忍者ブログ
管理人の思いつくまま、気の向くまま、長野県内の町や村の話題を取り上げています。
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。


150429_1420_甲斐善光寺(山梨県甲府市)

山梨県甲府市の甲斐善光寺(地図)では、4月5日から5月31日まで、御本尊である善光寺如来像(国重要文化財)の御開帳が行われています。
甲斐善光寺( Wikipedia )は、川中島合戦の戦火を避けるため、永禄元年(1558)、武田信玄が信濃善光寺から御本尊である善光寺如来(阿弥陀如来)や寺宝を領国である甲斐へ移し創建されました。
しかし、天正10年(1582)、織田信長の甲州征伐により武田家が滅亡。善光寺如来像は美濃(岐阜県)に運ばれ、さらに本能寺の変で信長が斃れた後は尾張(愛知県)、遠江(静岡県)、京都に遷され、慶長3年(1598)、信濃善光寺に帰仏されました。甲斐善光寺では、善光寺如来像の前立像である善光寺如来像(銅造阿弥陀如来及両脇侍像)を御本尊として、今も多くの人々の信仰を集めています。
(写真:甲斐善光寺=4月29日午後撮影、640×480拡大可能)

<参考HP>
・ 甲斐善光寺
  http://www.kai-zenkoji.or.jp/
 

平成27年度 甲斐善光寺 御開帳
150429_1450_甲斐善光寺(山梨県甲府市) 150429_1450_甲斐善光寺(山梨県甲府市)
山門 金堂
15_甲斐善光寺周辺マップ 15_甲斐善光寺御開帳境内略図
周辺マップ 御開帳境内略図

<参考資料>
国指定文化財 建造物
善光寺山門付棟札
五間三戸の楼門で、入母屋造の構造を示すこの山門は、江戸時代中頃の宝暦四(一七五四)年の大火により、本堂とともに焼失したが、本堂に先立って再建され、明和四(一七六六)年に上棟式がおこなわれた。
両脇に仁王像を安置し、二階部分は、手すりの板廊下がめぐらされ、内部には仏壇が置かれている。巨大な朱塗の丸柱と白壁、銅板葺の屋根などからかもし出される雰囲気は、本堂の壮大な建築によく調和した山門ということができる。
(甲府市教育委員会設置の案内板から・昭和63年)

<参考資料> 里垣の伝説 甲州善光寺の棟木
昔、遠光寺村というところに、お琴という美しい娘がおりました。お琴には、夫になるべき若者がいて、二人は仲むつまじく過ごしておりましたが、ある青い月のきれいな晩に、若者は、「私は、高畑村の棟木になるため切り倒されてしまうので、お別れしなければなりません」と涙ながらに言いました。そして「私は切られても、千人に千人の力では動きません。もしあなたが来て声をかけてくれたら、動きましょう」と言いのこすと、すうつと消えてしまいました。
さて、そのあしたのこと、柳の大木は切り倒されましたが、いくら人夫を増やしても動きません。そこで、お琴が泣く泣く今様をうたうと、柳の大木はするすると動いたということです。
(甲府市・甲府市教育委員会設置の案内板から)





ランキングに参加しました。
Click >>> にほんブログ村 長野情報
Click >>> 人気ブログランキングへ
管理人ホームページ Click >>> 日本列島夢紀行 信州からあなたへ

拍手[0回]

PR
この記事にコメントする
Name
Title
Color
E-Mail
URL
Comment
Password   Vodafone絵文字 i-mode絵文字 Ezweb絵文字
カレンダー
03 2024/04 05
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30
ブログ内検索
ブログランキング投票
- ランキングに参加中 -
ポチっとクリック!

人気ブログランキングへ

にほんブログ村 地域生活(街) 中部ブログ 長野県情報へ
にほんブログ村
プロフィール
HN:
管理人ひろさく
性別:
男性
趣味:
里山めぐり
自己紹介:
長野県長野市在住。
カテゴリー
最新コメント
[11/23 たっきー]
[11/22 管理人ひろさく]
[11/22 管理人ひろさく]
[11/21 ロクエフ]
[11/21 たっきー]
カウンター
アクセス解析
忍者アナライズ

Template By Emile*Emilie / Material by Auto-Alice
忍者ブログ [PR]