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161203_0919_小六石(富士見町)

諏訪郡富士見町小六の県道沿いにある巨石(地図)。
武田家の家臣岡田小六はこの地に小屋を構え、目印となるこの巨石を頼りに訪れる武田方の使者に、諏訪の情報を伝えていたいわれています。
(写真:小六石=3日午前撮影、640×480拡大可能)

<参考資料> 小六石
昔 武田の家臣に「岡田小六」なる者あり 天文・弘治(四七〇年程前)の甲越戦争の頃 この地に小屋を構えて住居し 農耕のかたわら 諏訪側の状勢を偵察してこの黒い石を目標に やって来る武田軍の使者に情報を伝える使命を帯びていた(この道が中の棒道で 天文二十一年(一五五二)頃に作られたものです)
ほどなく 弟の岡田左近にこの地名を継がせたが 信玄亡き後(天正元年)は 甲斐の国 上野村に移り住み この地で亡くなった
小六の村名は この岡田小六の名からとったものであると伝えられる この由緒ある石であるため 古来より「小六石」と称し 高島藩主の御巡見毎にその由緒を申し上げ 保存して今日に至る
(小六区設置の案内板から・平成23年3月)





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161203_0908_十一面観音堂(富士見町)

諏訪郡富士見町乙事にある観音堂(地図)。
富士見町指定有形文化財。
(写真:十一面観音堂=3日午前撮影、640×480拡大可能)

<参考資料> 富士見町指定有形文化財
1.十一面観音堂と十一面観音像
161203_0907_十一面観音堂(富士見町)
観音堂から望む甲斐駒ケ岳
医王山法隆寺は、起立書によれば、承応元年(一六五二)の開基で、本尊十一面観音を安置したとあり、諏訪神社上社如法院の末寺として存続してきたが、明治七年、乙事学校創立のため、観音堂のみ残して取り壊された。
現存する十一面観音堂は、天明三年(一七八三)に改築されたもので、大工棟梁は境筋宮大工の名手といわれた地元乙事の小池佐兵衛、彫刻は大隅流の名工伊藤長左衛門が担当した。
十一面観音像は、法隆寺の本尊と十一面観音堂の本尊の二体がある。
いずれも一木造りの立像で、小池佐兵衛が寛政二年(一七九〇)につくった厨子に納められている。
1.大日如来像・釈迦如来像
明治元年の神仏分離令により、上社如法院が廃寺となったとき、法隆寺が譲り受けたもので、いずれも木彫座像で、釈迦如来像の内部には「文明一七年」の墨書銘がある。ほかに大般若経六百巻、興教大師像、毘沙門天、不動明王像などがある。
1.木喰上人作・普賢菩薩像
木喰上人の天明六年(一七八八)の作である。
上人は、廻国修業の傍ら千数百体の仏像を遺している。この像は、行脚の途中、乙事村に立ち寄った上人が、改築して間もない十一面観音堂のみごとさに感嘆し、三日間滞在して彫り上げたと伝えられている。
像は総高一〇五センチメートルの欅の木彫りであり、菩薩の像の背に跏趺(かふ)し、柔和な微笑みをたたえている。
(富士見町教育委員会設置の案内板から・平成8年11月)

<参考資料> 法隆寺十一面観音堂 移転の碑
法隆寺の十一面観音堂は由緒ある建造物で昭和四十七年七月一日に富士見町教育委員会より有形文化財に指定されている。
このたび県道拡幅改良工事により、この建物を西へ約二十六メートルの現在地へ移転した。
これにともない周囲の石造物の整理移転と参道なども含めて文化財にふさわしい環境整備がなされた。
よってこれを永く後世に伝えるものである。
(乙事区設置の案内板から・平成8年11月)





