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管理人の思いつくまま、気の向くまま、長野県内の町や村の話題を取り上げています。

090429_1202_中山道和田宿本陣(長和町)

江戸板橋宿から28番目の宿場町・和田宿(地図)に残る本陣の遺構。 (写真=4月29日撮影、640×480拡大可能)

<参考HP>
・ 長和町観光協会
  http://www.nagawa.info/

<参考資料> 中山道和田宿本陣
この建物は中山道和田宿の本陣として、文久元年(一八六一)に建設されたものである。この年の三月には宿場の大半を火災で焼失し、前身の本陣もこの際に灰燼に帰したが、十一月に皇女和宮降嫁の宿泊地とされていた和田宿では、この使役を全うすべく幕府の拝借金を得て、宿場の復興が行われその中心建物として再建されたものである。
本陣建物は大名などの宿泊に当てられる「座敷棟」と、本陣の所有者が生活する「居室棟」に別れており、この建物は「居室棟」にあたる。
建物の規模は約四四四㎡(一三五坪)、軒高さ五・三m、棟高さ八・八mで、正面の間口十二間は宿内最大規模で、約一・五mと深い軒の出、出桁上の壁面は格子を設けず幅広の貫を通す、陰影深く重厚な外観を観せている。
内部は延べ十四の部屋に別れ、土間上部のみに二階部屋が二室ある。また背面には湯殿と三棟の便所が付属している。使用されている木材は、土台を栗とするほかは大半が唐松で、一部に杉が混ざる。
屋根は石置きの板葺き屋根で、手割の栗板を並べて石で押さえている。
明治維新後は本陣の機能を終えて、村役場・農協事務所として昭和五十九年四月まで使用されていたが、役場の新庁舎移転にともない解体の運命にあった。しかし、調査の結果、和田宿にける重要な遺構としての価値が認められ、昭和六十一年より解体修理が行われ、五年の歳月と総工費約一億八千万円をもって、往時の姿に復元された。

<参考資料> 中山道和田宿本陣御入門
中山道和田宿本陣は、文久三年(一八六一)三月の大火で焼失したが、同年十一月の皇女和宮降嫁にそなえてただちに再建された。その後明治期に座敷棟は丸子町(注:現在の上田市丸子)龍願寺へ、また座敷棟の正面にあった御入門は丸子町(注:同)向陽院へとそれぞれ移築された。ここに復元した御入門は、移築されている門の実測調査により作成した復元図に基づき、平成元年度、「潤いのあるまちづくり」優良地方公共団体自治大臣表彰記念・村制施行一〇〇年記念事業の一環として、日本宝くじ協会の助成を受けて再建した。
居室棟・冠木門は旧位置に復元したが、御入門は、既に整備された道路の関係から、旧位置とは異なるこの場所に再建した。また、座敷棟については同じく敷地等の関係から復元することはできなかった。 (長和町教育委員会設置の案内板)





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