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管理人の思いつくまま、気の向くまま、長野県内の町や村の話題を取り上げています。

幸い大きな病気もせず、元気でいたオヤジやオフクロも、さすがに寄る年波みには勝てないようで、我が家ではこれまであまり考えたこなかった「介護」が現実になりました。加えて、我が家では+伯父の「介護」も看ることとなり、以降、生活が大きく変わることにもなりました。ここでは、現在進行中の我が家(+伯父)の「介護」の様子を備忘録代わりに綴っています。

emoji 平成27年度 emoji 平成28年度 emoji 平成29年度

平成29年8月
31日(木)
<オヤジ>特別養護老人ホームの担当者へ連絡。入居について検討したいので、今週末に施設見学に伺ってよいかお話をして了承いただきました。
30日(水)
<オヤジ>昨年の11月に入居のお願いをしておいた特別養護老人ホーム(特養)の担当者から、ようやくひとつ空いたので、改めて入所についての検討いただくために施設見学のため来所願えませんか、という連絡がありました。
現在お世話になっている老人保健施設(老健)でも、入所時に今後の予定として特養への申し込みを勧められていたこともありました。施設運営上、老健では3ヶ月をメドにサ高住(我が家では自宅でのオヤジの介護は困難のため)へ一時的に移り、改めて入所するこなどの流れを踏まなければならず、そのたびにケアマネやデーサービスなどの施設、介護用品業者との打ち合わせをしなければならず、その手続きのため管理人もそのたびに半休を取得しなければならない事情もありました。
このようなことから、今回の特養の空きができて入所のお誘いを受けたことは、我が家にとっても、老健施設においても、まさに理想の流れであり、また、これだけの短期間で特養への入所できることそのものをありがたく思わなければいけないのかなぁ…と思ったのでありました。
26日(土)
<伯父>納骨と四十九日の法要の打ち合わせ。
お位牌については、ほんとうに一般的なもので、戒名と亡くなった日、年齢を確認してお願いしました。因みに「享年」とは数え年齢、「行年」は満年齢とのことだそうで、説明を聞いて初めてそのことを知りました。伯父は昭和6年生まれなので、「享年」では87歳ということになるわけですね。
また、納骨と四十九日の法要については、今回、お寺さんで行うわけですが、お墓にお供えするお花左右一対、祭壇にお供えするお花左右1対とお供え物、住職へのお礼については葬祭センターが一括で発注とお届けを、法要終了後の会食のは有無と、もし会食する場合には個数を確認することの説明がありました。お布施については、法要が始まる前に住職が祭壇にお供えすると思われるので渡すタイミングについて教えていただきました。
<オヤジ>介護施設を訪問。相変わらずお元気で何より…という状況。
伯父が亡くなったことについては伝えず。
18日(金) ※夏休み
<伯父>今日は伯父の携帯電話の解約と金融機関の相続手続きを。
携帯電話の販売店に出かけるのは、ガラケー時代に機種変更(新規は代理店が来訪)のため1度、ガラケーからスマホに変更する際に1度の計2度のみ。
今回は自分が利用している携帯電話の会社とは異なるため、さてどんな対応をしてくれるのか、ドキドキしながらとりあえず訪問してみたのでありました。
番号札を発行してもらって、待つこと10分(意外にも速かった)。相続人ではないけれど、伯父が亡くなったので甥の自分が解約の手続きにきたこと、簡単な家族構成を説明し、未納分の確認と支払いを済ませたところ、驚くことに解約手続きはあっという間に完了。いやはや、昨日はあれほど苦労したのに、こういったものはとにかく速いっ。NHKの解約もそうでしたが、こういうことは民間企業のほうが対応が速く、とてもありがたく感じたのでありました。
続いて向かったのは金融機関。幸いにも取引金融機関は1つのみで、相続人も我が家の母親ひとりだったことから、こちらも特段の指摘なくく書類を受け付けていただきました(相続関係の確認等があったため、後日、手続きについてのは連絡あり)。戸籍謄本や住民票の原本については、他の手続きにも使用するため、原本還付(原本を返却してもらうこと)していただきました。
今回はそれぞれの手続きについて、たまたま夏休みが取得できたため短時間で終わりましたが、これが通常の時期であったら、こうはなかなか終えられなかったかもしれません。慣れないことばかりでしたので、いささか疲れた2日間でありました。
17日(木) ※夏休み
<伯父>年金停止のため、長野北年金事務所を訪問。予約をしておいたことで、すぐに面談となりました。自分の年金はまだまだ先のことでしたし、年金のついて詳しい知識があるわけではないので、いろいろ聞かれても困るなぁ…と思いながらの訪問でしたが、とても親切な職員さんで、手続きに必要な書類一式についてわかりやすく説明していただきました。年金は後払いとのことで、例えば8月支給の年金は6月と7月の2ヶ月分なのだそうです。ただ、伯父は8月2日に亡くなったので、8月分が日割りではなく1ヶ月そのまま支給されるのだそうで、その手続きが今回必要とのことでした。ただ、管理人は甥ではあるものの相続人ではないため、書類への記入は全て妹(管理人母親)が記入する必要があるとのことでした。
ところがここで更なる重要な事案が発生~。
(1)戸籍謄本と住民票について、もうひとりの伯父の戸籍謄本(結婚により除籍となり、新たな戸籍ができているため)、それと今回亡くなった伯父の住民票(除票)が必要であること
(2)「生計を一にしていることの証明」(同一世帯ではないものの、負担していた生活費の凡その金額、介護施設に支払っていた料金やその頻度、我が家が施設を訪問していたその頻度はどのくらいだったか等)の提出のため、介護施設の証明が必要であること
(3)未払年金が判明し、共済への請求(遡及5年間)が可能であること
(3)は直ぐに手続きをする必要はないものの、(1)と(2)は今回の手続きに必要であるとのことでした。そのようなわけで、面談終了後、急遽、近くにある支所に立ち寄り、書類の交付をお願いしてみました。
ところが、職員さんによれば相続人ではない甥の管理人ひろさくでは、伯父の戸籍謄本および亡くなった伯父の住民票の取得はできのだそうで(相続人である母親が同行していた場合には可能)、代行するには委任状と提出先の資料(提出書類の写し)が必要(公的書類の交付手続はなかなか難しい~)とのことでした。
できれば、難しい手続きは今日中に終了させたいと思っていた管理人ひろさくでしたので、ここはとりあえず、白紙の委任状を数枚いただき帰宅することに。
続いて向かったのは、伯父が入居していた介護施設でした。ここでは、事前に事情を連絡しておいたこともあり、思いのほか早く書類に社名判と証明印を押印していただき受領することができたのでありました。
午後は年金事務所でいただいた書類と支所へ提出する委任状への記入を。年寄りに記入させるのは大変でしたが、下書きをしてあげてどうにかこうにか完了。その後に訪ねた支所と年金事務所では、どちらも書類上に不備なく、また必要な書類も整っていたこともあり、どうにか受領をしてもらい、ようやく今日の行事は終了したのでありました。
しかし、戸籍謄本や住民票などは、委任状させあれば交付してもらえるものだと思っていましたが、具体的に提出先(例えば「年金事務所」「金融機関」)を記入したり、書類の写し(例えば「年金手続きのための請求書」「相続手続依頼書」)が必要とのことで、家族に動ける人がいればどうにか間に合うかもしれませんが、年寄りしかいないお家では、書類ひとつの準備にも相当の労力がかかり、大変じゃないのかなぁ…と今回の手続きをしてみてつくづく感じたのでありました。
16日(水)
<伯父>長野市役所の高齢福祉課と介護福祉課を訪問。高齢福祉課では高額医療費の請求と埋葬料の手続きを、介護福祉課では何か忘れてしまいましたが老人に関わるサービスの申請を行いました。また、住民課では金融機関および年金事務所に提出する書類の交付を依頼しました。
<諸手続きについて>
年金事務所については、伯父の住所地から長野北年金事務所で手続きが可能とわかったため、先ずは事情をお話するために電話をかけてみました。すると、とても親切な職員さんが対応され、面談のため17日に予約を入れていただきました。
NHKについては、電話帳にあるお客さまサポートセンター(おそらく東京)に電話をして事情をお話すると、電話を以て解約が可能ということでした。
中部電力についてもNHKと同じで、サポートセンター(おそらく名古屋)での受付でしたが、全て自動案内で、電話を切るとショートメール(Cメール)による返信があり、インターネットからの手続きとなりました。ただ、「お客様番号」がわからなかったことと、引っ越しが四十九日過ぎてからということになっていましたので、ここでは手続きをしませんでした。
13日(日)
伯父のお骨を安置していただいている母方のお寺に、迎え盆の墓参りへ。
ここのお家のお墓はお寺の裏手の、山の斜面につくられた墓地にあるわけですが、そこまでの間にかなり急な坂道となっており、ひろさくのような年齢の人間でも息が上がるくらいの階段を上がらなければなりません。加えてひさしぶりの晴天ということもあり、気温も上昇。これまではどうにか上っていた母親でしたが、さすがに今回は辛いようで、カラダを支えてあげながら、一段一段、どうにかこうにか、お墓までたどりつくことができました。来月は納骨と四十九日もあり、またこの階段を上がることになるわけですが、80歳を過ぎた老婆には兄弟の仏事はやむを得ないにしても、それから先はちょっと難しいかも…と感じたのでありました。
5日(土)
<伯父>前日、ご住職から本家や分家へ連絡だけはしておいたほうが良いとのお話があったことから、先ずは電話にて連絡。伯父が介護施設に入ってから2年半近く、音信不通状態であったため心配されていたそうで、これまでの経緯を説明しご理解をいただくことができました。また落ち着いたら、また伺うことにしたいと思います。
また、この日は「長野びんずる」が開催され、本来であれば管理人も参加しなくてはいけない立場にあったのですが、こうした事情もあり、今年は参加を控えることとなりました。
4日(金)
<伯父>午前9時30分に葬祭センターに到着。副住職がお見えになるまでに、納棺を行いました。センター社員さんにご協力をいただき、先ずは伯父を棺へ納め、旅仕度を整えました。その後に祭壇に飾ったたくさんの花を入れてあげて納棺は終了。その後、副住職による納棺経があげていただき、これが終るといよいよ出棺。葬祭センターの社員さん数名の見送りを受け斎場へと向かいました。
一般的にはこの後、斎場から葬祭センターに戻り葬式となるようですが、我が家の場合は家族葬であったため、そのままお寺さんに向かい、ご住職のお経により葬式及び初七日となりました。
ご住職のお話によれば、亡くなったのは2日ですが、四十九日までは修業の身であり、実際に西方浄土に旅立つのはそれからになるため、今年が新盆ではなく、来年が新盆になるとのことでした。したがってその後の仏事は、四十九日は9月に執り行い、一周忌と新盆は来年8月となることを承知しておいたほうが良いと教えていただきました。
3日(木)
<伯父>午前10時に葬祭センター訪問。当日予定している通夜の飾り(お花)、お斎の席での食事(会席料理)の内容、明日の葬式(お寺にて)に飾るお花やお供えもの、住職への手土産、故人の写真の手配について打ちあわせしました。ただ、困ったのは伯父の写真で、写真撮影をすることが趣味だった伯父でしたが、自分を撮影した写真をもらったことがなく、唯一あったのが、本人が証明写真として撮影したと思われる3cm×2.5cm程度の小さなカラー写真でした。
午後2時、葬祭センターへ写真を持参。こんなに小さな写真でも遺影として使えるのかなぁ…と思っていましたが、通夜の時には祭壇の上にこれが立派な写真となって飾られていて、大変驚いたのでありました。
午後5時前に副住職が到着。葬祭センターの社員さんの進行で通夜が営まれ、その後お斎となりました。副住職は住職さんの息子で、まだ若い方でしたが、声も大きく、はっきりとしていて、伯父も良かったのではないかなぁと思ったのでありました。
2日(水)
<伯父>容態が悪化していた伯父でしたが、この日の朝亡くなりました。享年87歳。
電話を受け、オフクロに葬祭センターに今後の予定と、遺体の搬送のため車を手配をお願いし、急ぎ帰宅。施設では、私たちが到着する前に職員さんのご配慮によりほとんどの処置を済ましていただいてありました。
葬祭センターでは、今後の予定について説明を受けました。伯父には家族がなく、これまで独りで生活していたたため、通夜から葬儀までの仏事や手続きについては、全て我が家が引き受けることになっていました。親戚縁者もなく、また、新聞などで告知をすると、本人を知るみなさんのご負担がかかることから、今回は家族内で全て行うことに決め、仏事全般も相応の内容で進めることにしました。
センターの係員さんに斎場の手配をしていただき、喪主であるひろさくはお寺さんに連絡。住職によれば、幸いにも通夜を予定している3日夕方も、また葬式となる4日も特段の予定はない、とのことであったことから、詳細については2日夕方、改めて訪問し説明することで了解をいただくことができました。
午後7時、住職のお帰りを待ってお寺さんを訪問。伯父と我が家の関係、葬祭センターで打ち合わせした仏事の日程の説明、戒名などについてお願いし、この日は午後9時頃帰宅したのでした。

