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150920_1425_儀明の棚田(新潟県十日町市)

新潟県十日町市松代(まつだい)にある「儀明の棚田」(地図)。
実りの秋…。
(写真:儀明の棚田=20日午後撮影、640×480拡大可能)

emoji まつだい棚田バンク
まつだい棚田バンクは、松代の担い手がいなくなった棚田を維持するため、里親(棚田オーナー)を募り、出資を受けた「まつだい棚バンク」(地元農家とNPO法人越後妻有里山協働機構)が棚田の運営・管理を行うものです。
里親は田植え(5月末~6月初旬)、畦草刈りを行う畦なぎ(8月)、稲刈り(9月末~10月初旬)、収穫祭などに参加できるほか、お米の「収量」と登録した「面積」に応じた配当米が受け取ることができるそうです。

<参考HP>
・ 越後妻有 大地の芸術祭の里
  http://www.echigo-tsumari.jp/activity/tanada_owner/

emoji まつだい棚田基金
新潟県十日町市で受付しているふるさと納税のひとつ。
過疎・高齢化・後継者不足・耕作放棄などの問題を抱える棚田を寄附により守ることを目的としたもので、寄附金は棚田を保全する活動支援に利用されます。
詳しくは新潟県十日町市のホームページ(ふるさと納税)をご覧ください。

<参考HP>
・ 十日町市ホームページ
  http://www.city.tokamachi.lg.jp/





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150822_1313_大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ2015(新潟県中魚沼郡津南町)

新潟県中魚沼郡津南町の越後妻有「上郷クローブ座」(旧上郷中学校)に展示されているパオラ・ピヴィ氏の作品(NO53)。
 
「大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ2015」は、越後妻有(新潟県十日町市・中魚沼郡津南町)の里山を舞台に3年に1度、開催される国際芸術祭。今回は新作約180点を含む約380作品を展示。会期は平成27年7月26日から9月13日まで。詳しくは「越後妻有 大地の芸術祭の里」公式サイトをご覧ください。
(写真:「上郷グローブ座」に展示されているパオラ・ピヴィ氏の作品=22日午後撮影、640×480拡大可能)
 
<参考HP>
・ 越後妻有 大地の芸術祭の里
  http://www.echigo-tsumari.jp/


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150817_1522_寺泊「魚のアメ横」・海鮮茶屋汐の華の海鮮丼(新潟県長岡市)

150817_1547_寺泊「魚のアメ横」・海鮮茶屋汐の華(新潟県長岡市)
1階は角上魚類の売り場
2階が海鮮茶屋汐の華
(新潟県長岡市寺泊)
海鮮茶屋汐の華(しおのはな)は、「日本一の魚屋」を目指し、長野県内にも長野市と諏訪市に店舗を構える角上魚類株式会社(本社=新潟県長岡市寺泊)の新館2階にある食事処(地図)。新潟県内でホテル・外食産業を運営する株式会社安武商事(本社=新潟県五泉市)が運営しています。
寺泊といえば「カニ」。汐の華で提供している「かにラーメン」は人気1位のメニュー。ほかにも「かにいくら丼」「かに鮭いくら丼」「かにめし」など、カニを使ったメニューがオンパレード。人気3位の「海鮮丼」にも、もちろんカニが入り、さらに「青さ」のお味噌汁もついて、お値段は1650円。ぎゅぎゅっと締めたご飯は、見かけよりもボリュームがあり、満腹感いっぱいの逸品です。
(写真:寺泊「魚のアメ横」・海鮮茶屋汐の華で提供されている「海鮮丼」=17日午後撮影、640×480拡大可能)

<参考HP>
・ 海鮮茶屋汐の華
  http://www.shionohana.com/
・ 角上魚類
  http://www.kakujoe.co.jp/





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150523_1804_御館(新潟県上越市)

150711_1608_御館(新潟県上越市)
御館跡平面図
(上越市史より)
御館の乱( Wikipedia )は、天正6年(1578)3月、上杉謙信が亡くなった後に起きた上杉景勝と上杉景虎の後継争い。天正7年(1579)2月、景勝の総攻撃を受けた御館が落城し景虎は脱出するも、逃亡中、立ち寄った鮫ヶ尾城( Wikipedia )で景勝方に寝返った堀江宗親に攻められ自害。国内を二分した内乱は景勝が勝利し終息しました。
この御館の乱は、上杉家の国力を失う結果にもなりましたが、一方で、北条家に代わり和平交渉を行った武田家の滅亡に繋がる戦いであったともいわれています。当初、北条家出身の景虎を支援していた武田勝頼でしたが、景勝との甲越同盟( Wikipedia )を進めたことで、北条家との甲相同盟( Wikipedia )が破綻。夫人を北条家から迎えていた勝頼でしたが、天正10年(1582)の織田信長による甲州征伐では、同盟破綻により北条家とも敵対する状況となり、また、同時期に北陸地方において織田軍の攻勢を受けていた景勝からの援軍も受けられず、孤立無援のまま戦いに挑まざるを得なくなったのでした。
内乱の舞台となった御館の跡は、現在は公園として整備され、発掘調査では実戦に使われたと思われる銃弾などが見つかっています。
(写真:景虎方の本拠のあった御館公園=平成27年5月23日午後撮影、640×480拡大可能)

