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管理人の思いつくまま、気の向くまま、長野県内の町や村の話題を取り上げています。

040612_2105_YAMA-SHOWS live_oread(辰野町)

今年のノーベル文学賞を受賞したボブ・ディラン。
そのボブ・ディランがノーベル賞を受賞したことを喜ぶ人が上伊那郡辰野町にいる、とNHKのローカルニュースが伝えていました。

三浦 久さん( Wikipedia
 
留学中の米国カルフォルニアで、ラジオから流れていたボブ・ディランの曲を聴いたことがきっかけでフォークシンガーとしての活動を始め、以降、数々のアルバムをリリース。生まれ故郷の上伊那郡辰野町に戻ってからも活動を続ける一方で、ライブハウス Oread(オーリアッド)を開設。テレビでは、「風に吹かれて」に描かれた「詩」を通じて、ボブ・ディランとはどのような人物なのか、またこの作品の魅力は何かを語る三浦さんの様子が紹介されました。
  
<管理人ひとこと>
今から10年ほど前、松本勤務の際に地元ミュージシャンのライブを鑑賞するため、Oread を1度だけ訪ねたことがあります。カウンターの奥に三浦さんがいて、ライブの合間に紅茶をだしていただいたことを思い出しました。益々のご活躍を。
  (写真:ライブハウス・OREAD で演奏する YAMA-SHOWS =平成16年6月12日撮影、640×480拡大可能)

<参考HP>
・ OREAD HOMEPAGE
  http://www.secondwind.jp/





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110813_0830_北の沢の渡河橋(辰野町)

上伊那郡辰野町羽場の国道153号線近くにある(地図)煉瓦造りのアーチ型橋。通称「北の沢のめがね橋」。明治時代、馬車が通れるように三州街道(旧伊那街道・現国道153号線)の改修工事が行われた際に架けられたもので、後に初期の伊那電鉄(現JR飯田線)も併設して使われました。
平成23年7月15日に開催された国の文化審議会において、この「北の沢の渡河橋」を国登録有形文化財に登録するよう文部科学大臣に答申しています。
(写真:「北の沢の渡河橋(めがね橋)」上流部分=13日撮影、640×480拡大可能)

<参考資料> 三州街道と北の沢めがね橋
三州街道は、明治21年から26年にかけて馬車が通行できるように改修されました。
辰野町羽場にある一級河川北の沢川を通過する街道はそれ以前、深い谷をおりて遠回りであり、きわめて不便でした。明治の改修では谷を埋め立てて道路を直線化する工事が行われました。「めがね橋」はその際に盛土の下部に建設されたと推定されます。
めがね橋は、石と煉瓦でつくられたアーチ橋です。道路のために架橋された明治20年代の橋であり、さらに明治末期から大正初期にかけて初期伊那電鉄も渡河していたという大変珍しい歴史をもつ橋です。
地元では古くから「めがね橋」と呼ばれていました。
(ねがね橋保存会設置の案内板から)


北の沢の渡河橋 (8月13日)
110813_0847_北の沢の渡河橋(辰野町) 110813_0835_北の沢の渡河橋(辰野町)
渡河橋(右下)上部 手前が増設された部分





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110717_0833_全日本どろんこ田んぼバレーボール大会(辰野町)

上伊那郡辰野町渡戸(地図)で17日、休耕田をバレーコートにして泥まみれになりながらバレーボールを追いかける、どろんこ田んぼバレー大会の長野県大会が行われました。
(写真:競技前の会場の様子=17日撮影、640×480拡大可能)

<管理人ひとこと>
残念ながら競技中の写真はありません…。

<参考HP>
・ どろん田バレー大会
  http://sky.tear.jp/kawasima/doronta/index.php




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100918_1659_中央道で車両火災(辰野町)

18日夕方、上伊那郡辰野町の中央自動車道上り線(地図)で車両火災があり、伊北IC~岡谷JCT間が一時通行止めになりました。 (写真:ほたる童謡公園付近から=18日午後5時撮影、640×480拡大可能、右上は拡大写真)