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HirosakuVideo の youtube から

「山の日」制定を記念して、諏訪郡富士見町と伊那市境の入笠山(にゅうかさやま・標高1955m)を訪ねました。
入笠山山頂までの所要時間は約60分。富士見パノラマリゾートからゴンドラすずらんを利用して山頂駅へ(10分)。日本すずらんの群生地として知られる入笠湿原(標高1730m)に咲く山野草を楽しみながら歩くと(20分)、マナスル山荘のある御所平に到着します。ここから山頂までは30分。登山道はよく整備されていますが、やや急な部分がありますので、無理をせずのんびり自分のペースで歩いてみましょう。
山頂からは、甲斐駒ケ岳・鳳凰三山、八ヶ岳、北アルプス・中央アルプスなどが望め、また、眼下にはフォッサマグナ西縁の糸魚川~静岡構造線が走る様子を確認することができます。

<参考HP>
・ 富士見パノラマリゾート
  http://www.fujimipanorama.com/
<音源使用HP>
・ 音楽素材:おとわび和風音楽素材
  「まだ見ぬ明日に出逢うとき」
  http://otowabi.com/





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160716_1451_井戸尻史跡公園に咲く大賀ハス(富士見町) 160716_1454_井戸尻史跡公園に咲く大賀ハス(富士見町)
大賀ハス(古代ハス)
160716_1455_井戸尻史跡公園に咲く睡蓮(富士見町) 160716_1458_井戸尻史跡公園(富士見町)
睡蓮(スイレン) 井戸尻史跡公園案内図

諏訪郡富士見町の井戸尻史跡公園(地図)に咲く大賀ハスの様子。
(写真:井戸尻史跡公園の蓮田=16日午後撮影、640×480拡大可能)

<参考HP>
・ 富士見町ホームページ
  http://www.town.fujimi.lg.jp/
・ 井戸尻考古館
  http://userweb.alles.or.jp/fujimi/idojiri.html
・ おらほー!富士見
  http://www.oraho-fujimi.jp/





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160228_1517_乙事陣場跡(富士見町)

160228_1519_乙事陣場跡(富士見町)
乙事陣場跡
諏訪郡富士見町乙事(地図)にある天正壬午の乱における徳川方の布陣跡。
天正10年(1582)、本能寺の変の後、武田家の領地であった信濃・上野・甲斐の支配をめぐり、北条・徳川・上杉家が争った天正壬午の乱において、甲斐を拠点に諏訪攻略を行っていた徳川軍が、上杉景勝との争いを断念し、南下した北条軍の動きを知り、甲斐へ撤退する途中、対峙した場所がこの地だったと伝えられています。
(写真:徳川軍が布陣した乙事陣場跡=2月28日午後撮影、640×480拡大可能)

<参考資料>
富士見町指定史跡 乙事陣場
いまに陣場(じんじょう)の小字名を伝える足場溜池の南側一帯は、徳川軍が布陣したところである。
元はなだらかな尾根をなしていたが、昭和二十八~二十九年の土地改良区画整理事業によって切り取られ、一部を留めるのみとなっている。
天正十年(一五八二)六月、織田信長が本能寺で滅亡するや、諏訪頼忠はいちはやく諏訪の旧領を回復して自立した。
徳川家康は諏訪氏を服属させようと、乙事(おっこと)村名主の五味太郎左衛門を使者に立てたが、頼忠は服さない。そこで七月下旬、大久保忠世・酒井忠次ら七将に命じて諏訪を攻略した。
いっぽう北条氏直も信州を支配しようとして、四万三千の大軍を率いて佐久方面から進軍してきた。これを察知した徳川方三千は乙事まで退いたが、北条軍が一里近くまで迫り、両軍はまさに乙事原で衝突しようとする寸前であった。
このとき太郎左衛門は具(つぶ)さに北条軍の動静を探り、適切な進言をしたので、徳川軍は一兵も損なうことなく新府に退くことができた。
こうして北条軍は甲斐に入り、再び対陣すること八十余日に及んだが、両軍の間に漸(ようや)く和議が成立して十一月に陣が解かれ、北条氏は上州を、徳川氏は甲斐・信濃を得ることになり、諏訪氏も徳川に服属した。
太郎左衛門は、この間の功績によって甲州に拾貫文の知行を拝領し、後になって家康に召し出されて性を乙骨(おっこつ)と改め、その旗本に取り立てられた。
(富士見町教育委員会設置の案内板から・平成13年)





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