほどまで死力を尽くして戦った相手の三保谷四郎国俊。三保谷の持つ槍の柄に捉まり、日向の地に落ちる悪七兵柄景清改め日向匂堂の姿は感動的でもある。 (ひろさくホームページから)

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長野市若里の長野県県民文化会館中ホールで14日午後2時(開場午後1時30分)から、下伊那郡大鹿村に伝わる伝統文化で、国選択無形民俗文化財の「大鹿歌舞伎」が上演されます。今回の演題は、あの「六千両後日之文章 重忠館の段」。1階は指定席で1500円、2階は自由席で1000円(高校生以下は500円)です。
当日券があれば、管理人も出かけてみたいと思います。

[ 問い合わせ ]
長野県県民文化会館
TEL 026-226-0008 FAX 026-226-1574
[ 参考HP ]
・ 長野県県民文化会館
  http://www.n-bunka.jp/



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