<参考資料> 御館(おたて)
御館は、小田原城主北条氏康に敗れ、越後に逃れた関東管領上杉憲政のために上杉謙信公が造営した館で、後に憲政から関東管領職を継いだ謙信公が政庁としても使用したといわれています。
御館は、古い地籍図から二重の堀に囲まれた東西二五〇メートル・南北三〇〇メートルの大規模な館であったと考えられています。東京ドームの一・六倍の大きさでした。中心の郭は、四方を堀で囲まれた東西一二〇メートル・南北一五〇メートルの規模で、ここ御館公園の六倍の大きさであったとされています。発掘調査が行われた四十数年前に、越後の中世史を語る貴重な遺跡であることから、中心部分が「御館」の名を冠した公園として残されました。
少し足を伸ばしてJR線路まで出てみてください。右手の独立した山が春日山城です。

<参考資料> 御館の乱
天正六年(一五七八)に上杉謙信公が没した後、二人の養子景勝公と景虎公が跡目を争った「御館の乱」が起こりました。
景勝公は、謙信公の軍事拠点の春日山城を、一方景虎公は政治拠点の御館を占拠して戦ったのでしょう。
翌七年三月、景虎公のたてこもる、ここ御館が景勝公の総攻撃を受けて落城。景虎公は妙高市の鮫ヶ尾城で自害。二年にわたり越後の国を二分した争いは、御館の落城と景虎公の自害により幕を閉じました。この時、至徳寺などの名刹や府中の六千軒が焼けたと伝えられています。
この争いの中でめざましい働きを見せたのが景勝公の重臣、樋口与六(ひぐちよろく)、後の直江兼続公です。この戦功により兼続公は奉行に取り立てられ、上杉家の中で重要な地位を占めるようになりました。
御館跡の発掘調査では、鉛や青銅製の銃弾のほか、武具や刀剣等が見つかりました。ゆがんだ銃弾は、御館の乱で実際に発射されたものといわれ、攻防の様子を今に伝えています。
 




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150523_1753_安寿と厨子王の供養塔(新潟県上越市)
 
森鴎外の代表作「山椒大夫」( Wikipedia )に登場する安寿と厨子王の供養塔。
(写真:関川近くにある安寿と厨子王の供養塔=平成27年5月23日午後撮影、640×480拡大可能)

<参考HP>
・ 上越観光ネット
  http://www.joetsu-kanko.net/
・ 「山椒大夫」(青空文庫)
  http://www.aozora.gr.jp/cards/000129/files/689_23257.html

<参考資料>
今から約九百二十年前、陸奥岩城の国信夫郡の国守岩城判官正氏は悪人の讒言により筑紫(九州)に流されました。
左遷されていた時、妻と召使いの姥竹は安寿姫(十四才)と厨子王丸(十二才)の二子を連れて岩城(福島)からはるばると父を尋ねて行く途中、この直江の津の應化の橋の袂で山岡大夫にだまされて母親と姥竹は佐渡の二郎に、安寿姫と厨子王丸は越中の人質、宮津の三郎に売られました。
知らずにいた四人も港を出ると北と西とに漕ぎ別れていく舟にそれと気付き、子を呼ぶ母、母を呼ぶ子、その悲嘆のうちに身を投げた姥竹を土地の人々が厚く弔ってここに塔を建てました。
その後、安寿姫は悲しみの余り沼に身を投げ、死んでしまいました。
そこで姥竹の塔の脇に又、小さな塔を建てて弔いました。
厨子王丸が関白師寛に用いられ丹後の国守となって佐渡にいた母を迎えてこの津を上った時、土地の人々は温情に感泣し二人の塔に供養したと言われ、それから人々の手向ける香華が今も絶えないのであります。
(上越市設置の案内板から)

<参考資料> 山椒大夫 鴎外森林太郎
「山椒大夫」は、説経節の「さんせう太夫」に想を得て書かれたといわれていすが、「直江の浦」つまり直江津の情景が、より細かく描かれています。
鴎外は明治十五年、軍医として新潟県を訪れて高田に宿泊、直江津を徒歩で通過しています。
「北游日乗(ほくゆうにちじょう)」という日記には、加賀街道の景色やまちで出会った人々のことが漢詩に残されていますのでこの時の印象が物語のなかに強く反映されたようです。
原本所蔵・島根県津和野町森鴎外記念館
(三八朝市周辺まちづくり協議会設置の案内板から)





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