 平成29年5月
22日(月)
<伯父>介護施設からの要請で担当医と面談するため訪問。
内容は今後の治療と看取りについて。もともと慢性腎臓炎を患っていることは承知していましたが、加えて最近はモノを飲み込む力(筋肉の衰え)が弱っており、このままだと食べたモノが気管に入るなどして誤嚥性肺炎になる可能性もあるとのお話でした。最悪の場合は病院への転院もあり得るが、病院でもここ(の介護施設)でも治療は同じ。戻るお家がなく、面倒を看る人もいない伯父に、ご家族の希望があればここで看取ることもできますが、どうされますか?ということが結論でした。
このことについては、妹であるオフクロとも既に相談済みで、最大限の治療はしていただいて、それでも延命のための処置が必要になるようであれば、それはやめましょう、と伝えました。機械に頼らず、精一杯生きればそれは本人に与えられた寿命、というのが我が家の一致した考え方だったからです。
それまで、おいしいものを食べて、周りのみなさんと楽しくお話をして、過ごしてほしいと思っています。
 20日(土)
<オヤジ・伯父>冬物の衣類を受け取りに施設を訪問。今回、オヤジが入所する介護施設に伯父も入所したこともあり、家族的な負担が解消されたことは良かったです。
15日(月)半休
<伯父>午前10時、これまでお世話になっていた介護施設から、長野市内の介護施設へ移動。歩けない伯父を車イスのまま乗車できるタクシーに乗せ、こちらは着替えの入った段ボール箱3つとともに自家用車にて新しい施設へと向かいました。
新しい施設では、予め仮申し込みをしておいたため、書類については改めて記入する項目はほとんどありませんでしたが、担当の介護士、看護師、そしてケアマネ(支援員)さんにこれまでの経緯を説明するしたり、前の介護施設で本人の病状・生活状況等々作成した書類についての質問が多く、終ったのは正午少し前となりました。

 平成29年4月
1日(土)
<伯父>届いた新しい保険証を持って介護施設を訪問。転所を予定している長野市内の介護施設へ提出する書類について打ちあわせ。
今後の流れは、現在入所する施設に併設するクリニックで作成する診断書と、入所申込書を持って、先ずは家族が介護施設へ提出。受付した介護施設では、審査会にて受け入れを決定し、入居する日程も含め、詳細を新しい介護施設の担当者と打ち合わせを行うことになるとのこと。診断書の作成ができた段階で当方に連絡があるようです。

平成29年3月
30日(木)
<伯父>介護認定の更新結果が届き、封を開けて保険証に記されている介護度を見ると、なんと「介護5」の表示が…。先月からの状況をみていると、それも間違っていないのかもなぁ…と納得するものの、オヤジと伯父の二人揃って「介護5」という現実を突きつけられ、家族としてなんとも複雑な気持ちとなりました。
「介護5」ともなると、特別養護老人ホームへの入居順位が優先されるようですが、現状は待機待ちであり、入居者の看取りがなければ入所することは困難と聞きます。したがって、それまでは老人保険施設(老健)へ入所するわけですが、「介護5」ともなると「介護3」の時より手厚い介護が受けられる代わりに値段もUPします。伯父の1ヶ月あたりの費用は、これまではどうにか受給する年金の範囲内で収まっていましたが、先に「介護5」になったオヤジの費用をそのまま請求されると完全に不足。不測の事態に備えて手をつけなかった貯金の取り崩しにも限度がありますので、枯渇した場合には持ち出しもやむを得ないのかもしれません。
仕事の合間に携帯に架かる施設からの問い合わせをどうにかこれまでは応えてきましたが、今回の更新認定の結果は、介護するということが思っていたよりも簡単なものではなく、このままだと何かのきっかけで心が折れてしまうのではないかという不安を感じることになりました。
25日(土)
<オヤジ>入居する介護保険施設(老健)を訪ね、サービス付高齢者賃貸住宅(サ高住)に入居していた時に使っていた寝具等を持ち帰り。
  
平成29年2月
26日(日)
<伯父>夕方、介護施設から伯父の容態について連絡あり。日中36度まで下がった体温が夕方になって、また39度まで上昇したとのこと。このため、明日、提携病院に移す可能性がある(※28日の予定を27日に変更)ので、病院に来れる時間を空けておいてほしいということでした。どうなるのだろう…。
25日(土)
<オヤジ>22日に移った介護施設(サ高住)をオフクロと訪問し、来週から通うディサービスの持ち物を用意しました。顔色もよく、調子もよさそう。
<伯父>入所する介護老人保健施設(老健)を訪問。
相談員さんの話によれば、昨夜は39度を超える熱があったそうですが、今朝は熱がやや下がり37度台になったものの、血圧低下も見られるため、詰め所に近い部屋に移動したとのことでした。
もともとカラダが弱い伯父でしたが、ここところかなり体力が落ち、食べ物を飲み込む力も弱まっているそうで、誤嚥を防ぐために食事前に痰の吸引をする必要(家族の同意書が必要であるため署名捺印済)もあるようでした。
相談員さんの話は続き、

①最高血圧が90を下回る状況であれば、提携病院へ緊急搬送する
②27日の施設医師の診断次第で病院へ搬送する場合もある
③27日午後、管理人ひろさくまで連絡するので、その場合には28日に提携病院まで来てほしい

とのことでした。
ベットに横臥する伯父の様子を見る限り、かなり状況が悪くなっている様子が感じ取れました。本来であれば、長野市内の介護施設への移動を考えなければいけない時期ではありますが、このままだと病院に搬送されたままになるかもしれません。

24日(金)
<伯父>午後5時半、介護施設から電話。39度の熱があり、様子を見ている状況とのこと。状況によっては提携している病院に搬送する場合もあるので、その際にはまた電話するとの連絡がありました(とりあえず、24日夜に連絡はなし)。
18日(土)
<伯父>介護施設にてケアプランの受け取りと今後の方向性を相談員と打ち合わせ。これまでは、施設側のご好意で利用させていただいていたわけですが、いつまでもここを利用していては、本来利用されるべき地元のみなさんにご迷惑をおかけすることになり兼ねませんので、早急に長野市周辺の介護施設を探す必要がありました。当然のことながら、その意向を相談員にも伝えていたわけですが、その後、オヤジの病気入院や施設の変更が重なり、ようやく今回、今後の具体的な日程や場所について打ちあわせをすることになったのでありました。
施設変更についてご提案もあったのですが、できればオヤジと同じ施設であれば面会も一度で済み、同行するオフクロの負担軽減にもなることもありましたので、その案についてはお断りしました。ただ、現在の健康状況からすると、今回の介護認定で「介護4」になる可能性もあり、その場合には値段が数万円増加することもある、とのことでした。打ち合わせの結果、場所は長野市内のオヤジが入所する施設と同じ、時期は概ね4月中旬頃となり、入所について当方で確認し、連絡するということになりました。
17日(金)
<オヤジ>ケアマネから連絡。予定していたディサービスでは週2回の受け入れは難しいとのこと。代替えの施設(こちらは週2回OK)も検討したそうですが、今度入居するサ高住からやや遠いようで、どのようなものか思案中とのこと。
これについて、本人も高々齢者であり、往復だけでも負担が大きくなるのではないかと考え、とりあえず週1回、予定していたディサービスに依頼してほしいことを伝え、またその結果を教えてほしいと伝えました。
16日(木)
<オヤジ>サービス付高齢者賃貸住宅(サ高住)への入居について、従来から担当されていたケアマネさん、介護老人保健施設(老健)から相談員さん及び介護士さん計3名、サ高住(訪問看護・訪問介護)から2名を交えて打ち合わせ。
「現在の状況」「病状」「リハビリ」について老健側から説明があり、それに対してサ高住で看護・介護を担当する方々が、これまでの対応や改善する点について確認する、という形式で概ね1時間半ほどの打ち合わせとなりました。
話によれば、入所時はかなり精神的にも心身的にも不安定だったオヤジでしたが、動き回ることはできないものの、多少の手を差し伸べれば自分で動こうとする意欲が見られるようになった(とはいえ「全介助」は必要)こと、食事はミキサー粥から粗刻みの粥で最後まで摂取が可能であること、排泄は最大で1日6回、オムツは800パットから600パット(大きいものから小さいものになったという意味か…)で対応可能とのことでした。ただ、アザや床ずれをたびたび起している(もともと皮膚が薄く、自宅に居た時も大きなアザができていた)そうで、治療しながら様子を看てきたようでした。
サ高住へ入居した場合は、訪問ステーションから「訪問看護」(看護師さん)「訪問介護」(介護士さん)が定期巡回するそうですが、ただ、1日中ベットに寝ているだけだと、また同様の症状がまた起きるかもしれないため、そこで、ケアマネさんからの提案で、週2回、ディサービスに通うのはどうか、提案がありました。
「それはいいなぁ…」とは思ったものの、ただ、「介護度5」の人間がディサービスに通って、効果がどれだけあるのかわからず、また、別途費用もかかることにもなるため簡単に返事ができず、とりあえず、通所が可能か確認してほしい、ということのみ伝えるに留まりました。
サ高住への引っ越しは22日午後(当日は半休を取得)。当日は引っ越しのほか、サ高住の賃貸契約及びベットに敷くマットや車いすのレンタルについての契約をする予定。気になる費用は、これまでよりも2万円(レンタル除く)程度増加することになる…ようです。

しかし…、介護制度があっても、これじゃお金がないとどうにもなりませんね。オヤジが長年勤めてきた年金だから、相応の対応はしてあげたいとは思うものの、オフクロが同じ状態になったら、同じようなことはとても無理。ふぅ…。

15日(水)
<オヤジ>手の甲に5cm程度のアザができたため、ワセリンを塗って処置をしたとの報告。もともとそうした症状は在宅の時にもあったので、お手を煩わせて申し訳ない旨を伝えました。
13日(月)
<オヤジ>16日に予定されている打ち合わせの確認の電話
<伯父>ケアプランができたので施設に来てほしい旨の連絡
10日(金)
<伯父>しならくして電話したものの繋がらず。

平成29年1月
29日
<伯父>介護施設から連絡あり


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emoji <特別企画> 飯綱高原便り

emoji https://greenfunding.jp/showboat/projects/1923

長野市の飯綱高原観光協会では、今回で50回目の節目を迎える夏の恒例イベント・飯縄火まつりの支援を募るプロジェクトととして、ふるさと投資(クラウドファンディング)に参加しています。
期間は平成29年6月14日から7月28日までの45日間で、募集する金額は50万円。株式会社ワンモアが運営するモール型クラウドファンディングサイト「 GREEN FUNDING by T-SITE 」からお申し込みが可能です。

~クラウドファンディングは終了しました~


17_1_第50回飯縄火まつり(長野市) 17_CF用第50回飯縄火まつりパンフ
第50回飯縄火まつりパンフ
(左:一般向け、右:クラウドファンディング向け)

<管理人ひとこと>
飯縄高原との関わりといえば、先ずは長野市内の小学校に通う子供たちの多くが経験した長野市高原学校。夕方、友達と飯盒炊飯(はんごうすいさん)でカレーを作り、キャンプファイヤーを楽しんで、翌朝、飯縄山に登るというもので、確か2泊3日の行事でした。また、会社に入社してからも1泊2日の研修があり、裏方にまわってからは20年近く、オリエンテーリングの準備で、早朝から大座法師池周辺にポイントを取り付けるお手伝いをしていました。そのようなわけで、今回、50回目を迎える飯綱高原の夏の風物詩・飯縄火まつりに、ありがたくもお手伝いができることは、これも何かの縁なのかなぁ…と感じてもいます。
さて、飯縄火まつりといえば忘れてはいけないのが、長野市出身の音楽家でシンセサイザー奏者として知られた宮下富美夫さん( Wikipedia )の存在。平成15年に残念ながら亡くなられましたが、その宮下さんが参加していたバンドに所属していたのが、今回50周年イベントのゲストとして参加される喜多郎さん( Wikipedia )でした。
NHK特集「シルクロード」の音楽を担当され、北安曇郡八坂村(現大町市八坂)にも住居を移されていた時期もあった喜多郎さん。悠久の歴史を、現代の音色で奏でる喜多郎さんの演奏を、ぜひ「第50回飯縄火まつり」で多くのみなさんに触れていただければと思います。
 
