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091123_1354_下條歌舞伎定期公演(下條村)

09_下條歌舞伎定期公演(表)
「下條歌舞伎定期公演」パンフ
下伊那郡下條村に伝わる地芝居・下條歌舞伎の定期公演が23日、同村睦沢の文化芸能交流センター・コスモホールで行われました。
下條村村制120周年を記念して行われた今回の公演には、当初、下條村こども歌舞伎教室、下條中学校歌舞伎クラブも参加の予定でしたが、新型インフルエンザによる学級閉鎖などが相次ぎ、また、ほかの生徒への感染に配慮して、急遽取りやめとなる事態となりました。下條歌舞伎保存会の上演についても、こうした事情から子役の調達がままならず、公演実施が危ぶまれましたが、下條村文化協会のみなさんによる役者協力もあり、辛うじて公演実施に至りました。 (写真:下條歌舞伎定期公演=23日撮影、640×480拡大可能)

<あらすじ>
今回上演された演題は、「菅原伝授手習鑑 寺子屋の場(すがわらでんじゅてならいかがみ てらこやのば)」。菅丞相(菅原道真)の子菅秀才を守るため、今日寺入りしたばかりの小太郎という子供の首を、首実験に来た松王丸と春藤玄蕃に差し出す武部源蔵。実は、その小太郎こそ、首実験に来た松王丸の子であり、秀才の危機を救うため、我が子を先に寺入りさせ、敢えて殺させ身代わりになったというあらすじ。小太郎の葬送に語られる「いろは送り」(野辺送り)。菅秀才を助けたものの、我が子小太郎を失うことになった親の悲しみを残しながら舞台の幕は下ろされます。

<参考HP>
・ 下條村ホームページ
  http://www.vill-shimojo.jp/





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091123_1306_吉岡城址(下條村)

下伊那郡下條村陽皐(ひさわ・地図)にある室町時代中期、この地を治めた下條氏によって築城された城跡。 (写真=23日撮影)

<参考HP>
・ 下條村ホームページ
  http://www.vill-shimojo.jp/

<参考資料> 吉岡城と下條氏
吉岡城は文明七年(一四一五)室町時代中期 下條氏第六代康氏によって築城され、以後七代百十二年間本拠地とした城である。
城郭は下條氏の勢力拡大に伴って拡張し完成された。形状は連郭式平山城で東西約七〇〇メートル、南北約三〇~二〇〇メートルに及び、中世後期の城としては規模も大きくその特徴を有している。城跡は部分的に埋没し崩されているが、当時の輪郭を重文に伝えている。遺構は空堀による四つの郭を城下町・馬場・弓場等からなり、桝形、上町、屋敷町、大手、大手裏、堅町、横町等の地名と井戸、四脚門が残っている。
下條氏は甲斐源氏小笠原氏の庶流である。

初代頼氏
室町時代の初期、小笠原氏の麾下として大沢(古城)に来り、この地方を支配したが、五代にしてその系は絶えた。
六代康氏
松本小笠原氏政康の子。文明二年下條家を継ぐ。居城を大沢(古城)から吉岡に移し、根拠地とした。下條氏中興の祖である。文亀三年(一五〇三)没。
七代家氏
信濃守護小笠原氏の代官として治世を安定させ中央に文化を招来し、重要文化財大山田神社社殿等今日にその遺業を伝えている。天文三年(一五三四)没。
八代時氏
松本小笠原氏と謀り、松尾小笠原氏、新野の関氏を攻略し伊那谷西南部一帯を支配した。元治元年(一五五五)没。
九代信氏
竹田信玄の妹を妻に迎え、信玄の伊那先方衆として武功を立てるが、天正十年(一五八二)二月、織田信長の信濃攻略に際し家老の謀反にあい、長男信正(十代)とともに三河に逃れたが彼の地に没した。
十一代頼安
信氏の二男。天正十年六月二日本能寺の変に乗じ、徳川家康の助勢を得て、吉岡城を奪回したが、天正十二年正月松尾城に於て謀殺された。
十二代牛千代
信正の長男。家康に従属したが、家中の内紛や謀反が家康の詮議を招き、天正十五年(一五八七)三月改易となり、下條氏は事実上滅亡し、一族郎党は諸方の大名家に仕え四散するところとなった。
その後、吉岡城は幕府領の代官所等にあてられていたが、寛永年間旗本知久氏によって取壊された。 (下條村教育委員会設置の案内板から)





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091123_1300_大山田神社(下條村)

下伊那郡下條村陽皐(ひさわ・地図)にある国指定重要文化財の式内社 大山田神社。
境内にある大杉は村天然記念物。 (写真=23日撮影)

<参考HP>
・ 下條村ホームページ
  http://www.vill-shimojo.jp/

<参考資料> 式内社 大山田神社
御祭神 大巳貴命(大国主命)
相殿 応神天皇
相殿 鎮西八郎為朝
社地 下條村陽皐四五八八番地
社殿 拝殿奥の覆屋に三社殿が祀られている
八幡宮社殿(室町時代) 重要文化財指定
大山田神社社殿(江戸時代中期) 一間社流造
八郎明神社殿(室町時代) 重要文化財指定
中略

