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120401_1340_国重要無形民俗文化財 跡部の念仏踊り(佐久市)

1日午後1時から、佐久市跡部の西方寺(地図)で国重要無形民俗文化財の跡部の踊り念仏(跡部踊り念仏保存会)が行われました。
跡部の踊り念仏は、今からおよそ700年前の鎌倉時代中期、時宗の開祖・一遍上人が善光寺詣での後に佐久郡伴野庄(現在の佐久市野沢)を訪れ、小田切の里(現在の佐久市切原)で行ったのが初めとされています。
踊りは、4メートル四方の「道場」といわれる棺台(死者を葬る際棺をのせるものと同じ)に、「発心」「修行」「菩提」「涅槃」の四門と四十九院塔婆を連ね、垣の中に置かれた太鼓に合わせて8人の踊り手が鉦を打ち鳴らし、南無阿弥陀仏・念仏和賛を唱えながら踊り周るというもの。1組が踊る時間は約15分。終了後は、地区で用意した知恵団子が配られます。
この踊り念仏は、戦前まで跡部だけでなくほかの地区にも残っていたようですが、現在ではこの地区だけに残り、平成12年に国の重要無形民俗文化財に指定されました。 (写真=1日撮影、640×480拡大可能)

<管理人ひとこと>
中部横断自動車道の暫定開通により、跡部へのアクセス(最寄りIC:佐久南IC)が容易になりました。

<参考HP>
・ 佐久市観光協会
  http://www.city.saku.nagano.jp/kankou-k/index.html


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110403_1345_跡部の踊り念仏(佐久市)

3日午後1時から、佐久市跡部の西方寺(地図)で国重要無形民俗文化財の跡部の踊り念仏(跡部踊り念仏保存会)が行われました。跡部の踊り念仏は、今からおよそ700年前の鎌倉時代中期、時宗の開祖・一遍上人が善光寺詣での後に佐久郡伴野庄(現在の佐久市野沢)を訪れ、小田切の里(現在の佐久市切原)で行ったのが初めとされています。
踊りは、4メートル四方の「道場」といわれる棺台(死者を葬る際棺をのせるものと同じ)に、「発心」「修行」「菩提」「涅槃」の四門と四十九院塔婆を連ね、垣の中に置かれた太鼓に合わせて8人の踊り手が鉦を打ち鳴らし、南無阿弥陀仏・念仏和賛を唱えながら踊り周るというもの。1組が踊る時間は約15分。終了後は、地区で用意した知恵団子が配られます。
この踊り念仏は、戦前まで跡部だけでなくほかの地区にも残っていたようですが、現在ではこの地区だけに残り、平成12年に国の重要無形民俗文化財に指定されました。 (写真=3日撮影、640×480拡大可能)

<管理人ひとこと>
会場の西方寺は、中部横断自動車道・佐久南ICから10分ほどの位置にあります。

<参考HP>
・ 佐久市観光協会
  http://www.city.saku.nagano.jp/kankou-k/


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101204_1819_佐久平イルミネーション(佐久市)

佐久市根々井の樫山工業株式会社信州工場(地図)では、11月9日から始まった恒例のイルミネーションが人気を集めており、週末ともなると県内外から訪れた大勢の見物客で賑わっています。
今年のテーマは「Cinderella Story ~ 冬のロマンス 」。15万個のLEDを使って描かれたシンデレラや動物たちの幻想的な姿が沿道を彩っています。
イルミネーションは、来年2月27日まで、毎日午後4時30分から翌日午前1時まで点灯されています。 (写真=4日撮影、640×480拡大可能)

<参考HP>
・ 佐久平イルミネーションガイド
  http://illuminate.jp/





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100404_1233_長野県史跡伴野城跡(佐久市)

佐久市野沢(地図)にある鎌倉時代から室町時代にかけて築城された伴野氏の居館跡。県史跡。 (写真=4日撮影)

<参考資料> 長野県史跡 伴野城跡(とものじょうせき)
東西七四m~八五m、南北一一〇mの南北に長い長方形で、周囲に土塁と堀を廻らせた城の主郭部分にあたる。土塁は北側と西側、東側の北半分が残存し、堀は全周が残存する。南側の中央に入口を設け、南西の高台に物見櫓を設けていたと伝えられている。県史跡指定を受けた部分は、鎌倉時代~室町時代に活躍した伴野氏の居館(野沢館)と考えられている。また戦国時代頃に館を兼ねた城として増改築されたと考えらている野沢城の主郭部分にあたる。一六世紀末に戦乱にすえ廃城となるが、佐久地方に侵攻してきた有力氏の支配拠点などとして利用された。江戸時代には官庫・陣屋・藩出張所などとして存続し、明治時代以降には神社境内や官公地として、現在は公演と境内地として利用されている。
平成一四年から一六年に環境整備にともない、史跡内の一部と土塁・堀の一部の確認調査を実施し、南側入口付近で戦国時代と考えられる石積みで補強された土橋と、底面まで緩やかに傾斜する堀が発見された。東側の土塁の確認調査では一五~一六世紀に推定される土塀の基部状の石積みを持つ土塁が現在の土塁下部で見つかっている。





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100404_1320_2_跡部の念仏踊り(佐久市)

4日午後1時から、佐久市跡部の西方寺(地図)で国重要無形民俗文化財の跡部の踊り念仏(跡部踊り念仏保存会)が行われました。跡部の踊り念仏は、今からおよそ700年前の鎌倉時代中期、時宗の開祖・一遍上人が善光寺詣での後に佐久郡伴野庄(現在の佐久市野沢)を訪れ、小田切の里(現在の佐久市切原)で行ったのが初めとされています。
踊りは、4メートル四方の「道場」といわれる棺台(死者を葬る際棺をのせるものと同じ)に、「発心」「修行」「菩提」「涅槃」の四門と四十九院塔婆を連ね、垣の中に置かれた太鼓に合わせて8人の踊り手が鉦を打ち鳴らし、南無阿弥陀仏・念仏和賛を唱えながら踊り周るというもの。1組が踊る時間は約15分。終了後は、地区で用意した知恵団子が配られます。
この踊り念仏は、戦前まで跡部だけでなくほかの地区にも残っていたようですが、現在ではこの地区だけに残り、平成12年に国の重要無形民俗文化財に指定されました。 (写真=4日撮影)

<管理人ひとこと>
本堂内に掲げられていた一遍上人を描いた聖絵の写し。佐久史学会編「佐久」57号によれば、一遍の弟子だった聖戒(しょうかい)が編んだ「一遍上人聖絵」というものだそうです。一遍が鉢を叩き、踊りながら念仏をとなる人々の様子がわかります。

<参考HP>
・ 佐久市観光協会
  http://www.city.saku.nagano.jp/kankou-k/index.html

 100404_1309_跡部の念仏踊りが行われる西方寺(佐久市) 100404_1325_2_跡部の念仏踊り(佐久市)
跡部の念仏踊りが行われる西方寺(左)と踊り念仏(右)
100404_1323_2_聖戒編「一遍上人聖絵」(佐久市) 100404_1323_3_聖戒編「一遍上人聖絵」(佐久市)
鉢を叩く一遍上人(左)と踊りながら念仏を唱える人々(右)
聖戒編「一遍上人聖絵」





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