水と光と音の饗宴!第50回飯縄火まつり
開催日時:平成29年8月10日(木)
開催時間:
午後5時 イベント開始
午後8時 花火打ち上げ
開催場所:
長野市飯綱高原 大座法師池周辺
参考HP:
飯綱高原観光協会
http://iizuna-navi.com/
GREEN FUNDING
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061216_0001_阿呆鳥コンサート(福島県いわき市)
阿呆鳥復活コンサート
(福島県いわき市・いわき市文化センター)

061216_0002_阿呆鳥コンサート(福島県いわき市)
平成23年(2011)3月11日に東北地方を襲った東日本大震災。
地震とその後に発生した津波の被害があまりにも甚大で、大震災は東北のみならず、日本全体に心の傷を残しました。
昭和50年から60年にかけ活躍した福島県いわき市(地図)出身の阿呆鳥(あほうどり)の復活コンサートが行われたのは、その震災が起こる5年前の平成18年(2006)12月16日のことでした。
幾多の辛苦を経験し、20年の時を越え、ファンとの想いが結実したコンサート。それは、阿呆鳥のメンバーだけでなく、全国各地から参加したファンにおいても、ひとつの区切りとして、そして新たな出発となるものでした。

今夏、ファンの方が自身の youtube に阿呆鳥の楽曲(主にメンバーの菊池章夫さんの現在の活動の様子)を紹介されていることを知りました。そこには阿呆鳥の代表作である『歩き続けて』もありました。

震災から今年で5年。
いつか、故郷の原風景とともに暮らせることを、そして、被災された多くの人たちの心の支えになることを願い、改めてここで『歩き続けて』を紹介させていただきます。

 
阿呆鳥 Forever Live 2016
  Kazuchan さんの Youtube から


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25日午前7時2分、長野県南部を震源地とする震度5強(M5.6)の地震が発生しました。その後も余震は続いており、気象庁では長野県西部地震との関連性は低いとしながらも、地震が発生しやすい地域であることから、今後1週間は同程度の地震への注意が必要としています。


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17_1_軽井沢トルタ
クラウドファンディング用チラシ
emoji http://greenfunding.jp/showboat/projects/1788

長野市に本社のある軽井沢トルタ株式会社では、新商品開発の支援を募るプロジェクトととして、ふるさと投資(クラウドファンディング)に参加しています。
期間は平成29年2月22日から60日間で、今回募集する金額は40万円。株式会社ワンモアが運営するモール型クラウドファンディングサイト「 GREEN FUNDING by T-SITE 」からお申し込みが可能です。
軽井沢で店舗開設を目指し、信州産素材を使ったお菓子作りに奮闘する管理人ひろさくの友人をぜひ応援してください。

<管理人ひとこと>
第一弾商品となった「ドゥーブルフロマージュ」(チラシにあるお菓子)。ここに使用されているクリームチーズは、一般市場には流通しない、長野県産の牛乳を100%使用したものだそうで、濃厚なクリームチーズに溶け込むコーヒー味とプレーン味が一度に楽しめる逸品。なかでも、コーヒー味をしっかり保持したクリームチーズとのコンビネーションは抜群で、試行錯誤を繰り返しながら、ようやくこの味に至った友人の労苦を感じさせるものでありました。
現在、この商品は上信越道松代PA・長野道姨捨SAのほか、軽井沢アウトレットなどで手に入れることができますが、今後は更に商品を充実させながら販路拡大を行い、何れは軽井沢町内に店舗を開設するのが目標ということです。長野県産品の魅力を全国に、そして世界に広げたい友人の思いをこれからも応援したいと思っています。
 
<参考HP>
GREEN FUNDING
http://greenfunding.jp/showboat/projects/1788
Facebook
https://www.facebook.com/karuizawatorta
Instagram
https://www.instagram.com/karuizawa_torta/


https://greenfunding.jp/showboat/projects/1788 おはようございます! 長野県内は、桜が少しずつ咲き出してきたところもあるようです! お花見のお供に「軽井沢トルタ」のドゥーブルフロマージュタルト...

軽井沢トルタさんの投稿 2017年4月8日



現在クラウドファンディングに挑戦しております! https://greenfunding.jp/showboat/projects/1788 明日から三連休の方も多いんじゃないでしょうか? 長野県へ観光や遊びに来られる方は、お土産悩みま...

軽井沢トルタさんの投稿 2017年3月17日



https://greenfunding.jp/showboat/projects/1788 長野県の公式Twitterでご紹介いただきました!!

軽井沢トルタさんの投稿 2017年3月8日



皆さん!スコーンは、召し上がったことありますか? なぜ、今回スコーンを新商品として開発しているのかというと 子供から大人そして男性、女性にかかわらず多くの方が手軽に朝食やお菓子として召し上がっていただけるのではないかと思いスコーンにしまし...

軽井沢トルタさんの投稿 2017年3月8日



https://greenfunding.jp/showboat/projects/1788 軽井沢トルタは、将来的に直営店の運営を目標としています。 店舗運営実現に向けて新商品を開発し商品バリエーションを増やしていきたいと思っております。...

軽井沢トルタさんの投稿 2017年3月3日



【プロジェクトがネットTVで紹介されました!】 ネットTV「ホウドウキョク×FLAG9」に(株)ワンモア代表( GREEN FUNDING 運営)の沼田さんが出演!Show Boat で挑戦中のプロジェクト2つを番組中でご紹介いただきました...

Show Boatさんの投稿 2017年3月1日



【軽井沢で一番人気のお菓子をつくりたい!】 クラウドファンディングに挑戦中の 軽井沢トルタ 代表・藤澤さん。愛すべき軽井沢への出店に向け、まずは新商品を開発してファンを増やしていきたい!そんな藤澤さんの想いをぜひチェックしてみてください!...

Show Boatさんの投稿 2017年2月26日



本日も、まだまだ知らない方へ発信中です!https://greenfunding.jp/showboat/projects/1791 クラウドファンディングと言う形で、私たち軽井沢トルタの目標を形にしていくために現在資金を調達させていただ...

軽井沢トルタさんの投稿 2017年2月25日



【 2/21 | 締結式&記者会見 】 地域特化型クラウドファンディングサイト『Show Boat』。オープン日であった21日の午前中には長野県信用組合本店にて、長野県信用組合・(株)ワンモア(GREEN FUNDING by T-SITE...

Show Boatさんの投稿 2017年2月23日



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幸い大きな病気もせず、元気でいたオヤジやオフクロも、さすがに寄る年波みには勝てないようで、我が家ではこれまであまり考えたこなかった「介護」が現実になりました。加えて、我が家では+伯父の「介護」も看ることとなり、以降、生活が大きく変わることにもなりました。ここでは、現在進行中の我が家(+伯父)の「介護」の様子を備忘録代わりに綴っています。

emoji 平成27年度 emoji 平成28年度 emoji 平成29年度

平成28年11月
23日(日)
<オヤジ>今回入所した介護老人保険施設(通称:老健)は、あくまでも医療ケアやリハビリのための施設であり、終の棲家でありません。このため、以前から「老健に入所したら特別養護老人ホーム(通称:特養)の申し込みもしてほしい」というケアマネの指示もありましたので、自宅から近い特養へ仮申し込みのため訪問しました。
こちらの特養では、待機待ちが40~50名ほどおり、順番待ちであるとのこと。とりあえず、今回、老健に入所したばかりなのでとりあえずは待機可能ですが、今後については全く決まっておらず、何時入所できるのか、やや不安であったりします。
15日(火)
<オヤジ>休暇を取得して退院と入所の手続
午前8時30分:病院にて退院のための片づけ
午前9時30分:介護施設まで搬送する「寝台車」到着
午前10時:病院にて清算
午前11時:介護施設到着
タクシー会社の「寝台車」は先に施設に到着し、施設の職員さんたちにより部屋へ移動。家族は面談ルームにて、看護士、介護士の順でオヤジの病状や生活状況を説明。その後の相談員とは施設の説明と入所の契約。
思っていたよりも大変な労力がかかり、1日休暇を取得して良かったと改めて感じることに…。
13日(日)
<オヤジ>入居先の介護施設から電話があり、15日の受け入れについての打ち合わせ。
3日(木)
<オヤジ>尿取りパット1セット持参。

平成28年10月
25日(火)
<オヤジ>退院後に入所する介護施設との事務手続き上の進捗状況を病院の相談員に確認。現状を記した報告書については送付済み。医師の診断書は作成が完了したので、午後、介護施設へ送付するとのこと。
午後、介護施設より連絡あり。報告書から、当初、予定していた部屋とは別に、本人の病状にあわせた部屋にする必要があり、調整の関係から、入所は11月2日以降(状況によっては11日以降の場合も)になるとのことでした。
22日(土)
<オヤジ>病院を訪問。4人部屋から2人部屋へ移動。「ソルデム3PG輸液」と「サブブビタン静注5ml」の点滴。ナースセンターにてリハビリ関係の書類に署名。
20日(木)
<オヤジ>半休を取得して朝9時に病院内にある相談室を訪問。「診断書」作成の申し込みと、施設への連絡、退院時の手配について相談員さんと確認。「診断書」の原本については、退院時に受領。
18日(火)
<オヤジ>入院している病院の相談員から、退院後に入所する予定の介護施設との調整について管理人宛てに電話あり。
入所には病院発行の専用の「診断書」と病院が作成する「報告書」が必要であり、書類審査を経て、正式に入所が可能になるとのこと。仮申し込みをした際に受け取った施設専用の「診断書」について持参願いとのこと。「診断書」の発行には通常2週間~1ヶ月が必要とのことでしたが、11月1日まで時間がないため、できれば明日にでも…とのことでしたが、既に予定があったため、20日朝に訪問する旨を伝えました。
17日(月)
<オヤジ>ケアマネとこれまでお世話になっていた介護施設(相談員)に現在の病状と退院を報告。
16日(日)
<伯父>入所している介護施設で開催されたイベントに参加。
15日(土)
<オヤジ>尿取りパット2セットを持参にて病院訪問。「ソルデム3PG輸液」(体内に必要な水分、ミネラルやエネルギーを補給)を点滴。主治医と面談。肺炎の症状も改善され、数値が安定したことから11月1日に退院することに決定。
9日(日)
<オヤジ>尿取りパット1セットを持参にて病院訪問。「ビーフリード輸液1L」(ビタミンB1、ブドウ糖、電解質、アミノ酸配合の輸液)、「大塚食塩注10%20ml」(ナトリウム不足時に電化質補給のため輸液剤に添加して使用)、「サブビタン静注5ml」(ビタミンB1、B2、Cを含むビタミン剤)、「ラシックス注*20mg 2ml」(利尿による循環血流量の減少により血圧を下げる)を点滴。
2日(日)
<オヤジ>尿取りパット1セットを持参にて病院訪問。「ビーフリード輸液1L」(ビタミンB1、ブドウ糖、電解質、アミノ酸配合の輸液)、「大塚食塩注10%20ml」(ナトリウム不足時に電化質補給のため輸液剤に添加して使用)、「サブビタン静注5ml」(ビタミンB1、B2、Cを含むビタミン剤)、「ラシックス注*20mg 2ml」(利尿による循環血流量の減少により血圧を下げる)を点滴。