古代この辺り一帯は「菅野荒野」と呼ばれ、万葉集に歌われ、菅野朝臣真道縁りの地とされる。神社の創立年代は詳かではないが、平安時代醍醐天皇による延喜式神名帳に載る信濃国四十八座伊那郡二座の一座で、千年以上の歴史を持つ神社である。
室町時代に至り、領主下条氏はここに正八幡宮と諏訪明神宮を祀り一族の氏神とした。これにより近郷の総鎮守として人々の崇拝厚く、特に下条氏七代目伊豆守家氏は京都より宮大工吉村氏一族を招き社殿の造営を為さしめ、現在当神社の他、古城八幡宮に二社殿が残り、何れも重要文化財指定を受けている。これは、下条氏の文化水準、及び力を示すものであり、神社の名声を広め重文を持つ式内社として貴重な存在となった。
江戸時代は人々の産土神として祭られ、八幡宮へ幕府より朱印地拾石を与えられていた。寛永年間風倒木のため、八郎明神社殿が損傷を受けるなど荒廃の時期もあったが、貞享、延享、宝暦年代に神主等によって修復され、下条氏以来潜めていた式内社大山田神社の社名復活を行い、人々の信仰を富に集め、明治七年郷社に列した。
社叢、境内は数百年の老杉を初め杉桧の大木が繁り、この元に繁栄する植物は約二百六十種類で、然も南限北限の植物が混在する貴重な場所とされ、特に「青木」の群生は珍しい。 (境内に設置されている案内板から)

<参考資料> 大山田神社、八幡宮、八郎明神御祭祭礼之図
画面上部に神社の拝殿と覆屋、前面に四人の禰宜を先頭に槍、弓持ち、神主、御輿、笛太鼓、鐘を鳴らす人々、赤色と白色の幣束、ヘエボイお獅子に供揃いの行列、その左側では、舞台の前に大勢の人々が「芝居」を見学している。右側では幕を張り、人々が的に向けて弓を射ている。
図の行列は、大山田神社の神事芸能と伝わる「ギョウド」を描いている。ギョウドは7世紀ころ中国から日本に伝えられた「技楽」の「行道」を表す古い言葉で、その芸能の形態を伝える資料。歌舞伎は江戸時代この地方で、既に常設の舞台を設け、娯楽芸能が盛んに行われた資料。弓を射ているのは宇佐、石清水、鎌倉など八幡宮の伝統行事「奉射祭」(ぶしゃまつり、流鏑馬)を八幡宮に奉納している場面。こうした神事芸能と娯楽芸能を同時に描いたものは希少、特に村の芸能文化の資料として貴重。

平成13年8月21日 村有形文化財指定
年代 江戸時代 天保年代(伝承)
作者 絵師「斎木」
(以上案内から)

<参考資料> 大山田神社の「甲子祭図」
甲子祭りは、元来仏説の大黒天祭り、後に大黒天と大国主神が習合し、農村では農神とし祀った。また大黒天は、子の方角の神として祀り、十干第一番の「甲」と十二支の「子」に当たる年、またその日に、「甲子待」と言って人々が集まり、大黒天の食膳に大豆、黒豆、二股大根を供え、子の刻まで夜を明かし大黒天を祀る。大豆や大根を供することから大黒天は「農神」の意図がうかがえる「大黒天信仰」。
絵馬は画面中央上部に大黒天を祀り、その左右い祭神と大黒天の賛を記し、その下では、集まった人々が酒を酌み交わし、思い思いの語らいの中で祭りの夜を過ごしている様子が絵師豊斎によってリアルに表現されている。末尾に「干時元治元年弥生甲子日」と祭日を記す。この年、元治元年甲子年には村内9地区で「甲子」の碑を建立している。これは村内に置ける「大黒天信仰」の現れを示すもので、絵馬はその集大成ともいえる。絵馬に記される人々の名前から、祭りが広域に浸透していた様子を伝える民俗資料として貴重。

平成13年8月21日村文化財指定
年代 慶應2寅年弥生23日
作者 古田豊斎(鷹麿)
(以上案内から)

<参考資料> 大山田神社のギョウド・獅子舞
獅子舞は、今からおよそ350年ほどぬかしから伝えられるもので、「ギョウド」と呼ばれる神事と一緒に行なわれてきたものです。「ギョウド」はお獅子を先頭に神社の境内を清めて歩く神事で、獅子舞と同じ頃始められたものと思われます。獅子舞の特徴は「ヘエボイ」と呼ばれる奇妙な面をつけた男とのかけあいにあります。神社の拝殿で行われる獅子舞は、須佐男命(すさのおのみこと)がヤマタノオロチを退治した場面を祭神に奉納するものといわれ、県下では珍しい舞です。春4月、秋10月に行われます。村無形民俗文化財 (案内から)

091123_1255_大山田神社・絵馬(下條村) 091123_1257_大山田神社・絵馬(下條村)
「大山田神社、八幡宮、八郎明神御祭祭礼之図」と「甲子祭図」(一部)





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