<管理人ひとこと>
この日は午前中も伊那IC付近で車両火災があり、伊那ICから先が通行止め。渋滞の列は小黒川PA付近まで続きました。最近、高速道路での車両火災が多いように感じます。お出かけ前の点検は怠りなく。


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090418_0808_辰野町神戸の水仙まつり(辰野町)

上伊那郡辰野町伊那富神戸の農業用水路沿いの土手(地図)では、地元の住民有志の皆さんが育てたスイセンが満開となり、18日には今年で5回目となる水仙まつりが開催されました。 (写真:400mに10万本のスイセンが咲く水仙の里=18日撮影、640×320拡大可能)

<管理人ひとこと>
農免道路は狭いので駐車できません。用水路を渡った先に、もう一本、水路に沿って農道がありますので、ゆっくり鑑賞したい場合はそちらを利用(左側路肩駐車)しましょう。





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090411_0638_徳本水と今村の信仰遺跡(辰野町)

「徳本水」は、上伊那郡辰野町と塩尻市を結ぶ国道153号線沿いの崖下(地図)に湧く清水で、今でも大勢の人たちが水くみに訪れることで知られています。湧水の横に車4台程度が駐車できるスペースが設けられています。 (写真=11日撮影)

<参考資料> 「徳本水」と今村の信仰遺跡
横川川の急流に削られたこの地は、古来、伊那谷南北交通の要衝で、除け端(よけばな)と呼ばれた難所であった。かの東山道もこの地を通り、旅人が休息する水場でもあった。
岩間より滾々(こんこん)と湧き出る清水は「徳本水(とくほんすい)」と呼ばれ、この霊水で人々の病を治したという徳本の話を伝えている。ここでは江戸初期の名医永田徳本と江戸中期の名僧徳本上人が混同され、信仰の対象にもなって、徳本上人の座像や「南無阿弥陀仏」の名号碑(みょうごうひ)など関連の石造物も多い。
小屋場と呼ばれる崖上の平は、徳本が草庵を結んだ所と伝え、戦国時代にはこの山に築かれた龍ヶ崎城の水の手が想定されている。
今村の村境にもあたるこの地は、村人の信仰を伝える辻遺跡でもあり、水場脇の一、二番の観音像に始まり尾根や村中を巡って西国三十三札所観音を巡拝することのできる石仏群をはじめ、善光寺・妙義山・戸隠山永代年参塔や大神宮月参供養塔、庚申塔、馬頭観音像、常夜灯など、多くの石仏群が集まる。戦前には、「湯を結ぶ誓いも同じ石清水」の芭蕉句碑や小屋場に公園も整備された。
「徳本水」は、湧水の名のみにとどまらず、このあたり一帯を示す名称として村人に親しまれ、近世村落の信仰を今に伝える史跡として貴重である。 (辰野町教育委員会設置の案内板から)





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日本最古の道祖神があることで知られる辰野町沢底にある福寿草群生地のイベント。

第7回沢底福寿草まつり
[ 期間 ]
・ 平成21年2月21日~22日
  鑑賞期間:2月下旬頃
[ 時間 ]
・ 9:00~15:00
[ 場所 ]
・ 上伊那郡辰野町沢底
  沢底入村ふれあいセンター
[ マピオン地図 ]
・ 上伊那郡辰野町大字沢底
[ 参考HP ]
・ 辰野町ホームページ
  http://www.town.tatsuno.nagano.jp/
[ 問い合わせ ]
・ 辰野町観光協会事務局 役場 産業振興課内
  TEL 0266-41-1111





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080820_1306_樋口次郎兼光の墓(辰野町)