平成28年9月
30日(金)
<オヤジ>介護保険の更新認定のための長野市職員さんによる面接がありました。
25日(日)
<伯父>介護施設訪問。以前はどうにか歩くことができましたが、最近は車イスを常用。こちらも眠いのか、会話も曖昧…。
24日(土)
<オヤジ>おしりふき2個持参して病院訪問。眠いのか、会話も曖昧。「タゾピペ配合静注用4.5g(ゾシン)」と「大塚糖液5%100ml(ブドウ糖注射液)」の点滴。
我が家のできごと
23日(金)
<オヤジ>先生から聞いたオヤジの現在の病状について報告。
後に連絡があり、介護の更新認定については、市担当者と協議の上30日に病院にて行うことになったとのこと。
22日(木)
<オヤジ>尿取りパット2セットを持参して面会に。その後、午前10時半から別室で担当する医師から病状の経過説明をオフクロと一緒に受けました。
画面を見ながら医師の説明をうかがうと、退院に向けての治療を進めていたところ、昨夜(21日夜)からまた熱がでて、お腹の調子も悪いとのこと。撮影したレントゲンの写真によれば、肺の上部に影(この場合の影とはガンではなく、白血球が細菌と戦っていると、血管周辺が白くボケる状況を指す)が未だ残っており、抗生物質の投与が必要もあること、などから、治療を最少から巻き戻し、改めて経過を診たいとのことでした。
その際に、もし容態が急変した場合、家族が病院に到着まで人工呼吸などの処置を行いますか、との問いかけがありました。急ぎ諏訪の仮住まいから戻るにも、時間帯によっては2時間程度かかることから、できたらお願いしたいとの話をしました。しかし、人工呼吸になると、自分で呼吸する能力が急に衰えるため、その後はそれに依存することになります」とのことでした。つまり、「延命治療」になりますがどうしますか、ということだったわけです。
このことについては、以前からもうじき90歳になろうとするオヤジなので、十分に長寿を全うしたことになりますし、それ以上にオヤジの介護が負担となっている80歳を超えたオフクロのこともあり、現状ではそれこそ共倒れに成りかねないことを考え、その場合には延命治療は行わない、ということを伝えました。
入院中のオヤジ、介護施設にいる伯父の面倒に加え、今は元気なオフクロが倒れた場合、今の状況が維持できるかと問われれば、当然ながらそれは難しいのが現状。自由気ままに過ごしてきた管理人ひろさくも、そろそろ自分の身の振りを考えなくてはいけない時期が訪れたのかもしれません。
20日(火)
<オヤジ>病院から、22日(木)に担当医師から病状の経過報告をしたいので来院できるか連絡あり。22日は諏訪の仮住まいで過ごす予定でしたが、急遽、21日夜、長野の自宅に戻ることに。
19日(月・祝)
<オヤジ>紙オムツ3セットと尿取りパット2セットを持って面会に。熱によるカラダの痛みは取れたらしく、顔色も普段通りに戻りました。
16日(金)
<オヤジ>病院から次回来院される時に紙オムツと尿取りパットを多めに持参してほしいとの連絡あり。これまで老人健康施設にいたため、どの程度の紙オムツや尿取りパットが必要だったかわからず、取り急ぎ市販のものを1セット持参したわけですが、どうもこれでは足りないようでした。しばらく病院のものをお借りし、19日にはその分も含めて、少し多めに持っていくことを伝えました。
11日(日)
<オヤジ>入院に必要なものを持参して病院へ。食事はまだ摂れないものの、熱も下がり、容態も安定したことから、とりあえずはヤマを越えた状況となりました。
9日(金)
<オヤジ>朝8時に病院へ。到着後、幸いにも、オフクロから連絡(公衆電話)があったため、病院入口で待っているようにお願いし、2人でオヤジが収容されている救急センターへ。
担当看護師のお話によれば、病名は急性肺炎。ピーク時には熱が39度を超えていたが、点滴(治療計画書によればおそらく抗生物質の投与)により朝は37度前後にまで下がったとのことでした。
現況であれば10日前後の入院でまた施設に戻ることができますが、検査が途中であり、その結果によっては更に療養(入院)が必要となるとのことから、入院の準備のため、一旦、オフクロを連れ自宅へ。
帰宅後、長野市の福祉課から「要介護・要支援の再認定」の日程について電話。予定では15日に施設に訪問したい、とのことでしたが、昨日からの状況を説明し、現状では受け答えもままならないため、回復の目途がついたらケアマネを通じて改めて日程を決めたいことを伝え了承していただくことに。
入院のための準備をして、午後1時に再度病院へ。
救急センターに行くと、既に一般病棟へ移動したとのこと。指定された病棟に行き、ナースセンターにて入院に関わる書類を提出。オヤジとの面会後、担当の看護師さんとこれまでの生活状況や過去の病状について、午後2時30分までヒアリングを行いました。
帰宅後、ケアマネにはメールにて現況報告。介護施設には、担当相談員に電話にて昨夜からの状況をお話し、未だ残っているオヤジの衣類を土曜日(10日)取りに行くことを伝えました。これについて、入所可能な状況(介護施設の受け入れは10月末まで)になったら、改めて一報ほしいとの依頼がありました。
午後3時過ぎ、管理人は諏訪行き。久方ぶりに疲れる1日でした…。
8日(木)
<オヤジ>午後介護施設から、朝から熱が下がらず、点滴をしても病状に改善が見られないことから、職員同行で施設から病院へ移動したとの連絡あり、また、付き添いとしてオフクロに病院に行ってもらうようにお願いしたとのことでした。こちらは夕方から打ち合わせがあったため、終了後、午後10時に長野の自宅へ。携帯電話を持たないオフクロとの連絡ができず、自宅にて待機。外来入院の場合は付き添いが必要のようで、この日、オフクロは病院にて一夜をあかすことに。
4日(日)
<オヤジ>
介護施設へ①②を報告
 ①「要介護・要支援 更新認定申請書」の提出
 ②11月以降の施設利用について

平成28年8月
29日(月)
<オヤジ>
ケアマネを介して「要介護・要支援 更新認定申請書」を提出。
27日(土)
<伯父>
介護施設を訪問して「ケアプラン」を受領。
26日(金)
<オヤジ>
現在、入所している介護老人保健施設(老健)の期間が10月末まで、とのことから、オヤジのその後の介護をどのようにするか、これまでケアマネとの検討を重ねてきました。結果、11月以降、市内の別の老人保健施設で受け入れることが可能かどうか、26日午前(会社は半休扱いにて)、予定している施設に赴き、担当の方から説明を聞くことになりました。
午前10時からの説明では、概ね現在入所している老人保健施設と同じ扱いで、11月からの受け入れも可能だったため、書面での申し込みを済ませ、詳細(現在の施設から今回申込をした施設に移るまでの在宅期間等)については、改めてケアマネと相談して対応することとなりました。
今回訪ねた老人保健施設については入所について期間の制約がなく、もしかしたらやや期間を延長して預かっていただくことができるかもしれません。ただ、ケアマネの話によれば、次回の介護調査では、場合によっては「介護4」になる可能性もあり、その場合には特別養護老人ホーム(特老)も視野に入れた対応も考えなくではならないとのことでした。
6日(土)
<オヤジ>施設にて依頼 があった書面への記入を行う。

平成28年7月
31日(日)
<伯父>施設に訪問し、現況と今後のケアプランについての説明を受ける。
29日(金)
<オヤジ>ケアマネと電話で打ち合わせ。今後(秋以降)のプランについてこちらからの希望を伝え、返答待ち。
24日(日)
<オヤジ>入所している介護施設でイベントがあり出かけてきました。屋台がでたり、太鼓の演奏があったり、とても賑やか。本人は太鼓に聞きいっていて、直接、話をすることはできませんでしたが、おそらく楽しんでいたことかもしれません。
18日(月)
<オヤジ>介護施設から今後の予定の打ち合わせ
4月からお世話になっている介護施設(介護老人保険施設=老健)にて、特別養護老人ホーム(以下特養)への入居の状況を含め、今後のスケジュールについての打ちあわせがありました。
お話によれば、ここの老健施設は11月から3月までの冬期間の利用が多く、その期間は一度退所してもらい、自宅とショートスティの利用を繰り返し、また春から入所できないか、というものでした。
老老介護状態を解消するため、長いことケアマネや担当の医師にお願いをし、ようやく老健施設へ入所できた経緯があり、オフクロのストレスも解消の方向に向かっていました。冬期間だけとはいえ、またあの状態に戻るということは、介護するオフクロにとって精神的にも体力的にも好ましいことではないわけですが、現在の社会保障の制度上において、老健施設の入居は3ヶ月程度であることはやむを得ないことであり、家族としては次のような選択肢を決めなくてはなりません。

(1)老健施設に入所中に特養入所の予約を入れ(待機待ち)、空きが生じた場合にはそのまま老健施設から特養へ移動する
(2)特養入所の予約を入れ(待機待ち)るものの、老健施設の入居期間が経過した場合には、自宅を拠点にショートスティを利用しながら特老への空きを待つ

お話によれば、我が家の場合、こちらの施設の利用が11月上旬頃まで可能のようですので、(1)(2)の何れも現在の時点では選択できるわけですが、特養への入所については待機者が多く相当の時間を要することから、おそらく(2)が今できる最良のプランであるとケアマネが判断したものなのでしょう。
「ウチには何時帰れるんだ~」というオヤジの気持ちもわかりますが、一日に三度もカラダを転がしてシモの世話をしなくてはならないオフクロの負担も考えなくてはいけません。さて、どうしたものか。

平成28年6月
25日(土)
<伯父>介護シューズの持参
筋肉が落ちたことでサイズが変わったとの話を聞き、届いた介護シューズを持って介護老人保険施設を訪問。実際に見てみると、かかとに1cmもの隙間が…。これじゃ歩きづらいだろうなぁ…と思う状況でした。改めて持参した26cmのものを履かせてみるとバッチリ。ただ、筋肉は足だけでなく、全体的に落ちたようにも見え、相当のリハビリ訓練をしないと、もう歩けないかもしれないなぁと感じました。
21日(火)
<オヤジ>某介護施設へ
18日の打ち合わせを受けて、早速、知人が勤務する介護施設へ相談。これまでの経緯を説明し、とりあえずケアマネにその介護施設と連絡がとれるように管理人ひろさくから電話をするよう指示を受けました。詳細はまた後日。
14日(火)
<オヤジ>介護施設から今後の予定の打ち合わせ
4月からお世話になっている介護施設(介護老人保険施設)から連絡があり、その後の特別養護老人ホーム(以下特養)への入居についてはどこまで進んでいるか、という問い合わせでした。ここでの入居は3ヶ月程度をメドにと入所する際にいわれていましたが、実際のところ特養の見学も済ませておらず、また話を聞く限り特養へ入居するには「待機待ち」もあり、それまでの「つなぎ」としてショートスティの利用も含め今後のプランを一緒に考えたいということが電話の目的でした。
さて、これからどうするべきか…。
とりあえず18日に事情を聞いて、今後の予定を考えたいと思います。

平成28年5月
28日(土)
<オヤジ>着替えを持参
15日(日)
<伯父>介護施設にて面会・ケアプラン受領
14日(土)
<オヤジ>介護施設にて面会・ケアプラン受領

平成28年4月
23日(土)
<オヤジ>ショートスティへ着替えを持参
18日(月)
<オヤジ>長野市内の介護老人保険施設へ入居
<管理人>午後諏訪へ
16日(土)
<オヤジ>ショートスティへ着替えを持参
10日(日)
<伯父>入居する介護老人保健施設を訪問
9日(土)
<オヤジ>病院に定期検査 送り迎え

平成28年3月
20日(日)
お彼岸のお墓参り
<伯父>入居する介護老人保険施設へ衣類を持参
19日(土)
<オヤジ>介護老人保険施設訪問
4月から老人保険施設へ移るための施設見学と入居に関わる説明を担当者から受けました。
<オヤジ>ショートスティへ着替え持参
4日(金)
<オヤジ>ショートスティに入居
4月半ばから老人保険施設へ移るための施設見学と入居に関わる説明を19日に現地にて担当者から受けることになりました。同様の施設には既に伯父が入居していることから、施設における待遇や設備、利用料金の支払い等々は概ね理解しているつもりですが、運営団体が異なるとところどころ違うこともあるかもしれませんので、よ~くお話を聞いてこようと思っています。
しかし、介護にはお金がかかりますね。我が家は、たまたまオヤジさまがサラリーマンで、今のところ2ヶ月に一度支給される厚生年金の範囲でどうにか支払うことができますが、これがもし国民年金だけでしたら、ショートスティを利用したり、今回の老人保険施設への入居は難しかったかもしれません。また、オフクロさまが特段の具合が悪いことなく日常生活が送れていることも幸いでした。
何れは自分も同じ立場になるのかなぁ…と思うと、そこそこの贅沢はしたい気持ちもありますが、家族の誰にも迷惑をかけないようにするには、やはり今から質素倹約をして、そこそこの資金は用意しておかなくてはいけないのかも…と感じたのでありました。
2日(水)
<オヤジ>病院にて診察
1日(火)
<オヤジ>ショートスティから帰宅

平成28年2月
21日(日)
<オヤジ>ショートスティへ着替え持参
16日(火)
<オヤジ>皮膚が荒れ痒みを伴うとのことで病院へ
4月からオヤジも介護老人保険施設(老健)に入居することになりました。
ディサービスやショートスティに通うなかで、現状維持ができればと思っていましたが、なかなかそれも難しく、今回こうした状況となりました。本人にはとても気の毒ですが、オフクロの負担が減ることを考えると、これも致し方ないのかなぁ…と思っています。
15日(月)
<オヤジ>ショートスティへ入所
12日(金)
<オヤジ>ショートスティから帰宅
6日(土)
<オヤジ>ショートスティを訪ね着替えの交換
<伯父>介護施設を訪問
1日(月)
<オヤジ>ショートスティへ入所
1月30日と31日は帰宅したオヤジの面倒を見たわけですが、2日間で2度オムツの取り換え作業を実施。後ろから管理人が両脇を抱え、反対側にいるオフクロが一気にズボンを下げて、パパッとオムツを交換するわけですが、50キロの半ばだら~りとした人間を持ち上げるのは、結構大変なもので、本人は満足そうでも、こちらはもうゼイゼイ。
横に転がしながらやりましょう…とのアドバイスもありました。ただ、ウ○コの場合もあるので、転がしながらやると更にそれを捏ねてしまう可能性もあるため、いろいろ思案した結果、それならば…と、オフクロとの共同作業で一度にやってしまったほうが良いということになったわけですね。
社会保障費の増加や介護施設の不足などで、在宅介護が推奨(半ば強制)されている昨今ですが、これだけは経験してみないと、それが本当に良いのか、悪いのか、判断することはできないのでは…と思っています。

平成28年1月
29日(金)
<オヤジ>ショートスティから帰宅
17日(日)
<伯父>が入所する介護施設を訪問
15日(金)
<オヤジ>ショートスティへ入所
13日(水)
<オヤジ>定期診断のため病院へ
最近、自分のカラダを動かすことが億劫になったのか、ほぼ終日寝てばかりいるとの報告が施設からありました。我が家に戻ってきてからも同じで、オムツ替えなどは、管理人が後ろから両脇を抱え上げ、オフクロが一気に取り替えるという状況。体重は50キロほどとのことで、大したことないかな…などと思っていたのですが、いざ持ち上げてみると、これがまた重たいこと。
介護施設の職員さんの持病のなかで最も多いのは「腰痛」と聞いたことがあります。なるほどなぁ…とその時は思ったのですが、実際にオヤジの面倒を見るようになって、こうしたお年寄りの扱いを毎日、何人と続けていれば、腰痛になるのも無理はありません。仕事とはいえ、本当にご苦労なことだと感じました。
12日(火)
<オヤジ>ショートスティより帰宅
4日(月)
<オヤジ>ショートスティへ入所


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幸い大きな病気もせず、元気でいたオヤジやオフクロも、さすがに寄る年波には勝てないようで、我が家ではこれまであまり考えたこなかった「介護」が現実になりました。加えて、我が家では+伯父の「介護」も看ることとなり、以降、生活が大きく変わることにもなりました。ここでは、現在進行中の我が家(+伯父)の「介護」の様子を備忘録代わりに綴っています。

emoji 平成27年度 emoji 平成28年度 emoji 平成29年度

平成27年12月
30日(水)
<オヤジ>ショートスティから帰宅
26日(土)
<オヤジ>入所するショートスティへ着替え持参
20日(土)
<伯父>入所する北信地方の介護老人保険施設(老健)を訪問し、入所した際に作成していただいたケアプランの進捗状況について説明を受けました。
以前は歩くことすらままならなかった伯父でしたが、最近はどうにか自力歩行ができるようになったそうで、この状況だと次回の介護度の審査時には「介護4→3」になるかも…とのことでした。ただ、もともと独居老人であり、本人のやや頑固な性格と、食生活の偏りが病気になった原因であることに気づいていない状況であることを考えると、一般的な日常生活に戻るのは難しいのでは…というご意見もいただきました。
現在、この介護老人保険施設に入居しているお年寄りのほとんどは、この次の先(例えば特別養護老人ホームやグループホーム、ケアハウス等)の空きを待っている待機者がほとんど。「介護3」になってもこうした施設の利用は可能とのことですですので、早めに長野広域連合に問い合わせをして、次の先を決め、それまでここで待機する方向で検討しなくてはいけないなぁと思いました。
ショートスティの利用を続けているオヤジについては、ケアマネと相談して、どうにか老人保険施設への申し込みに至りましたが、伯父についても同様の労力を使うとなると、よほど気持ちを奮い立たせないとなかなかできるものではありません。他に手伝える人もいませんので、もうひと踏ん張り頑張るかな。
18日(金)
<オヤジ>ショートスティへ入所
16日(水)
<オヤジ>ショートスティから帰宅
ケアマネから、今回の面接でオヤジの介護が1ランク上がり「介護3」になったとの連絡がありました。昨年の今頃はまだ歩くこともできたオヤジでしたが、ここのところ積極的に動こうとはせず、暇があれば寝てばかりいたこともあって、足腰の筋肉が日に日に衰えてきているのは誰が見ても明らかでした。最近では介添えがないとほとんど歩くことができない状態になっていましたので、今回の認定はやむを得ないのかなぁ…というのが正直な気持ちであったりしています。
12日(土)
<オヤジ>入居するショートスティへ着替え持参
6日(日)
<オヤジ>入居するショートスティへ着替え持参
5日(土)
<オヤジ>入居するショートスティへ着替え持参
2日(金)
<オヤジ>ショートスティへ入所
12月2日付の長野日報・八面観に、安倍政権が掲げる「1億総活躍社会」にある「介護離職ゼロ」という目標について記されていました。
介護のために会社を辞めないで済むよう、特別養護老人ホーム(特老)などの介護施設の追加整備を厚生労働省に指示したということで、待機者待ちの満床状態が少しでも改善されれば我が家のように介護する年寄りが2人もいる家庭には大変ありがたいことだと思いました。
在宅介護における介護者の負担を軽減するため、ディサービスやショートスティを利用しながら特老の空きを待つ家庭も多いと思います。政府が掲げる追加整備が順調に進み、願わくば入居条件が少しでもの緩和されれば、問題となっている「介護離職」も少しは減少するかもしれません。
然しながら、整備には財源からの支出が伴いますし、介護報酬の減額などにより運営が微妙な状況にある運営団体が、積極的に手を挙げ更なる多額の投資に踏み切るのか、また不足する介護従事者への対応はどうするのか、具体的な施策が示されない限り、思い描くような追加整備は難しいのではないのかなぁ…と思っています。
1日(木)
<オヤジ>病院にて予約診察

平成27年11月
30日(月)
<オヤジ>ショートスティから帰宅
27日(金)
<伯父>入院していた病院への支払い
22日(日)
<オヤジ>ショートスティへ着替えを持参
19日(木)
<オヤジ>ショートスティへ入所
18日(水)
<オヤジ>通院のため病院へ(内科と眼科で受診)
14日(土)
<伯父>北信地方の介護施設へ見舞
12日(木)
<オヤジ>38度の熱をだしたため長野市内の病院へ。問診や血液検査を実施。白血球数が1万超とのことで、どこかに化膿部分がある可能性も。抗生物質を調合していただくこととしました。
11日(水)
<オヤジ>介護度を確認のため職員がショート訪問
8日(日)
<オヤジ>ショートスティへ着替えを持参
<伯父>入居する介護老人保険施設(老健)を訪問
6日(金)
管理人母がとうとうダウン。
足に負担がかかり過ぎて、よく歩けないとのSOSあり。
いよいよ大変な局面に…。
5日(木)
現在、ショートとディを交互に利用しているオヤジの冬対策として、かねてから探していた介護老人保険施設(老健)の候補から、ケアマネが自宅から近い施設を選び、説明を聞くためにここを訪問(管理人母)。介護認定の変更申請が承認され、もし空きがあれば入居も可能になるのでは…と思っているのですが、さてどうなることやら。
3日(火)
<オヤジ>
午後5時、オヤジが入居する市内の介護施設から連絡があり、尿失禁により、履くスボンのほとんどを洗濯してしまったため、予備を持参してほしいとのこと。諏訪に戻る時間もあったため、慌てて荷物を持って届け。
11月1日(日)
<伯父>入居する介護施設を訪問。甘いものがほしいといっている…ということで、お菓子を幾つか用意していったのですが、慢性腎疾患ということで「タンパク」が含まれているものはダメとのこと。気の毒でしたが、僅かばかり味のするものを置いてくることになりました。
帰宅すると、クロネコ便で、昨日オーダーした介護シューズが到着しているとの不在伝票。夕方再配達してもらい、無事、手に入れることができました。

平成27年10月
31日(土)
<伯父>入居している介護老人保険施設(老健)から、「介護シューズ」を1足用意してほしいとの連絡。なんだ、介護シューズって…と調べてみたら、大昔、小学校で履いていたようなシューズで、脱いだり履いたりができるもの。入居が急だったため、現在は施設のものをお借りしているようでした。こんな時はたびたび管理人が利用する amazon にお願いするほうが早いだろう…ということで、早速検索してみると、いろいろな種類のものがあることあること…。ということで、イチバン手軽なものを1足オーダーして手配完了したのでありました。
26日(月)
<伯父>施設と提携するクリーニング業者へ、申込書の送付を依頼。40点までは点数計算、それ以上は一律6000円で、どちらも配達料3000円加算。月末締めの翌15日に口座振替からの引き落とし。
25日(日)
<伯父>
午前11時:長野市内の病院から北信地方にある介護老人保険施設(老健)へ、伯父を移動。入院費用は後日送付される請求書金額を銀行振込にて支払い。
午後1時:施設にて説明を受け、入居申込書へ記入。これまでのように、毎週訪問することができないため、支払いは口座振替にて。月末締めの翌10日に引き落とし。クリーニングのみ別途、提携業者との契約が必要。また、3ヶ月入居した後は長野市内の特別養護老人ホーム等への入居(この施設にもミニ特養があるものの、基本的には地元が優先)となるため、予め住所地にある長野広域連合へ問い合わせておいてほしいとのことでした。
22日(木)
<オヤジ>常用薬を入れ忘れたため、オヤジのショートへ
<伯父>その後、伯父が入院する長野市内の病院を訪問
21日(水)
<オヤジ>ショートスティへ入所
20日(火)
<伯父>次に転院する病院の担当者が来訪。管理人の母親(伯父からすると妹)が対応し、伯父の転院・入居は25日、手続きは午後、施設にて行うことで了承。
15日(木)
<オヤジ>担当するケアマネから電話。冬期間、介護老人保険施設(老健)への入居ができるように手配を進めているが、なかなか空きがなく難航しているとのこと。そこで、来年1月以降は、月2回のやや長めのショートステイ(A施設)の間に、特別養護老人ホーム(特老)を併設している施設のショート(B施設)の利用を組み入れ、将来的に入居が想定される特老(B施設)への準備をしてはどうか…という案が提示されました。
なるほど、これなら家族の負担は少なくて済むかも…と最初は思いました。しかし、不慣れな環境のなかを、こんなに行ったり来たりしていたら、オヤジのほうもバテてしまうかもしれません。実際、ショートから戻ったその日から翌日まで、ほとんど爆睡状態。外見を見ているだけでは気付きませんが、本人はそれなりに気疲れがあると思うのです。
そこで、現在進めている介護2から介護3への変更申請が完了してから、この案を検討しませんかと伝えることにしたのでありました。早め早めの対応と、介護する家族への配慮には大変感謝するところですが、今の状況を見る限り、ややハードルが高い提案かもしれません。
14日(水)
<伯父>転院先の担当者から電話があり、20日(火)に管理人・ひろさく宅を訪問するとのこと。当日は勤務中につき、代わって管理人の母親(伯父からすると妹)が対応することで了解を得る。面談は伯父の状況等の確認で、概ね30分程度を予定しているとのこと。
11日(日)
<伯父>今回転院した病院の入院手続き完了。説明によれば、痴呆はあるものの、本人は車イスを使えば自力で動き回ることができるため、重度の患者を収容するこの施設では本人も気の毒…という観点から今回の決定になったとのことでした。こちらも、伯父は全く動けないものと思っていただけにビックリ。次の施設へは、施設専用の車両にて荷物も含め搬送するため、家族の同行はなくても良く、入居(介護老人保険施設または特別養護老人ホームの何れか)手続きは、その後の都合の良い時に施設で行ってほしいとのことでした。
重度の待機者が大勢いるなかで、やや元気な伯父をこのまま預かってもらうわけにはいかないため、再々度の転院するというこの提案を承諾。入居手続きは24日(土)に行うこととしました。
8日(木)
<伯父>転院した病院から、現状の容態から判断して、軽度の施設でも十分対応可能との連絡があり、北信地方にある関連の介護施設への転院が決定。
6日(火)
8時20分:親父が通うデイサービスのお迎え
9時:伯父が入院する病院へ
呑気に電気カミソリで髯剃りをしている伯父に構うことなく、棚に置いておいた未使用のおむつや尿取りパット、お尻ふき、洗面用具等々の片づけ。9月と10月分の費用を窓口で清算(財布にお金があってよかった…)。
10時30分:介護タクシーにて搬送
11時:転院先の病院に到着、検査
11時40分:検査終了・4人部屋へ
12時:担当の看護師さんと打ち合わせ
寝巻(パジャマ)とバスタオルは病院からのリースにて対応。洗濯は「病院扱い」(病院側が洗濯をする)または「自宅扱い」の選択がありましたが、転院先の病院が我が家から離れた場所にあり、いままでのように毎週訪ねることが困難なため「病院扱い」をお願いしました。
また、下着(シャツ)は介護用として利用される前開きのもの、との指定があり、転院に先立ち市内の量販店を幾つか訪ね探しましたが見つからず、やむなく amazon にてまとめ買いすることに。ただ、転院が急に決まったため、今日までに準備ができなかったため、11日に予定しているケアマネとの打ち合わせの際に残りの3着(計6着)を持参することで了解をいただきました。
13時30分:諏訪行き(勤務先へ)
5日(月)
<伯父>入院する病院のワーカーから、転院が明日に決まったとの連絡がありました。転院先で説明があるので、管理人・ひろさくも同行してほしい、とのことでしたので、勤務終了後、諏訪から長野へ。
3日(土)
<伯父>転院する予定の病院見学と定例のお見舞い