樋口次郎兼光(ひぐちじろうかねみつ)は、木曽義仲に従い倶利伽羅峠の戦いなどで活躍した平安時代末期の武将。近江国粟津(滋賀県大津市)で、源範頼・義経の追討軍に敗れ、義仲とともに戦死したとも、義仲討死の報に接し、京に戻った後に捕らえられ殺されたなど、その最後をめぐっては諸説伝えられています。
辰野町樋口(地図)は、兼光が館を構えていた場所で、兼光死後、家来が遺髪を形見に戻り、真言宗香蓮寺に納め菩提を弔いました。
兼光の遺児兼重は辰野のこの地で育てられ、その子孫からは、上杉謙信・景勝の名参謀として知られる直江兼続(なおえかねつぐ)を輩出しています。 (写真=20日撮影)

<参考資料>
樋口次郎兼光は、信濃権守中原兼遠の次男で、清和源氏の子孫である。兼光は当樋口の樋前に居城したので、世に樋口次郎兼光という。彼は弟の今井四郎兼平や根井行親、楯親忠と共に、旭将軍義仲の四天王といわれた武将で、武芸力量共に抜群であった。また義仲に仕えて勇名を馳せた女丈夫巴御前は兼光の妹である。権勢を誇った平氏の勢力が漸く衰えかけたのを見ると以仁王(後白河法皇の子)は平氏追討の命を下した。諸国の源氏は之に応じ一挙に京都へ攻め入ろうとした。八百年前のことである。
義仲は威風堂々一族郎党を引き連れ、木曽を出て北陸路を一気に京へ攻め上った。途中有名な「くりから谷の合戦」で義仲軍の奇襲により平家は大敗を喫し、京へ逃げ戻った。義仲はこれを急追し京都に迫ったので、平家の一門は遂に幼帝安徳天皇を奉じて西国へ都落した。京とに天皇がなくなると、義仲は以仁王の王子北陸の宮を建てようとしたが許されず、加えて部下の粗暴な振舞いが目立ち人心が不安に陥った。そこで後白河法皇は勅使を鎌倉に送り、義仲追討の命を下した。頼朝は弟の範頼、義経を大将として京都に攻め上らせた。有名な宇治川の先陣争いはこの合戦である。ところが義仲軍利にあらず、六条河原の戦に敗れ部下武将と共に粟津ヶ原で露に消えた。
時に樋口次郎兼光は三十五歳、寿永三年正月二十五日のことであった。
現在粟津ヶ原に義仲寺と称する小寺院あり、当時の戦死者の霊を弔っている。義仲とその後に臨み巴御前に「義仲は死ぬまで婦人を伴っていたと後世の人に言われるのは甚だ口惜しい。」と言って巴御前を郷里にかえし後世を弔わせた。巴御前は信濃に帰り後、越後に行って髪を落し尼となって、義仲に遺命に従った。兼光の従臣は彼の髪を形見に郷里に帰り、当地の菩提寺真言宗香蓮寺に納め菩提を弔った。この時六歳の遺児左近兼重この地に養育された後、鎌倉幕府から領地を課証されたという。 (樋口区・八百年奉賛会建立の案内板から)





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いよいよ松尾峡のホタルたちが乱舞する時期となりました。
ちなみにホタルは蒸しむしした晩に発生することが多いとのこと。
管理人もホタル探しに出かけてみようかな。

 第60回辰野ほたる祭り
[ 期間 ] 平成20年6月21日(土) ~ 29日(日)
[ メインイベント ] 平成20年6月21日(土)
[ 時間 ] 17:00 頃から
[ 場所 ] JR飯田線辰野駅前周辺
[ 参考HP ]
・ 辰野町ホームページ
[ 内容 ]
・ ほたるのお宿うつし
・ 獅子舞など
[ 問い合わせ ]
辰野ほたる祭り実行委員会 TEL 0266-41-1111


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ホタルの里として知られる松尾峡の辰野町ほたる童謡公園で菜の花が満開になっています。
この菜の花は、平成19年10月に地元の企業経営者や商店主、主婦らが設立した「特産品開発と町おこしを考える会」の皆さんが地域の活性化を目的にタネを蒔き育ててきたもの。
5月3日と4日の二日間、初めてのイベントを開催する予定で、コンサートやもちつき大会が行われるそうです。(写真=26日午後2時40分撮影)

080426_1447_辰野町松尾峡の菜の花(電車)

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