平成27年9月
29日(火)
<伯父>転院先について説明を聞くため、管理人の母親(伯父からすると妹)が訪問。施設は長野市内にあり、介護老人保険施設と異なり、3ヶ月経過したところで他の医療施設への転院はないとのことでした。料金は月10万程度(食事代とリネン代は別)で、本人の年金を考慮したものでした。
もしかしたら、ここが伯父の「終の棲家」になるのかもしれません。

9月28日付長野日報の八面観に、国立青少年教育振興機構が行った意識調査として、高齢の親の世話を「どんなことをしてでも自分でしたい」と回答した日本の高校生は37.9%、「親を尊敬しているか」では37.1%と、調査を行った日米中韓のなかで最下位だったと記されていました。
実際に現在、こうした局面を迎えて思えるのは、「自分で高齢の親の世話」をするというのは極めて困難であると実感しています。自分の親ですから、誰でも面倒を看てあげたい…という気持ちは当然にようにあると思いますが、これを理由に会社を辞めた場合、これからの自分の生活はどうなるのだろうか。それを考えるから、やむなく今のポジションを維持せざるを得ないのが実情だと思うのです。
高校生にこうした質問をして、戻ってきた回答はもっともでしょう。親も大事だけど、これからの自分も大事。将来の可能性に夢を抱き続ける高校生に「どんなことをしてでも自分で高齢の親の世話をしたいか」という問いは現実的なものではなく、その回答結果だけをとらえて、悲観的に考えるのは少し違うのかもしれません。今は自由奔放の高校生も、人生の荒波に揉まれ、年を重ねれば、やがて親を思う気持ちが強くなってくるものだと思います。

26日(土)
<伯父>定例の見舞い
22日(火)
<伯父>定例の見舞い
23日(水)
<オヤジ>担当するケアマネさんが、連休にも関わらず訪ねてきてくれました。何故、連休に訪ねてきたのかというと、管理人ひろさくがお休みで長野の自宅に居ることから、今後の親父の扱いについて考えているプランの意見を聞きたかったとのこと。で、そのプランとは

平成27年10月~12月:
・介護認定の変更申請を提出
 (現在「介護2」→「介護3」へ)
・ショートスティを月2回
・合間にデイサービスを利用
・介護老人保険施設(老健)への入居手続
平成28年1月~3月(または4月)
・介護老人保険施設(老健)への入居
・特老への入居を前提した施設の見学と申込手続
 (ショートスティ併設型の施設が対象)
平成28年4月~
・現在のショートと特老併設のショートを交互に利用
・状況を見て、特老への入居を検討

というものでした。プランの目的は、現在、老老介護状態になっている管理人の母親への負担を軽減するためのものとのことで、このプランならかなりラクになるかも…と感じました。
ただ、施設を利用するために必要な「費用」がこれまでよりも増加(保険制度の改正により2割負担へ変更)することは否めません。ケアマネさんからは、費用負担の件についての意見は求められませんでしたが、直接、管理人ひろさくに会って意見を聞きたかったのにはこうした理由があったからと思われます。
実際のところ、親父の様子は「介護2」というレベルになく、既に「介護4」の伯父よりも悪いのではないか、と感じるほど。それがいままで「介護2」に留まっていたのは、管理人ひろさくの了解が得られないうちに変更し、結果的に負担が増加してしまうのはどうか、というケアマネさんの配慮によるものだったのかもしれません。
提案を受け、こちらとしては、春までにそれぞれの施設見学や手続きの面で動き回らなくてはならない(こうした状況になると諏訪はやはり遠い~)わけですが、ケアマネさんの配慮に感謝し、このプランで進めてほしい旨を伝えることとしました。
24日(木)
<伯父>入院する病院のワーカーから転院先がほぼ決まったので、ついては来週、その病院を訪問して担当から話を聞いてほしい…との連絡がありました。スケジュールの調整をしてみましたが、さすがに仮決算さなかの月末に会社を休むというわけにもいかず、今回は管理人の母親(伯父からすると妹)に行ってもらうこととしました。
26日~31日<オヤジ>ショート
13日~20日<オヤジ>ショート
12日(土)
<伯父>見舞い
現在の病院へ転院して3ヶ月が経過し、そろそろ別の病院またはそのほかの施設への入居も考えなくては…と思っていた矢先、病院のワーカーから電話がありました。伯父は腎疾患で治療を続けているわけですが、同時に痴呆も進行しており、現在の介護度は「介護4」。電話によれば、本来の病気の治療(尿道管をおちんちんから入れて尿を排泄させる治療)を拒み続けているため病状の改善が進まないこと、また、痴呆により昼夜問わずコールボタンを押すため、看護師さんが常時注意を払う必要がある、とのことでした。痴呆だけであれば、まだ、今後の扱いの方法について選択肢もあるのかもしれませんが、本来の病気の治療が終わらないのであれば、同様の治療ができる病院等に転院するほかはなく、その受け入れ先も限定されるようです。土日曜日に見舞いに行くことは厭わないのですが、手続きとなると休暇を取得しなくてはいけません。ワーカーの話を聞きながら、何時になるともわからない今後の展開に悩む管理人だったりしています。

平成27年8月
19日(水)
<伯父>見舞い
8日(土)
<伯父>見舞い
食欲も良く、特段問題のない日常生活を送っているとのこと。
7月分の入院費の請求が送達。6月分の洗濯代は支払済。

平成27年7月
31日(日)
<伯父>見舞い
食欲も良く、特段問題のない日常生活を送っているとのこと。
会計にて入院費支払い。
洗濯代は来週支払い。
26日(日)
<伯父>見舞い
今回は、前日「諏訪よいてこ」に参加していたこともあり駆け足での面会。
食欲も良く、特段問題のない日常生活を送っているとのこと。
入院費と洗濯代の請求が送付されていたため、来週支払い。
21日(月)
<伯父>見舞い
食欲も良く、特段問題のないく日常生活を送っているとのこと。
病院内は冷房が効いていて快適のようでした。
12日(日)
<伯父>見舞い
食欲も良く、特段問題のないく日常生活を送っているとのこと。
4日(土)
<伯父>見舞い
食欲も良く、特段問題なく日常生活を送っているとのこと。

平成27年6月
27日(土)
<伯父>見舞い
病院の会計で5月分入院費の支払い。
食欲も良く、特段問題なく日常生活を送っているとのこと。
20日(土)
<伯父>見舞い
相変わらず好き嫌いはあるものの、食事は摂っており、特段問題なく日常生活を送っているとのこと。
14日(日)
<伯父>見舞い
相変わらず好き嫌いはあるものの、食事は摂っているとのこと。
5月の医療費とリネン(洗濯)の請求あり。
7日(日)
<伯父>見舞い
体調が良かったこともあり、車イスで少しお散歩。
気分転換になるか…と思いましたが、喜怒哀楽なし。
昨年秋の地震でお墓の石がズレてしまったため、その修理をする…と伝えましたが、「あ、そう」と素っ気ない返事。おいおい、最後は自分が入るお墓だろっ、と思いましたが、どうやらそうしたこともわからない様子でしたので、「また時期を見て住職さんんい話をしておくよ」と伝えておきました。

平成27年5月
31日(日)
<伯父>見舞い
入院からもうじき3ヶ月が経過するものの、病状が安定しないため、場合によっては延長もあり得るとのこと。
30日(土)
包括センターから紹介された介護施設を見学を兼ねて訪問。
伯父の場合は介護4で痴呆もあることから、グループホームに入居するのかと思っていたのですが、身体動作がままならない状況だと対象外になるそうで、伯父の場合には有料老人ホームへの入居となるとのこでした。有料老人ホーム…といわれても、なかなかイメージが湧かないわけですが、応対していただいた職員さんの話では、いわゆる通常のアパートを賃貸(家賃+朝昼晩3食付)し、そこに訪問介護が付く、というシステムになっているということでした。24時間体制で、緊急時には提携の医療施設(開業医)に搬送若しくは往診するそうで、これを希望せずに施設で看取ることもできるようでした。
そうなると、気になる料金は如何ほどになるのか。お話では、有料老人ホームへの入居は月約13万円、そこに訪問介護や希望する場合には洗濯料金が追加されて、概ね16万円ほどになるとのこと。
お話を聞きながら、アタマの電卓でパラッ~と計算すると、月あたりの年金額では先ずは不足。ただ、これまで貯めてきた貯金の額で不足する部分を補てんしていけば、どうにかこうにか大丈夫かな…という結果になりました。
しかし、ここで新たな問題が発生。そう、本人は痴呆だから、銀行に行っても判断能力がないので引き出しができない…わけです。そういう場合はどうしているのかお聞きすると、一般的に「成年後見人制度」を利用し手当てをされているとのことでした。「成年後見人制度」は、裁判所で後見人(司法書士等)を認めてもらい、本人に代わって貯金などの引き出しができる、という制度のようです。
しかし、成年後見人まで登場する事態になるとは…。
老いた時ほど、配偶者と子供の存在は大事だと、お話を聞きながら感じたのでありました。
23日(土)
<伯父>見舞い
入院費用の支払いと介護保険の写しを病院へ提出。
入院から3ヶ月が経過することから、退院する場合に備えて、包括センターで紹介された有料老人ホームへの入居を本格的に検討することに。
22日(金)
<オヤジ>ショートスティへ入所
<伯父>介護認定が決定し、予想していた以上に酷く「介護4へ。
17日(日)
<伯父>見舞い
我が家にはもうひとりマダラボケの年寄り(父親・介護2)がいるのですが、毎週訪ねるたびに感じるのは、伯父の痴呆のほうが、我が親よりも急速に進行していること。緊急入院した頃はまだまだ会話もできたものの、わずか3カ月程度に判断がこれほど判断能力が減退するとは努々思いもしないことでした。ヘンなところで意固地になり、担当する看護師さんのお話も聞かず、殻に閉じこもってしまったことが、どうやらることから、痴呆を進行させる原因になったのかもしれません。これまで手を焼いていたオヤジよりも、始末に負えないなぁ…というのが正直な感想だったりしています。
13日(水)
<伯父>
4月分の入院及びその他経費の請求書が送達。
10日(日)
<伯父>
「お尻ふき」と「おむつ」を持参して再訪。
9日(土)
<伯父>見舞い
痴呆が急速に進行している状況で、看護師さんの話によれば自発的に食事を摂ることがないことから、半ば無理やり与えているとのこと。もともと好き嫌いのある性分でしたが、痴呆が進んだ結果、更にひどくなり、扱いに手を焼いているように感じられました。

平成27年4月
18日(土)
<伯父>見舞い
3月末までの費用を清算。伯父の状況は先週と変わらず。管理人の母親(妹)によれば、同じ話を何度も繰り返しているようで、「病院に入ると痴呆が進むものだねぇ」と嘆いていました。
13日(月)
<伯父>介護認定を受けるため、市役所から担当の方が来院。幾つか質問があったようですが、的を得た回答ができなかったそうで、おそらく痴呆の度合いで介護の程度が決まるのでは…とのこと。グループホームへの入居ができない場合、年金の収入に見合ったサービス付高齢者賃貸住宅等への入居も視野に、考えなくてはいけなくなりそうです。
11日(土)
<伯父>見舞い
ベットを少し立ててあげると幾らか話ができるまでになりました。しかし、何度聞いても意味不明なことばかり。以前から気にはなっていましたが、やや痴呆が進んでいるようにも感じました。
4日(土)
<伯父>見舞い
食欲がわかないみたいで、出されたご飯も手つかずのまま。
入院生活が続いていることで、気力も減退気味。

平成27年3月
28日(土)
<伯父>見舞い
声も小さく、元気がない様子。
以前は起き上がって話をしていたが、今日は寝たままの会話。
少しずつ弱くなってきている…と感じるのは管理人だけだろうか。
20日(土)
<伯父>見舞い
浮腫みはほとんどなくなったものの、検査数値は微妙とのこと。
なかでも「アルブミン」は標準をかなり下回る数値。
今後の件について伯父に話を聞くが、本人から了解を得られず。
介護施設への入居にはまだまだ紆余曲折がありそう…。
19日(木)
<伯父>
朝食終了の後、妹(管理人母親)とタクシーにて次の病院へ
18日(水)
<伯父>転院が19日と決まり、妹(管理人母親)が説明を聞くために次の病院へ。
高齢でもあるため、生検は行わないことを了承。管理人は入院手続きの書類作成のため、深夜、諏訪~長野間を往復。
16日(月)
<オヤジ>25日までの予定でいつものショートスティへ
14日(土)
<伯父>見舞い
担当する看護師さんのお話によれば、ひとりでトイレにも歩いて行けるようになったとのことで、回復は順調とのことでした。
11日(水)
<伯父>
地域包括センターの担当者さんから、体調が順調に回復している伯父の今後の扱いについて問い合わせがありました。介護認定については20日に病院にて行うこと、介護を受けながらであれば生活が可能であること…などから、介護認定を受けたという前提で、最近時々耳にする「サービス付高齢者賃貸住宅」(サ高住)を今後の住みかとする方向で検討する必要がありそう、とのことでした。
「サービス付高齢者賃貸住宅」に入居するには、相応の「お金」の準備が必要。3食付でお風呂はおそらく共同と思われますが、お話ではだいたい1ヶ月15万円程度だろうとのこと。本人の公的年金やこれまでの蓄えを少しずつ取り崩せばどうにかなるのかもしれませんが、お金にシビアな伯父が果たしてこうした条件に承諾するかどうか…。説得にまた苦労しそうです…。
7日(土)
<伯父>見舞い
入院した当初に比べ、浮腫みはほとんど治まっていましたが、足はまだ少し腫れが残っているようにみえました。そのような状況にもかかわらず、相変わらずのんびりな伯父。何か言っても「はぁ~?」という会話ばかりで、こりゃ、カラダよりもボケのほうが進んでいるのではないか…と感じるほどでした。
月末締めの入院費用の請求もそろそろ届くころ。
こちらとしてはどれだけかかるのかなぁ…とやきもきしているところですが、本人からは支払いのことは何も語らず。病院ではほとんど全てのことを看護師さんたちがやってくれることから、支払いも誰かがやってくれるだろう…ということなのかもしれませんね。
4日(水)
<伯父>
介護認定のない伯父について、申請をお願いしていた地域包括センターの担当者さんから連絡があり、認定のための面接を20日に病院にて行う旨の連絡がありました。
3日(火)
<伯父>
担当する先生のお話によれば、病状もだいぶ安定してきたことから、同じ治療ができる病院への転院準備を進めているとのことでした。とはいえ、近くの病院であればどこでもよいかというわけではなく、同じ治療薬を扱っている病院に限られるそうで、候補は現在2病院のみ。次の段階に進むのもなかなか大変なものだなぁと感じたのでありました。

平成27年2月
28日(土)
<伯父>見舞い
回診されていた先生にお会いできたため、病状はどの程度のものなのかお聞きすることができました。そもそも「ネフローゼ症候群」とは、尿の中に大量の蛋白質が出ることで、血液中の蛋白質が減少してしまい、血管内に水分を保つこと力も現象するため、浮腫(むく)みや胸、腹に水がたまる(胸水・腹水)が起きるもの。
伯父の場合も同様で、入院当初に撮影した胸部レントゲンでは、肺の半分ほどが胸水に満たされ、画像はその部分が真っ白。タバコも吸わない伯父が動くたびに息がぜいぜい…するのもおかしいなぁと思いましたが、その原因は胸水にあったというわけです。
現在は、利尿を促す薬を投与し、尿を出して浮腫みを抑える治療(と思われる)を行っているようです。先生からは、来月3日にはより詳しい検査データが届くため、これを見た上で今後の治療を検討しましょうとのお話をいただきました。
腎臓の病気は完治するまでしばらく時間がかかるかもしれません。
24日(火)
<伯父>
「ネフローゼ症候群」と診断された伯父でしたが、容態がちょこっと安定したこともあり一般病棟へ移ることとなりました。
23日(月)
<伯父>
入院手続のため半休扱いにして外来受付へ。しかし、週明けの病院は予想通りの大混雑でしたが、入院専用窓口は拍子抜けするくらいに空いていて、事前にいただいた入院届と保険証を提示して、手続きは完了。入院費用は月末締めで親族宛てに請求書を郵送してくれること、支払いは振り込みも選択できること(本人が銀行に行くことはできないため、当面はこちらで立替え…となります)、などを確認し帰宅しました。
22日(日)
<伯父>
午前10時のD2の開店を待って、「おむつ」と「尿取りパット」の追加分を購入。そのまま午前の部の面会時間に併せて病院へ。
昨日に比べ、お盆のようになっていた顔の浮腫みはなくなっていましたが、手や足は相も変わらずパンパン。看護師さんによれば、夜中に点滴を抜いてしまったらしく、両手に大きなグローブのようなものがはめ、自分では抜くことができないようにしたとのことでした。
本人には、しっかり療養すること、また土曜日か日曜日に見舞いに来ることを伝え、看護師さんには「おむつ」と「尿取りパット」を託し、病院から撤収。肝心の保険証探しのため、本人宅へ直行したのでありました。
しかし、男の一人暮らしとは想像を超えたもので、その乱雑ぶりに探索はほぼ絶望的な状況でした。とはいえ、10割も負担するわけにもいかないので、持参したマスクをしながら、積み上げられた書類を掻き分け掻き分け、1時間後にようやく封筒に入ったままの保険証を発見。センターの担当者さんに保険証のあったことと、月曜日には入院の手続きを進めることを伝え終了。
21日(土)
<伯父>
この日は、今後のディサービスやショートスティの利用について、地域包括センターの担当者さんを交えて本人と話し合うため訪問する予定でした。ところが訪ねてみると、出てきた本人の手足が浮腫(むく)み、顔色は完全に土気色。一見して、これはただごとではない、と感じた担当者さんの指示で、嫌がる本人を強引に車に乗せて、救急受付へ直行するこになりました。
午前11時30分に受付。問診書は本人からの聞き取りで代書し、その間に血圧と体温をチェック。最初の診察が行われたのは午後の1時を過ぎてのことでした。
救急受付には、救急車が何台も到着し、ストレッチャーに乗せられた患者さんが大勢、センターへ運ばれていきました。テレビで救急センターの医師や看護師さんたちの働きぶりをみますが、まさにあの状態で、それだけでもうびっくり。緊急を要する患者さんを優先するため、軽度の外来患者が2時間や3時間待ちになってしまうのは仕方のないことかもしれません。
最初の診察では問診書に基づく確認が行われ、続いて担当の先生が診察したのは午後4時過ぎ。血液検査と尿検査も併せて行うとのことでしたが、肝心の尿が出ず、診察は更に延長戦に。
最後に呼ばれたのは午後6時過ぎ。病名は「ネフローゼ」( Yahoo ヘルスケア )という、いわゆる腎疾患でした。80歳を過ぎ、このまま帰宅して療養する状況にないとの先生の判断もあり、そのまま入院することに決定。点滴を付けた本人を車イスに乗せて、ECUへ移動したのでありました。
担当の看護師さんとの打ち合わせで、今日は土曜日のため入院手続きは月曜日(23日)に外来受付にて行うこと、その際には保険証を添付すること、とりあえず「おむつ」と「尿取りパット」を用意する…などなど詳しい説明を受けたところで、問題発生。そういえば、保険証はどこにあるのだろう…と。本人に聞いてもどこにあるのかわからず(これだけ病状が進んでいるのに、通院していなかったため、保険証を使う時がなかった…とは)、やむなく本人の了解を得て、日曜日に探索(家探し)することとなりました。
こうしたやりとりが全て終わり、病院を後にしたのは午後7時のことでした。

このようにして、とりあえず年寄り1人の入院手続きが完了したわけですが、入院経験のない我が家にとってはどれも初めて知ることばかりで、もうバタバタ状態。病んでる本人も大変ですが、周りの家族に与える影響も大きく、入院するということは大変なことだなぁと、つくづく感じたのでありました。
やはり健康で日々生活することが大事なのかも…しれませんね。


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17_年賀状(諏訪郡下諏訪町のみずべ公園から撮影した「富士山」)   
参考例「とり福助」
(干支の年賀状イラスト)

 emoji http://www.12shi-nengajo.com/

あけましておめでとうございます。
今年もどうぞ宜しくお願い致します。

さて、毎年恒例の年賀状でありますが、今回も年賀状作成に使える素材を公開している「干支の年賀状イラスト」(無料)にある福助の「とり」バージョンを利用しました。ここのサイトは、イラストがPNG、GIFの2つのファイルからダウンロードでき、年賀状ソフト(管理人は「筆ぐるめ」を使用)への取り込みも簡単。また背景には、諏訪郡下諏訪町のみずべ公園から撮影した「富士山」の風景を取り込み、重ね刷りしてみました。

<参考HP>
・ 無料年賀状素材
  http://nengarank.com/


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161231_2153_おせち料理 和風二段重「板前魂の望」

161231_2148_年越し生そば
年越し生そば
今回は、おせち料理専門店 板前魂さんの和風二段重「板前魂の望(のぞみ)」 全25品(7980円、送料無料)を、12月7日に  amazon.co.jp 経由で注文しました。
毎年、我が家ではおせち料理といえば三段重が定番だったわけですが、今回は品数少なめの二段重に代えました。今年は父親が施設に入所し、大晦日も施設で年越しすることになったため、残った家族が豪華におせち料理を味わうわけにもいかない…というのがその理由です。
届いたおせち料理は、手づくり感たっぷりの仕上がりで、とても満足するものでした。ただ、こうしておせちを囲み、家族一緒に味わうことができるのはいつまでなのかなぁ…と考えると、ちょっとせつなくなる我が家の大晦日なのでありました。
(写真:おせち専門店 板前魂 和風二段重「板前魂の望」と年越し生そば=平成28年12月31日午後撮影、640×480拡大可能)


<壱の重> (写真左) <弐の重> (写真右)
・有頭海老
・味付数の子
・伊達巻
・若桃甘露煮
・田作り
・花餅紅梅
・たこの旨煮
・にしん昆布巻
・さつまいも干支
・寿 マロン
・栗甘露煮
・たたきごぼう
・錦糸紅白結び
・照焼帆立
・国産味付いくら
・紅白なます
・焼揚葉
・きんとん
・渋皮栗甘露煮
・鱈のうま煮
・黒豆(金箔入)
・ふかひれ風中華くらげ
・くるみ甘露煮
・子持昆布山海添和え
・こはだとかぶらの甘酢漬



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160730_1240_上野公園(東京都台東区) 160730_1359_東京大学赤門(東京都文京区)
西郷隆盛像(上野恩賜公園) 東大赤門(旧加賀藩上屋敷)
160730_1432_北斎通り(東京都墨田区) 160730_1535_2_本所松坂町公園・吉良邸跡(東京都墨田区)
北斎通り 本所松坂町公園(吉良邸跡)

所用のため文京区と墨田区を訪ねる機会がありましたので、合間を利用して周辺の史跡めぐりをしてみました。

emoji 文京区編
10時53分
北陸新幹線「かがやき508号」で上野へ
12時14分
上野着
上野恩賜公園→西郷隆盛像(地図)→上野動物園→森鴎外居住の跡(水月ホテル鴎外荘)→不忍通り・言問通り→東京大学赤門(地図)→都営大江戸線・本郷三丁目駅

<参考HP>
・ 上野観光情報サイト(上野観光連盟)
  http://www.ueno.or.jp/




<参考資料> 下町しるべ 旧 上野恩賜公園
江戸時代初期、この地は津軽、藤堂、堀家の屋敷であったが徳川三代将軍家光は天海僧正に命じて寛永寺を建てさせた。寛永二年(一六二五)のことである。その後大きな変化もなく幕末を迎えるが慶応四年(一八六八)の彰義隊と官軍の戦争により寛永寺が焼失、一面焼け野原を化した。荒れ果てた姿のままであったが明治六年一月の太政官布告により公園に指定されたことから公園地となった。
恩賜公園( Wikipedia )のいわれは、大正十三年に帝国御料地だったものを東京市へ下賜されたことにちなんでいる。その後規模・景観はもとより施設など我が国有数の都市型公園として整備された。面積六十二万平方メートル余り。
上野公園生みの親がオランダ人医師ボードワン博士。病院建設予定地であった上野の山を見て、その景観のよさから公園にすべきであることを政府に進言して実現したものである。




<参考資料> 東京大学赤門

文政10年(西暦1872年)加賀藩主前田斉泰にとついだ11代将軍徳川家斉の息女溶姫のために建てられた朱塗りの御守殿門であり、重要文化財に指定されています。


emoji 墨田区編
都営大江戸線・本郷三丁目駅→都営大江戸線・両国駅→緑町公園(津軽藩上屋敷跡・南割下水・江川太郎左衛門屋敷跡・野見宿禰神社・葛飾北斎生誕地)→両国小学校(芥川龍之介文学碑)→真言宗 大徳寺→回向院正門跡(地図)→吉良邸跡(本所松坂町公園)→総武本線・両国駅→上野駅
17時30分
北陸新幹線「かがやき513号」で長野へ
18時49分
長野着

<参考HP>
・ 本物が生きる街 すみだ観光サイト
  (墨田区観光協会)
  http://visit-sumida.jp/
・ すみだ北斎美術館
  http://hokusai-museum.jp/




<参考資料> 津軽の太鼓・津軽藩上屋敷跡
南割下水に面した弘前藩主・津軽越中守の上屋敷には、火の見櫓がありました。
通常、火の見櫓で火災を知らせる時は板木を鳴らしますが、この櫓には板木の代わりに太鼓が下がっていて、その太鼓で火事を知らせていました。なぜこの屋敷の櫓だけに太鼓が許されていたのかは誰も知らず、不思議なこととされていました。これが本所七不思議の一つ「津軽の太鼓」の話です。
七不思議とはいいますが、民話なので伝(※字不明)方によって内容もまちまちで、数も七つと決まっているわけではありません。
この「津軽の太鼓」には「越中守屋敷の火の見櫓の板木を鳴らすと、奇妙なことに太鼓の音がする」という話も伝えられています。

<参考資料>南割下水
明暦の大火後、幕府は本所深川の本格的な開発に乗り出します。まず着手したのは、竪川、大横川、北十間川、橫十間川などの運河と堀割の開削、さらには領国橋の架橋です。堀割の一つが南割下水で、雨水を集めて川へ導くために開削されたものです。現在の春日通りにあたる北には北割下水も掘られました。
割経水の幅は一間ないし二間(約三.六メートル)足らずで、水も汲み、暗く寂しい場所でしたので、本所七不思議の「津軽屋敷の太鼓」「消えずの行灯」「足洗いの屋敷」の舞台にもなりました。
南割下水は昭和初期に埋め立てられましたが、この付近で葛飾北斎( Wikipedia )が生まれたところから、今では「北斎通り」と名を変えています。この辺りには、三遊亭円朝や歌舞伎作者の河竹黙阿弥も住んでいました。

<参考資料> 野見宿禰神社
かつてこの東側に相撲の高砂部屋がありました。
明治十八年(一八八五)に親方の高砂浦五郎が、津軽家神屋敷の跡地であったこの地に、相撲の神様として知られる野見宿禰を祀ったのが、この神社の始まりです。
石垣の石柱には、力士や相撲関係者の名前が刻まれており、本場所前には必ず、相撲協会の神事が行われます。
境内には、昭和二十七年(一九五二)に相撲協会によって建てられた歴代横綱石碑があり、その一基には、初代明石四賀之助から四十六代朝潮太郎までの名前が、もう一基には四十七代柏戸剛以降の名前が刻まれています。




<参考資料> 芥川龍之介 文学碑
芥川龍之介( Wikipedia )は、明治二十五年(一八九二)三月一日、東京市京橋区入船町に新原敬三、ふくの長男として生まれました。辰年辰の日辰の刻に生まれたのにちなんで龍之介と命名されました。生後七カ月の時、母福ふくが突然発病したために、本所区小泉町十五番地(現両国三丁目)に住んでいたふくの長兄芥川道章に引き取られ、十三歳の時芥川家の養子となりました。
芥川家は旧幕臣で江戸時代からの名家で、道章は教養趣味が深く、文学、芸術を好み、俳句や盆栽に親しむとともに南画をたしなみ、一家をあげて一中節を習い、歌舞伎を見学するなど江戸趣味豊かな家庭でした。
本所は龍之介の幼児時から少青年期までの大事な時期を育んだ場所で「大導寺信輔の半生」「本所両国」などの作品にその一端を見ることが出来ます。龍之介は明治三十一年回向院に隣接する江東尋常小学校附属幼稚園に入園、翌年同小学校(現両国小学校)に入学しました。明治三十八年(一九〇五)府立第三中学校(現両国高等学校)に入学、同四十三年成績優秀により無試験で第一高等学校第一部乙類に入学しました。その後大正二年東京帝国大学英文科に入学、同五年卒業しました。東大在学中、夏目漱石の門に入り同人雑誌「新新潮」「新小説」に優れた短編を発表して文壇に華やかに登場しました。

この文学碑は龍之介の代表作の一つである「杜子春」の一節を引用したものです。この両国の地に成育し、両国小学校で学んだ近代日本を代表する作家、芥川龍之介の人生観を学び氏の文才を偲ぶものとして両国小学校創立百十五周年の記念事業として、平成二年十月に建立されたものです。

<参考資料> 駆逐艦不知火の錨
この錨は日露戦争(一九〇四年~一九〇五年)で活躍した日本海軍の駆逐艦「不知火」( Wikipedia )のものである。
この艦は英国ソーニー・クロフト社製造・起工明治三十一年・進水三十二年・三百二十六トン・(艦長六三.五メートル・五四七〇馬力・三〇ノット・火砲六門・発射管二基・煙突二基)の構造である。
錨の裏側にあるアルファベットと1898の刻印は錨の製造年と推定される。
猶この錨は両国一丁目の鉄鋼業岡田商事(旧岡田菊治郎商会)が軍艦の解体作業で得たのを昭和の初年に江東(現両国)小学校に寄贈したものである。
(両国小学校同窓会設置の案内板から・平成三年)

<参考資料> 大徳院
大徳院は高野山真言宗のお寺です。総本山は文禄三年(一五九四)、和歌山県の高野山に、徳川家康によって開かれました。高野山を開いた弘法大師の大と、徳川の徳をとって「大徳」と称しました。それ以来、徳川家の勢力を背景に、全国に末寺ができましたが、大徳院は、高野山金剛峯寺の諸国末寺の総触れ頭として、寛永年間(一六二四~三九)、神田紺屋町に屋敷を拝領し寛文六年(一六八四)二月、千二百坪の土地をこの地両国に拝領し、移転しました。
本尊は薬師如来で、俗に「本所一ッ目の寅薬師」といわれ、眼病治癒に効き目があったことで信仰されていました。また、宝暦年間(一七五一~六四)に開かれた御府内八十八札所の中の第五十番になっています。

<参考資料> 回向院正門跡
回向院の正門は、かつてこの位置にありました。
回向院の伽藍は東京大空襲で焼失しましたが、戦後、再建され、正門は現在の京葉道路沿い国技館通りに正対する位置に移されました。
かつての回向院正門は、江戸城側から両国橋を越えると真正面にあり、橋上からその姿をはっきり見ることができました。両国橋があたかも回向院参道の一部を成しているかのようで、明暦の大火( Wikipedia )による焼死者十万人以上を埋葬する回向院の社会的な存在意義を表したものともいえます。
両国橋や回向院正門に至る広小路や元町の賑わいは、北斎画「絵本隅田川両岸一覧(両国納涼)」などに描かれています。




<参考資料> 吉良邸跡
吉良上野介義央( Wikipedia )の屋敷は広大で、東西七十三間、南北三十五間で、面積は二千五百五十坪(約八四〇〇平方メートル)だったとされています。
吉良上野介が隠居したのは元禄十四年(一七〇一)三月の刃傷事件( 赤穂事件= Wikipedia )の数ヶ月後で、幕府は呉服橋門内にあった吉良家の屋敷を召し上げ、代わりにこの本所二ツ目に屋敷を与えています。
現在、吉良邸跡として残されている本所松坂町公園は、当時の八十六分の一の大きさに過ぎません。この公園内には、吉良上野介座像、邸内見取り図、土地寄贈者リストなどの他、吉良上野介を祀った稲荷神社が残されています。

<参考資料> 吉良邸裏門跡
吉良邸の裏門はこの辺りにありました。
赤穂浪士打ち入れの際、裏門からは大石主税以下二十四名が門を叩き壊して侵入、寝込みを襲われ半睡状態に近い吉良家の家臣を次々を斬り伏せました。吉良家にも何人か勇士がいましたが、寝巻き姿では鎖帷子(※くさりかたびら)を着込み完全武装の赤穂浪士には到底敵わなかったようです。
広大な屋敷の中で一時間余り続いた討ち入りは、壮絶なものでしたが、吉良家側の死傷者が三十八名だったのに対し、赤穂浪士側は二名が軽い傷を負っただけでした。

<参考資料> 鏡師中島伊勢住居跡
中島伊勢の住居は、赤穂事件の後、町人に払い下げられ、本所松坂町となったこの辺りにありました。伊勢は、幕府御用達の鏡師で、宝暦十三年(一七六三)、後に葛飾北斎となる時太郎を養子とします。
北斎の出生は不明な点が多く、はっきりとしたことは判りません。中島家はこの養子縁組を破綻にし、実子に家督を譲りますが、北斎はその後も中島姓を名乗っていることから、中島伊勢の妾腹の子だったという説もあります。
飯島虚心の『葛飾北斎伝』によると、北斎の母親は赤穂事件に登場する吉良方の剣客、小林平八郎の娘で、鏡師中島伊勢に嫁いでいるとしています。この話は、北斎自身が広めたようです。
(墨田区設置の案内板から)
 
<参考資料> 時津風部屋(時津風一門)
師匠は、十六代・時津風正博(元前頭・時津海)。
昭和十七(一九四二)年、当時現役であった第三十五代横綱・双葉山定次が、その実績を評価され二枚鑑札の形で現役力士のままで市の育成を許され、「双葉山相撲道場」を開いたのが、現在の時津風部屋創設につながっています。
幕内最高優勝十二回(内、全勝八回)、いまだに破られない歴代最高記録の六十九連勝など、輝かしい成績を残した双葉山は、太平洋戦争終戦直後の昭和二十(一九四五)年十一月場所後の引退、十二代・時津風を襲名、双葉山道場の名を時津風部屋に変更しました。双葉山道場の看板は、現在も掲げられています。
十二代・時津風は、昭和四十三(一九六八)年十二月十六日、満五十六歳で死去するまでの間、約十一年間にわたり、第三代相撲協会理事長を務めるとともに、一横綱(鏡里…十三代・時津風)、三大関(大内山、北葉山、豊山…十四代・時津風。第八代相撲協会理事長)をはじめ、多くの力士を育成しました。


当日(7月30日)の東京の天候はほぼ快晴。天気も良く、気分も上々と元気よく歩き始めたものの、次第に東京ならではの暑さと湿気にペースダウン。文京区から墨田区へ移動するころには完全にバテてしまい、早々に現地から撤退することになってしまいました。機会があれば、もう少しゆっくり、それも春や秋など、過ごしやすい時期に、江戸情緒を味わえる旅がしてみたいなぁ…と思ったのでありました。


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